僕は完璧主義者という名の嘘つきです

自分の殻を破る方法

今回は「完璧主義という名の嘘」という内容で話をしようと思います。

もしあなたが自分の事を「完璧主義者」だと思っているのなら、この記事を読んでみて、読み終えた後に「果たして自分自身は本当に純粋な完璧主義者なのか?」そして「完璧主義にこだわることが果たして自分の人生においてプラスになるのか?」といったことを今一度考えてみてもらえればと思います。

スポンサーリンク

実は完璧主義者には2種類ある

この記事を書いているのは令和3年の1月です。

去年に引き続き今年も、コロナの影響により多くの人の生活が大きく激変してしまったのではないでしょうか。僕自身もコロナの影響により会社の売り上げが激減し、また私生活でもいろいろあり、対応に追われ続けている毎日です。お陰で自分のやるべき事・やりたい事が何も進まず、完全に手が止まっている状態です。当ブログも更新がすっかり滞っていますしね(苦笑)

ところで今年も新たな一年が始まりましたが、今年一年の目標は立てられましたか?僕も年の初めには何かしらの目標を立てるんですけど、今年一年はその目標と共に「自身の全ての行動において、そのスピードと量を爆発的に上げていく」ということを意識していこうと思います。

と言うのが去年がコロナや家庭の事情で自分のやるべき事ややりたい事が思うように出来なかったというのもあるんですが、これは元々僕が完璧主義者だということが関係しています。

実は僕自身、子供の頃よりかなりの完璧主義者でした。何をするにしても、それが自分の納得のいく完成度にまで達しなければ気が収まらない。だから何をやっても、いつも決められた時間内に完成させることが出来ない。

例えば学校の美術の授業で絵を描く課題が出たりとか、技術の授業で作品を作る課題が出たりすることがありますよね。そういった課題を僕は、決められた時間内に完成させた経験がまるで無いんですね。いつも時間切れになり、毎回未完成の中途半端な状態で提出してきました。

なぜ決められた課題を、決められた時間内に完成させることが出来ないのか?
その理由として挙げられるのが、僕はどんな課題に対しても取り掛かり始めるのがまず遅い。周りのみんなが取り掛かり始めて、みんながどんな風にやっているのかを一通り確認してから、やっと取り掛かり始める。そして課題に取り組んでいる最中も常に周りのみんなの課題の進み具合や完成度を見て、「こんなのではダメだ」と言って何度もやり直す。だから作業は一向に進まないし、作品も完成しない。

そしてそんな僕に対し、僕の兄は真反対とも言えるような人でした。僕の兄は子供の頃から他人からの命令を全くと言っていいほど聞かない人でした。学校の授業で課題を出されても、気分が乗らなければまるでやろうとしない。先生から命令されても一切手を付けようともしない。でも自分の頭の中で閃いた途端、突然猛烈な勢いで動き始める。そしてあっという間に課題を仕上げてしまう。しかも毎回必ず決められた時間内に課題をきっちり完成させ、そして完璧とも言えるほどの完成度で仕上げてしまう。そして満足げな顔でニヤニヤ笑っている。

同じ兄弟でも、まるで違う僕と兄。では僕と兄とでは一体何が違うのか?

本当の完璧主義者とは、僕の兄のような人間のことを言うのだと思います。周りは一切関係ない。どんな時も常に自分が基準であり、自分が納得出来るものが作れるかどうかが問題であり、周りにどう思われようと関係ない。自分が納得のいく結果を得るためには自分をとことんまで追い込み、自分に対して一切の妥協を許さない。それが真の完璧主義者の姿だと思います。

それに対して僕は、完全な「なんちゃって完璧主義者」でした。僕が目指していた完璧は、いつも「周りと比べて自分の出来は悪くないか?みんなと同じようにちゃんと出来ているか?」といった事ばかり気にしていて、例えば課題の完成度が低くても周りのみんなも同じように出来が悪ければ安心し、反対に自分の完成度がいくら高くても周りのみんなの完成度がそれ以上に高ければ焦って不安になってしまう、そんな他人ばかりを基準にした偽りの完璧主義だったのです。

つまり僕の完璧主義とは、自分の納得のいく完成度までひたすら努力をし続けるといった本来の完璧主義者の姿ではなく、ただ単に他人から批判されたりバカにされるのを恐れていただけ、失敗するのをただ怖がっていただけだったということです。

行動出来ない完璧主義者

僕の兄のような純粋な完璧主義者であるなら、特に問題は無いと思います。でももしあなたの完璧主義が僕と同じ「ただ単に他人の目を気にしたもの」であるなら、その完璧主義は百害あって一利なしです。まさにデメリットしかないと言えます。

ではなぜ僕と同じタイプの完璧主義が良くないかと言うと、このタイプの完璧主義だとまずその行動量が極端に少なくなる。完璧を目指すのは決して悪いことではありませんが、その目的が「より高い完成度を目指すこと」ではなく「他人から批判されないようにするため」になってしまうと、怖くなって何も出来なくなるからです。

「人の目が気になって思うように行動出来ない」ということは、それはつまり「チャレンジ出来ない」ということ。そして「チャレンジしない」ということは、当然「結果は出ない」ということ。

当たり前のことですが、チャレンジしなければ自分が今よりも成長・進化することは決してありませんし、今以上の結果を出すことも出来ません。本当に当たり前のことですけど。

今こうして僕はブログなどで自分の考えを発信してますけど、ブログを始める前の僕は超が付くほどのアナログ人間でした。ネット検索もまともに出来ないほどの人間です。しかも元・対人恐怖症です。そんな人間が不慣れなネットで不特定多数の人相手に自分の意見を発信するというのは恐怖しかありません。

だから僕はブログを始めた初期の頃は、すでにブログで発信していて多くの読者を獲得している人の言葉を借りながら記事を書いていました。でもそれでは何のチャレンジにもならないし、自分が成長することもない。だから僕は当時作っていたブログを完全に削除し、自分の言葉で新たに一からこのブログを作り直しました。だからこのブログの最初頃の記事の内容は結構酷かったりするでしょ?まぁ今も似たようなものですが(苦笑)

多くの人に納得してもらえるような文章は、あの頃の僕には書けなかった。みんなが納得してくれるような完成度の高い文章なんて、とてもじゃないが当時の僕には書くことは出来なかった。周りから馬鹿にされたり、誹謗中傷のコメントが来るかもしれない。それによって心が折れるかもしれない。でも僕は文章を書き続けました。

自分が何かしら行動を起こせば、それに対して批判をされることも当然あるし、自分の意見や考えを否定されることもやっぱりある。何かを発信したり行動を起こすためには、必ず何かしらのリスクを背負わないといけない。

そしてリスクを背負えば、何かしら痛い目に合うことも当然ある。失敗することも当然ある。でもリスクを背負って行動を起こさなければ、その先の成功も無いし前に進むことも出来ない。そもそもリスクゼロなんて世界などあり得ないわけだから、僕らはリスクを背負う覚悟を決めないといけない。

僕らの人生はあらゆるリスクに満ち溢れている。そのリスクから目を逸らすのではなく、リスクを背負って生きていく覚悟を決める。そうやって覚悟を決めて立ち向かっていくことによって人は成長・進化し、人生における成功を収めることも出来るようになるのです。

脱・完璧主義者

とは言っても、何も僕は「大きなリスクを背負え」なんてことを言っているわけではありませんよ。むしろ大きなリスクなんて取る必要も無いし、ましてや一か八かの大勝負や博打なんてことはする必要は無いというのが僕の考えです。

ところで多くの人がよく勘違いをしているのですが、いわゆる人生における「大成功」というものは、何も無い所から突然現れるわけではありません。「大成功」は「小さな成功の集合体」なのです。小さな成功がたくさん積み重なり、それがある一定の量を越えた時に大成功という形で結果として現れただけなのです。

だから結果を出したければ、大きなリスクを背負って一か八かの大チャレンジをいきなりするのではなく、自分の出来る範囲でよりたくさんの小さなチャレンジを繰り返していくこと。もし失敗してもダメージが少ない、または失敗しても後で挽回していけるような小さなチャレンジをいっぱい繰り返し、それによって出来るだけたくさんの成功体験を積み重ねていくことが大事なのです。

たまに、いきなり大きなチャレンジをして取り返しのつかない大変なことになってしまうような人がいますよね。そういった人は、これまでの人生でチャレンジをした経験が無い、もしくはチャレンジの経験が極端に少なすぎるから大やけどを負ってしまうのです。

先ほども言いましたがリスクの全く無い人生なんてあり得ません。だから僕らはリスクを背負う覚悟を決めてチャレンジしていかなければならない。でも自分の手に負えないような大きなリスクを背負う必要は無い。失敗してもダメージの少ない小さなチャレンジを出来るだけたくさんして、小さな成功をどんどん積み上げていく。

そして何でも完璧にやろうとする必要もありません。とは言っても成功するための努力はもちろんしないといけませんが、一番重要なのはチャレンジ(行動)して経験値を増やしていくことです。なぜなら経験値を増やせば増やすほど、それだけ成功に近づいていくからです。また失敗すればするほど、「なぜ失敗したのか?」を考えるようになり、より物事の本質が見えるようにもなります。そうやって小さなチャレンジを繰り返し、少しずつチャレンジのレベルを上げていけばいいのです。

そして「小さなチャレンジ」と言っても、今の自分にとって簡単にできる事・出来て当たり前の事ではもちろんチャレンジにはなりませんからね。頑張って努力しなければ達成できない事や、それをやろうとすると自分にプレッシャーがかかってしまうようなレベルのものでないと、チャレンジとはならないですからね。

 

ということで今回は僕なりに「完璧主義による弊害」について話させてもらいましたが、果たしてあなたは純粋な完璧主義者でしたか?それとも僕と同じように周囲の目や評価を気にした完璧主義でしたか?

純粋な完璧主義者は、ただ純粋に高みを目指していくことしか考えてないので、爆発的な行動力と執念で前に突き進んでいきます。でも僕のような、他人から批判されたりバカにされないために完璧を目指している人間は、周りの目に振り回されてしまって結局は何も行動出来なくなる、怖くて何もチャレンジ出来なくなる。

今では僕も良い意味でほとんど人の目を気にしなくはなりましたが、でもやっぱり今でもまだ「この結果では周りから認めてもらえないんじゃないか?馬鹿にされるのではないか?」といった意識がどこかに残っています。

なので今年は、自分の立てた目標と共に「自身の全ての行動において、そのスピードと量を爆発的に上げていく」ということを意識していきます。もちろんやると決めたことに対しては出来る限り完成度は上げていきますが、それ以上に出来るだけ多くのトライ&エラーを繰り返すことによって成功に近づいていこうと思います。

良かったら一緒に頑張っていきましょう!

メッセージ