「年上は敬わないといけない」という強迫観念がこの国をダメにする!

仁の本音

この日本には

「年上を敬い、逆らってはならない」

という、暗黙のルールが昔から存在します。

 

学生時代は先輩や先生の言うことが絶対で、それに逆らってはならない。

社会人になれば、会社の上司や年上の先輩を敬い、立てていかなければならない。

地域社会でも、年配者を立て、若い人間は年配者の言うことには逆らわず何でも聞かねばならない、といった風潮がこの国にはあります。

 

この「年上を敬え」という日本人の道徳とも言える考え方。

元をたどれば、遠い昔に日本に伝来した儒教の考えから来ているのではないかと思います。

 

僕はこの考えを全く否定するつもりはありません。

でも僕ももういい歳になり、ある程度社会経験も積み、若い世代とベテラン世代の両方の気持ちが分かるようになった今、改めて思うのです。

この「年上を敬え」という考え方こそが、僕ら日本人の視野を狭め、人間としての成長を鈍らせる一番の原因になってしまっているとしか思えない。

 

あなたはどうですか?

どんな相手であれ、相手が自分より年上であれば敬い尊重すべきだと思いますか?

どんな時でも、自分より相手の方が長く生きていれば、自分がへりくだるべきだと思いますか?

 

今回は、無条件に年上を敬うことによって起こる弊害について、僕なりの考えを話していきます。

 

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 人生の質は”長さ”ではない

僕は子供の頃からずっと、体育会系の中で育ってきました。

父親はとても厳しく、父親の命令に逆らったことなど一度も無い。

また子供の時からずっとスポーツをやっていて、上下関係の厳しさは嫌というほど叩き込まれてきました。

また社会人になってからも、入社した会社はとても上下関係が厳しく、上の言うことを聞かないと容赦なく罵声が飛んでくる、そんな環境でこれまでずっと生きてきました。

 

そのうち僕も年齢を重ね、社会人としてベテランと呼ばれるポジションになりました。

教えられる立場から今度は教える立場、つまり上の立場の人間になったわけです。

 

自分より経験の少ない年下の若い人間に、仕事や社会常識なんかをいろいろ教えていかないといけない。

でも若い人間にいろいろ教えていくうちに、むしろ僕の方がたくさんのことを教えられることとなりました。

 

若い人間というのは僕らベテランより、おかしな思い込みを持っていない。

だから僕ら頭の凝り固まったベテランが思いつかないような、突拍子もない発想や面白いアイデアが飛び出してくる。

むしろ僕らベテランが教えられてしまうようなことが、たくさんある。

 

また、僕がこれまで経験したことの無いような面白い経験をしてきている人間も、たくさんいる。

つまり、単に長く生きているからそれだけたくさんの経験をしてきている、ということでははない。

人生において大事なのは、生きてきた長さではなく、どんな生き方をしてきたのかという人生の濃さ

生きてきた時間ではなく、どんな生き方をしてきたのか?ということが大事なんだということを、教える立場になって初めて気づかされました。

 

 

 

 先に生まれた人間としての責務

僕らの生きるこの日本は世界的に見ても、上下関係がとても明確な社会だと思います。

学校や会社でも序列が厳しく、少しでも相手が早ければ先輩であり、その人間に従わないといけない。

そんな風潮があります。

 

学生時代でも、たった1年しか違わないのに、年上は先輩面し、後輩は先輩を立てなければいけない。

会社もそう。

会社のお偉いさんが来れば、下の社員は一斉に笑顔で挨拶し、お偉いさんのご機嫌を取る。

もし下の社員から挨拶が無ければ、とたんに上のお偉いさんは不機嫌になる。

下の人間によるお膳立てが無ければ、子供のように不機嫌になるわけです。

 

これっておかしいと思うのは、僕だけでしょうか。

周りから持ち上げてもらえなければ、不機嫌になる。

つまり、単なる甘えん坊ですよね。

赤ちゃんや小さな子供と同じじゃないですか。

いい大人なら、「自分の機嫌ぐらい自分で取れ」と言いたくなってしまいます。

 

そしてこれは学校や会社だけではありません。

日常生活の様々な場面で、こういうことは感じます。

年上というだけで大きな顔をし、若い人間から意見を言われれば「生意気だ」と言い出す。

「年上を敬え」と怒り出す。

 

下の人間から逆らわれた時につい怒ってしまうのは、その根底に”自信の無さ”があるからです。

自信が無いからこそ、逆らわれると焦ってしまう。

その気持ちは、僕も分かります。

でも年上であるなら、そこをグっと抑えて年下の意見を受け止めてあげるべきではないでしょうか。

 

よく挨拶なんかでも、「挨拶は、上の人間に対し下の人間から先にするのが礼儀だ」みたいな考えをしている人も多いですが、僕は逆だと思います。

挨拶とは、上の人間から下の人間に対してするもの。

学校なら、先輩から先に後輩に声をかけ、挨拶をしてあげる。

会社なら、上司から先に部下へと挨拶をしてあげ、上司が中心となって場の空気を作ってあげる。

先輩・年上であるなら、その身をもって後に生まれた人間に対して見本を示してあげなければならない。

それが先に生まれた人間としての責務だと、僕は思います。

 

 

 

 無条件に年上を敬うことによって起こる最大の弊害

そして、無条件に年上を敬うことによって起こる最大の弊害について、僕なりの考えを話します。

それは、年上を敬うことによって「変な遠慮」が出てしまい、その結果その場にいる人間全ての成長が止まってしまうことです。

これは、あなたがサラリーマンを経験しているのなら分かっていただけるのではないかと思います。

 

「上意下達」「トップダウン」といった言葉がありますが、日本の会社組織というのは上の権限が強く、上からの命令は絶対。

下の人間が意見や反論を言おうものなら、とたんに反逆者・異端児扱いされ、排除されてしまう。

 

会社の会議なども、そう。

会議といっても、単に会社の上層部が決めてしまったことを報告・命令するだけで、議論というものは全くされない。

「俺たちが決めたことを、お前たち下のものは文句を言わず従えよ」と言っているようなもの。

 

それに対し、例えばアメリカなどでは、上司の考えに対し部下が平気で意見を言います。

上司が間違っていると思えば、遠慮なく自分の意見をぶつけてきます。

そしてそれに対し上司も部下の意見を受け止め、お互いが同じ目線で議論をし始めます。

 

つまり上司と部下は、単に役職が違うだけ、すなわちこなすべき役割や責任が違うだけ。

でも、人としての価値は変わらない。

年齢や役職が違っても、人としては対等の関係。

だから、年上であろうと上司であろうと、変な遠慮はしない。

相手が誰であろうと、自分の意見は遠慮なく言う。

そして上司も、部下の意見を1つの貴重な意見として受け止め尊重する。

だから話し合いや議論も、自然と質の高いもの・密度の濃いものになる。

 

上の言うことを聞いてただ従うだけの思考停止人間ではなく、自分の頭で考えて自分の意見を言う。

それによって、人としても大きく成長するし、組織としても当然成長・発展していきます。

 

 

「年上だから無条件に敬われるべき」という考えを持っている限り、人としての成長はない。

年上であろうが年下であろうが、人としての価値は同じであり、人として対等の関係でなければならない。

つまり年齢など関係なく、僕らは誰に対しても敬う心を持つべきなのです。

そして、それは自分に対してもそう。

他人を敬うように、自分自身にも誇りを持たなければならない。

お互い尊重し合い、相手が誰であろうと変な遠慮などせず自分の意見を言える関係を築けなければ、人としての成長もそこで止まってしまうのです。

 

そして僕ら年長者は「敬われて当然」と考えるのではなく、年下から敬われるような人間にならないといけない。

年下の見本になれるよう、年下から憧れられるような存在になれるよう、常に己を磨いていかなければいけない。

それが、先に生まれた者の責務。

 

この日本はもう、「年上は無条件に敬わなければならない」という呪縛から脱却すべき時が来ている。

そのためにも僕ら年長者が、率先してこの呪縛を打ち破っていかなければならない。

この日本を本気で変えていきたい、僕はそう思います。

メッセージ

  1. 岩田照美 より:

    初めまして、年上を敬うと言うことは、中国の儒教から来ていて、
    孔子の教えであり
    孔子が最も大切と教えたのは
    相手への思いやり
    「仁」ですよね。

    • 仁(jin) jin より:

      岩田照美さん、メッセージありがとうございます。

      僕の名前の中にある”仁”という字は、慈しみを表す言葉であり、この字を授けてくれた僕の親も、きっとそのような人間になれるようにと願いを込めて付けてくれたのではないかと思っています。
      そしてこの”仁”は、孔子(儒教)で説かれている五つの徳目「仁・義・礼・智・信」の最初に来る文字でもある。

      孔子というと、”礼”を説いた人というイメージが強いですが、岩田さんのおっしゃられる通り、”仁”こそが最も大切だと説いているんですよね。
      孔子は政治家であり、徳治主義(徳のあるものが統治者となり、その徳を持って国や人民を治めなければならない)を訴え続けた人。
      つまり君主への礼儀についても説いたが、孔子が強調して説き続けたのが、君主のあるべき姿。

      『君主とは常に民衆のことを思い、公正な政治をすると同時に自らも厳しく律しなければならない。
      そして君主自らが礼を重んじ、臣下の意見をよく聞く耳を持ち、いかなる時も賢明な判断をしなければならない。』

      つまり孔子の説いた教えというのは、単に目上の人間に対する礼儀などではなく、「年長者や上の人間というのは、若い世代の見本として、自ら手本とならなければならない」ということを説いている。
      でもその大事な部分を、多くの日本人が理解していない。

      それはなぜか?
      その理由は、この日本に伝わってきた儒教を、その時代その時代の権力者たちが、自分たちに都合よく利用してきたからだと、僕は考えています。
      自分たち権力者たちに歯向かわず、従順で言いなりになる人間を作り出すために、儒教の”礼”の教えの一部分を上手く利用した。

      例えば戦時中などは、戦に勝つためには全ての国民を権力者である自分たちに従わせなければならない。
      そのためには、国や上官などに歯向かわせないように仕向けなければならない。
      国や上官に歯向かってはいけない理由、歯向かってはいけない空気を、作り出さなければならない。
      そのために儒教の”礼”の精神を利用して、「上(上官・年長者)からの命令には従わないといけない」という道徳的考えを意図的に植え付けた。

      「上に逆らってはいけない」「上に逆らうのは失礼にあたる」「上の人間は敬わないといけない」といった道徳心は、立場が上の人間にとってはこれほど都合の良いものはない。
      支配する側の人間からしてみれば、これほど便利なツールはない。

      そしてこの便利な道徳的ツールは、未だに多くの場面でも利用され続けている。
      会社も、そう。
      学校も、そう。
      あらゆる場面で利用され続けている。

      以前僕の知り合いが話してくれた話なんですけど、ある政治家(名前は忘れてしまいましたが)のエピソードを話してくれました。
      第二次世界大戦でアメリカと日本が戦う前のことなんですが、ある政治家がアメリカへ行くことがあり、その時アメリカの人達と議論をしたそうなんです。
      そしてアメリカ人の発する言葉に、ものすごい衝撃を受けたそうです。

      一体どんな言葉に衝撃を受けたのかというと、議論の中でアメリカ人たちが、自分の国であるアメリカのことを平気で批判し始めたことです。
      当時の戦時中の日本人の感覚からすれば、自国である日本のことを批判したり悪く言ったりするなんてあり得ない。
      そんなことをすれば非国民だと罵られ、場合によっては逮捕される可能性もある。
      口が裂けても自国の悪口なんて、言えるわけがない。

      でもアメリカ人たちは、平気で自分たちの国のことを批判し始めた。
      アメリカの、こういうとこが良くない。
      アメリカの、こういうとこは早急に改善していかなければならない。
      敵国の、こういう部分は見習わないといけない。

      平気で自分の国のことを批判し、敵国を褒める。
      それを聞いてこの政治家は、「あぁ、我が日本はアメリカには絶対に勝てない。」そう感じたそうです。

      今のままでは、この日本はダメになる。
      単に年下というだけで、自分の素直な意見を主張できない。
      立場が下というだけで、遠慮しなければならない。
      年が少ないというだけで、貴重な意見が握りつぶされてしまう。
      そんな不自然な関係、どう考えてもおかしい。

      この国はいい加減、このおかしな洗脳から脱しなければならない。
      じゃないと、この国に明るい未来などやって来ない。

      このおかしな洗脳の壁をぶち破るために、今回このような記事を書かせていただきました。
      もちろん必ずしも僕の考えが正しいとは限らないかもしれない。
      でも僕なりに、この日本の行く末を案じたゆえの内容です。

      仁より

  2. 匿名 より:

    この国が、韓国に全ての面で負けるようになった原因は、若者が年長者を馬鹿にし、邪魔者扱いするようになった為。
    年長者が作ったルールや仕組みがあって今が成り立っている、つまり年長者がいて自分が存在するということを忘れたため。
    年長者が作ったルールが絶対ではないが、変えるにしても、それがあって今があることを軽んじてしまったから、韓国に何一つ勝てない惨めな国になった。