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仁の本音

人生ってまさに選択の連続ですよね。
ただ、僕らは日々の生活の多くをパターン化したルーチンワークのようにこなしているため、日常生活の中で何かを”選択”したり”判断”したりといったことを意識することがあまりないかもしれませんね。
ですが、ちょっとしたイレギュラーなことや、自分がどうすべきか意識して選択・判断しなければならない場面も当然発生するし、大きな決断を下さないといけない時もあります。

「今の自分は、一体どうあるべきか?」
「どのような行動が、自分にとっての正解なのか?」

人生とは選択の連続であるがゆえに、迷いの連続でもあります。しかし人生を前に進めるためには、いつまでも迷い続けているわけにはいきません。どこかのタイミングで決断をしなくてはならない。

何かを選択したり決断したりするには、やはりそれを判断するための基準というものが必要ですよね。例えばそれが自分の信念や価値観であったり、これまでの自分の経験から導き出されたものであったり、または他人の意見や同調圧力、状況を踏まえた上での損得勘定など、人によってそれぞれ判断するための基準というものがあると思います。

じゃあその基準とは、一体どうやって作られたのか?
その基準は一体どんなもので、いつから自分の中にあるのか?

おそらく多くの人が、「自分が生きていく中で周囲の様々なものから影響を受け、いつの間にか自然と出来上がっていた」といった感じではないでしょうか。改めて「あなたの人生における基準とは何ですか?」「あなたが行動する上での基準とは、一体どんなものですか?」と聞かれても、多くの人がボンヤリとしか思いつかないのではないでしょうか。

そこで、改めてあなたにお聞きします。あなたは自分の中にある「あなたが日々を生きていく上での行動基準」を意識したことはありますか?人生における自分の判断基準がどんなものか、あなたは認識していますか?

なぜこんな質問をするのかというと、その基準こそがあなたの人生を決める上での決定的な要素となるからです。ということで、参考になるかは分かりませんが、僕なりの行動基準、人生における僕自身のマイルールについて話していきますね。

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僕の中にある、絶対的な基準

僕自身が生きていく上で決めているマイルール、自分の行動が正しいかどうかを判断する上で定めている基準は、実はとてもシンプルなものです。

それは「その行動が、男としてカッコイイかどうか?」です(笑)

僕は自分自身の行動だけでなく、自分の発する言葉、態度、立ち振る舞い、価値観、考え方、信念、感覚…自分に関するあらゆることを、常にこの「男としてカッコイイかどうか?」に照らし合わせながら判断しています。

これを聞いて、あなたはどう思いました?
もしかして「おいおい、バカにしているのか!」なんて思いました?

もちろん僕はあなたをバカにしているわけではありません。大真面目に話しています。

いついかなる時も僕の人生における判断基準の最上位は、常に「男としてカッコイイかどうか?」であり、決して揺らぐことはありません。これは「人としてカッコイイ生き方が出来ているか?」に置き換えてもらった方が分かりやすいでしょうか。
僕は昔から強い男になりたいという憧れを持っていたため、つい”男”を前面に出してしまいますが、「男として」も「人として」も、本質的な部分は同じです。自分の主観で「男として」「人として」カッコイイ生き方を僕は自分の基準とし、その自分の主観で決めた基準に基づいて行動しています。そう、僕はどんな時も、自分で決めた自分軸で生きています。

でも僕の見る限り、多くの人が自分軸ではなく他人軸で生きていたりします。何かを判断するにも世の中の一般常識に照らし合わせてみたり、または周りの意見や多数決に委ねたりなど、多くの人が世の中の常識やルールに照らし合わせて正しいかどうかを判断している。なぜなら、それが無難だからですよね。人と同じようにしていれば批判されることもないし、その他大勢の真似をしていれば自分だけ間違った方向に進んでしまうなんてことも無い。何もかも人に合わせ、そして自分で決断せず周りに決めてもらえば、正直楽ですもんね。

でも、だからこそ多くの人の人生がしんどいものになってしまっているとも言えます。世の中の常識やルールに照らし合わせて判断し行動するのは、いわば他人の基準で生きるということ。それは自分をねじ曲げ、ひたすら他人に振り回され続けることを意味する。表面上は上手くいっているように見えても、心のどこかに必ずおかしな負荷がかかり、ストレスをため込んでいくことになります。

僕は幼少期より、ひたすら周りに合わせて生きてきました。そうすることでしか、生きていくことが出来ませんでした。でも30代半ばに差し掛かった頃から、他人の基準で生きていくことをやめました。「男として、人としてカッコイイ生き方をするんだ」そう心に決めました。

自分のポリシーや美学をどんな時も貫き通す、そうすることによって周囲の人間と衝突して大変なことになる、大きなトラブルが起きてしまう、そう僕は思い込んでいました。でも実際にやってみると、恐れていたようなことはほとんど起こりませんでした。

というか、むしろ「人としてカッコイイ生き方が出来ているか?」という基準で生きると、不思議と間違ったことにはならない、道を大きく踏み外してしまうことはなくなるんですね。それだけでなく、自分を取り巻く人間関係もどんどんシンプルになり、周りとの人間関係の摩擦も逆に起こりにくくなったりするのです。

 

じゃあ「男として、人としてカッコイイ生き方とは、一体どんな生き方なのか?」と言われれば、やはり人それぞれ違うのではないかと思います。僕自身も多くのカッコイイ男たちを観察し、僕なりの「カッコイイ男像」を自分の中に作り上げていきました。

例えば男の子だと子供の頃にケンカをすることがあると思います。それで、明らかに自分より弱いと分かりきっている相手や、ケンカしても余裕で勝てると分かっている相手とばかりケンカするヤツがいたとします。こんな男を見て、カッコイイと思いますか?思いませんよね。
逆に自分より強いと思えるような相手に挑んでいく、そんな男ってカッコ良くないですか?仮にケンカに負けてしまったとしても、弱い相手ばかりを狙って勝ち続ける男より、強い相手に挑んで負けてしまう男の方が、比べ物にならないぐらいカッコイイ。
これはケンカに限らずあらゆることに当てはまります。例えば仕事で自分より立場の弱い部下や出入り業者ばかりをイジメる人間って、どうしようもなくカッコ悪いですよね。逆に、自分より立場が上の上司や先輩に対しても遠慮なく意見を言ったり提案したり出来る、こんな人間を見て僕は思わず「カッコイイ」と思ってしまいます。

また、ピンチに陥って慌てふためいたり、焦って周りに当たり散らすような男より、逆にピンチの時こそ冷静に状況を判断し対応できる男、またはピンチで慌てふためいてる仲間をフォローしたり的確に指示を出してあげられる男の方が、何百倍もカッコイイ。

また、仕事や勉強・スポーツ等でも、結果が出せなくてもヘラヘラと笑っている、またはやる前からすでに諦めてしまうような人間より、例え結果が出せなくても必死にもがいたりあがいたりしている人間の方が、ずっと魅力的に見える。

周りに合わせてばかりの話し上手な八方美人を見ても、僕は何とも思わない。でも周りの批判も恐れず自分の意見をストレートに発信するような人間を見ると、僕は思わずシビれてしまう。なおかつ周りの意見や考えも聞き入れられる器を持っていたなら、もっとカッコイイ。

グダグダ言い訳を並べて責任から逃れようとする人間に比べ、失敗やミスを潔く認められる人間の方が、その生き方は比べ物にならないぐらいに美しい。

周りの仲間に合わせて無難な服を着ている人よりも、自分の個性や良さを引き出してくれるような服や、単なる流行ではなく自分なりのこだわりを持ったファッションを身にまとっている人の方が、より強い魅力を僕は感じる。

ところで話は変わりますが、よく電車やバスなどで「席を譲る・譲らない」問題が勃発しますよね。若者が年配者に席を譲るべきか、みたいな。それで、若者が席を譲ったにもかかわらず、年配者が「わしは席を譲ってもらうほど老いぼれてはいない!」みたいなことを言って断られてしまうケースがあると思います。これは、言うまでも無く年配者に問題がある。年配者が人間的に未熟であるがゆえに起こってしまうことだと思います。

でもここでその若者が「何だよクソッ、せっかく譲ってあげたのに。それならもう誰が困っていても、二度と席を譲ってやるもんか!」と思い、もう誰にも席を譲らなくなったとします。これを見て、どう思います?そう思ってしまう若者の気持ちもよく分かるのですが、人としてカッコイイでしょうか?

これが例えば「断られてしまったのは気分が悪いけど、まぁ人それぞれ考え方も違うしな。でも”困っている人を見たら席を譲る”というのは人として正しい行為だし、間違いなく相手の助けになるんだから、今後もし同じように断られることがあっても自分は人として正しいと思うことを貫いていこう。」こう考え、困っている人に席を譲り続けたなら、どうでしょう?人として最高にカッコ良くないですか?

 

僕自身の経験で言えば、「人としてカッコイイ生き方が出来ているか?」という基準で生きると、たいてい間違ったことにはならない。必然的にその行動は「人として正しい道」へと導かれていく。
僕は「男としてカッコイイかどうか?」という基準を自分に対する絶対的な基準とするようにしてから、生きることが本当にすごく楽になりました。絶対的な基準(指針)を持つことにより迷うことも激減し、人生が驚くほどシンプルになりました。また他人軸ではなく自分軸で生きるようになってから、自分と合わない人間は自然と離れていき、逆に自分の価値観と合う人間がより集まってくれるようになり、それによって人間関係の摩擦によるストレスも同じく激減しました。

僕は「男としてカッコイイかどうか?」という絶対的な自分軸で生きることにより、やっと自分の人生を自分の手に取り戻すことが出来ました。

自分を好きになる

僕は幼少期から30代半ばに差し掛かるまで、自分のことが大嫌いでたまりませんでした。ヘタレで勇気も自信も無いくせに虚勢を張って誤魔化し続ける自分のことを、殺してしまいたいほど嫌っていました。何でも出来てみんなから必要とされる理想の自分と、居場所も無く誰からも必要とされていない現実の自分、そのあまりのギャップの差にずっと苦しみ続けてきました。

でも僕は「その行動が、人として・男としてカッコイイかどうか?」という絶対的な基準を定め、己の理想に向かって走り始めるようになってから、自分のことを好きだと思えるようになりました。

僕はなぜ、殺してしまいたいほど自分が嫌いだったのか?それは、理想の自分がありながらも「どうせ自分には無理だ、なれるわけない」と最初から何もチャレンジすることなく諦めていたから。理想の自分になるための努力をする勇気も気概も無い、そんな自分の不甲斐なさが情けなくて、自分を嫌っていたのです。

今の僕は、理想の自分にはまだまだなれていません。日々、自分の力不足を痛感する毎日です。
でも今の僕は、自分のことが大好きです(笑) 理想の自分には程遠いけれど、それを目指して努力し続けている自分のことが大好きです。

世間には、以前の僕と同じように「自分のことが嫌いだ」と言う人がたくさんいます。では自分のことが好きな人と嫌いな人、この両者には一体どんな違いがあるのか?それは自分を好きになる努力をしているかどうか、です。

自分のことが好きな人というのは、なんとなく自分のことを好きだと思っているのではなく、自分を好きになるための努力をしているのです。つまり、理想の自分になるための努力をしているからこそ、そんな頑張る自分のことを好きになれるのです。

そして自分のことを好きになればなるほど、あなたの人生は充実します。僕は自分を好きでいるために、好きな自分になるための努力をし続けます。自分で自分のことをカッコイイと思える男になるため、これからも走り続けます。

もしあなたさえ良ければ、僕と一緒に理想の自分になるために共に走り続けていきましょう!

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