仁の「学校では教えてくれない人間関係の秘密。」

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金儲けが上手い人間は悪い奴ばかり!?と言う人はこの世界の仕組みが分かっていない。

      2018/04/11


どうも、仁です。

 

タイトルにもありますが、僕の知り合いに

「金儲けの上手いヤツ・商売上手なヤツはクッソ悪い人間だ」

と言う人がいます。

 

そしてその言葉を聞くたびに、僕は気分が悪くなります。

 

あなたはどうですか?

お金を儲けること・お金を稼ぐことを、あなたはどのようにとらえていますか?

今回は、僕なりの「お金に対する考え方」について、話していこうと思います。

 

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 お金を儲けている人は本当に悪いヤツ!?

ずいぶん前から疑問に思っていたんですが、日本人というのはお金持ちのことを

「ずる賢いヤツだ」

「計算高くて腹黒いヤツだ」

みたいな目で見る人、多くないですか?

確かに賢くなければ上手に金儲けをすることは出来ないし、お金に困らない生活をしている人は、目に見えないところで他のみんなの何倍も頭を働かせています。

 

僕の見る限り、金儲けの上手い人間は常に頭を回転させている。

他のみんながボーっとしている時、自分が遊んだり息抜きしている最中でさえも何かしら頭を働かせている、常に自分の頭に労働をさせている。

基本的に、お金を稼いでいる人は努力家であることがとても多い。

 

もちろん親から莫大な遺産を受け継いだとか、宝くじで○億円当たったとか、そういったのは別ですよ。

そういった偶然のラッキーではなく自分の力でお金持ちになった人や、自分の収入によってお金に困らない生活を実現している人は、実は人の見えないところですごい努力をしていたり、自分の人生をかなり本気で考えていたりする。

人生の中には偶然成功するなんてこともあるけど、成功し続けるためには絶対に努力し続けなければならない。

そんなに人生は甘くないわけです。

 

 

それで本題の「金儲けの上手いヤツは悪い人間だ」というとこに戻りますが、そもそもお金を儲けるという行為そのものに善悪などありません。

問題があるとすれば、「お金を稼ぐこと」ではなく、「お金の稼ぎ方」。

まっとうなやり方でお金を稼いでいるのか、それとも人を騙すようなやり方で稼いでいるのか。

もしお金を稼ぐこと自体が悪いことであるのなら、働いて収入を得ている人はみんな悪い人間になりますし、そのお金で日々の生活を営んでいる家族もみんな悪い人になってしまいますからね。

 

もちろん僕だって、日々の生活をするために一生懸命働いてお金を稼いでいます。

でも、今は不景気な世の中です。

頑張っても頑張っても、なかなかお金は稼げません。

なかなか収入も増えないし、生活も楽になりません。

でも、そんな中でも大金を生み出す人、悠々自適な生活を送っている人も、少数ではあるが確実にいる。

 

すると、だんだん次のような発想になって来る。

「俺は毎日汗水流して真面目に働いているのに、生活は一向に楽にならない。

でも中には、俺よりもはるかに多い金額を稼いでいるヤツもいる。

こんなにも差がつくなんて…おかしい。

これにはきっと、何か秘密があるはず。

ヤツらはきっと、人には言えないようなズルいやり方を使って稼いでいるに違いない。

何てズル賢いヤツらなんだ。

金儲けの上手いヤツは、みんな悪いヤツばかりに違いない。」

 

自分が出来ないことをやってのけている人間に対する嫉妬なんかも加わって、

「そいつが悪い人間だからこそ、稼ぐことが出来るんだ。」

そして

「俺は良い人間だから、そいつのように悪いことに手を染めることが出来ない。

だから、俺は稼ぐことが出来ない。」

そうやって、お金持ちを悪者に仕立てることによって自分を納得させようとしてしまう。

 

つまり、お金持ちを悪者に仕立ててしまう心理、その根底には「嫉妬心」がある。

自分が出来ないことをやってのけている人間に対する嫉妬の心。

そして、その人間(お金持ち)に対する劣等感を打ち消すために、その人間を悪者に仕立て、そして「自分は良い人間だから、金持ちがやるようなこと(悪いこと)は出来ない」と言って自分に対して都合の良い言い訳を作り出す。

 

 

…と、ここまで話したのですが、これだけではどうもしっくりこない。

何かが足りない。

じゃあ僕自身どうだろう?

お金に対して、これまでどんな印象を持ってきただろうか?

 

そこで、ふと気づきました。

あなたはお金そのものを「汚いもの」だと思っていませんか?

お金を欲することを「卑しい行為」だと思っていませんか?

 

そうです。

この日本では昔から、お金に対して負のイメージを持っている人がとても多い。

過去の僕もそうでした。

お金を欲しがるのは、卑しい、はしたない、みっともない。

お金に執着するのは、人間としての品位を落とす行為。

…そんなイメージを持っていました。

 

ということで、お金に関する本質的な話を、僕なりに話していきます。

 

 

 

 お金の意味と使い方

この世の中は、「価値と価値の交換」で成り立っています。

 

例えば仕事。

あなたがサラリーマンなら、会社に対してあなたの時間と労働力を提供する。

つまりあなたは、あなたの持つ「時間と労働力」を価値として会社に提供し、反対に会社は給料という形であなたに価値を提供する。

 

またはあなたが車屋さんなら、車という価値あるものをお客さんに提供し、お客さんはお金という形であなたに価値を提供する。

またはあなたが歌手なら、コンサートやCD・ネットなどを使ってあなたの歌の価値をみんなに提供し、あなたの歌に価値を感じた人が、お金という価値を支払ってコンサートに来たりCDを入手したりする。

またはあなたが誰かに”親切”という名の価値を提供したなら、お礼の言葉と共に”笑顔”という名の価値を提供されるかもしれない。

誰かに”励ます”という価値を提供したなら、いつの日か自分が困った時に”手助け”という形で価値を提供されることもある。

 

この世界は全て、価値と価値の交換で成り立っている。

そして、より大きな価値を提供した人間ほど、同じく大きな価値を提供されることとなる。

特にインターネットが普及した現代は、これまで自分の周りにしか提供できなかった価値を、ネットを使って世界中に提供することも出来る。

同じ価値でも、より多くの人に提供することによって、より大きな価値を生み出すことも出来る。

 

つまり、より大きな収入を得ている人は、それだけ大きな価値を世の中に提供しているということ。

その人の提供する価値に大きな価値を感じているからこそ、相手もそれに見合うだけの大きな価値を返す。

または価値は小さくとも、より多くの人に提供することによって、結果的に大きな価値となってその人間に返ってくる。

 

でも中には、大した価値も無いものを”あたかも価値の高いもの”に見せかけ、相手を騙すことによって相手から大きな価値を引き出そうとする人間もいる。

例えば偽物を本物だと偽ったり、中古品を新品だと騙したりして売りつけて、不当に相手からお金(価値)を奪い取ろうとする人間がいる。

でも相手を騙して、自分が提供する価値を大きく越える価値を相手から奪おうとすれば、ロクなことにはならない。

そういう人間は、必ず自ら身を滅ぼすこととなる。

 

そういう人間の周りには、大抵同じような人間ばかりが集まる。

諺でも「類は友を呼ぶ」とあるが、人間には似たもの同士が自然と引き合う習性がある。

自分からは価値を提供しようとせず、他人から価値を引き出すことしか考えない人間ばかりに囲まれていると、やがて疑心暗鬼に陥り誰も信じられなくなる。

行き着く先は、孤独しかない。

 

つまり世の中が価値と価値の交換で成り立っている限り、より大きな価値を手に入れるためには、より大きな価値を提供するしかない。

だから、より大きな収入を得ている人間は、それだけ大きな価値を提供できているということ。

相手を騙すなどして自分の提供する価値を大きく超える価値を手に入れようとすれば、奪った分だけ何らかの形で必ず奪い返されることとなる。

経済的に豊かになりたい…人間関係をより豊かにしたい…そう思うのであれば、それだけのものを自分が提供しなければならない。

結局は自分が提供した分だけの価値しか、手に入れることは出来ないのです。

 

僕は社会人になってから20年近く、サービス業に携わっています。

サービス業というのは、単にモノを売ったりするだけでなく、形に残らない部分でお客さんに満足してもらわないといけません。

ちなみに僕の仕事は葬祭業です。

葬儀といえば、最後に残るものは遺影写真と骨壺ぐらいしかありません。

それ以外の祭壇や生花や棺…諸々のものは、葬儀が終わった後は形として残ることはありません。

ということは、いかにご遺族の心に寄り添い、しっかりコミュニケーションを取り、そしてどれだけご遺族の満足のいく葬儀を作り上げていくかが腕の見せ所。

 

だからご遺族に満足していただけれなければ、当然クレームになることもあります。

場合によっては、葬儀費用を払っていただけないこともあります。

でも、逆にご遺族の想定を超えるレベルの葬儀を作り上げた時は、とても感謝されます。

単にお礼の言葉だけでなく、後日お菓子を持ってご挨拶に来られたり、感謝の手紙を送って来られたり、中には寸志を包んでこられたり、近所に「あそこの葬儀社は良かったよ」と良い噂を流してくださることもあります。

ご遺族にとって満足のいく価値を提供できなければクレーム等になって返ってきますが、逆にご遺族が望んでいた以上の価値を提供すれば、超えた分だけの価値を僕らが逆に提供されることとなる。

価値というものは、結局は自分が提供した分だけしか受け取ることは出来ない。

自分が提供したものを超える価値を受け取ることは、出来ないのです。

 

 

もしかすると僕の言葉、綺麗事に聞こえますか?

でもこれは、僕が41歳になるまで社会でもまれ続け、試行錯誤し、多くの人間の成功・失敗、そして多くの人の人生を観察し続けた結果、確信に至った真実です。

どんなズルをしても、最後は必ず帳尻が合うようになっているんです。

奪うことばかりを考えている人間は、必ず同じだけ奪われることになります。

逆に価値を提供した人間は、提供した分だけの価値を何らかの形で受け取ることとなるのです。

 

だからと言って僕は、価値ある物を安売りしろなんてことは言いません。

むしろ僕は、ここ最近の「安ければ安いほどいい」といった風潮には、反対です。

自分の提供する”価値ある物”に対して必要以上に値段を下げることは、ある意味「僕の提供するものには価値が無いですよ」と言ってるようなもの。

自分の価値を自ら落としているのと同じ。

だから自分の提供するものに価値があると思うのであれば、それ相応の値段(価値)を付けて自信を持って提供すればいいと思います。

 

ちなみに僕もこのブログでe-book(電子書籍)を販売していますが (仁のe-book図書館)、価格が1,000円のものもあります。

最近ではアマゾンなんかで本当に良い本が数百円で売られてたりします。

でもあえて僕は、値段を下げません。

なぜならそれ相応の価値があると、僕が思っているから。

僕は、自ら自分の価値を落とすつもりはありません。

 

 

ということで、今回は僕にしては珍しく「お金」についての話をさせてもらいました。

実は今回、けっこう思いつきで書き始めてしまいました。

だから内容がちょっとまとまってないとこもあるかもしれません。

 

お金に関する知識や考え方は、全ての人に関係すること。

とても大事なことだと僕は個人的に思っています。

でも残念ながらこの日本では、学校においてお金に関する教育をすることはありません。

社会人として生活を営んでいく上でお金に関する知識は必ず必要なのに、それを分かっていながらこの国ではお金に関する教育をすることはありません。

実際僕は結婚して家庭を持ってから、お金に関する知識が無いためにとても苦労をしました。

いい年になってから、いちから独学でお金についての勉強をすることになりました。

 

お金に振り回される人生にならないよう、この機会にあなたもお金について考えてみて下さい。

僕はお金に振り回されて人生が狂ってしまった人を、何人も見てきています。

正しい使い方をすれば、お金は僕らの味方になってくれます。

でも使い方を間違えれば、僕らの身を滅ぼします。

ぜひ、あなたも勉強してみて下さい。


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