僕の中から被害者意識が消えた時の話

仁の本音

かつての僕は、とても被害者意識の強い人間でした。今回の記事はそんな被害者意識にとらわれていた僕が被害者意識を手放すきっかけとなった根本の原因について話しています。一部、個人的な話になってしまうのですが、ご興味があればお付き合いください。

 

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僕の存在意義

元々の僕は、とても被害者意識の強い人間でした。

いつも誰かが僕の人生の邪魔をする。いつも誰かが僕の人生を台無しにする。
そして我慢させられるのは、いつも僕。道を譲るのは、いつも僕。上手く利用されるのは、結局いつも僕ばかり。

常に「相手が悪い、周りが悪い」という意識を、心のどこかに隠し持ちながら僕は生きてきたように思います。
「周りの人達が僕から何かを搾取してやろうと、虎視眈々と狙っている。」
「誰に対しても、安心して心を許すことなんてとても出来ない。」
周りの人間をそんな目で見ているから、人間関係も当然上手くいかない。誰とも打ち解けられない僕は、生きることがとても辛くてたまらなかった。

でも実は僕らの人生にとって大切なのは「誰が悪い」ではなく、「自分はどうあるべきか」であり「自分はどこへ向かうべきか」ということ。

しかし自己肯定感がとても低く、少しも自信を持てなかったかつての僕は周りの人間がとにかく怖くて、自分の身を守ることだけで頭がいっぱいだった。その日一日を生きることだけで本当に精一杯だった。だから「自分はどうしたいのか?」なんて発想すら持ってなかったし、「自分がどうあるべきか」も「自分がどこへ向かうべきか」も、まるで見えてなかった。

僕は、ただ生きているだけだった。劣等感まみれの、無意味で無価値の、どうしようもない人生を生きていた。
でも、ある時僕は、ある一点において自分が秀でていることに気づいた。

出来の良い人間は、出来ない人間の気持ちや感覚というのがなかなか理解できない。天才タイプは特にそうだし、いわゆる努力で結果を出しているタイプの人間であっても、同じくそう。
でも僕にはそれが分かる。なぜなら僕自身が出来ない側の人間だから。

出来ない人間は、出来る人間に比べて圧倒的に努力の量が足りていない。では、なぜ努力しないのか?その根底にあるのは、自己評価の低さ。自分の能力や可能性を低く見積もり、「どうせ頑張っても出来っこない」と思い込んでしまっているから、やる気も起こらないし努力もしなくなる。

劣等感というのは、誰の中にもある。ただ、問題なのは劣等感を向上心に変えられるかどうか。それによって人生は大きく変わる。

劣等感をバネにして向上しようとする人間は、行動することによってどんどん成功体験を積み重ねていき、それによって自信が付いてさらに努力するようになる。でも劣等感を向上心に変えられなければ、ひたすら落ちこぼれていくことになる。

劣等感を向上心に変えるためには、勇気がいる。負けを認め、それを受け入れながらも、そこから逃げ出さない勇気が必要。かつての僕は自分の負けを受け入れることが出来ず、勝負そのものから逃げ出していた。勝負しなければ勝つことは無いが、負けることも無い。そうやって僕はちっぽけな自分のプライドを守るために逃げ続け、そして落ちこぼれていった。

人生から落ちこぼれた僕には、落ちこぼれた人間の気持ちが分かる。勇気をくじかれて前に進めなくなった人間の気持ちが痛いほど分かる。そして僕は落ちこぼれの人生から這い上がることが出来た。だから僕は、”落ちこぼれ側”の視点も、逆に”出来る側”の人間の視点も、両方持っている。

そう、僕が”ある一点において自分が秀でている”というのは、落ちこぼれから成功者まで様々な立場の人間の持つ視点や感覚が分かるという”視野の広さ”。僕自身が元々心の弱い人間だった故に身に付いた視点。それに気づいた瞬間、「自分がどうあるべきか」「自分がどこへ向かうべきか」の答えが見つかった。ブログやSNS、または周りの人達に対して、自らの経験や視野に基づいた”充実した人生を歩くための方法”を発信していくことが、僕がこの世に存在する意味だと気づいた。

そして「自分がどうあるべきか」「自分がどこへ向かうべきか」の答えが見つかった時から、僕の中から被害者意識は消えていった。自分にとって何か不都合なことが起こっても、「誰が悪い」といった犯人探しをしなくなった。僕にとって重要なのは、常に「自分の人生の目的を達成すること」。だから自分の人生の目的を達成するためには、「今この状況において自分はどうあるべきか?自分が理想とすべき方向へ進むために、今自分はどんな行動を取るべきか?」が重要であり、誰が悪いのかはほとんど関係ない。

そもそも他人を変えようと思っても、他人はこちらの都合の良いようには変わってくれるわけなどない。例えばあなただって、いついかなる時だって周りの人間の都合や気持ちに合わせて動いてあげられていることはないはず。基本的に、他人の心と空の天気は変えられないもの。

人間関係においてすべきなのは、他人を変えることではなく、「今ある状況に対して自分がどんな態度や信念で接するか?今の状況を自分にとって望ましい形に変えていくためには、自分はどんな行動を起こしていくべきなのか?」ということ。変えられないものに時間や労力をつぎ込んでも意味はない。変えられるもの、つまり自分自身の行動や心や態度に全ての力を注ぎ込まなければならない。

そして他人を変えようとする行為は、それだけ他人に依存している証拠でもある。他人が何とかしてくれなければ自分の人生は良くならないと言っているのと同じ。つまり、自分の人生の舵を他人に握らせてしまっているのと同じということ。

 

あなたは自分がなすべきことが見えていますか?向かうべき方向が見えていますか?被害者意識にとらわれない人というのは、自分の目標ややるべきこと、自分の目指す目的や成し遂げるべきことを明確に意識しているものです。

仕事でも、プライベートでも、何でもいい。自分がこの世界にどんな価値を提供できているか。この世界に対してどんな貢献ができているか。それこそが、あなたの生きる意味になる。

 

最後に、インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディーの言葉を、あなたに送ります。

『見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。』

あなたを取り巻く環境や人間関係は、あなたの心が反映されたもの。あなたの思考、感情、そして行動が変われば、それに合わせてあなたを取り巻く世界も変化し始める。つまりあなたが変われば、あなたを取り巻く世界も変わる。見たい世界、望む世界があるのなら、あなた自身が変化を起こせばいい。変化を起こすエネルギーそのものに、あなたがなればいい。待っていたって、勝手に理想の世界がやって来てくれるなんてことはない。

そして人間は、その人の思考の産物にすぎない。 人というのは、その人の持つ自己イメージ通りの人間になるものです。この言葉もマハトマ・ガンディーの言葉を借りたものですが、自己イメージが変わればあなたという人間そのものが変わる。

あなたの見たい世界とは、どんな世界ですか?あなたの望む世界を実現するために、今のあなたは何をすべきですか?

あなたが変化の渦の中心となるのです。あなたが主体となり、周囲を巻き込んで変化を起こすのです。これはあなたの人生の物語であり、この物語の主人公はあなたなのだから。

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