違う!先が見えない人生より、先が見える人生こそ怖いと思わないか?

自分の殻を破る方法

あなたの人生には、”不安”はありますか?

ありますよね。人生において「不安なんてもの、何一つないよ。いついかなる時も自分の理想通りに全てが動いているからね。」なんて人はいないと思います。
仕事、人間関係、お金…誰しも何かしらの不安や心配事を抱えながら、みんな生きていると思います。

僕も同じです。誰しも先のことは分からない。これから自分の人生がどうなるのか分からない。予測不能なことだらけ。みんな不安です。

だから、昔から変わらず占いが流行り続ける。本格的な鑑定から、風水、血液型、手相、星座…みんな未来の自分がどうなるのかを知りたくてたまらない。これから起こるであろうことを少しでも知って、安心したい。

でもね、僕はこう思うんです。
「先が見えない人生より、先が見える人生こそ怖い」と。
どういうことか、説明していきますね。

 

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未来の可能性

かつての僕は、いわゆる”ヘタレ”でした。自分に自信が無いくせに、周りにそれを知られたくなくて虚勢を張る。周りの人間とぶつかるのが怖くて、常に”いい人”を演じ続ける。自分の意見は言わず、いつも周りに合わせてばかり。自分では何も決められず、人の後ろを付いていくことしか出来ない。矢面に立たされそうになると、慌てて逃げだす。
まさにチキン野郎でした。

昔の僕は、心にいつも不安を抱えていました。子供の頃は常に父親の敷いたレールの上を走り続けてきた僕。でも社会人になってからはそのレールも無くなり、自分で道を探しながら自らの足で歩いていかなければならない。社会人になってからの僕は、毎日ビクビクしながら生きていました。

でも年数と共に仕事も出来るようになり、いわゆる中堅・ベテランなどと会社でも認めてもらえるようになり、気持ちにも余裕が出てきました。当時の僕のいた会社は業界内でも規模が大きく安定しており、僕はこのままずっとその会社に勤め続けるつもりでいました。

それで、僕の上には上司たちがいたわけですが、いずれ僕も彼らと同じポジションになっていくんだろうなぁと、ふと上司たちと未来の自分の姿を重ね合わせた時、僕は何とも言いようのない恐怖に襲われました。

と言うのが、僕の直属の上司や、さらに上の上司、会社の幹部、そういった人たちを見ていると、誰もイキイキとした表情で仕事をしてないんですね。実は当時いた会社というのが結構ブラックな会社で、給与面も労働条件もかなりいい加減でした。おまけにどんなに頑張って仕事をしても、経営者やその取り巻きに気に入られなければその場で左遷や降格を言い渡されるような会社。

「このまま頑張っても、俺の会社人生の延長線上にいるのはあの上司たち。ということは、このままこの会社に居続けたなら、俺の社会人としての人生はあの上司たちと同じになるということか?つまり俺の今後の社会人としての可能性の上限は、せいぜいあの上司たち止まりということか?」

これから先の人生が見えてしまった瞬間、僕は仕事をする気が一気に失せてしまいました。可能性の上限が見えてしまった瞬間、仕事に対する情熱も意欲も消え失せてしまったのです。

 

先の見えない世界に飛び込め

それから数年後に僕はこれまでの経験を活かし、仲間と共に独立し会社を立ち上げました。独立当初はまともに仕事を受注することが出来ず、メチャクチャ不安な日々を過ごしました。もし失敗すれば自分たちの人生だけでなく、家族や関係する人たちの人生までも狂わせてしまうわけだから、そりゃ不安で当然なわけですが。

「まるで先のことが見えない。一年先、一か月先どころか、明日のことさえ予測がつかない。もしかすると、最悪ホームレスにまで転落してしまうかもしれない。
でも、もしかすると大成功するかもしれない。会社が軌道に乗り、業界でもナンバーワンになり、想像を絶する大成功を収められるかもしれない。」

先の人生が見えないというのは、ある意味目隠しをしながら歩いているようなもの。上手くいくかもしれないし、上手くいかないかもしれない。大成功するかもしれないけど、大失敗するかもしれない。つまり、未来は確定されてないということ。今の自分の行動によって、良くも悪くもこの先の人生は変わっていくということ。

そして未来が確定されてないということは、可能性の上限も制限されてないということ。自分次第でいくらでも上がっていける、人生を変えていけるということ。独立したての頃は、毎日が不安で不安でたまりませんでした。でも、前の会社を飛び出さずにいたなら、その先も不本意な人生を歩み続けることが確定してしまっていた。独立することによって人生は全く見えなくなってしまいましたが、見えないからこそ、そこに無限の可能性も秘められているのです。

こういう例えが正しいかどうか分かりませんが、ペットとして安全だけど自由を制限された中で生きるか?それとも野生動物のように、未知の世界で危険を承知の上で己の力で自由に生きていくか?
これは、ペットと野生、どちらがいいというわけではありません。ペットでも、その環境が最高に良ければそこで生きればいいし、その環境を十分に活用したらいい。もし他のたくさんのペットたちと共に生きているのなら、その中で力を付けてペットの王になるのもいいかもしれないし、更にのし上がって自分がペットたちの主になってしまうという方法もある。

でも、かつての会社員だった僕の場合、ペットでも「乳牛」でした。餌は与えてもらえるけど、狭い牛舎に押し込められて身動きの取れない状態で、ひたすら乳を搾られ続ける。そして乳が出なくなれば、最後は食肉となって売られるか、加工食品の原料や革製品となることが決められていた。

でも僕は乳牛で居続けることを拒否し、野生の世界へ飛び出した。野生だから餌は自分で探さないといけないし、守ってくれる人間がいないから他の肉食動物に襲われて命を落としてしまうかもしれない。でも、そこには無限の可能性がある。この先どうなるかは分からないけど、自分次第で自分が納得のいく人生を作り出すことも出来るかもしれない。

あなたは、どうですか?あなたのこれから先の人生、あなたには見えていますか?
もし見えているとして、もしあなたの人生の展望が光り輝く虹色なら、そのまま予定通り突き進んで行ったらいいと思います。
でも、そうでないなら?かつての僕と同じように自分の望まない未来が見えているのなら、それでもあなたはこの先希望を持って生きていけますか?
今見えている人生に希望を見いだせないのなら、見えない人生に飛び込んでみてはどうですか?

とは言ってももちろん、「僕と同じように会社を辞めて独立しましょう!」なんてことを勧めているわけではないですよ。
例えばかつての僕は対人恐怖症で、人と関わるのがとても苦手でした。人と話す必要が無ければ極力人とは話さないようにしていました。あのままだと恐らく、どんどん人との関りが無くなっていって、誰からも理解されず、寂しい人生を送っていくという未来が確定していたと思います。

そんな、今の自分の延長線上にある未来の自分の人生を見た時、僕は「こんな人生は、嫌だ」と思いました。だから自分から積極的に人とコミュニケーションを取っていこうと決めました。

でも当時の僕にとっては、自分から他人にコミュニケーションを取っていくというのはまさに未知の領域でした。自分から相手に話しかけた時、相手がどんなリアクションをするのかも分からないし、もし相手が何かしらのリアクションを返してくれたとして、それに対して気の利いた返しが出来るんだろうか、…もう、先の見えないことだらけでした。

そしてやってみた結果、思うように上手くいきませんでした。でも、それによっていろんなことが分かりました。やればやるほど、新たな気づきや発見や可能性が増えていく。
そして気づけばかつては対人恐怖症だったこの僕が、ブログで会話のコツ(仁の会話術)について発信するまでになっています。ホント、かつての僕では全く想像もつかないような方向に人生が進んじゃいました(苦笑)

今まで自分がやったことの無いこと、チャレンジしたことの無いこと、飛び込んだことの無い世界、今までの自分とは違う考え方・行動…
今の自分には予測できないことというのは、ちょっと探せば実はたくさんあるものです。小さなことでいい。自分が予測できないことを探して、やってみる。それによって、自分の可能性の枠は確実に広がっていきます。

先が見えないから、希望がある。先が見えないからこそ、無限の可能性が残されている。先が見えず、まだ結果が決まっていないからこそ、自分次第でこれから先の人生を変えていける。

人生を変えたければ、結末がもう決まっているレールから外れて、先の見えない世界に飛び込むんだ。失敗して痛い思いをいっぱいするかもしれないが、きっと人生が面白くなる。

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