罪の意識を感じながら生きてませんか?無実の罪があなたの人生を狂わせている!!

自分の殻を破る方法

あなたは日常生活の中で「罪の意識」を感じることはありますか?

自分のしてしまったことで罪悪感を感じたり、または他人がしてくれたことによって申し訳ない気持ちになったり。

 

人間は完璧ではありません。

失敗もすれば、他人に迷惑をかけてしまったり、罪を犯してしまうことだってあります。

それは仕方の無いことです。

 

でもよく考えてみて下さい。

あなたが感じるその罪悪感、あなたは本当に罪を犯しているんですか?

実は罪悪感を植え付けられることによって他人からコントロールされているのだとしたら、どう思います?

 

いきなり物騒なことを言って驚かせてしまったかもしれませんが、これは他人事ではないんです。

罪悪感を植え付けることによって他人をコントロールしようとする人というのは、実はそこらじゅうにいるんです。

しかも本人は、それを意識せずにやってたりするんです。

どういうことなのか、これから順を追って説明していきますね。

 

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 「本当の罪」と「無実の罪」

まず、罪には大きく分けて2種類あります。

 

1つ目は「本当の罪」です。

他人を物理的に傷つけたり精神的に圧迫して自由を奪ってしまうなど、人間が本来持つべき正当な権利を奪う行為などです。

 

そしてもう1つが「無実の罪」。

人は何も罪を犯してないのに、罪の意識にさいなまれることがあります。

ちょっとピンと来ないかもしれませんので、僕自身のことを例に挙げて説明しますね。

 

僕は子供の頃からあるスポーツをしていたのですが、父親はそのスポーツを指導する立場にいました。

父親は僕に対して、とても期待を寄せてくれていました。

僕もその期待に答えるべく、誰よりも一生懸命に、誰よりも多くの時間を練習に費やしました。

しかし父親の期待が大きすぎたため、子供の僕はその期待に満足に答えることが出来ませんでした。

 

父親の期待にこたえることが出来ない…そんな自分を情けなく思い、

「せっかくお父さんがこんなに一生懸命教えてくれてるのに、全然言われたとおりに出来るようになれない。僕は何てダメな人間なんだ。」

次第に自分を否定するようになり、父親に対して常に申し訳ない気持ちを抱くようになりました。

その思いは次第に強くなっていき、最後は自分が存在していることさえ「申し訳ない」と思うようになってしまいました。

 

今になってみれば当時の僕は自分なりに本当に一生懸命頑張っていたし、何も悪いことなどしてないことは分かります。

そう、当時の僕は罪の意識を感じる必要など全く無かった、つまり無実の罪でずっと苦しみ続けていたのです。

 

そして大人になってからも、些細なことで僕は罪悪感を感じるようになりました。

例えば会社で誰かが僕の仕事を善意で手伝ってくれても、

「変な気を遣わせてしまった、手を煩わせてしまった」

家庭などで家族が気を利かせて何かをしてくれても、

「自分がダメなせいで負担をかけてしまっている」

こんな感じで感謝の気持ちと同時に罪悪感がセットで付いてくるようになったのです。

 

 

 

 なぜ罪を感じるのか

あなたにもありませんか?

別にあなたが何か致命的なミスをしたわけでもなく、非常識なことをしたわけでもないのに「人に迷惑をかけてしまった、周りに気を遣わせてしまった」と、罪の意識を感じてしまうこと。

 

罪を犯してないのに、なぜ人は罪悪感を感じてしまうのか?

その理由は、実はその人間の根底に「人間関係に対する恐れ」があるからなのです。

 

仕事などで周りが好意で手伝ってくれても

「俺の仕事が遅いから相手がイライラしてしまい、自分がやってしまった方が早いと思ってやったんじゃないだろうか」

人がさりげなくフォローしてくれても

「要領の悪いヤツなんて思われてるんじゃないだろうか」

このように人から自分がどう思われているかばかりを気にし、人の目を恐れてばかりいるから、何も悪いことをしてないのに罪の意識を感じてしまうのです。

 

そしてこれは劣等感の強い人ほど、罪の意識を感じる傾向が強くなっていきます。

昔の僕のように劣等感の強い人というのは自分に自信が無いため、常に「自分が周りに迷惑をかけてるんじゃないか」という思いを抱えている場合が多くあります。

だから自分に対する他人の何気ない行為に対しても、「自分のせいで負担をかけてしまってるんじゃないか、迷惑をかけてしまってるんじゃないか」と考えてしまい、次々と自分の中に罪の意識を生み出していってしまうのです。

 

 

 

 罪の意識にコントロールされてませんか?

何も悪い事をしてないにも関わらず、感じてしまう罪の意識。

そして実は恐ろしい事に、この「無実の罪悪感」は使い方次第では相手の行動をコントロールすることさえ出来てしまうのです。

 

 

あまり良い例ではないかもしれませんが、例えばあなたに恋人がいるとします。

これからあなたは友人と会う約束をしていて出掛けようとしていると、突然あなたの恋人が連絡も無く遊びに来てしまいました。

でもあなたは友人と約束をしているので、約束を破るわけにはいかない。

するとあなたの恋人が一言。

「いいよ、あなたが出かけたいなら出かけて来れば。僕(私)のことは放っておいてくれていいから。どうせ独りには慣れてるから…」

 

こんなこと言われたらどうです。

なんだか自分が悪いことをしているような、ここで恋人を置いて出掛けたらまるで自分が酷い人間になってしまうかのような気になりますよね。

でもあなたは友人と約束をしているわけだから、その約束を破ればそれこそ友人を裏切る行為、つまり本当の罪を犯してしまうわけですよね。

だからあなたは出掛けるべきだし、あなたは罪の意識を感じる必要など全く無いのです。

罪があるのはこの恋人です。

あなたに無実の罪を着せて罪悪感でいっぱいにさせ、あなたをコントロールしようとしているのです。

あなたの自由を奪おうとしているのです。

 

また「相手をコントロールしようとしている」点では、先ほど出た僕の父親も同じです。

子供に対する自分の理想や期待を僕に押し付け、自分の思うように僕の人生をコントロールしようとしてたのですから。

しかもこういった他人をコントロールしようとする行為は、すごく厄介なんです。

というのが、やってる本人がほとんど意識せずにやってる場合がよくあるのですから。

やってる本人も、自分が相手をコントロールしようとしていることに気付いてないのです。

 

だからこれは他人事ではなく、僕もあなたもやっている可能性があるのです。

僕らは日常生活の中でものごとを自分の思うようにしようと、相手に罪悪感を感じさせることによってコントロールしようとしてしまってることがあるんです。

人から怒られると、その場ですぐ泣き出してしまう人なんかもそうだと言えます。

見方によっては、弱々しい自分を演出することによって「自分をここまで追い詰めてしまった」という罪悪感を相手に植え付けさせ、さらに周囲の同情を買うことによって相手が感じているその罪悪感をさらに強めて相手の行動を制限しようとしているのですから。

 

意識してやってる場合もありますが、気付かぬうちに無意識でやってしまってることもあるから、怖いんです。

もちろんこれを意図的にやってる人がいれば、それはそれでかなり厄介ですが、知らないうちに僕やあなたもやってしまってる可能性があるんです。

他人の人生を狂わせてしまってる可能性があるんです。

 

 

 

 自分らしくあるために

罪の意識で他人を縛ろうとする限り、人間関係が上手くいくことはありません。

される側も自分の人生を狂わされて嫌ですが、する方も結局は心がモヤモヤして晴れることはありません。

というのが、自分が他人に無実の罪をなすりつけた分だけ、今度は「自分が無実の罪をなすりつけられるのではないか」とビクビクしながら生きなければならなくなるのです。

よりストレスのより少ない人間関係を築いていくためには、この負の連鎖から抜け出さなければならないのです。

 

 

もし他人の言葉や態度によって罪の意識を感じてしまった時は、静かに自分の心を見つめて下さい。

落ち着いて自分自身を振り返ってみてください。

あなたは本当に悪いのか、罪を犯しているのか、冷静になって考えてみて下さい。

するとあなたのせいではない、無実の罪だということが意外と多いはずです。

もしかしたら、他人があなたを操ろうとしていることに気付くかもしれません。

気付いて、相手に対して腹を立ててしまうかもしれません。

 

でもここで腹を立ててしまえば相手の思うツボです。

不毛な争いに巻き込まれてしまうだけです。

勝っても負けてもすっきりしない、勝者の無い戦いしか待っていません。

 

相手が無実の罪をなすりつけることによってあなたをコントロールしようとしていることに気付いたなら、相手にしないことです。

相手とまともにやりあわないことです。

それによって相手から何か思われたりしても、気にする必要はありません。

あなたが本当に罪を犯してないのであれば、堂々と胸を張ってればいいのです。

それによって人間関係が壊れてしまうのであれば、いっそのこと壊してしまえばいいのです。

 

だって、自分らしさを殺しながら生きる人生にあなたは価値を感じますか?

自分らしさを押し殺さなければならない人間関係などに、守る価値はありますか?

あなたの人生はあなたのものです。

人に無実の罪を着せない、そして逆に人から無実の罪を押し付けられても相手にしない。

自分の人生の責任は自分で取る。

自分らしさを発揮できる場所でこそ、より良い人間関係は築くことが出来るのです。

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