どうも、仁です。
ある女性から、夫婦に関する悩みについてコメント欄よりご意見をいただきました。
普段はニコニコと温和なご主人だそうですが、奥様に対してはいつも機嫌が悪く、暴言を吐いたり怒鳴ったりするとの事。
またそんなご主人を見て、初めは恐怖を感じておられた奥様も、怒りの理屈や原因を理解される内に恐怖心が和らぎ、逆にご主人を憐みの目で見るようになり始め、尊敬の気持ちが無くなってきたとの事。
この感覚、コメントを拝見させていただきながら、僕自身とても理解できました。
なぜなら僕自身、同じ感覚に陥った経験があるからです。
このお悩みに対し、明確な答えを出すことは出来ないかもしれませんが、僕自身の経験を踏まえた上で僕なりの考えを話させたいただこうと思います。
いただいたコメントの内容
ちなみに、いただいたコメント元の記事はこちら【実は怒ってる本人が一番苦しんでる!? よく怒る人ほど本当は自分が嫌い!!】で、いただいたコメントは以下の通りです。
ブログ、少しずつですが拝見しています。
力を下さりありがとうございます。
夫がいつも不機嫌です。
おそらく仁さんのおっしゃる通り、自分のことが嫌いなのだと思います。
私に対しても嫌悪感や怒りを全面的に押し出し、暴言を吐き、怒鳴られることもあります。
(怒っていない時は非常に優しく温和です。怒りをぶつける相手は私のみのようで、周囲の人からはいつもニコニコ温厚な人と思われています)
私が恐怖で顔色を伺ったり、不安を訴えるとさらに怒りは増します。
ビクビクしながら暮らす毎日に嫌気がさし解決策を探っていました。
ブログを拝見し、怒りの原因や理屈を理解すると、相手も苦しんでいるんだなぁ。。。と、とてもかわいそうに思えて来ます。
そのため、怒られても恐怖を感じずに済みますが、憐れみの目で見てしまうことによって夫に対する尊敬の念が薄れて来てしまいました。これからいいバランスを見つけて、感情に支配されない生活を送りたいです。
身近な人間から一方的に責められる、怒鳴られる、しかも家庭という逃げ場のない場所で…
これは本当に辛いですよね。
詳しい事情は分かりませんが、怒りをぶつけられる側の人間にとって、これはある意味自分の居場所を失ってしまうような、とても辛い状況です。
これまで本当に辛い思いをされてこられましたね。
でもそこから逃げ出さず、困難と向き合い、解決のために努力される姿…
あなたは、本当に誠実で真面目な方だと思います。
頭の下がる思いでいっぱいです。
僕とあなたとでは、置かれた状況は全く違うと思います。
だから僕の経験や考えがあなたにそのまま当てはまる…とはならないと思います。
ですが、あなたの現状を打破するための何かしらのヒントになれればと思い、僕なりの考えを話させていただきますね。
劣等感にまみれた僕の過去
怒りというものは、心理学ではよく「二次感情」と呼ばれますよね。
怒りの感情の前に、別の感情が存在する。
例えば自分が理解されない、プライドを傷つけられた、ないがしろにされた、そんな悲しさや悔しさが “怒り” という感情として表に表現される。
または自分の意見を通したいけど通らない、みんなに理解してもらえない、だから “怒り” という感情を使って自分の意見を無理矢理通す。
怒りという感情の裏には、必ず怒りを作り出すための何かしらの感情や思いが隠れているものです。
そして怒りとは、自分の心のキャパを超え、自分自身をコントロール出来なくなった時に現れるものだと僕は考えています。
自分の心のキャパを超える、つまり怒ってる人は実は困って余裕が無くなってる人であり、怒鳴るのは現状に耐えられなくなったその人の心の悲鳴とも言えます。
あなたのご主人、普段は温和な人だそうですが、もしかしたら無理して温和なキャラを演じているのかもしれませんね。
心の中では
「誰も俺の大変さを分かってくれない」
「俺ばかりいつも周りに気を遣って我慢してばかりいる」
などと感じているのかもしれません。
そしてその辛さを唯一受け止めてくれる、妻であるあなたにぶつけてしまってるのかもしれません。
つまりご主人はあなたに甘えてしまってる、あなたなら許してくれるという甘えがあるから、あなたに対し感情をぶつけて来てるのかもしれませんね。
もちろん僕はご主人のことは何も知りませんので、あくまで僕個人の勝手な想像ではありますが…
ちょっと話が横にそれてしまいましたが、ひとつお聞きします。
もしかして、あなたは人間関係を “縦軸” で捉えていませんか?
プロフィールや他の記事でも話してますが、僕はかつて自己否定の塊のような人間でした。
父をはじめ、いつも周りの大人から怒られてばかりで、常に周りの大人の機嫌を意識し、自分に自信が無く、委縮した子供時代を過ごしました。
だから子供の頃から僕は
「自分はダメな人間」
「自分が存在するだけで周りに迷惑がかかる」
そう思い、自分に対し全く価値を感じることが出来ませんでした。
常に自分は周りの人たちより劣った存在、常に低い存在だと感じながら生きてきました。
でもそんな自分を変えたい、現実を変えたいと思い、周りのみんなに負けないよう、周りのみんなから価値ある存在だと認められるよう頑張ってきました。
当時の僕は、常に自分と他者を比べ、少しでも周りの人間より優秀であろうとばかりしていました。
そして人間に対する理解が深まり、他人の心理や感情が読めるようになり始めた僕は、いつしか心の中で他人を見下すようになっていました。
自分の感情をある程度コントロール出来るようになった僕は、感情に振り回される人を見ては、優越感に浸っていました。
当時の僕は、人間関係を縦軸で見ていました。
自分と相手のどちらが上か、どちらが優秀か、どちらが実力があるか。
劣等感にまみれた人生を送ってきた僕は、子供の頃からずっと人間関係を上下関係で見続けていたんです。
人間の価値
人間関係を縦軸で捉える。
どちらが上か下かで人間関係を見ると、その瞬間周りの人間全てが競争相手に変わります。
周りの人間全てが、自分をその座から引きずり下ろす可能性のある敵となる。
間違っていたらごめんなさい。
あなたはもしかして、心の中でご主人とご自分のことを上下関係で見ていませんか?
どちらが上でどちらが下か、そういった力関係を心のどこかで意識していませんか?
先ほども言いましたが、かつての僕は一時的に周りの人間を見下していました。
自分と相手、どちらが上か、そんな目で人間関係を見ていました。
でもそれが間違っていたことに気づきました。
夫婦、子供、きょうだい、友人、職場の上司や部下…全て対等の関係なんです。
一昔前だと、家の主である夫が一番偉く、妻や子はそれに従うべき。
夫が上で妻や子が下、といった上下関係が存在していました。
でも夫婦は対等の関係、親子も対等の関係なんです。
ただ役割が違うだけなんです。
例えば職場でも上下関係がありますよね。
社長や上司が強い権限を持ち、部下はその下で指示通りに動く。
でも社長であろうと上司や部下であろうと、本来そこに上下は無いんです。
確かに社長は会社で起こることの全責任を負うという重い責任を背負っています。
上司であれば部下に適切な指示を出し、部下が失敗すればフォローし、部下を育てていかなければならないという責任があります。
それぞれ背負う責任の重さは違います。
でも責任の重さは違っても、だからといってそれが人間としての価値を決めるわけではありません。
単にそのポジションによって役割が違うだけであって、人間としての価値は対等なんです。
役職としての上下はあっても人間としての上下は存在しない、単に課せられた役割が違うだけなんです。
そしてこれは夫婦でも同じです。
夫と妻、家庭によってその形はそれぞれ違うと思いますが、夫と妻も単に役割が違うだけで人間としての価値は変わらない、対等の関係なんです。
お互いが共に支え合い助け合う対等の関係であり、夫婦とはいわば運命共同体なんです。
子供にしてもそうです。
子供というのは大人に比べ、知識も経験も不足しています。
でも人間としての価値は大人(親)と同じ。
だから相手が子供といえど、ひとりの独立した対等の人間として扱うべきなんです。
僕は妻に対し尊敬するとか、実はあまり意識してません。
もちろん見下すとか馬鹿にするとか、そういったことじゃないですよ。
妻に対し尊敬する部分もありますし、すごいなぁって思う部分もありますし、感謝することもたくさんあります。
でもだからと言って、それによって妻の方が秀でてるとか、いや僕の方が優秀だとか、そういったことは思わないんです。
あくまで僕と妻は対等の関係であり、お互いが自分の出来ることを自分の役割としてやる、共に手を携えて生きる仲間のような感覚で接しています。
もちろん意見がぶつかることもあります。
でも僕ら夫婦はこれまで違う環境で生まれ育ったんだから、価値観や考え・感覚なんかも違って当然なんですよね。
相手には相手なりの考えや思いも当然あります。
だから、僕にとって都合の良い過剰な期待はしないようにし、相手の考えを尊重しつつ、仲間・運命共同体として協力し合えるように心がけています。
人間関係を、縦軸ではなく横軸として捉える。
人間は全て、対等の関係。
夫婦も、どちらが上とか、どちらに決定権や主導権があるとかではなく、運命を共にする仲間のようなもの。
そう捉えると、夫婦の関係も違った形に見えてくるんじゃないでしょうか。
最後に
あと僕が気を付けていることと言えば、「自分の口調が相手を責めるような口調になってないか?」ということです。
人というのは自分と違う意見を言われたり、または「こうしてほしい」といった要望なんかを言われると、「自分が責められている」「ダメ出しをされている」といった錯覚に陥ってしまうことがあります。
自分に自信の無い人や、強い不安を抱えている人などは、特にそう感じる傾向にあります。
ご主人が不機嫌な時、不安を訴えるとさらに機嫌が悪くなるとおっしゃられてますが、もしかすると不安を訴えるという行為そのものがご主人にとってみれば「俺が悪いのか?」と思わせてしまってるのかもしれません。
またあなた自身の怯える姿が、ご主人の怒りを誘発している可能性もあるかもしれません。
だから僕は相手の機嫌が悪い時は、可能であればその原因や相手の気持ちを徹底的に聞き出し、そして思い切り共感してあげます。
人というのは常に「他人から理解されたい」という欲求を持っているものです。
だから例え問題が解決しなくても、自分の気持ちを人から理解されるだけで心はずいぶん癒されるものです。
そしてそれを聞き出すことが難しそうな時は、わざと空気を読みません。
そしていつも通り振る舞う、相手の機嫌が悪かろうと、ごく普通に相手に話しかけたりします。
無理矢理こっちのペースに巻き込んでしまいます。
それともうひとつ。
相手と良い関係を築こうと思う時、僕は事あるごとに「ありがとう」という言葉を使います。
ちょっとしたことや、何気ない当たり前のことをしてもらった時でも「ありがとう」と言います。
ありがとうと言われて、嫌な気になる人は普通いません。
感謝されると、何だか自分がいい人になったような気になります。
そしてもっと感謝されたい、感謝してくれた人に対して”いい人”だと思われたいという心理が働き始めます。
そうすると、プラスの連鎖が始まります。
ここまで長々と話してしまいましたが、僕とあなたとでは置かれている状況も違いますし、僕のやり方がそのままあなたに当てはまるというわけにはいかないと思います。
もしかしたらこの話が、残念ながらあなたの聞きたかった内容ではなかったかもしれません。
でも、今後のあなたにとって少しでもご参考になれた(?)のであれば、とても嬉しく思います。
また何かあれば、ご遠慮なくお気軽にコメントを下さいね。
大変だと思いますが、いつでも応援してます。
夫婦関係の改善も大切ですが、あなた自身のこともちゃんと大切にしてあげて下さいね。
くれぐれも無理はしないよう気を付けて下さい。
では。
仁より
メッセージ