第五章:あなたの人生がちっとも良くならない理由。あなたの成長にブレーキをかけているものの正体とは。

魅力的になる方法

前回の記事では、

・自分の現実や未来を創り出しているのは「セルフイメージ=思い込み」であり、思い込みを変えることにより望む現実や未来を引き寄せることもできる

・人間の本能には未知のものに対する恐怖心があり、恐れの心がセルフイメージの変化にブレーキをかけている

という話をさせていただきました。

(前回記事:第四章:実はこんなものがあなたの人生を操っていた!!望む人生の引き寄せ方。

 

思い込み(セルフイメージ)というのは、想像以上に僕らの人生に大きな影響を及ぼすものであると同時に、僕らが想像する以上に頑固で強固なものです。

なぜ思い込みが僕らの人生を支配するのか?

そして思い込みはなぜ簡単に変えることが出来ないのか?

 

そこには、僕ら人間の中にある「恐れの心」が大きく関係しているのです。

セルフイメージを変え、望む未来を引き寄せるには、この「恐れの心」とどう向き合うかが重要な鍵となってくるのです。

 

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 恐怖心が僕らの行動を邪魔する

そもそもなぜ僕ら人間には「恐怖心」というものが備わっているのでしょうか?

実は恐怖心は、僕ら生物にとって無くてはならない必要なものなんです。

恐怖心とは生物全てに備わっている本能であり、生物が生き延びていくために絶対必要なものなんです。

 

分かりやすく説明すると、例えば高い所に上がったら怖くなりますよね。

足は震え、心臓はバクバクし、今すぐにでも安全な場所へと移動したくなりますよね。

なぜ高い所に上がると怖くなるのか?

それは「高い所にいると危ないから」です。

そこから落ちると、怪我をしたり命を落とす危険がある。

だから今すぐ危険な場所からあなたを離れさせようと、本能が”恐怖心”を使って危険信号を発しているのです。

 

 

この恐怖心について詳しく話していくと、話はいわゆる原始時代にまで遡ります。

別の記事でも話してますが、例えば僕ら人類の歴史は、そのほとんどがいわゆる原始時代です。

現代のように文明が発達し便利な世の中になったのは、人類の長い歴史の中で言えばつい最近の出来事です。

僕らの遺伝子は、その大半を原始時代の生きるか死ぬかという苛酷な環境の下生き延びてきました。

 

原始時代は毎日がまさに生きるか死ぬかの連続です。

いつもと違うことをすれば、死につながります。

例えば今自分たちがいる森より隣の森の方が果物とかが沢山ありそうだからといって迂闊(うかつ)に飛び込めば、そこにはどう猛な獣がいるかもしれないし、他の部族がいて皆殺しにされるかもしれません。

雨風をしのげる良い洞窟を発見しても、そこにどんな危険が待ち構えているか分かりません。

だから僕らの遺伝子には、このように刻まれています。

「いつもと違うことをするな、変わったことをするな」

これを現代風に言い換えると

「チャレンジするな」でしょうか。

 

確かに原始時代は、命を落とすようなレベルの危険が日常の中にあふれていました。

でも現代はどうかといえば、普通に生きていればそんなことありませんよね。

むしろ現代は、人類が未だかつて経験したことの無いほどの速度でめまぐるしく変化しています。

いろんな新商品やツールなんかもどんどん出てきて、それに付いて行くのがやっと、使いこなすどころか振り回されてしまっています。

そして時代の変化に対応できない人間というのはどんどん取り残されていき、場合によっては社会や集団から脱落していくことさえあります。

つまり僕らの遺伝子に書き込まれている、

「いつもと違うことをするな、チャレンジするな」

という情報は、現代社会にはそぐわないどころか、むしろ僕らの足を引っ張ってしまってるんです。

 

新しいことを始めようとしたり、新しい変化に柔軟に対応しようとしても、それを僕らの本能は拒んでしまう。

変化することに対する恐怖心によって、僕らは自分の思うような行動が取れなくなってしまっている。

その大半を原始時代に作られている僕らの遺伝子は、今も僕らの行動に強い影響を与え続けているのです。

 

 

 

 恐怖心をコントロールするには…

僕らの遺伝子に平等に刻み込まれている「恐怖心」、僕らは日々たくさんの恐れを抱きながら生きています。

経済的な不安、身体的な不安、人間関係の不安、明日への不安…

様々な不安に囲まれながら生きています。

 

誰もが持っている「不安の心」。

でも僕らは誰もが持ってるこの「不安な心」を、勝手に「自分だけだ」とよく錯覚してしまいます。

自分だけが不安なんだ、自分だけが大変な思いをしてるんだと、多くの人が思い込んでしまいます。

 

不安なのは僕やあなただけじゃないんです。

みんな不安なんです。

みんな平等に不安な心を感じるよう遺伝子情報に書き込まれてるんです。

みんな同じように怖いんです。

 

例えばいつも強気でガンガン言ってくる人っていますよね。

何であんなに強気な態度に出るのか、それは自信が無いからです。

自分の考えや意見に自信が無い、自分が受け入れてもらえるか不安だから、それを力や勢いで通そうとしてしまうのです。

 

他人に対して威圧的な人もそうです。

自信が無いゆえに、威圧的な態度に出てしまうのです。

そうしないと自分の心が不安で押しつぶされてしまうからなのです。

怖いから、ちょっとしたことで感情が激しく揺れ動いてしまうのです。

このように「恐怖心」は誰の中にも存在するもの、生物の本能として備わっているものなのです。

 

“セルフイメージ=自分に対する思い込み”を変え、望む人生を手に入れるためには、この「恐れの心」と向き合いコントロールしなければなりません。

でも先ほども言ったとおり、恐怖心とは本能であり、無くすことは決して出来ないものなんです。

無くすことは出来ない…でもコントロールすることは出来ます。

 

恐怖心をコントロールするにはどうすればいいか…

それは怖いと思うものを直視することです。

こんなことを言ってしまうと、「怖いから見れない、怖いから目をそらすんじゃないか」と言われてしまいそうですが、そうじゃないんです。

実は逆なんです。

怖いから見れないんじゃなく、見ないから余計怖いと感じてしまうんです。

ホラー映画なんかの類は怖がらせることを目的として作られているから話は別ですが、恐怖心とは基本的に「想像」や「妄想」が創り出しているのです。

 

例えば以前の僕はかなりの「あがり症」でした。

人前に出れば緊張のため舌はもつれ、あごは固まって動かない、声は喉を締め付けられたように出なくなり、手足はガタガタ震えて手元の原稿も全く読めない…そんな状態でした。

当時の僕は異常なほど人の目や評価を気にし、「みんな僕のことをどう思ってるんだろう、ダメなヤツだと思われてないだろうか」

こんな想像ばかりが頭の中を駆け巡っていました。

とにかく人の目が怖くて仕方ありませんでした。

なので大勢の前で話さないといけない時などは、相手ではなく遠くを見ながら話したり、どこか1点を見つめながら話すなど、絶対に相手の目を見ないようにして話してました。

 

しかしある時、思わぬ事態が起こってしまったのです。

仕事中でのことなんですが、何十人といるお客さんの後ろで立っていた僕は、いきなり上司に

「今からお客さんの前に出て説明をして来い」

と言われたのです。

拒否することもできず頭が真っ白になった状態のまま僕は前に出て行きました。

すると大勢いたお客さんの視線が、ザーッと一斉に僕に突き刺さりました。

そして僕はその視線とまともに目が合ってしまったのです。

 

僕はパニック状態に…

なるはずだったんですが、驚いたことに僕の中ではその反対の現象が起こっていました。

慌てている自分とは別に、状況を冷静に見つめるもう1人の自分が僕の中にいたのです。

そして僕の頭の中に、

「待てよ、よく考えたらこのお客さんたちって素人だから何にも分かってないんだよな。俺はこの仕事に従事するプロ(みたいなもの)、お客さんたちに教えてあげる立場なんだから、立場的には俺のほうが上なんじゃないか?それによく見たら、別に俺をとって食おうって訳じゃない。そんなに恐れる必要なんてないんじゃないか?」

といったような考えが、感覚的に僕の中に流れ込んできました。

 

この時の経験がきっかけで、僕はあがり症を克服することができました。

そしてこの経験のお陰で、僕は気付いたのです。

この恐怖心は単なる僕の思い込みや妄想が生み出したもの。

相手(恐怖の対象)のことが分からないから怖くなる。

分からないから、いろいろ悪い妄想を膨らませてしまう。

 

自分が怖いと思ってるものをきちんと認識し、その正体が明らかになると、意外と怖がる必要の無いことに気付くんですよね。

正体が分かればそれに対する対処法も出てきますし、自分が相手の何に対して恐れているのかもよく見えてきます。

恐れの心は無くすことはできませんが、自分の意思でコントロールすることはできるんです。

(あがり症については、詳しくはこちらをご覧ください。【もう緊張しない!! あがり症の正体はこれだ!! あがり症克服にテクニックはいらない】

 

 

 

 恐れの心をコントロールするということは、自分を信じてあげるということ

人生は、その人間の取る1つ1つの行動によって創られていきます。

そして行動はその人間の感情、特に突発的な行動や大事な判断を下す時などは、恐れの感情が大きく影響してきます。

恐れの感情をコントロールできるようになると自分の行動もコントロールできるようになる、つまり自分の人生を自分の望むように創り上げていくことも可能になってくるのです。

(感情コントロールについてはこちらのカテゴリーをご覧ください。【 感情コントロールの極意 】

 

セルフイメージだって同じです。

なりたい自分像があっても恐れの心が強いと、「俺には無理なんじゃないか」と心のどこかでつい否定してしまいます。

その結果「俺には無理だ」というセルフイメージが出来あがり、その通りの現実があなたの前に現れることとなります。

恐怖心に100%支配されたままだと、自分の力を信じてあげることも出来ないのです。

 

恐れの心をコントロールするということは、自分を信じてあげるということと同じ。

自分を信じてあげれなければ、勇気だって出てきません。

セルフイメージを変え、望む人生を創り上げるには「恐れの心をコントロールすること」が大きな鍵となるのです。

 

*記事一覧はこちら→「 魅力的になる方法 」 一覧

メッセージ

  1. 匿名 より:

    そんな抽象的な話されてもね

    • 仁(jin) jin より:

      なるほど。

      具体的な事例などを挙げつつ説明すると話が分かりやすくなる、ということですね。
      確かに僕自身も、内容が抽象的ではないのかというのは前から考えていました。

      より具体的に、より理解しやすい内容に仕上げていけるよう心掛けてみます。

  2. 匿名 より:

    背中を押された気分です
    ありがとう

    • 仁(jin) jin より:

      コメントありがとうございます。

      僕自身、これまでいろんな人や言葉に背中を押してもらって、やっとここまで来ることができました。
      もし僕の言葉が誰かの背中を押すことが出来ているのなら、これほど嬉しいことはありません。

      コメントを下さって、本当にありがとうございます。

  3. 匿名 より:

    こんにちは。
    仁さんの記事たくさん読ませていただきました。
    説得力のある言葉で、すごく心にスッと入ってきました。
    わたしは、すごく悩んでしまったり考えてしまいやすい性格で、よく周りからも、『要領が悪い、不器用だね、考え過ぎだよ』とよく言われます。(笑)

    一年半ほど前に、部活動でのキャプテンを一年間任され、それをきっかけに、考えすぎる性格がますますひどくなってしまいました。
    先輩の顔を伺ってしまったり、最初は何も考えず仲の良なった同期ともなぜかギクシャクしてしまい、うまくいかなくなってしまったり。
    同期の五人の中で、自分だけがうまくみんなと話せない、入っていけない、ご飯などにも誘われないと自分で思ってしまい、そう思い出すとますますうまく話せなくなってしまいました。

    後輩とも、表面上での関わりはできるけど、あまり親しい関係の子はいません。うまくやれている周りの同期を見て、比べてしまいます。

    それ以外でも、常に考えすぎて、人と話すの時に、何を話そう、、、考えてしまい、話せないと、また自分の中でへこんでしまいます。

    何か楽しいことをしてても、なぜか心から楽しめてない自分がいるし、なんで楽しめてないんだろう?と考え込んで、また自分で自分をつまらなくさせています。

    こんな自分を変えたくて、本やサイトを見たりしますが、悩む前と全く変わっていない自分に嫌になります。

    周りと比べてしまったり、うまく人と話せなかったり、もっと周りから好かれる人になりたいのに、なれないし、自分には価値がないのかなって思ったり、毎日そんなことばかり考えてしまうのが、本当に辛いです。

    話がまとまっていなくて、すみません。
    仁さんのお力をお借りして、自分を変えたいです。

    • 仁(jin) jin より:

      こんにちは、仁です。
      返事が大変遅くなってすみません(汗)

      メッセージ、拝見させていただきました。
      部活動ということは、学生ですか?
      メッセージを読ませていただいて思ったのですが、あなたは若い頃の僕と、怖いくらい似ています。
      僕もあなたと同じような状況で、これまでずっと苦しんできました。

      僕もあなたと同じように、要領が悪いです。
      不器用で、何をやっても人より時間がかかります。
      そして人一倍、アレコレと考え込む傾向が強くあります。

      かつての僕は、何一つ秀でたものが無い。
      何をやらせても中途半端、人並み以下。
      何をやってもダメなくせに、僕はずっと実現不可能な「どんなことでも器用にこなせる、そんなバランスの良い人間」になろうと、もがき続けていました。
      「どんな役目を任されても、きちんとこなせる」
      「どんな人とも仲良くできる」
      「誰とでも、楽しく会話で盛り上がれる」
      どうあがいても出来ないくせに、オールマイティな人間を目指していた。
      そしてちっとも実現できない自分を、いつも責めてきた。

      僕はずっと人の目を気にし、人の目に怯えながら生きてきた。
      いつも「みんなと同じように出来ないといけない」と思いながら生きてきた。
      そしてみんなと違う自分、みんなと同じように出来ない自分に愛想をつかし、何度も自分を見捨ててきた。

      でもいくら自分を責めたところで、何も変わらない。
      いくら自分を見捨てたところで、人生が良くなることは決して無い。

      だから僕は、自分が不完全な人間であることを、認めた。
      「今の俺には、誰とでも仲良くするなんて器用なことは出来ない」
      「場の雰囲気を楽しく盛り上げるようなキャラになんて、俺にはなれない」
      面白い話も出来なければ、要領良くも生きられない。
      出来ないものは出来ない。
      無理なものは無理だ。

      でも、だからそれがどうした?
      これが俺だ。
      不完全で、不器用で、何が悪い?
      要領が悪く、不器用で、気が利かない、それが俺だ。

      つまり僕は、開き直りました。
      僕はずっと”いい人”を演じようとしてきた。
      でも、やめた。
      いい人を演じるのを、完全にやめた。
      人の期待に応えようと一生懸命になるのも、もうやめた。

      もちろん人として成長することを、やめたわけではない。
      ただ、今の自分を否定しても、何も変わらない。
      だったら、今の自分を100%受け入れ、そしてここから上を目指す。

      どんなに周りから否定されようと、批判されようと、僕自身は絶対に自分を否定しない。
      人は人、自分は自分。
      他人は関係ない。
      比べる相手は他人ではなく、常に過去の自分。
      もう周りと自分を比べないし、人の目も気にしない。
      僕のことを悪く言いたければ、好きなだけ勝手に言えばいい。

      そして僕は、自分に誓った。
      この先どんなことがあろうと、絶対に自分を見捨てない。
      どんなことがあろうと、自分のこの体と心で戦い続ける。
      後ろは振り返らない。
      どんな時も、絶対に前を向いて進み続けるんだと、自分に誓いました。

      すると、次第にノイズが消え始めていった。
      僕を迷わせる、周りの視線や声、そういった雑音が消えていき、ものごとがシンプルになっていく。
      自分のやるべきことが、どんどんシンプルになっていく。

      周りの目や評価を気にしなくなっただけで、僕を取り巻く世界は驚くほどシンプルに変わった。
      そして周りの目を気にせず、やるべきことに集中出来るようになったせいか、いつの間にか僕は「要領が悪い」とか「不器用だ」とか言われることが、今では全く無くなってしまった。
      人の目を必要以上に気にしなくなった、たったそれだけで、僕の世界は驚くほど激変した。
      結局僕の要領を悪くさせていたのは、人の目を気にしすぎる僕自身の心に原因があったんだと思う。
      あれだけ苦痛だった他人との会話さえも、今では苦になることがまるで無い。

      ちょっと長くなってしまいましたが、正直僕の書いている文章は、分かりにくい部分も結構あるんじゃないかと思います。
      元々僕は文章を書くのが得意ではないので、自分で自分の文章を読み返して恥ずかしくなることも多々あります。
      もし何か疑問や質問があれば、遠慮なくメッセージを下さい。
      遅くなるかもしれませんが、僕で良ければ必ず拝見させていただき、返事をさせていただきますからね。

      では。
      仁より