成り上がった友と、夢を諦め現実を見つめた僕の人生が詰んでしまった件。

自分の殻を破る方法

僕にはかつて、共に人生を賭けて仕事をした仲間がいます。事情があって今はお互い違う職場で違う人生を生きているのですが、同じ仕事をしていたにも関わらず、今はあまりにも違う現実を生きることになってしまった僕らの波乱とも言える人生が非常に興味深いと思い、今回お話ししようと思います。

共に成り上がることを目指した僕ら二人の物語です。

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成り上がった者と、落ちぶれた者

実は僕の身内は、公務員やお固い職業に就いている人間が多くいます。真面目な人間が多く、まさに堅実な生き方の見本のような人たちばかりです。

そして僕も幼い頃から、両親から堅実な生き方を叩き込まれてきました。リスクは背負わず、安全で確実な道だけをひたすら愚直に歩んでいく。僕は幼少期から父親の決めた生き方・父親の敷いたレールの上を、大人になるまでずっと歩き続けてきました。

でも出来損ないだった僕には、両親たちのような真面目で堅苦しく、そして自分に厳しい生き方を貫き続けることは出来ませんでした。そんな僕が社会人になって選んだ仕事は、生活の保障もろくにされない、ほぼ完全歩合で給与の保証も全くされない、勤務時間もデタラメ、そんな明日のことさえも保証されないような不安定な会社でした。

もちろん親は猛反対しましたが、僕はまるで親から逃げるかのようにその会社で働き続けました。

仕事内容はハードで労働条件もデタラメ…でも僕は生まれて初めて人生に充実感を感じていました。毎日が不安で気持ちはいっぱいいっぱい。毎日がまさに綱渡り状態。でも人生において初めて自分が「生きている」ということを、仕事を通じて実感する僕がいました。毎日が辛いことばかりだったけど、自分の情熱を注ぎ込める仕事を見つけた僕は、どんどん仕事にのめり込んでいきました。

 

そしてそんな超ブラックでハードな会社の中で、後に手を携えて共に独立を志していく「S」との出会いがありました。

Sは僕とは正反対とも言える環境で生まれ育ち、誰にも縛られずに自分の意思で自由奔放に人生を生きるドリーマータイプの人間でした。やりたいことがあれば、誰にも遠慮せずにすぐにやる。彼には無理だと思えるような事でも「大丈夫、俺なら出来るよ」と平然と言い切り、無謀なチャレンジでもまるで躊躇しない。とにかく自分の欲望に対して素直で、誰から何と思われようとも構わないし、気にもしない。上昇志向が強く、常に成り上がるチャンスを掴もうと狙っている。Sはそんな人間でした。

その後彼とは二人で共に独立し、会社を立ち上げ、そして成功を手にしました。
しかしその成功も、残念ながら長くは続きませんでした。

会社を軌道に乗せるために僕ら二人は、自分の家庭をも犠牲にし続けました。朝から晩まで働き続け、夜もろくに家にも帰らず仕事をし続けました。その結果、僕の家庭は壊れました。

それから会社が軌道に乗るのを見届けてから、僕は会社を去りました。僕は社会に出てからこれまで、ある意味メチャクチャな生き方をしてきました。自分の人生を生きるのに本当に精いっぱいで、家族や周りのことも振り返らずに生きてきました。そのせいで、守るべき大切な人たちが犠牲になっていることにも、まるで気づいていませんでした。

それからの僕は、自分のやりたい事や自分の希望・望みといったものを全て捨て、100%家族のためだけに生きることを決めました。幼い頃より親から叩き込まれた「リスクを背負わず、安全な道を選択しろ」という教えを思い出し、給料をちゃんともらいながらも家庭優先で働ける職場を探して、転職も何度か繰り返しました。

その結果、僕の人生はどうなったか?
改めて自分の人生ときちんと向き合った結果、これまであまり深くかかわることの無かった子供とも、理想的な関係を築くことが出来ました。また、かつては対人恐怖症を抱え、人とも上手く付き合うことの出来なかった僕の対人関係も劇的に変わり、どんな職場へ行っても誰とでも上手く付き合えるようにもなれました。

ただ、それに反して家庭の経済面は次第に悪化していき、最後は借金も抱えてどん底にまで落ち込んでしまいました。そして、僕は壊れました。

 

では共に手を携え独立を果たしたSは、その後どうなったのか?
彼は当初の彼自身の予定通り、成り上がりました。何も持たなかったただの若者が、今では複数の会社を経営する社長にまで見事成り上がったのです。しかも僕のように家庭が崩壊することも無く、です。

かつては共に力を合わせて成り上がることを目指した僕ら二人。しかし、ある地点で別々の道を選んでから、その後一方は借金まみれ。そしてもう一方は複数の会社を持つ会社の社長。この二人の一体何が違うのか?なぜここまで大きく違う人生を歩むことになったのか?

僕が言うのもなんですが、Sは特別に何かしら高い能力を持っているわけではありません。彼はいわゆるビッグマウスであり、実力が伴っていないことも頻繁にありました。仕事も雑でいい加減であり、取りこぼしも多い。得意なことはノリノリでやるが、苦手なことになると途端に他人任せになる。実際前にいた会社では僕の方が評価は高く、Sはどちらかというと上司から煙たがられる存在でした。

能力では、決して僕はSには負けていない。ではなぜSは成功し、そして僕はどん底にまで落ちぶれてしまったのか。

…ずっと考えました。僕とSとの違いを。能力的にも差の無い僕ら二人の人生が、なぜこのように大きく開くことになったのか。

そして、やっと気づきました。成功するために必要なのは、単なる上辺の能力ではなく「自分の可能性を本気で信じ続けられるかどうか」だということに。

前にも言いましたが、Sは無理だと思えるような事でも「俺なら出来るよ」と平然と言い切り、そして一瞬のためらいも無く即実行し始めます。まさに猪突猛進という表現がピッタリな男です。一応本人なりにはいろいろと計算はしているつもりなんだろうけど、彼の場合は考えるよりも先に行動を起こし、そして行動しながら考える。途中で上手くいかなくなっても一切スピードを緩めることもせず、強引に突き進んで行く。ボロが出ても、構わず突き進む。何をするにしても彼以上の突進力を持つ人間を、僕は未だに見たことがありません。

無謀とも思えるチャレンジを、なぜSはし続けることが出来るのか?
それは彼が「自分の可能性を100%信じ切っているから」です。自分になら出来る、途中つまづくことがあっても自分なら絶対にやり切ることが出来る、そして間違いなく成功することが出来る。彼はどんな時も、本気でそう確信しています。だから彼の発言はいつも「出来るかどうか?」ではなく、常に出来ることを前提とした言い回しや口ぶりに自然となっています。

そしてそんなSの自信に、周りも巻き込まれていく。彼の可能性を信じ魅力を感じた人たちが彼を手助けし始め、彼を育ててくれるようになる。実際彼の周りには、彼の可能性を信じる多くの人間が集まり、そうした人たちが次から次へとつながっていき、そして最後は彼の夢を実現させてくれる力を持つ人へとつながっていくのを、僕は何度も見ています。

実は僕ら二人が独立した時も、彼の可能性を信じる人が僕らを”ある人物”に引き合わせてくれて、その人物の力添えを得たことによって独立することが出来たのです。

そんなSに対して、当時の僕は自分の可能性を信じ切ることが出来ませんでした。「僕は仕事で成功して豊かな人生を送ることができる」ということに100%の確信が持てず、それが僕の言葉や態度にも表れていたからこそ、家族もそんな僕を見て不安になり、それが家庭崩壊への引き金となってしまったんだと思います。それに対してSは「絶対に成功するから大丈夫だ。だから仕事が軌道に乗るまでは、しばらく辛抱してくれ。」といったことを言葉や態度で家族に示し続けていた。だからこそ、Sの家庭はちっとも揺らぐことが無かったんだと思います。

あの時の僕は心のどこかで、まるで人生を悟ったかのように「人生なんて所詮こんなもんだろ」「頑張ったってどうにもならないことなんてたくさんあるんだから諦めが肝心だろ」みたいな気持ちをきっと持っていたんだと思います。可能性を諦めていた分だけ、自分の行動にもやっぱりブレーキがかかっていました。

でもSはいつも本気で夢を見ていた。どんな時も夢を追いかけ続けていた。そして夢が叶うと100%本気で信じているから、あの頃も今もアクセル全開で突き進み続けている。

ということで今回は少しばかり僕の昔話をさせてもらいましたが、ここまで話した通り僕とSとの違いは能力や運といったものの優劣などではなく「自分の可能性を本気で信じ続けられるかどうか」の差。これが僕らの行動に大きな差を生み、それが今も埋めようのない人生における大きな差を生み出し続けているということ。

能力的には、僕はSには決して負けない。お互い武器になるようなスキルや資格も持っていない。そして運で言えば、むしろSの方がこれまでよっぽど不遇な人生を歩んできた。社会人になったばかりの時も、僕の方がよほど有利な条件でスタートを切っています。

Sを見ていると、上手くいかない原因を周りの人のせいにしたり、またはもっと環境に恵まれていたらとか、自分は運が悪いだとか、そうやって何かのせいにして行動することをやめてしまっている自分自身が恥ずかしくなってきます。

「どんな時も自分を信じて行動し続ける。そしてどんな時も決して歩みを止めない。」
シンプルですが、これが簡単に見えて実は本当に難しい。僕も含め、多くの人が出来てないことです。でもこれこそが、結局は僕らの人生における最強の成功法則なのです。

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