「俺には無理だ」
「俺になんて出来るわけない」
「何で俺にはこんなに才能が無いんだ」
「自信満々なアイツが羨ましい」
誰しも日常で多くの問題にぶつかりながら生きています。
仕事、家庭、学校…あらゆるところで何かしらの問題が発生します。
それが簡単に解決できるような問題ばかりならいいんですが、自分の力では乗り越えられないと思えるような問題も当然ありますよね。
思わず後ずさりしてしまう、目をそらしたり逃げ出してしまう、その問題に対処できると自信を持って向き合うことが出来ない…そんな時もありますよね。
どうすれば自信が持てるのか?
どうすれば自分を信じて問題と向き合うことが出来るのか?
自信を付ける方法は、このブログの他の記事でも話してますし、ネットや本を調べてもいろいろ出てきます。
だから今回は、「自信を付ける方法」については話しません。
じゃあ何について話すのかというと、自信を付ける方法論やテクニック以前の話です。
自信を付ける方法というのは、手間を惜しまず調べれば、いくらでも見つけられます。
でも自信を付けるテクニックを見つけても、それによって実際に自信を持つことが出来たのか?と言われれば、現実には多くの人が結局自信を付けられずにいるのではないでしょうか。
自信を付けるテクニックを見つけたはずなのに、なぜ自信を付けることが出来ないのか?
その理由は、多くの人にある視点が抜け落ちているからなんです。
今回は、その「ある視点」について話していきますね。
僕が自信満々な理由
以前の僕は、とにかく自分に自信がありませんでした。
「俺は何をやってもダメ」
「俺には才能やセンスの欠片も無い」
「何をやっても必ず上手くいかない」
常に自分を疑ってかかってました。
会社でベテランになり、上司からも「お前にはもう十分実力がある」と認められても、その言葉を1ミリも信じることが出来ませんでした。
でも今の僕は、自信満々です。
常に自分を信じている、例え失敗してもそれによって自信を失うことは無いんです。(もちろん反省はしますが)
1ミリも自分を信じることの出来なかった僕が、なぜここまで自分に対して自信を持つことが出来るようになったのか?
それは僕が誰よりも自信を付ける努力をしたからです。
意図的に自信を付ける努力をし続けたからなんです。
多くの人が、自信というものは自然と付いてくるもの、様々な経験の中で勝手に付いてくれるものだと思い込んでいます。
でも残念ながら、自信は勝手についてはくれない。
自信とは、自分で努力して意図的に作っていくものなんです。
自信は勝手に付いてくれるものではない
でもこれが、例えばもし子供だったなら、ちょっと話が違うかもしれませんね。
今のあなたが小さな子供だったら(もちろんあなたは小さな子供ではないと思いますが)、事情は変わってきます。
子供というのは、周囲の環境から大きく影響を受けながら成長していきます。
自分の親や周りの大人、自分を取り巻く環境から多くのことを学んでいくので、強く影響を受けざるを得ません。
周りから自信を付けてもらうこともあれば、逆に周りによって自信を無くされてしまうようなこともあります。
でも大人になれば、子供の頃のように周りがあなたを気にかけて世話を焼いてくれるようなことはありません。
自分の人生ですから、何をするにも自己責任で生きていかなければならない。
極端な話、ある意味みんな他人のことなんて知ったこっちゃないわけです。
誰かがあなたに対し自信を付けてくれるというようなことは、基本的には無いわけです。
中には偶然自信につながるような経験をすることもあるかもしれません。
でもその経験の中に「チャレンジ」という要素が無ければ、それが自信につながることはありません。
自信というのは、自分の意思で問題と向き合い、そしてその問題を乗り越えてこそ初めて手に入れられるもの。
そこに「チャレンジ」という名の努力が無ければ、本当の自信は持てないんです。
つまりもう大人になってしまったあなたに対し、誰かが自信を付けてくれることは無いし、また何の努力をせずとも周りの環境が勝手に自信を付けてくれるなんてことも無いのです。
自信は、自分で意識し努力して付けていくしかないのです。
生まれつきの天才はいない
自分の周りにいる成功者、または何らかの才能やセンスや技術に恵まれた人を見ると、羨ましくなってしまうことがあります。
「アイツは才能やセンスがあっていいなぁ」
「アイツは仕事が運良く軌道に乗って羨ましい」
「アイツは世渡り上手だから得だよな」
つい、こんな風に思ってしまいます。
でもね、生まれつきの天才はこの世にはいません。
生まれつき才能やセンスがある、生まれた時から世渡り上手、なんて人は基本的にはいないのです。
また、運良く仕事が軌道に乗ったとしても、運だけでずっとやっていけるほどこの社会は甘くありません。
才能やセンスがあるのは、それを磨く努力をしているからなんです。
見えないところで人の何倍も努力した結果、手に入れたものなんです。
世渡り上手な人だって、そうなるための努力をどこかでしてきたから世渡り上手になれてるんです。
才能やセンスのある人が自信に満ち溢れているのは、才能やセンスがあるからではありません。
才能やセンスを磨くために必死に努力し、その結果才能やセンスを手に入れることが出来た、そんな自分を信じることが出来るから、自信に満ち溢れてるんです。
プロの歌手やスポーツ選手が自信に満ち溢れているのは、誰にも負けない程の努力で技術を磨いてきた自分の頑張りを自分で認め、そしてそんな頑張る自分を心から信じることが出来るから、自信に満ち溢れてるんです。
もし仮に、何の努力もチャレンジも無く偶然手に入れた自信であるなら、それは自信とは呼びません。
単なる「慢心」や「過信」です。
そして「慢心」や「過信」は「油断」を生み、いずれ必ずどこかでボロが出ます。
その自信は必ず崩れ去るのです。
自信は自分の手で積み上げていくもの
自信を手に入れるための方法論やテクニックは、探せばそこら中に溢れ返っています。
でも単なるテクニックだけでは、自信を手に入れることは出来ません。
自信とは、自分で努力し意図的に付けていくもの。
この視点があってこそ、初めて自信を付けるためのテクニックが活きてくるのです。
僕は常に、自分を信じる努力をし続けています。
自分を認め、受け入れ、そして常に自分を応援し続けています。
放っておいても誰かがあなたに自信を持たせてくれるなんてことはありません。
何もしなくても、自然と自信が付いてくるなんてこともありません。
自信を持つ努力をしないと自信は付かないんです。
自信とは自分自身の手で作り上げていくもの、自分の手で積み上げていくものです。
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