仁の「学校では教えてくれない人間関係の秘密。」

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いい人をやめたら刺激に満ちた面白い人生になってしまった件。

      2019/03/08

実は僕、あまり愛想が良くありません。別に”性格が悪い”なんて言ってるわけではないんですが、基本的に愛想を振りまかないし、愛想笑いもしません。だからと言って人間関係が上手くいってないということもありません。生きづらいと感じることもありません。人とぶつかることも特にありません。

このタイトルが目を引いたという事は、もしかしてあなたは”いい人”なのではないですか?(笑)
僕も元々は”いい人”でした。今はもうやめていますが。

これまでも”いい人”に関する話は当ブログでもチラホラしてきたと思いますが、今回は「なぜ僕がいい人をやめたのか?」そして「いい人をやめた結果、僕の人生はどうなっていったのか?」といったことを、昔を思い出しながら話してみようと思います。ご興味があれば、お付き合いください(笑)

 

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僕の存在感

このブログのどこかでも話してますが、元々の僕は”対人恐怖症”です。母親の情報によると幼い頃の僕はとてもお喋りだったそうなんですが、小学校に入ったぐらいから段々と他人との接し方が分からなくなってしまいました。どんどん無口になっていき、中学に上がる頃には完全に自分の殻に閉じこもり、必要最低限しか言葉を発しないような人間になっていました。

実は僕、対人恐怖症と言うより、”男性恐怖症”でした。家庭では徹底的に父親から厳しくしつけられ、また子供の頃から習っていたスポーツでも男性の指導者から目を付けられて、みんなの前で嫌がらせをされる。学校でも、当時は当たり前のように体罰が横行していて、担任の暴力男性教員に毎日誰かが吹き飛ぶぐらい殴り飛ばされる。要領の悪かった僕は、本当によく殴られてました。また、クラブ活動でも先輩によるひどいイジメが毎日のように行われ、学校の教師は見て見ぬふり。

だから1歳でも年上の男を前にすると、怖くて何も話せなくなる。当時の僕にとっては、自分より年上の男は全て僕を攻撃してくる敵にしか見えませんでした。そしてこの男性恐怖症は、社会人になってからも同じでした。

社会人になってからの僕は、何かある度に年上の男性上司や先輩とぶつかり、時にはひどいケンカになることもありました。でも相手のことが嫌いだからぶつかってたわけでは、決してないのです。ただただ、怖かった。年上の男性が僕を攻撃してくる、きっと僕のことを責めてくる、隙あらば僕のことを排除しようとしている…そんな妄想にとらわれていました。

でも、こんなんじゃ社会人としてやっていけないですよね。周りと最低限の人間関係さえも築けなければ、そもそも日々の業務も成り立たない。
でも、ある程度社会経験が増えてきた僕は、次第に「苦手な相手とぶつかることなく、上手くかわす方法」を身に付けていきました。その方法とは、「いい人になること」。

相手に対し敵意が無い事を示すために、どんな時も笑顔で対応。人から何か頼まれれば、それが無茶なお願いであっても断らない。例え仕事を押し付けられても、笑顔で引き受ける。何かトラブルが起これば、自分に非が無くても相手の機嫌を損ねないために、とにかく謝る。常に周りの人間の都合を優先し、自分の事はいつも後回しにする。

「とにかく自分が犠牲になることで全てが上手く回るのなら、それが一番いい。自分が我慢することで全てが丸く収まるのなら、それでいい。」
人とぶつかることが怖くて怖くてたまらなかった僕は、いつしか”いい人”に徹するようになっていました。

お陰で、人とぶつかることが激減しました。が、あまりに気を遣いすぎたためか、ストレス性の偏頭痛が起こるようになりました。おまけに自分のやるべき仕事に集中しなければならないのに、周りの人間の機嫌ばかりが気になるようになり、その結果ミスも増え、だんだん仕事の出来ないヤツになっていきました。

そして何より痛かったのが、「みんなのためにいくら自分を犠牲にして頑張っても、あまり感謝されない」という事。みんなのことを思ってせっかく頑張ってやってるのに、「やってもらって当たり前」みたいな態度を取られてしまうことがよくあるんですね。

そして一番納得が出来なかったのが、「普段は全然協力しないヤツが、たまに手伝っただけで、みんなからすごく喜ばれたり感謝されたりする事」。
当時の僕からすれば、「おいおい、ちょっと待て。何でいつも自分勝手な行動ばかりするヤツが感謝されて、反対にいつもみんなのために一生懸命やってる俺がこんなにも評価が低いんだ!?」と腹が立つわけです。

「この差は何なんだ?」と思った僕は、その理由を考えました。すると、1つの答えが出てきました。屈辱的な答えです。それは「僕がみんなから重要視されてなかったから」。
正直言って当時の僕は、周りの人間にとって”居ても居なくてもどちらでもいい存在”だったんです。いわゆる”居なくなれば、他に代用のきく程度の存在”だったという事。

例えばですが、あなたの仕事が忙しすぎて昼ご飯も買いに行かれない状態だとします。そこであなたの部下が気を利かせてパンとコーヒーを買ってきてくれました。するとあなたは「おっ、気が利くね。ありがと。」とお礼を言うと思うます。
でもこれが、パンとコーヒーを買ってきてくれたのが、あなたが尊敬し師匠と崇めるようなカリスマ上司が忙しい中わざわざ買ってきてくれたとしたら、どうです?感謝の念を突き抜けて感激レベルにまで達してしまうんじゃないでしょうか。
では、この差は一体何なのか?それはあなたにとってその相手が「どれだけ重要な存在か?」という事。相手に対する重要度の差によって、同じ行為であっても感謝の度合いは変わってくるという事です。

そこで僕はやっと気づきました。”いい人”というのは、いわゆる空気と同じという事。その人の持つ存在感の大きさというのは、「どれだけ相手の感情を動かせるか?」なんです。
例えばあなたが大好きな人や憧れる人・尊敬する人と一緒にいる時のことを思い浮かべてください。おそらく嬉しさや緊張などで、きっと感情が揺れ動いているはずです。
では今度はあなたが大嫌いな相手や、その存在を消してしまいたいほど憎んでいる相手を思い浮かべてみてください。おそらく気分がムカムカしたりイライラしたりなど、同じく感情が激しく揺れ動くと思います。
では今度は、あなたにとってどうでもいい相手のことを思い浮かべてみてください。特に仲が良いわけでもなく悪いわけでもなく、居ても居なくてもどっちでもいいような相手です。どうですか?そんな相手を思い浮かべてもなんとも思わないし、感情もまるで動きませんよね?

あなたにとって大好きな相手も大嫌いな相手も、あなたにとっては同じく存在感のある相手なんです。それに対し、いい人に対しては誰もがまるで存在感を感じないし、重要な人だとも感じないのです。

いい人に徹していた当時の僕はそのことに気づき、自分の存在意義を完全に失いました。

 

いい人をやめるために

今思えば、当時の僕はいわゆる”無趣味”の人間でした。やりたいことが何もない。自分のやりたいことが何なのか分からない。何をやればいいか分からないから、ガムシャラに仕事をし、仕事にしがみつく。
僕はみんなにとって”都合のいい人”でいるために、ずっと自分を抑え続けてきた。

そういえば僕は、子供の頃からずっと自分を押し殺して生きてきた。純粋に”自分のやりたいことをやってきた”という記憶が無い。常に親や周りの人間の敷いたレールの上を走ってきた。「周りの人間の望む行動は何なのか?」という事ばかりを考えながら生きてきた。僕はこれまで、少しも自分の人生を生きてこなかったんじゃないか。

「レールから外れて、自分の思うように生きてみたい。」いつしか僕はそう思うようになりました。とは言っても、これまでひたすら”いい人”を演じ続けてきた僕。「もし急にいい人をやめてしまえば、どうなるだろう?みんなから必要とされなくなって、独りぼっちになってしまうんじゃないだろうか?」
いい人をやめたいけど怖くてやめられない、僕は悩みました。

でも、ふと疑問がわいてきたんです。「僕はこんなにも人と接するのが怖いのに、みんなはちっとも怖くないのか?対人関係において恐怖心を持っているのは、果たして本当に僕だけなのか?」そんな疑問を持ち始め、僕は他人を観察するようになりました。

実は人は誰もがみな、大なり小なり対人関係に対する恐怖心を持っているんですね。それは相手の感情の動きを見ていれば、簡単に分かります。
例えば相手を大きな声で威圧する人がいますよね。自分の気に入らないことがあればすぐ怒鳴る、意見が通らなければ大きな声で押し通す。またはきつい言葉や汚い罵り声で相手を威嚇する。ではなぜ相手を声や態度で威嚇しようとするのか?それは怖いからですよね。自分の意見が通らない、自分の考えを受け入れてもらえない、自分を否定されたらどうしよう、そんな不安があるからそれほどまでに感情が乱れてきつい言葉や態度になってしまう。
他人の意見や価値観を受け入れられない人も、同じくそう。自分の価値観や考えを否定されるのが怖いから、人の意見を聞き入れられない。つまり強気で相手を攻撃する人間ほど、強い不安を抱えているという事。
実はみんな、不安なんです。でもみんな、それに気づいてないだけ。もしくは気づかないふりをしているだけ。

その人間の中にある不安や恐怖は、必ず感情に表れる。そして誰もが大なり小なり不安を抱えながら生きている。僕はそのことに気づきました。怖いのは僕だけじゃない、そのことが理解出来ました。

僕は”いい人”をやめることにしました。
愛想笑いはもうしない。笑いたい時は自分の意思で笑い、笑いたくなければ笑わない。常に自分の意思で笑う。
人のフォローはするが、するかどうかは常に自分が決める。仮にする必要が無い・するべきではない時は、相手が誰であろうとしない。もちろんフォローしない理由はきちんと相手が納得できるように説明する。
仕事上のトラブルが起こった時は、無難に場を収めるために、以前のように自分に非が無くても謝るようなことはしない。誰が悪いかではなく、”どうすればミスを最短でリカバリー出来るか?”を提案し、迅速に行動に移す。
そして自分がやりたいことは、遠慮なくやる。後回しになんてしない。もちろん自分がやりたいことがあるように、他の人にも同じようにやりたいことはあるはず。だから自分のやりたいことを主張しつつも、相手のやりたいことも自分の事のように尊重していく。互いにwin-winの関係を目指していく。

いい人をやめるため、少しずつ僕は自分を変えていきました。とは言っても、上に書いたようなことをいきなり出来たわけではありません。自分を変えるための努力は、当然しました。

不安を乗り越えるためにはどうすればいいか?
不安の対極にあるのは、自信です。不安を乗り越えるためには、自信を付けるしかありません。自信とは読んで字のごとく、分をじること。単に人と比べて「自分の方が優れている・劣っている」などと言っていては、本当の自信を付けることは出来ません。

どれだけ自分の事を信じることが出来るか?つまり自信とは、どれだけ自分の力や自分の可能性を信じ抜くことが出来るかという事。どんな辛い状況に立たされても、どんな困難な状況に立たされようと、自分を絶対に見捨てない、絶対に諦めない。例え上手くいかなくとも、例えその時は敗北を認めて引き下がるしかなくても、自分ならいつか必ずこの状況を変えることが出来る、必ず上手くいく、自分にはそれだけの力がある、自分に降りかかる困難を乗り越える力が自分には備わっている、そう信じきることが出来るか。

自信というものは、いきなり付くものではありません。日々の中で小さなチャレンジを繰り返し、小さな成功体験を積み重ねていく。大成功というのは、小さな成功の集合体です。何も無いとこからいきなり大成功が生まれることはありません。日々の小さなチャレンジの繰り返しが、大きな自信へとつながっていくのです。

僕はいい人をやめました。やめる前は、強い恐怖心がありました。でも、いい人をやめても、僕が恐れていたようなことは何一つ起こりませんでした。
そして今は、生きるのがすごく楽になった。やりたいこともいっぱい出てきたし、仕事に関しても無駄なことに気を取られることが無くなったせいか、自分の持つ能力を最大限発揮できるようにもなった。周りからも重要視されるようになり、周りも僕を必要としてくれるようになった。これまではいつも空気のような扱われ方だったのが、今では僕を取り巻く状況が僕を中心に動き始めるようになった。

僕はやっと、自分の足で、自分の意思で、自分の人生を歩けるようになりました。人生とは運命に翻弄されるものではなく、自分次第で変えられるもの。今の僕なら、ハッキリと「人生は刺激に満ちた面白いものだ」と言うことが出来ます。


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