嫌な出来事をいつまでも引きずってしまうこと、ありませんか?
人から傷つくことを言われていつまでも気にしてしまったり、または他人が人として間違ってる行為をしてそれが許せなかったりとか、そういったことをいつまでも気にしてしまうことってありませんか?
そういう時っていつまでも心が晴れなくて、ホント嫌ですよね。
酷い時には仕事や日常生活にも支障をきたしたり、それが原因で心の病気になってしまうことさえあります。
どうやったら嫌な出来事を引きずらなくて済むようになるのでしょうか。
ということで、僕の経験を交えながら「嫌な出来事を引きずらない方法」について話していきますね。
僕の話をインストールしてもらえば、あなたのものごとの見方は変わり、きっと嫌な出来事を引きずることもずいぶん少なくなるはずです。
嫌な出来事を引きずっても、何も良いことは無い
話をする前に、ちょっと僕個人の愚痴に付き合ってもらってもいいですか?
世の中にはマナーが悪いというか、礼儀を知らないというか、他人のことを考えない人ってホントいますよね。
先日僕は雨の中バイクを走らせていたんですが、車のマナーの悪さに危うく1日に2度も事故を起こしかけて、かなり不愉快な気分になってしまいました。
まず1度目ですが、雨の中バイクを走らせていると、僕の後ろをずっと付いてくる車がいました。
しばらく僕の後ろを走っていたのですが、気づくと前方にかなり大きな水溜りが見えてきました。
そして水溜りにさしかかると、後ろの車が突然急加速をし始め、僕を追い抜いていきました。
そのせいで僕は前方が全く見えなくなるほどの返り水をあび、転びかけて思わず急ブレーキをかけてしまいました。
危ないなぁと思いつつ今度は交差点を右折しようとしたのですが、その日は大渋滞していました。
対向車線の車は交差点の手前で前に進めず停車していたのですが、僕が右折しようとすると停止していた車が急に進み始め、僕の進路を阻むように止まりました。
相手の車は交差点に進入しても、前は渋滞しているので進むことはできません。
なので前に進んでも交差点のど真ん中で止まるしかないんです。
僕は右折することができず、また相手も前に進むこともできず、僕と相手の車はお見合い状態になってしまいました。
これが立て続けだったので、さすがに気分が悪くなってしまいました。
みなさんも車やバイクに限らず、他人の態度や行動によって腹を立てたり気分を害したりテンションが下がったり、そういったことはありませんか?
気分が悪くなるかもしれませんが、その時のことをちょっとだけ思い出してみてもらえますか?
……
……
思い出してもらえましたか?
その時の気分や心の状態はどうでしたか?
そしてその不快な気分は、その後のあなたの行動にどのような影響を与えましたか?
いい影響を与えてくれましたか?
それともその後のあなたの予定や行動を面白くないものにしてしまいましたか?
もうお分かりとは思いますが、他人の行動によってあなたが気分を害したところで、何もいいことないですよね。
しかも場合によってはいつまでも悪い気分を引きずってしまい、その後の仕事や楽しみにしていたこと・心や行動にも想像以上に大きな影響を与えているのです。
他人の態度や行動に腹を立てることによって、あなたの人生におけるパフォーマンスや質は確実に落ち、場合によってはあなたの人生すら台無しにしかねないのです。
僕らは常に、自分の外にあるものから影響を受け続けて生きています。
その影響は、良い影響もあれば、悪い影響の時もあります。
そして悪い影響を受けた時、つまり嫌な気分になってしまった時、人というのはなかなか気持ちを切り替えることができません。
ほとんどの人がいつまでもズルズル引きずってしまうのです。
でも人生は一度きり、そんなことで人生を台無しにするのなんてもったいなさ過ぎませんか?
「悪意がある」と誰が判断した!?
では自分の外側から受けた悪影響、つまり自分が嫌だと感じた不快な感情をどうやって自分の中で受け止め消化していけばいいんでしょうか。
実は他人から受けた言葉や態度・行動、これに対し「悪意がある」と判断しているのは他でもないあなた自身なんです。
もちろん他人があなたに対し、悪意を持って言葉を投げつけたり、悪意を持ってあなたを攻撃してきている場合も当然あると思いますよ。
でも最終的に、相手の行動に対し「悪意がある」と判断したのはあなた自身なんです。
あなたのこれまでの人生経験や価値観、あなた自身の思い込みやあなたの都合をもとに、「この行動には悪意がある」とあなた自身が意味づけしているんです。
例えば今朝僕がバイクで走ってる時に車の運転手から受けたこと、わざと水をかけられたり、わざと道をふさがれたりしたこと、これって本当に「わざと」やったんでしょうか?
いえ、「わざとやった」と判断したのは僕自身なんです。
もしかしたら水をかけた運転手は水溜りが見えてなかっただけかもしれず、普段はものすごく優しい人なんだけどちょっとうっかり屋さんなだけかもしれません。
道をふさいだ車の運転手も、もしかしたら人生を左右するような大きな問題を抱えており、精神的にいっぱいいっぱいになってて前が見えてなかっただけかもしれません。
どちらも悪意があるのか無いのかなんて分かりません。
僕が勝手に自分都合で想像しただけなんですよね。
相手に悪意があるかどうかを決めていたのは他の誰でも無い、自分自身だったんです。
ものごとの本質はどこにある?
でもこういうことを言うと、中には「どんな理由があろうと悪いことは悪いことだし、わざとじゃなかったら他人を傷つけたっていいのか!? どんな理由があろうと悪は悪だ!!」という人もいると思います。
確かに僕もその通りだと思います。
でもね、ここに大きな落とし穴があるんです。
実は「ものごとの本質」というのは、正義や悪などどちらかに偏りすぎてると見失ってしまうんです
例えばものすごく正義感の強い人がいるとします。
まさに正義の塊のような人で、小さな悪も絶対許せないような人です。
この人の目の前で小さな子供が、友達のゲームソフトを盗んだとします。
正義の人はそれを決して見逃しません。
子供に説教をし、ゲームソフトを友達に返させました。
盗んだ子供は途中、言い訳をしていたのですが、どんな理由があろうとやった行為は悪いことなので、言い訳は聞き入れられることはありませんでした。
これについてどう思います?
確かに人のものを盗むのは悪いことです。
どんな理由があろうと、この子のした行為は悪いことです。
それをこの子供に教えてあげないといけませんよね。
でもね、ここでちょっと考えてみて下さい。
この子は本当に悪意を持って友達のゲームソフトを盗んだんでしょうか。
もしかしたら友達のゲームソフトが自分の持っているソフトと同じで、単に勘違いしてしまっただけなのかもしれません。
またはいつもお互いゲームを貸し借りするような仲で、ついつい断りなくゲームソフトを借りてしまっただけなのかもしれません。
それとも元々このゲームソフトは友達に盗まれたもので、この子はそれを取り返しただけかもしれません。
でも極端に正義に偏りすぎていると、どんな理由があろうと盗む行為は悪だとしか考えられず、その理由やその背景にある事情などが目に入らなくなってしまうのです。
子供が一生懸命言い訳(説明)しようとしても、「とにかくやったことは悪いことだ」の一点張りで、事情を聞き入れる隙など一切無くなってしまうのです。
つまり極端に正義に偏りすぎてしまうと、極端に視野が狭くなってしまうのです。
反対に、極端に悪に偏りすぎた時も同じです。
そしてこれは正義・悪に限らず、あらゆることに言えるんです。
どんなことでも、どちらか一方に偏れば偏るほど視野はどんどん狭くなっていくのです。
嫌な出来事を引きずらないためには…
どちらかに偏りすぎると視野が狭くなってしまう、なら視野を広げるにはどうすればいいか。
それはどちらにも偏らない位置、
つまり「真ん中あたりのポジションにいること」です。
視野を広げ、全てを冷静に見渡すことができるのは、どちらにも偏らずできるだけ真ん中あたりにいることです。
思いっきり片方に寄ってしまうと、それ以外の価値観を一切認めることができなくなるのです。
さきほど出てきた正義の人がそうですよね。
全てを受け止め冷静に分析できるのは、真ん中あたりなのです。
真ん中あたりにいないと目の前のことすら見えなくなり、ものごとの本質を見失ってしまうのです。
これからは、心の状態を常に「どちらにも偏らない、真ん中あたりの位置」に置くようにしてみてください。
人は目の前のことに対し、「善・悪、良い・悪い」の判断を無意識にしてしまうものです。
する必要が無くても、つい自分の中で良いか悪いかの判断をし、悪いと判断したものに対し批判的な目を向けてしまうのです。
それが特に自分に対してされたもの、自分に対する暴言や嫌がらせだと一気に不快な気分になってしまい、その行為が許せなくなってしまいます。
でも心が真ん中あたりの位置にあると、無駄に善悪の判断などをしなくなるんです。
そして単純な善悪の二元論で捉えなくなると被害者意識も無くなっていき、相手を許す心の余裕なんかも生まれてくるのです。
そして何より自分に起こった嫌な出来事を引きずらないようになるので、心が常によりベストな状態になり、何をするにしても上手くいくようになるのです。
心が暗~く重~い状態だと、何をやっても楽しくありませんよね。
気分が良いときの方が、仕事にしろ勉強にしろ確実にはかどりますよね。
何かにつまずいても、立ち直りも断然早いですよね。
長い人生の中には、嫌なこと・不愉快なこと・いろいろあります。
しかし心を善・悪どちらかに偏らせず真ん中に持ってくると、視野は広がり、心にも余裕が生まれ、自分が受けた(と感じた)不愉快なことを自分の中で消化できるようになります。
そして嫌なことがあっても気持ちの切り替えが簡単にできるようになるので、常に心が良い状態になるのです。
そうすると全てが上手くいくようになり始めます。
被害者意識が無くなれば、嫌な出来事を引きずることも無くなります。
仕事や勉強のパフォーマンスも上がり、周りとの人間関係も良くなる、人生そのものが良くなっていくのです。
メッセージ
このブログは誰かを救う
匿名さん、コメントありがとうございます。
「このブログは誰かを救う」
僕にはもったいない言葉です。
でもありがたく受け取らせていただきますね(笑)
僕は長い間、人間関係で苦しみ続けてきました。
でも周りに助けられながら、人生を変えることが出来ました。
そして今度は、僕自身の番だと思っています。
これまで与えてもらってばかりだった立場から、与える側にまわりたい、そう思ってこのブログを始めました。
僕自身、まだまだ未熟です。
そして、まだまだ道半ばです。
でもこれまでに自分の得た経験をこうしてブログなどで伝えることによって、誰かの人生を変えるヒントやきっかけになれたら…そう思いながら文章を綴っています。
もっともっと周りに良い影響を与えられるような人間になるべく、これからも精進していきますね。
ありがとうございました。
仁より
今人生の暗黒期であろう私が少し救われました。毎日辛くて、引きこもってしまいます。
この項目ではないですが、「失敗を感情でとらえないで単なる事実としてもらえる」と言う言葉にはハッとさせられるものがありました。少しずつ、現実をみて、前を向きます。
ありがとうございました。
マルさん、メッセージありがとうございます。
以前の僕は、とても感情的な人間でした。
ただ感情的といっても、自分の感情はほとんど表に出さない。
自分の思いや考えを、ほとんど口にしない。
表面上は、感情を持たない無口な人間。
でも心の中は常に、激しい感情の波が渦巻いていました。
これまでずっと僕は、感情に揺さぶられながら生きてきました。
感情をコントロールできず、冷静で正常な思考が出来ない…
そんな僕がたどり着いた答えが、「失敗を感情でとらえないで、単なる事実としてとらえる」です。
とはいっても、もちろん僕は「自分の思いを無視しろ」とか「自分の感情を押し殺せ」なんて言っているわけではありません。
むしろ自分の感情を押し殺せば押し殺すほど、感情のコントロールが出来なくなり、冷静さを失っていきます。
まずは自分自身のことを理解してあげることが必要なのではないかと思います。
自分の思いや気持ちに気づいてあげる、自分の思いを否定せず受け止め、理解してあげる。
そうやって自分を理解してあげ、心を落ち着けた状態で、ものごとを感情ではなく単なる事実として観察する。
自分で勝手な意味付けをせず、出来事を単なる「起こった事実」として受け止める。
マルさん、今もつらい毎日が続いているかもしれません。
僕がマルさんの答えを見つけてあげることは、出来ないかもしれません。
でも、共に悩み、共に歩んでいくことは出来ます。
何かあれば、遠慮なくまたメッセージを下さい。
僕はいつでもここにいますから。
仁より