「もしかしたら俺は明日死ぬかもしれない」
「今日限りの命かもしれない」
これまでの人生の中で、そう考えたことはありませんか?
生きられる時間は限られている、だから一日一日を大切にしよう、今この瞬間を精一杯生きよう。
こういった考え方、僕は良いと思います。
自分が今一番すべき事、大切にすべき人、そういったことと真正面から向き合い、今すぐ実行に移していく。
とても良いことだと思います。
ただ、大きなデメリットにあなたはちゃんと気付いていますか?
もし気付いていないのであれば、こういった考え方はやめてしまうことをお勧めします。
なぜなら、あなたの人生をダメにしてしまうからです。
「今日限りの命」という考えは”もろ刃の剣”
僕の周りにもこういった考え方をする人がいます。
こういう人たちは共通して決断力があり、行動も早く、充実した毎日を送っているように見えます。
しかし実は、もう一つ共通した部分があるのです。
その共通した部分とは、「視野が狭いこと」なんです。
実は昔の僕も
「俺は明日には死んでいるかもしれない。今日で本当に人生が終わるかもしれない。だからいつ死んでも悔いが残らないよう今自分が出来ることを精一杯やらなければ…」
そう考えながら生きていました。
それも例え話ではなく、かなり本気で。
もしこの瞬間自分の命が終わってしまうとしたら…
そう考えると、普段の自分がいかに取るに足らないことに日々とらわれているか、いかに自分が真に望むことが出来てないか、そういったことに気づけるようになります。
自分にとって本当に大切なもの、大事なことが見えてくるのです。
しかしこの考え方には、先ほども言ったようにデメリットがあります。
この考えを突き詰めすぎると、逆に大切なもの以外が見えなくなってしまうのです。
大切なものだけに意識を集中しすぎるあまり、周囲の状況が目に入らなくなり、冷静な判断が出来なくなってしまうのです。
また以前の僕は毎日「俺の命は今日限りの命だと思え」と自分に言い聞かせ、自分のすべきことを全力でやっていたのですが、たった一日で出来ることなんてたかが知れてます。
はっきり言って出来ないことだらけです。
その結果僕は、何も満足に出来ない自分を責め、自ら自分を追い詰めてしまいました。
「今日限りの命」というのは、あくまで「例え話」として捉えなければならないんです。
状況によっては、本当に今日が最後の命になることももちろんあるでしょうが、明日死ぬかどうかも分からないのに生きている内から本気で思うことなんて誰にもできないのです。
逆に本気で思えば思うほど視野は狭くなり、「今日一日の命」という切迫した期限を設けることにより感情のコントロールを失い、冷静な判断ができなくなってしまうのです。
「今日限りの命」というのは、大切なものが見えてくると同時にそれ以外のものが見えなくなるという、いわば「諸刃の剣」のようなもの。
こういった考え方をする限り、自分や自分の周りの人間が幸せになれるような人生を送ることは逆に難しくなってしまうのです。
ではどうすれば「自分が本当に大切なものを見失わず、なおかつ常に冷静な判断も出来る」、そんな生き方ができるのでしょうか。
そのためには「今日限りの命だと思え」と自分を追い込むのではなく、違う覚悟をする必要があるんです。
後半へ続く↓↓
その覚悟とは…
「明日には俺は死んでいるかも…今日限りの命かもしれない…」
そうやって命の期限を設けて自分を意図的に追い込む考え方は、自分にとって本当に大切なものを気付かせ、自分が今やるべきことをやる決断力や行動力を上げてくれる。
でも反面、逆に視野がどんどん狭くなっていき、感情のコントロールを失い冷静な判断が出来なくなる、いわば諸刃の剣。
自分が本当に大切なものを見失わず、なおかつ常に冷静な判断をするには、どうすればいか?
そのためには、「今日限りの命」という考え方ではなく、実は違う覚悟が必要なんです。
では、その”違う覚悟”とは、一体どんな覚悟なのか?
もしあなたがこの覚悟をすることが出来れば、あなたの今抱えている現実、そしてあなたの人生そのものが変わります。
その覚悟とは、「自分と共に生き、自分と共に死ぬ覚悟」です。
もちろんあなたに「死ね」と言ってるわけじゃありませんよ。
「自分と共に生き、共に死ぬ覚悟」とは、簡単に言うと「恐れを退け、感情をニュートラルにすること」です。
「どうせ人間なんていつか死ぬんだから」
と投げやりになったり希望を捨てろってことではありませんよ。
人間の思考や行動というのは、人生において「どうすれば不安を無くすことが出来るか、どうすれば安心が得られるか」ということを中心に組み立てられています。
つまり「不安=恐れの感情」によって自分の考えや行動が決められていくのです。
例えば人間はなぜ仕事をするのですか?
こう聞かれると、その答えは人それぞれあると思いますが、その根底には共通して「経済的不安を無くすため」という理由があります。
働いてお金を稼がないと、ご飯も食べれない、服も買えない、家に住むこともできないですもんね。
また人は集団を作って生活をします。
なぜ集団で生活するのかというと、その方が安全だからです。
昔の原始時代でいえば、弱い人間が生き残るためには集団でいる方が生き残れる確率は上がります。
現代社会でも、一人よりみんなで知恵を絞って力を合わせた方が、ずっと良い生活ができます。
またみんなと同じことをしていた方が、大きな失敗をする確率が低くなる、安全だと考えるからこそ人間は集団を作るんです。
このように人間の思考や行動は、基本的に不安=恐れの感情を基準に組み立てられているのです。
そしてこの「恐れの感情」に強く揺さぶられてしまうと、動揺し感情が乱れ始め、冷静な判断もできなくなってしまうのです。
もちろん恐怖心というのは人間の本能に備わっているもの、命を守るためには無くてはならない大切な機能であり、無くすことなど出来ません。
だから恐怖心を無くそう、無理矢理押さえ込もうとするのではなく、自分の中にある恐れの心とどう向き合っていくかがポイントになってくるのです。
では恐れの心と上手く付き合いコントロールしていくには、一体どうすればいいのでしょうか。
恐れの心と向き合いコントロールするには
恐れの心と向き合うために、まず最初にしていかなければならないこと、それは「自分の弱い部分に気付き、受け入れること」です。
自分の弱い部分、苦手なこと、いわゆる自分のダメな部分というのはなかなか認めたくないですよね。
口では認めることはできても心のどこかではそれを認めたくない気持ち、ダメな自分を否定してしまう気持ちを持ってしまうものです。
また、目に見えて分かるようなことなら気付くことはできるのですが、これが目に見えないものになってくると認めるどころか気付くことすらできないこともよくあります。
例えば人と一緒にいたり話をしている時、ついカッとなってしまったり、焦ってしまったり、気分が落ち込んでしまうことってありませんか?
または人の成功や幸せを素直に喜んであげられなかったり、人の失敗を見て見下してしまうような気持ちになってしまったり。
こういった感情はなぜ生まれてくるんだと思います?
実はその根っこを掘り下げていくと、そこには劣等感があったり、または自分のことを見てもらいたい・認めてもらいたい・理解してもらいたいといった思いが存在していたりします。
あなたも自分の感情が乱れた時のことを、ちょっと今思い出してもらえますか??
焦ったり、慌ててしまったり、または怒りの感情が込み上げてきたり情けない気持ちになってしまったり…そんな気持ちになってしまった時のことを思い出してみてください。
そしてなぜ感情が乱れたのか、なぜそのような気持ちになったのか、ゆっくり落ち着いて掘り下げていってみて下さい。
……
……
……やってもらえました??
おそらくその根っこにはネガティブな感情があったんじゃないでしょうか。
否定したくなるような感情なんかも見つかったんじゃないでしょうか。
で、そのネガティブな感情、否定しないで下さい。
「俺の中には自分に対するこんなネガティブな考え・思いがあるんだ」と、そのまま受け止めてあげるのです。
誰しもネガティブな部分というのを持っています。
100%ポジティブな人なんていません。
みんな自分の中に「認めたくない自分」がいるのです。
でもそれが人間なんです。
だから否定する必要なんて全く無いんです。
そのままのあなたでいいんです。
自分の弱い部分・認めたくない部分に気付いてあげて、そのまま受け入れてあげるのです。
そしてそんな弱い部分を持った自分と共に生きていく覚悟をするのです。
人生でぶつかる壁や問題に対し、今の自分と共に戦っていくんだと腹をくくるのです。
自分と共に生き共に死ぬ覚悟とは、どんなことがあっても自分を見捨てない、自分と共に戦っていくんだと腹をくくることなのです。
覚悟を決める方法
覚悟が決まれば全てが変わり始めます。
覚悟を決めることにより、目の前の景色が変わり、行動も変わり始めます。
そしてあなたを取り巻く周囲や状況も変わり始め、やがて現実や人生そのものが変わり始めます。
まさに全てが変わるのです。
しかし覚悟というのは、決めようと思ってもなかなか決まるものではありません。
ここで、みんながよく勘違いしていることがあるのですが、覚悟が決まれば行動が変わる、つまり「覚悟」があってその後に「行動」が来ると普通考えますが、実は覚悟を作り上げているのは行動なんです。
自分の1つ1つの行動が少しずつ覚悟を作っていくのです。
これは信念なんかも同じですね。
実は信念も、自分の行動を通して作られていくものなんです。
つまり、自らの行動によって自分自身に覚悟や信念を示してあげる、自分自身に身をもって示してあげることによって覚悟や信念は自分の中に作られていくのです。
分かりやすく言えば、例えば今まで鉄棒の逆上がりが出来なかったとします。
でも練習した結果、とうとう出来るようになりました。
するとこれまで「俺には逆上がりは出来っこない」という思い込みが、実際に逆上がりが出来ることを自分に示してあげることによって「俺は逆上がりが出来る実力があるんだ」という自分への信頼・自信へと変わります。
他人に対してだけでなく、自分に対しても同じように行動をもって示してあげなければならないのです。
そのためには自分が怖いと思うものに対して飛び込む勇気が必要です。
あなたにとって怖いものって何ですか??
あなたの思考や行動に影響を与え、あなたの自由な意思決定を捻じ曲げてしまうようなもの。
恐れているものは人によって違うと思いますが、全ての問題の根底には「人間関係に対する恐れ」というものがあります。
単に怖い人がいるって場合もありますし、以前の僕は
「結果を出せなかったら、みんなからダメな人間だと思われるんじゃないか」
「こんなことをしたら(言ったら)、相手の機嫌が悪くなるんじゃないだろうか」
みたいに、いつも人の目を気にしながら生きてきました。
常に他人の価値観や基準に合わせ、自分の考えより他人の考えを重要視してものごとを決めていました。
あなたはどうですか??
ちゃんと自分を信頼してあげられてますか??
信頼とは「信じ、頼りにする」と書きます。
自分を信頼し、自分が恐れているものに対し勇気を持って飛び込むのです。
こういうことを言うと、「怖いからこそ飛び込めないんじゃないか」と言う人もいると思います。
ではなぜそんなにも怖いのでしょうか。
それは「飛び込まない」からです。
怖いから飛び込めないんじゃなくて、飛び込まないから余計怖いのです。
怖くて目をそらすからあれこれ想像してしまい、余計恐怖心が大きくなっていくのです。
もちろん僕はあなたの怖がっているものが何なのか分からないので、いきなり飛び込めなんて言いませんよ。
例えばプールで10mのジャンプ台から跳べといわれれば、大抵の人は怖くて跳べませんよね。
僕も、とてもじゃないですが怖くて跳べません。
でも1mのとこから跳べと言われれば、勇気を出せば跳べるんじゃないでしょうか。
1mに慣れてくれば、頑張れば2mもおそらくみんな跳べるんじゃないかと思います。
これを繰り返していけば最後は10m、いやもっと高いとこからでも跳べるかもしれません。
逆に、無謀な勇気でいきなり10mから跳んで大怪我でもすれば、それこそ取り返しの付かないことにもなりますし、これがトラウマとなってこの先二度と跳ぶことが出来なくなってしまうかもしれません。
少しずつチャレンジしていって自分に対する信頼を徐々に高めていけばいいのです。
少しずつ自分に対して「大丈夫なんだよ」ということを行動で示していってあげればいいのです。
最後に
人生というものは、自分を信じてあげられるかどうかで全てが決まってきます。
もちろん「自信過剰になれ」とか言ってるわけじゃありませんよ。
自分の良いところ・ダメなところ・全てひっくるめて認めてあげる、受け入れてあげる、そしてそんな自分と共に人生を生きていくんだと覚悟を決める。
自分を信じ、どんな時でも自分を見捨てたり見放したりしないと自分に宣言してあげる。
そうやって自分を肯定してあげることが、幸せな人生を送るための唯一の方法なんです。
どんなに大きな社会的成功を収めようと、どんなに多くの仲間に囲まれていようと、自分を信じることができない人や自分を嫌いな人の心は孤独で寂しいものです。
心から安らぐこともできないし、どんなに豊かになっても幸せを感じることはありません。
どんなことがあっても自分を否定しないでください。
もちろん人生には反省することも必要です。
上手くいかなければ改善していくことも必要です。
成長していくためには努力も必要です。
でもどんなことがあろうと自分自身を否定しないでください。
あなたにとっての一番の味方はあなた自身です。
あなたのことを一番理解してくれているのはあなた自身です。
だからあなたがあなた自身を理解してあげて力になってあげてください。
自分を信じてあげることによって、人生は変わります。
メッセージ