周りの人間を見ていて、「もったいない」と思うことがある。
何がもったいないかというと、エネルギーの使い方だ。
みんな分かっているとは思うが、僕らに与えられた時間は有限だ。
僕らはみんな例外無く、いつかは死ぬ。
つまり命には、期限がある。
若い人には感覚的にピンと来ないかもしれないが、年齢を重ねるごとに僕は死がリアルに近づいてくるのを肌で感じている。
そして、死は突然やって来る。
若いからといって、時間が多く残されているというわけでもない。
あなたに残されている時間がまだタップリあるとも、限らない。
はっきり言おう。
残された時間は限られている、時間は有限であるのに、みんなどうでもいいことに囚われ過ぎだ。無駄なことに気を取られ過ぎてしまい、なすべきことが疎かになってしまっている。
人生が前に進まない原因
今のあなたがすべきこととは、一体何だろうか?
よく考えてみてくれ。
もし具体的な目標や目的、またはやりたいこと・やるべきことがあるなら、あなたはそれに集中出来ているだろうか?長期的な目標・もしくは目の前の目標、または将来的にやりたいこと・今現在やっていること…
何でもいい、自分がやろうとしていること・やるべきことに、自分の意識を集中させることが出来ているか?自分のエネルギーを最大限注ぎ込むことが出来ているか?
多くの人が自分のやるべきことにではなく、それ以外のことにエネルギーを使い過ぎてしまっている。
例えば何かをしようとすると、外野から邪魔が入ることがよくある。せっかくやる気になっているのに、関係の無い人間が批判をしてきたり、単なる興味本位のアドバイスによってかき乱してきたりと、あなたの作業の手を止めさせようとしてくる人間がいる。
そして多くの人が、そういった類の人間をまともに相手してしまっている。
自分のやるべきことにではなく、自分の周りに発生したノイズ(雑音)への対応に、大切なエネルギーを消費している。
だから、やるべきことに注ぐためのエネルギーが残らない。
だから、中途半端な結果しか出せない。
はっきり言って、僕らの周りは常に無駄なノイズで満ち溢れている。僕らの足を引っ張る雑音を発生させる人間が、そこら中に溢れている。
いいか。
そんなノイズなど、無視するんだ。
相手にすればするほど、向こうは面白がってますますノイズを発生させてくる。
あなたの足を引っ張りかき乱してくる批判や興味本位のアドバイスは、いわゆる蚊やコバエと同じだ。美味しそうな臭いを嗅ぎつければ、どんどん集まってくる。
例えばあなたがある夏の夜に寝ていると、蚊が飛んできたとする。真っ暗な中、プ~ンと高い音を立てながら何度も耳元で飛び回る。
イライラしたあなたは、耳元で蚊の飛ぶ音が鳴った瞬間、蚊ごと自分の顔を叩く。
でも、なかなか叩き潰せない。
「意地でも叩き潰してやる!」
頭に血が上ったあなたは蚊を潰すことに執念を燃やし続け、気づけば朝を迎えていた…
あなたの邪魔をし手を止めさせるノイズは、この蚊と同じだ。
今のこの日本では、アフリカなどのように蚊が大量発生することも無ければ、蚊に刺されることによって死んでしまうことも、ほぼ無い。刺されても大した問題など何も起こらないのに、蚊を退治することばかりに気を取られ、本来の目的であるはずの”睡眠”が疎かになってしまう。
これは僕らの生活の全般について、言えること。
家庭、学校、職場、その他の生活全般で、人から気に障ることをされたり言われたり、またはちょっとしたことでイライラしたりなど、小さなことで怒ったり落ち込んだりしてないだろうか?
よく考えてみてくれ。
それらのことは、あなたの人生にどのような関係があるだろうか?
あなたの目標や目的、またはやりたいこと・やろうとしていることに、果たして大きな影響を与えることだろうか?
ほぼ関係無いはずだ。
何ら重要なことではないはずだ。
本当にどうでもいいことばかりに気を取られ、みんな自分の人生を生きていない。
でも、それら「自分の人生にとって全く重要でないこと」のために、残念ながら僕らは日々多大なエネルギーを注ぎ込んでいる。人生の目的や目標にとってどうでもいいことで頭の中をいっぱいにし、限りある貴重な時間を無駄に費やしている。
いいか。
自分の貴重なエネルギー・時間を無駄なことに消費するのを、今日限りでやめるんだ。
自分のやるべきことを決めたなら、それを出来る限り目に見える状態にして、常に意識し続けろ。
やるべきことに自分の出来る限りのエネルギーを注ぎ、それ以外のことにはもうエネルギーを使うな。
くだらない外野の野次は、全てシャットアウトしろ。
ヤツらの野次は、実は単なる暇つぶしだ。
暇人の時間つぶしに付き合っている暇などない、あなたはあなたのやるべき大事なことだけに意識を集中するんだ。
そうすれば、あなたの人生は必ず動き始める。
やるべきことにエネルギーを注ぎ集中すればするほど、人生は加速し始める。
もう一度言う。
人生の時間は有限だ。
僕らの命には、期限がある。
自分のエネルギーを分散してばかりいては、何も成し遂げることは出来ない。
中途半端な生き方なんてするな。
自分の人生を、全力で生きるんだ。
やるべきことに狙いを定め、それに向かってあなたの中にある全ての力をぶつけるんだ。
きっと、人生が変わる。
メッセージ
仁様
お久しぶりです。ナオカと申します。以前「怒られる人にはワケがある」のカテゴリーで、ご相談させていただきました。
あの時は本当にありがとうございました。仁様のコメントにどれだけ励まされたか、どれだけ救っていただいたか。
Aさんという上司から執拗な嫌がらせやパワハラを受け、鬱傾向になり、今年の1月から異動になりました。
仕事は高齢者の入所施設の看護師をしており、以前のようなケアマネージャーとは別世界の仕事で落ち込んでばかりですが、どうにかこうにか続けています。
今の職場でも苦手な人ももちろんいます。
そんな時仁様から頂いたアドバイスやブログを参考にして、対処しています。
苦手な人と同じくらい普通の日常の会話が出来る事が嬉しいです。
特別仲良しの同僚がいる、とかはないのですが。
仕事が大変な時に少し愚痴が言える相手ができたこの喜び。
普通に話をすると、会話になり時にはその話を広げてくれて、笑いになる事もあり、その事が本当に嬉しいです。口数も増え、自信が少しずつ身につけているのがわかります。
そんな時、、。
本日同じ法人内の以前の部署のAさんと課長が来ました。
やはり本人を目の前にすると、あの頃のトラウマが蘇り、逃げるようにその場を去りました。
かなり動揺しました。
やはり自分の中では割り切っているつもりでしたが、、。
Aさんを目の前にすると対峙出来ませんでした。挨拶も出来ませんでした。
色々な思いが蘇りました。
その当時の悲しみ、辛さ、苦しさ、やるせなさ、、。ぐちゃぐちゃ、ドロドロした思い。
いつか忘れて前に進める時がきてほしいです。
とりとめのない文章で毎度すみません。
読んでいただきありがとうございました!
ナオカさん、お久しぶりです。仁です。
またまた返事が遅くなってしまい、いつもすみません。
焦る必要無いですよ!
僕も同じく、苦手な相手や会いたくない人間はやっぱり未だにいますよ。特に社会人になりたての新人の頃なんかは、怖い上司や苦手な先輩から逃げまくってましたから(笑)あの頃の僕が当時の怖い上司と真正面から向き合い続けてたら、多分鬱とかになってたんじゃないかと思います。
もちろん嫌なことからはとにかく逃げればいい、とは思いません。嫌なことや辛いことと立ち向かい、それを乗り越えていくんだという気持ちは持ち続けるべきだし、そのための努力も自分の出来る範囲で続けていくべきだと思います。
僕もこれまで人間関係では、ずいぶん苦しんできました。幼少期の頃から気の弱いところがあり、自信が持てず、人の目ばかり気にし、心の中では常に小動物のようにビクビクしながら生きてきました。そんな自分を変えたい、そう思いながらも変えられずに長い間生きてきました。
でも諦めることなく「どうすれば自分を変えられるだろうか?どうすれば現状を変えることが出来るだろうか?」というのをずっと考え続け、そのための方法を求め続けた結果、突然そのきっかけが訪れました。
僕はこれまで自分の人生が上手くいかない原因を、どこか心の中で常に他人や環境のせいにしてきました。「もっと周りが協力してくれたら…もっと僕が恵まれた環境にいたなら…」そんな、周りが変わってくれることばかりを期待し、周りに依存しながら生きてきました。でも結局周りは、僕に都合良く変わってくれるわけなどない。僕が変わらないと何も始まらない。逆に僕が変わったなら、僕を取り巻く全てのものがきっと変わるはず。依存すべきは他人にではなく自分自身、最も頼りにし期待すべきは周りの人間ではなく自分自身。
僕はこれまで自分を否定ばかりし、散々自分のことを見捨ててきました。でも「人生を変えたいのであれば、自分を信じ自分の可能性に賭けなくてどうする!」そう本気で思うようになった時から、突然自分を変えるためのヒントや方法が現れ始めました。あれだけ上手くいかなかった人生が、突然動き出しました。
人生において乗り越えるべき課題、または辛いことや苦しいことというのは、それを乗り越えられる然るべきタイミングが必ずあります。僕はブログで偉そうなことを言ってますが、思うようにいかないことはそれこそいっぱいあります。でも上手くいかなかったからと言って、反省はしても落ち込むことはありません。なぜなら努力し続ければ、道が開けるタイミングが必ず訪れると経験から知っているからです。「今は上手くいかなくても、俺なら必ず出来る」と心から信じているからです。
だからどんなに頑張っても上手くいかない時は、撤退することもあります。諦めるのではなく、一時撤退です。「勇気ある撤退」という言葉がありますが、その時の感情に流されず、一旦体制を整えるために撤退するのです。そして心を整え、チャンスがあればまたチャレンジする。
>やはり本人を目の前にすると、あの頃のトラウマが蘇り、逃げるようにその場を去りました。
そう言っておられますが、それでいいんです。今はまだナオカさんの中でAさんたちと向き合う体制が整ってなかったということですから、今無理してAさんたちと向き合ってしまえば余計に感情的になってしまうだけです。それを直感で感じ取ってその場を離れたナオカさんの判断は、正しいと思います。本当はAさんたちから逃げずに向き合いたかったかもしれませんが、ナオカさんの行動はまさに勇気ある撤退です。決して間違ってないと思います。
ご参考になるか分かりませんが、もし僕が二度と会いたくないぐらい苦手な相手がいたとして、仮にその相手と落ち着いて向き合えないのであれば、まずは相手と極力接することなく撤退します。そして自分の中で「今度その相手と会った時、どのように接するか?」というのを何度も何度も頭の中でシミュレーションし、いつでもその行動が出来るようにしっかりと自分の中で予行演習を繰り返しておきます。そして例えばAさんみたいな相手であれば、次に会った時は必ず先手を取ります。具体的には、先に話しかけます。話しかけると言ってももちろん恐る恐る話しかけるのではなく、胸を張り、相手の目を真っすぐ見据えながら、自信に満ち溢れた満面の笑みで、相手が少し驚くぐらいの大きな声で「おはようございます」とか「お疲れ様です」といった挨拶をこちらからいきなり仕掛けます。またはちょっとひねりを加えて、いきなり背後からすごく明るい声で元気よく突然声をかけたりします。すると相手は少し驚くはずです。そして相手が内心焦って挨拶を返そうとしても、それを待ってあげることもなくサッサと去っていく。つまり相手の虚を突き、しかも相手のペースに合わせない。「こっちは仕事が忙しくて、あなたとゆっくり話してあげる暇なんて無いんだよ」と言わんばかりの態度で去っていく。そうやって自分のペースに相手を引きずり込みます。
理想を言えば、眼力やオーラ・雰囲気だけで相手を抑え込めるぐらい出来ればいいんですが、いきなり最初からは難しいと思います。であれば、今話したように僕なら相手の虚を突き、勢いで相手の心に揺さぶりをかけていきます。
それで、仮に相手がグチグチ小声で文句を言うようなタイプなら、それよりも大きな声と鋭い口調で話し、逆に大きな声で威圧してくるような相手なら落ち着いた冷静な口調で「何をそんなに興奮なさってるんですか?」と言わんばかりに対応します。
自分の感情をコントロールしつつも、相手の感情に揺さぶりをかける。僕は常にそれを意識しています。
何だか最後の方はテクニック的な感じの話になってしまいましたが、焦る必要はありませんよ。今の職場の雰囲気がいいのなら、そこで少しずつ自信を取り戻していけばいい。自分を信じてあげてください。自分の可能性を信じ切ってあげてください。
自分の理想を思い描き、前に進んでいきましょう。
僕もまだまだ理想とする自分になれていませんから(苦笑)、共に頑張っていきましょう。
また遠慮なくメッセージも下さいね。
では。
仁より
私は「あーちゃん」です。違うカテゴリにコメントしました。いつも必ずコメント返しをありがとうございます♪
時間が取れましたのでいろいろな記事を読ませていただいている最中です。どの記事からコメントしようかと思うほど、内容が深いのです。
昔、「俺には俺の生き方がある」という加藤諦三でしたか、仁さんの年代では(失礼ですが)記憶にも残らない時代かもしれませんが。
私はまだその当時16歳でしたが、このシリーズの本を殆ど読みつくしました。
そして、どれだけ勇気を与えられたかわかりませんでした。
あなたのブログは、加藤諦三さんの蘇りのように感じました。
特にこのカテゴリの文章は!
あーちゃんさん、こんにちは。
メッセージありがとうございます、仁です。
加藤諦三さんのことは、大変失礼ですが存じておりませんでしたので、少し調べさせてもらいました。そして調べた結果、なんだかとんでもない人と比較されていることに気づき、さすがに恐縮しまくっています(汗)
もし僕の言葉が加藤諦三さんのおっしゃられていることと似ているのであれば、おそらくそれは僕がどこかで加藤諦三さんからの影響を受けているからだと思います。僕がこのブログで書いている文章は、僕自身の経験などを元に書いていると僕は思っていますが、きっとそうではないと思います。
僕はこれまで加藤諦三さんの本を読んだり言葉を聞いたりしたことはありませんが、加藤諦三さんの教えは多くの媒体や、または加藤諦三さんの考えに感銘を受けた人たちの手によって、きっと多くの人たちに影響を与えてきたはずです。そして僕自身も、その影響をどこかで間違いなく受けている。その教えを直接受けていなくても、他の誰かから間接的に彼の教えを受け取っていると思います。ネットや他の誰かの書いた本や言葉、いろんなものから、加藤諦三さんの教え、そして彼に限らず多くの偉大な先人たちの知恵や教えを受け取った結果、今の僕があるのだと思います。
とは言っても加藤諦三さんをはじめ、多くの先生方と比べていただけるようなレベルに自分がいないことは、僕自身が一番分かっているつもりです。自分の未熟さを日々痛感していますし、当ブログを通じてあーちゃんさんをはじめ本当に多くの人からたくさんの大切なことを教えていただき、学ばせていただいてます。
多分僕のブログ記事、特に初期頃の過去記事になると、かなり読みにくいものや、何が言いたいのか要点が分かりにくいようなものも出てくると思います。もしご意見やご質問があれば、ご遠慮なくおっしゃってください。あと、加藤諦三さんの本、勉強させてもらいます。教えてくださり、ありがとうございます。
では。
仁より
仁さん、あーちゃんですが、加藤諦三さんの本は「俺」シリーズの初期のが一番いいですよ。というのは、その後思想的に暴走されたようで、私も「俺には」というシリーズの最後の方からはついていけなくなりました。
そして加藤諦三さんは一度昔のテレビの番組の「3時のあなた」に出ておられるときに素顔を拝見しましたが、とても正直なお人柄で温厚な人でした。
「俺には俺の生き方がある」という本がベストセラーになって、次々に「俺」シリーズが出版されたのですが、最後の方の本は何かマンネリ化したようにも感じられ、何かしら「無理をして」書いているというか…
昔は原稿用紙でしたしね。
それから俺シリーズがなくなり、違うタイトルで本を出版されましたが、なんだかもうついていけない内容でした。
それでそのころから加藤諦三さんの本は買わないことにしましたよ。
もう、何十年も加藤諦三さんのことは忘れていましたよ。
でも、思春期のある時期に、この方の本と出合えたことが、私の人生のどれだけ恵みになったかわかりません。
あーちゃんさん、加藤諦三さんの詳しい情報をありがとうございます。
仁です。
早速YouTubeで拝見させていただきました(笑)
「俺」シリーズの初期のものですね。ぜひ参考にさせていただきますね。
それにしても、人との出会いや縁というものは、本当に有難いものですね。あーちゃんさんが加藤諦三さんとの出会いによって人生が豊かになったのと同じように、僕にも自分の人生の方向性を決定づけてくれた人との出会いがあります。加藤諦三さんのような有名人ではありませんが、その人との出会いによって、幼少期から苦しんできたチック症や、対人恐怖症による極度のあがり症やストレス性の偏頭痛なども、全て克服することが出来ました。
「人との出会いには、人生そのものを変えてしまうパワーがある」僕は実体験から、そう確信しています。
また良い本があったら、教えてくださいね(笑)
仁より