人前に出ると手足が震えてしまう
喉が締め付けられて声が出なくなる
汗が噴き出して止まらない
息が苦しい
頭が真っ白になり何をしようとしてたのかすら分からなくなる…
この記事に来てくださったということは、あなたはあがり症で悩んでらっしゃるのですね。
その気持ち、痛いほど分かります。
実は昔の僕も、かなりのあがり症でした。
あがり症のせいで人生が思うようにいかず、ずいぶん苦しみました。
今回は僕自身が苦しんだあがり症と、そしてあがり症を克服するきっかけとなった経験について話をしようと思います。
もしこの記事を読んでくださってるあなたにとって、少しでも参考になれば嬉しく思います。
僕があがり症になった原因
人前で何か話さなければならない時、どうしても緊張してしまいますよね。
みんなの視線が気になって話せない…上手く話そうとすればするほど声が上ずって出てこない…そんな時どの様に対処すればいいのでしょうか。
昔の僕は、いわゆる”あがり症”でした。
人前で話そうとすると、初めは手足が震えだし、平衡感覚がおかしくなり始め、話し始めると次第に舌が麻痺したかのように動かなくなっていき、それでも無理して声を出し続けると顎の関節が固まったかのように硬直し、最後は後ろから首を絞め付けられたかのように喉が苦しくなってとうとう声が出なくなる…
挙句の果てに、緊張する場面を想像しただけでも症状が出る始末…
あがり症は、まさに僕の人生を台無しにしてしまう魔物のような存在でした。
でも実は、僕は幼い頃からあがり症だったわけではありません。
幼い頃は人前でもあまり緊張することも無く、どちらかというと堂々と話すことができていたように記憶しています。
それが成長していく過程で自分に対して自信を失っていき、殻に閉じこもるようになり、やがて人前で話せなくなっていきました…
僕があがり症になった原因について掘り下げていくと、様々な要因があるのではないかと思いますが、一番の原因というのははっきりしています。
その原因は子供時代にまで遡るのですが、僕は子供の頃からとても強い自己否定の心を持っていました。
とにかく僕はダメな人間だ、周りのみんなよりも劣っている。
子供時代の僕の口癖は「どうせ僕なんかダメなんだから…」です。
なぜ子供ながらにここまで自己否定の心が強かったのかというと、身内の人間から否定され続けたからです。
何をやっても「そんなんじゃダメだ」。
どんなに頑張っても、どんなに結果を出しても「お前は全然ダメだ」。
褒められた記憶はほとんどありません。
ひたすら”ダメ出し”をされ続けました。
今思えば、もしかすると僕に対して大きな期待をしてくれていたのかもしれません。
「お前ならもっと頑張れる!!」と期待を込めて、あえてダメ出しをしてくれてたのかもしれません。
でも、まだ幼かった僕の心は耐えきれませんでした。
どんなに頑張ってもダメ。
結果を出せたから喜んでくれると思ったのに、またダメ出し。
褒められることもなく、認めてもらえることもなく、ひたすらダメ出しをされ続けた僕は、いつしか「僕は本当にダメな人間なんだ」と思うようになっていきました。
完全に自信を失い、自分がここに存在してもいいのかすら分からなくなってしまいました。
おしゃべりだった幼少期の僕の姿は、小学校の途中から無口で自分からは話しかけないような姿へと変わっていました。
ちなみにこの頃からチック症も表れ始め、このチック症は30代半ばを過ぎた辺りまで僕を苦しめることとなりました。
あがり症克服のきっかけとなった出来事
やがて社会人になり、僕が選んだ仕事は人前で話す仕事でした。
大勢の前でマイクを使ったり地声で話したりする仕事で、あがり症だった僕にはあり得ない仕事を選んだのです。
なぜこんな職業をあえて選んだのかというと、いろいろ理由はあるんですが、そのひとつにあがり症を克服したかったというのがあります。
正直最初はとてもキツかったです。
学生の頃なら、人前で失敗しても許されます。
もちろん大恥をかいてしまいますが。
でも社会人ともなれば、失敗は許されません。
当然恥をかいたというだけでは済まされないです。
僕は自分に対して、あえて高すぎるハードルを設定したのです。
あがり症対策として、自分なりにいろいろ考えました。
人前で話す時、みんなの顔を見ないようにしたり、みんなの顔をジャガイモだと思い込もうとしたり、またはある一点をジーっと見つめながら話したり…いろいろやりました。
社会人としての意識もあったせいか、人前で話すことには何とか多少は慣れはしましたが、喉の奥が詰まるような感覚などは相変わらず全く改善されませんでした。
しかしある時、あがり症を克服するきっかけが突然やって来たのです。
その日は、ある先輩のサブとして手伝いをしていたのですが、突然その先輩から「今からお客さんの前に出て行って案内をしてこい!」と大勢のお客さんたちの前に放り出されたのです。
僕はこれまであがり症だということを誰にも分からないように隠し通してきたので、この先輩ももちろん僕があがり症だなんてことは全く知りません。
もう頭は真っ白です。
しかしミスがあっては取り返しのつかないことになってしまいます。
半ばパニック状態で、僕はお客さんの前に出ました。
すると、50人以上いるお客さんの視線が一斉にザっと僕へと向けられました。
そして、その目線と僕の目線がぶつかってしまったのです。
僕はこれまで人前で話す時、自分に向けられた相手の顔をまともに見たことなど一度もありません。
それがこの時、初めて皆さん一人ひとりの顔を僕はきちんと見つめました。
すると驚いたことに、バクバク鳴っていた僕の心臓が次第に冷静さを取り戻し始めたのです。
これには僕自身本当に驚きました。
みんなの顔を見れば見るほど、頭の中から「別に緊張するほどのことではないんだよ」という声が聞こえてくるかのようでした。
相変わらず手足は震えっぱなしです。
声はいつものように上ずったままです。
でも口は動いてくれました。
喉からもちゃんと声が出てくれました。
とても合格点をもらえるような内容ではありませんでしたが、この日僕は何とか無事、お客さんの前で案内を終えることができたのです。
周りから見れば、下手くそな案内だったかもしれません。
でも僕にとっては奇跡ともいえるような前進です。
僕はこの時、あがり症を克服するきっかけをつかんだのです。
あがり症の正体
あがり症とは、様々な不安が膨らんで表れた症状。
本来”緊張”とは、危険などが身に迫った時、その危険を機敏にかわすために脈拍を上げて身体を通常の状態以上の動きができるようにする、全ての動物に備わっている本能。
しかし不安があまりに大きすぎると異常なまでの緊張状態となり、あがり症などの症状が引き起こされてしまいます。
なぜそこまで不安が膨らんでしまうのか。
不安とは、自分が対処すべきものが漠然(ばくぜん)としていて明らかになっておらず、どう対処すればいいのか、自分の取ろうとしている行動が果たして正しいのか、そういったことが分からないから不安になるのです。
目の前の相手や、自分の置かれた状況が自分自身でよく分かっていないから、自信を持って行動することができず不安になるのです。
さきほどの僕もそうです。
人前で話す時、例えば相手が家族や親しい友人など自分が日頃からよく知っている相手、心を許せるような相手だったらどうでしょう?
おそらくほぼ緊張なんかしませんよね。
昔の僕は、自分が話している相手がどんな人たちなのか分からないから、怖くて緊張してしまっていたのです。
相手のことがよく分からないのに、昔の僕のように相手から目をそらして相手を見ようとしない、つまり相手を知ろうとしないから、よけいに不安や恐怖心が膨らんでさらに緊張が加速してしまうのです。
ここは勇気を出して自分が恐れている相手を見つめ、それが一体どんなものなのか、どんな相手なのか、自分の目で確かめなければならないのです。
僕が見た相手、それはお客さんです。
お客さんは、いわゆる全くの素人。
そして僕はこの仕事に従事する、いわゆるプロ。
知識も経験も、全て僕が上です。
お客さんがどんな質問をしてきても、返答できないことなどありません。
最初から恐れる必要など、全く無かったのです。
緊張するような要素など、実はひとつも無かったのです。
僕のあがり症の正体、それは僕の妄想が作り出した恐怖心でした。
そしてこれは人前で話すことに限ったことではありません。
日々の生活全般に言えることなんです。
自分が今何と向かい合っているのか、自分が今抱えている問題、自分が越えるべき人生の壁…
自分が向かい合っているものの正体がよく分かっていないから、不安が湧き上がってくるのです。
その対象がどんなものなのかがはっきりと分かれば、対処法も出てきます。
そうすると、自分の取るべき行動というのも自然と見えてきます。
自分の前に立ちはだかるものの正体が明らかになればなるほど、それと共に不安も薄らいでいくことが多いのです。
恐怖に対し、飛び込む勇気と覚悟さえ持てれば、不安や緊張といった幻は消え去るのです。
メッセージ