決して折れない鋼のメンタルを手に入れる方法を教えます

自分の殻を破る方法

今回の記事では、元ヘタレの僕がいかにして今の強靭なメンタルを手に入れることができたのか、ある重要な事柄について話そうと思います。一部、個人的な話になるかもしれませんが、これは僕が尊敬するメンターたちも同じ考えを持っており、実は成功者と呼ばれる人たちもやはり同じ考えを持っている人が多くいます。

人間関係が上手くいかない、仕事で思うような成果が出せない、自分に自信が持てない、人生の壁にぶち当たって前に進めない、決断が出来なくて悩んでいる、勇気を出して一歩踏み出せない…そんな悩みを抱えているあなたにとって、きっとお役に立てる内容だと思います。

ということで、では「メンタルの弱いのび太が、どんな相手にも勇敢に立ち向かっていくジャイアンに変身するための方法」をお話しします。

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かつての弱かった僕

かつての僕は、本当に弱い人間でした。

責任を負うことからは逃げてばかり
人間関係で傷つくのが怖い
周りから批判されるのが怖い
相手から拒絶されるのが怖い
自分の居場所を失うのが怖い
価値の無い人間だと思われるのが怖い

人が怖くて怖くてたまらない。そしてそんな自分の弱さを隠すために、虚勢を張り続ける。

実はかつての僕は、人生が楽しいと思ったことが全くありませんでした。周りからは「もっと気楽に生きろ」「周りの目を気にし過ぎだ」「自分で自分を追い込むな」「もっと自信を持て」など、いろいろ言われました。

でも当時の僕にとってみれば、日々を生きることそのものが怖い。生きることがもう苦痛でしかない。おまけに人間不信もあり、どんなに良いことを言われても全て嘘にしか聞こえない。気楽になんて生きられるわけがなかったのです。

人が怖い。周りのみんなが怖くてたまらない。
そんな僕に出来ること、それは仕事で結果を出すことだけでした。仕事で結果を出し、みんなから認められ、周囲から必要とされる人間になる。それしか僕には生きる道がありませんでした。自分の価値を見いだすには、あの時の僕にはそれが唯一の方法だった。

だから、人一倍仕事を頑張りました。人の何倍も努力し勉強し、そしてそれと同時に周りの仲間も懸命にフォローしました。誰にも負けないよう、そして周り全ての人間から認められるよう、頑張りました。

その結果、段々と結果を出せるようになり、周りのみんなも僕のことを認めてくれるようになりました。「難しい仕事でも、あいつに任せれば心配ない」「あいつがいれば、安心だ」そう言ってもらえるようになり、会社内でも重要なポジションを任されるようにもなりました。僕を慕ってくれる部下や後輩も出来ました。

僕は結果を出せた、はず。なのに、なぜか僕はちっとも自信を持つことが出来ませんでした。「周りの人間はみんな自信に満ち溢れ、堂々と仕事をしている。なのに、なぜ僕は未だにビクビクしながら仕事をしているんだ?能力だって周りに負けてないし、結果だって出している。なのになぜ、こんなにも自信が持てないんだ?」

改めて、自分を振り返ってみました。「僕は根本的な部分で、何かしらの問題を見落としている。そこを改善しなければ、いくら頑張ったところで状況を変えることは出来ない気がする。」

僕と周りの人間との決定的な違い。決定的な差。それは一体何なのか?周りのみんなが持っていて、僕に足りないもの。今の僕に足りないものとは、一体何なのか?

当時の僕に足りなかったもの、それは見た目や能力といったものではなく、メンタル面の強さ。僕は周りと比べて、圧倒的にメンタルが弱い。そのことに、ようやく気づきました。

それからは、どうやったら自分のメンタルを強くすることが出来るのか、どうやったらメンタルを強くして自信を持てるようになれるのか、懸命に考えました。

そうして気づいたことがあります。僕は自分の弱さからずっと目を逸らして生きてきたことに。子供の頃もそうだし、社会人になってからも僕は自分の弱い部分から目を逸らし、意図的に見ないようにしながら生きてきました。弱い部分に気づかないふりをし、勢いだけで誤魔化しながら生きてきました。本当の僕は、ただの小心者のビビリ。でも、そのことを自分でずっと認められずに生きてきた。

僕は自分が進化・成長していくために、自分の弱い部分を直視することを決めました。自分の弱さから目を逸らしていては、強くなれない。今の自分を乗り越え進化していくことは出来ない。だから僕は、自分の弱さや自分のダメな部分を直視し、自分で認め、そして100%完全に受け入れることを決めました。

そして、そんな今の弱い自分の心でこれからの人生を戦い生き抜いていく。たとえ今は弱くても、これから僕はこの心と体で必ず強くなるんだ。そしてこの先何があっても、決して自分のことを見捨てない。どんなダメな自分であっても、絶対に自分のことを自分で見下したりバカにしたりしない。どんな状況であっても自分を否定せず、自分の可能性を自ら諦めたりしない。

そう強く心に決めてから、少しずつですが僕を取り巻く状況は変わり始めていきました。僕の心が変わることにより、僕自身の言葉や行動も変わり始め、やがてその変化は僕を取り巻く人間関係にも波及し、周囲をも巻き込んでいきました。

 

出来ないことを見つけてはその数を数え続けていても、状況は何も変わらない。今の自分・今の状況を変えたければ、今の自分に出来ることを見つけていく、出来ることを一つひとつ増やしていく。そして、なりたい自分の理想の姿を常に思い描き、どんな時もそれを目指し続ける。理想の自分になるために必要な行動を、足を止めることなくひたすら取り続けていく。

そして僕は自分を変えるために、自分の尊敬する人たちをストーカーの様に観察した。自分と一体何が違うのか?どうすればその人たちのようになれるのか?その一挙手一投足から思考回路まで、自分の思いつく限りをひたすらモデリング(真似)し続け、自分のものにしていった。

 

その結果、理想の現実を手に入れる過程の中で、これまで僕の頭を悩ませていた対人恐怖症をはじめ、あがり症、ストレスによる偏頭痛、幼少期からのチック症…様々な症状までもが自然と克服されていきました。自分の中にある力や可能性を信じられるようになるたび、それに合わせるかのように症状も治まっていく。

次第に僕は、自分が怖いと思うものに対しても、自分を信じて飛び込むことが出来るようになっていきました。仮にチャレンジが失敗に終わったとしても命を取られるまでのことはないし、命さえあれば何度でも再チャレンジすることは出来る。

やっと僕は、弱い自分を克服することができました。

鋼のメンタルの入手方法

揺るぎない自信を手に入れた僕。じゃあ僕がこれから先、常に順風満帆な人生を手に入れられたのか?と言えば、そんなことはありません。大きな壁を乗り越えたその先には、さらに大きな壁が立ちふさがる。むしろ壁を越えれば越えるほど、さらに強大な壁が現れ、僕の頭を悩ませる。

でもこの時の僕には、以前のような不安はもうありませんでした。それは「大きな壁が現れるということは、それだけ今の自分が大きく成長している証拠だから」ということを理解していたからです。

人生とは面白いもので、その人間の生きる人生のステージやレベルに合わせて、それに見合った高さの壁(障害)が現れるものです。「その人間に越えられない壁は現れない」とはよく言いますが、まさにその人間のレベルに合わせたかのような高さの壁が現れ、そしてその壁を越えることによってさらに上のステージへと進化することが出来る。高い壁が現れれば現れるほど、僕は自分の成長を実感していました。

でも、そうは言っても常に自信満々でいられるほど、僕は強くはありませんでした。どんなに強い気持ちを持っていても、いざという時に自信が揺らいでしまうことは、やっぱりある。また、心に余裕がない状況の時に周囲から批判されたり横槍(よこやり)を入れられると、つい感情が乱れてしまう。

絶対的な自信を手に入れることは、僕には出来ない。いついかなる時でも揺るぎない自信を持って対処するということは、やっぱり僕には出来ない。もしかすると、それが出来る人はいるかもしれない。そして頑張れば僕も、そのレベルに達することが出来るのかもしれない。でも、少なくともその時の僕には無理だったし、今でもやはりそうです。

かと言って「じゃあ、あらゆる状況において常に揺るぎない自信を持って対処することの出来る人って、果たしてどれくらいいるのか?」と言われれば、僕の見る限りではほぼ居ません。どんなに自信に満ち溢れた人であっても、自信が揺らぐポイントや場面というのは必ずある。

いや、むしろ誰もが様々な不安を抱えながら生きている。不安と戦いながら、みんな日々を生きている。
「なんだ、不安なのは僕だけじゃなかったんだ。みんな、僕と同じなんだ。」
弱い自分を克服しようとする過程の中で、僕はそのことにようやく気付きました。人はみんな心のどこかに弱い部分を持っているもの。弱いのは自分だけじゃない。

でも、そんな弱い心を抱えながらも、勇気を持って前に踏み出せる人がいる。目の前の壁を乗り越える自信が無くても、それでも自分を信じてチャレンジし続けられる人がいる。絶体絶命の状況に追い込まれても落ち着き払い、平然としていられる人がいる。相手の方が実力が上で勝ち目は薄いのに、それでも戦い続けて最後は相手を退けてしまうような人がいる。どんな相手が来ようと、目力だけで相手に本能的に負けを認めさせてしまう人がいる。

みんな同じ人間であり、見た目や能力にも大きな差はない。そして同じように心に弱い部分も持っている。でも、人の取る行動や結果は、その人によって大きく変わる。

先ほど話したような人たちは、みんなとても勇気のある人たちです。でも彼ら・彼女らの行動や立ち振る舞いは、単なる勇気だけでは説明がつかない。勇気とは違う、もっと強いものが彼ら・彼女らの中にはある。心を鋼のように強くし、勇気を無限に生み出し続けてくれるもの。

その答えは「覚悟」です。
心の強い人・心が折れない人というのは、自信があるからでも勇気があるからでもなく、強い覚悟を持っているからこそ強いのです。覚悟の強さに比例して、心は強くなります。逆に心がすぐに折れてしまうというのなら、それは覚悟が弱い、もしくは覚悟そのものが無いからです。

あなたがもし何かを成し遂げようとするのなら、「どうやって成し遂げるのか」といった方法も大事ですが、あなたにとって最も必要なものは「何があろうと必ず成し遂げるんだ」という覚悟です。
なぜなら、あなたがいくら良い方法を知っていたとしても、覚悟が無ければ何度か小さな障害につまづいただけで簡単に挫折し諦めてしまうのがオチだからです。「絶対に達成するんだ」という強い覚悟があれば、その覚悟があなたの考える力や能力・勇気・努力・粘り強さといったものを引き出していき、そして結果へとつながっていきます。

僕の座右の銘の一つに「継続は力なり」という言葉があるのですが、ただ漠然と何かを継続しようと思っても残念ながら長続きはしません。目標を掲げ、そして「どんな困難が降りかかってこようとも、絶対にその目標を達成するんだ」という強い覚悟があって初めて、一つのことを粘り強く継続することが出来るようになるのです。

以前に僕は、仲間と共に会社を立ち上げたことがあります。新規で会社を立ち上げることに関しては、誰も賛成してくれませんでした。なぜならそれが無謀ともいえるチャレンジだったからです。僕らは会社の運営に関するノウハウも無ければ、人脈といったものもほとんど持ってなかった。成功する要素が、あまりにも無かった。だから立ち上げ当初は誰もが僕らは失敗すると思っていました。

でも僕らは、強い覚悟を決めていました。少なくとも僕は、「この会社で成功するか、それとも失敗して自ら命を絶つか、二つに一つしか道はない。逃げるという選択肢は無い。」そう本気で覚悟を決めていました。

その結果、何も持たなかった僕らが「この業界で新規で会社を立ち上げても、1~2年はまともに仕事は受注できない」と言われていた常識を打ち破り、わずか半年足らずで会社を軌道に乗せることが出来ました。まさに僕らの中にある覚悟が僕らを突き動かし、成功するために必要なものを引き寄せたと言えます。

そしてこれはビジネスに限らず、スポーツや人間関係など、人生全般のあらゆることに当てはまることです。スポーツでも、自分の目標を掲げ、その目標を絶対に達成するんだと覚悟を決めた人間ほど着実に成長していく。また人間関係でも、単なる八方美人で誰にでもいい顔をする人よりも、自分の信念を持ち、どんな時もその信念に従って生きると覚悟を決めた人ほど、結果的には実りのある人生を手に入れることが出来る。

一つひとつの行動に対し、どれだけ覚悟を決められるか。その覚悟をどれだけ100%に近づけられるか。それによって、あなたの人生はまるで変わるはずです。

僕はたまに、自分を意図的に追い込むということをします。なぜ自分を追い込むかと言うと、追い込まれた状況を作り出すことによって強制的に自分に覚悟を決めさせるためです。

また、よく「自分が達成しようと思うことを人に宣言しろ」なんて言いますが、これも同じです。人に宣言することによって逃げられない状況を作り、強制的に覚悟を決めさせるためです。

 

と言うことで、これまで僕はその時々の人生の場面において様々な覚悟決めてきましたが、最後に僕の中にある究極的な覚悟について話します。

僕が普段から持ち続けている究極的な覚悟、それは「相手を殺す覚悟」です。

相手を殺すというと何だか物騒ですが、これは実際に相手を殺そうとしているわけではなく、あくまで覚悟の話です。分かりやすく言えば、もし誰かが僕のことを潰そうとしてきたなら、いざとなれば刺し違えてでも相手をぶっ倒すという覚悟。または僕の家族や大切な仲間が危険に晒されたりしたなら、自分の全存在をかけて相手を叩きのめすという覚悟。

実際にこれまで仕事上で僕を潰そうとしてきたり、僕の足を引っ張ったりしてきた人間はいます。そういった人間は基本的には全く相手にするつもりは無いし、僕自身も他人と揉めたり争ったりするのは大嫌いです。避けられる争いごとは、出来る限り回避します。

でも、もし本気で僕や僕の大切な人たちを潰しにかかって来たなら、「潰したいなら、潰しにかかってきていいよ。でもね、その変わり刺し違えてでもお前をぶっ潰すから、しっかり覚悟してかかって来いよ。」そういう覚悟を常に持って生きています。

「相手を殺す覚悟」とは、「自分や自分の大切な人たちのために命を懸けて戦う覚悟」であり、「自分の大切な人たちのために死ぬ覚悟」です。大切なものを守るために、常に命を張る覚悟をしているということです。

これは僕がメンターだと尊敬する人たちの何人かも同じ感覚を持っており、それ以外のメンターたちも同じく常に命を懸ける覚悟を持って生きています。そして僕はこの覚悟が出来るようになってから、たとえ自信の無い状況に追い込まれてしまった時も、落ち着いて冷静に対処できるようになりました。また、周囲からの煩わしい評価や批判の声も、全くと言っていいほど気にならなくなりました。僕のことを周りが良く言おうが悪く言おうが、そんなことどうでもいいし、正直言って全く気にならない、といった感じです。

ただ、これは男としての僕の感覚であり、これがそのまま女性に当てはまるかと言えば、正直言って分かりません。「相手を殺す覚悟」とは言いましたが、僕が想定している相手とは主に同性である男に対してであり、男である僕にとって女性や子供というのは基本的に守るべき存在です。だからこれまで女性に対して「刺し違えてでも相手を倒す」なんて感覚を持ったことはただの一度もありません。僕にとって女性や子供は、命を懸けて戦う相手ではなく、命を懸けて守る相手ですから。ただ残念ながら、そうは思えない女性もたまにいますが…(苦笑)

ちょっと物騒な話をしてしまいましたが、実際に僕が尊敬するメンターたちは、驚くほど静かで穏やかな人たちばかりです。誰ともケンカせず、誰とも争わず、むしろ他人に対して気遣いや配慮の出来る人たちばかりです。常に謙虚な姿勢で、威圧的な態度などまるで無い。まるで相手を包み込むような、あたたかくて圧倒的なオーラを発している。そんな人たちばかりです。

ただ、穏やかな人柄とは反対に、メンターたちの持つ信念や覚悟の強さは半端ではありません。結局僕らの人生を決める一番の要因は、自分の能力や環境などではなく、どんな覚悟を持って生きているか。あなたの心を強くするも弱くするも、全てはあなたの覚悟次第。あなたの覚悟が、まさにあなたの世界そのものを変える原動力となるのです。

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