人見知りをする人が、この日本には多い。
本当に多いのかどうかは知らないが、「自分は人見知りの性格だ」と思っている日本人の割合は、世界的に見ても飛びぬけて多いようだ。
そもそもなぜ人は、人見知りをしてしまうのか?
一般的に考えられる原因は、自信の無さだろう。
自信が無いから、人から自分がどう見られているかが気になる。
特に初対面の相手だと、自分が相手からどんな評価をされるのかが分からない。
だから怖くて、なかなか相手と打ち解けられない。
しかし、僕ら日本人に人見知りが多い原因は、もう一つある。
そしてこの”もう一つの原因”こそが、僕ら日本人の中に人見知りを生み出す一番の要因となっている。
あなたが人見知りの理由
初対面だったり見ず知らずの相手だと、話しづらいと感じることがある。
なぜ話しづらいのか?なぜ家族や友人・知人の時のように、ごく自然に話せないのか?
それは、相手に対する情報が無い、もしくは極端に少ないからだ。
相手のことを知らないから、どうやって話せばいいか決められない。
つまり僕ら日本人は、相手の持つステータスによって、相手に対して自分の取るべき態度を決めている。
例えば、相手が自分より年上なのか年下なのか?
社会的地位は、自分より高いのか低いのか?
どんな仕事をしていて、どれぐらい収入があるのか?
フレンドリーな性格か?それとも気難しい性格なのか?
そういった、相手のステータスや性格によって話し方・話す内容を決める。
だから、これが例え初対面でも事前にある程度詳しい情報が入っていれば、状況は変わる。
例えば、相手と地元や出身校が同じだったり、共通の趣味を持っていることを事前に知っていれば、最初からあまり抵抗なくすんなりと話せたりする。
また、相手が自分の会社の取引先担当者だということを事前に知っていれば、どういった態度で接するかが自ずと決まってくるので、初対面で変に戸惑うことも無く、いきなり話せる。
相手がどういった立場の人間で、どのような性格なのか、それが分からなければ、僕ら日本人は自分がどのような態度を取るべきなのかが、なかなか決められない。
その結果、相手とスムーズに話したり打ち解けたりするのに時間がかかる。
つまり「自分は人見知りだ」と自覚する。
はっきり言おう。
空気を読もうとし過ぎだ。
これは人見知りではない。
日本人独特の「空気を読み、相手が何も言わずとも察して先回りする文化」が、単にコミュニケーションをややこしくしているだけだ。
例えば欧米などでは、「空気を読んで察する」という習慣が無い。
「言葉にして話さなければ分からない」という文化だ。だから初対面の相手だと、相手のことを知るために、まず自分から話しかける。日本人のように、「空気を読んで相手のことを知る」なんて発想はない。
多くの日本人は、人見知りだから話せないのではない。空気を読もうとし過ぎるから、話せないのだ。
僕の見る限り、日本人でも本当に人見知りの人は、そうはいない。大人に限定するなら、少なくとも僕の周りには人見知りはいない。
ではなぜ僕ら日本人は、これほどまでに空気を読もうとばかりしてしまうのか?
それは常に”人を上下関係で見る癖”が染みついているからだ。
僕ら日本人の多くは、自分を取り巻く人間関係を、対等な仲間としてではなく「自分より上か?下か?」で判断する。自分より立場が上の人間にはへりくだって気を遣い、立場が下の人間には上から目線でものを言うことが出来る。
僕ら日本人の人間関係に関する感覚は、歪んでいる。
そもそも人間の価値とは、年齢や社会的地位で決まるものではない。
社会的地位が高いから人間的価値が高いわけでもないし、年齢が低いから人間としての価値が無い、なんてことも無い。
会社においても、社長と平社員という立場によって人間的価値が決まるということはない。違うのは、社長と平社員とでは負うべき役割・果たすべき役目が違う。また、役割に応じて責任の重さも違う。
両者の違いは役割・責任の違いだけで、人間的価値とは何ら関係無い。
これは年齢にしても同じ。年上だから偉い、年上だから正しい、年上だから人間的価値が高い、なんてことは当然無い。
年齢が違おうとも、僕らは人として対等。
人間的価値は、年齢なんかでは決まらない。
でも僕ら日本人の多くは、年齢や社会的地位といったもので相手と上下関係をつけようとする。
それも当然だ。
だって僕らは子供の頃から学校や部活動、大人になっても会社での社員教育など、あらゆる場面で人間を上下関係で判断することを強制されてきたんだから。
例えば僕が子供の頃は、学校の先生の言うことが絶対だった。完全服従を強いられ、少しでも先生の意にそぐわないことがあれば、吹き飛ばされるぐらい殴られる。
部活動も、似たようなものだ。先輩の言うことが絶対だ。先輩が間違っていようが関係なく、言うことを聞くしかない。
学校の教育システムは、僕らに完全な上下関係を強いる。
この日本の学校教育は、戦時中の軍隊と同じことを未だにやっている。
立場が上、年が上というだけで偉い。
そして立場や年が下というだけで、文句も言わず言うことを聞かなければならない。
そんな環境で育った子供が社会に出たら、どうなるか?会社からどんなに理不尽な扱いを受けようと、ひたすら黙って我慢するだけ。
日本の学校は、未だにそんな人間を大量生産し続けている。
だから日本人は、過労死する。
だから、国がこんなに豊かにもかかわらず自殺者が続出する。
だから、いつまで経ってもブラック企業がのさばり続ける。
この国は、この国の教育は、いつまで戦時中のマインドコントロールをし続けるつもりだ。
もしあなたが人見知りをやめたいのであれば、これまで叩き込まれてきた「上下関係で人の価値を決める」という発想を捨てるんだ。
いい加減、この洗脳から抜け出せ。
どんな肩書があろうと、どのような社会的地位にあろうと、相手が何歳でどんな立場であろうと、人間としての価値とは全く関係ない。
誰もが同じ時代を生きる仲間であり、人間としての価値は変わらない。
例え相手が子供でも年配者でも、単に人生の経験値が違うだけであり、どんな時もお互い対等の関係だ。
あなたがこの洗脳から解放された時、相手がどこの誰であろうと気軽に話しかけられるようになる。
その時には、あなたの中から”人見知り”という概念は消え去っているだろう。
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