「やれば出来るんだけど、なんだか気分が乗らないんだよね。」
「今回はあえてやらなかったけど、ホントはやろうと思えば出来るんだけどね。」
そうやって行動しようとしない人間って、いませんか?
まぁ昔の僕がそうだったんですが(苦笑)
「やれば出来る」
この言葉って、自分に対して使う時もあれば他人に対して使う時もあると思います。他人に使う時は、「お前にはやれる実力があるんだから、頑張ってみろよ」みたいに他人を勇気づけたりやる気にさせる時に使う時が多いのではないでしょうか。
では、自分に対して使う時はどうですか?その言葉を自分に対して使う時、どういった状況で使っていますか?もしかして僕と同じように「逃げ」のために使っているのではないですか?もしそうなら、かつての僕と同じようにあなたの人生もいずれ詰んでしまうことになるかもしれません。
と言うことで、今回は僕流の「自分はやれば出来る」の解釈について話していきますね。
「やれば出来るかも」という可能性の中に逃げている
過去の僕はとてもプライドが高く、完璧主義の人間でした。
人前では絶対に恥をかきたくない、どんなことでも完璧にこなして周囲から尊敬されたい、100%絶対に成功すると確信が持てるまでは手を付けない。
かつての僕は、恥をかいてプライドが傷つくようなことは絶対にしない、そんな人間でした。
でも長い人生の中には、恥をかいてしまうことも失敗してしまうことも、当然ですがいっぱいあります。まぁ当たり前のことですよね。でも当時の僕は、自分が恥をかくことや失敗してしまうことに対し、異常なまでに恐怖心を持っていました。失敗して周りから見下されるのが、怖くて怖くて仕方がなかった。
では恥をかかなくて済むようにするには、どうすればいいか?失敗しないようにするには、どうすればいいか?
その方法は、「何もしない」こと。何も行動を起こさず何もチャレンジもしなければ、失敗することもないし、失敗によって恥をかくこともないですよね。
チャレンジしなければ成功することも無いが、失敗することも無い。と言うことは、チャレンジすれば失敗する可能性もあるが、反対に成功する可能性だってあると言える。つまり以前の僕は、チャレンジをしないことによって「やれば自分には出来たかもしれない」という可能性を残そうとしていた。チャレンジをしなければ結果も出ませんから、もしやったなら成功したかもしれないですからね。つまり僕は「やれば出来るかも」という可能性の中に逃げ続けていたわけです。
そうやって僕はずっと、自分の中で「チャレンジしないための理由」を作り、「やれば出来る可能性はあるけれど、でも今回はやめたほうがいいな」と言ってチャレンジすることから逃げ続けてきました。もしチャレンジに失敗して「自分は何も出来ないダメ人間だ」という現実を突きつけられてしまえば、そこから立ち直る自信が僕には無かったんだと思います。やらないままにしておけば、いつまでも「やれば出来るかも」のままであり、「出来なかった」にはなりませんからね。
「やれば出来る」は実際にやった人が言えるセリフ
今の僕は基本的に「出来ない」「無理」といった言葉を使いません。もちろん物理的に不可能なことや、または40を超えたこの歳で「これからオリンピックで金メダルを取る」みたいな非現実的なことは、もちろん出来ません。でも自分に降りかかってきた問題や自分がクリアすべき課題に対して、「出来ない」とか「無理だ」とかいう言葉は一切使わないようにしています。
では、「自分には無理、出来ない」と意思表示をしなければ、一体どうなるか?
…そうです。それをやるしかなくなります。
不思議なことに「無理だ、出来ない」と思えば思うほど、それが出来ないようなもっともらしい理由が頭の中にどんどん浮かんでくるものです。でも、「無理・出来ない」という言葉を何が何でも口にしないようにしていると、不思議なことに「自分には無理だ、出来ない」という発想から、「どうやったら出来るだろう?」という発想に思考回路が切り替わっていくのです。
いわゆるgoogleやyahooなどの「検索エンジン」と同じです。検索窓に「出来ない」と入力すれば、出来ない理由が検索結果に出てくる。逆に「出来る・やる」と入力すると、それを達成するための方法が同じく検索結果に表示される。
人間の脳もコンピューターと同じ。「出来る・やる」と決断し自分に宣言すれば、それを達成するための方法や知識・知恵・ノウハウなどを自分の脳や五感が探し始める。
そして「やる」と決めたら、出来るまでやる。出来るまでやり通す。
もちろん状況によっては出来ない時もあるかもしれません。例えば時間が足りなかったり、または成功するための知識やスキルが現段階ではまだ足りてなかったりとか。
でも出来るかどうかは、やってみないと絶対に分からない。だからやる前から「出来ない」と諦めて逃げてしまうのではなく、出来る前提でやれるとこまでやりきる。
そしてやってみた結果、最終的にもし出来なかったとしても自分なりに全力でやりきったのなら、必ず何かしらの手ごたえを感じるようになります。「もっと頑張ったら、もっとやり方を工夫したら、出来るかもしれない。」そんな”自分なら、出来るかもしれない”という予感を感じるようになる。そしてその繰り返しが、いつしか「自分になら、きっと出来る」という確信へと変わります。そしてその確信が、「やれば出来た」という現実を創り出していく。
「自分は、やれば出来る」
このセリフは、実際にやって結果を出した人間、もしくは似たような経験をたくさん積むことによって「自分にはやりきる力がある」と確信を持つことの出来た人間にしか言う資格はありません。過去の僕のように、何の結果も出していない、何の努力もしていない、何の自信も無い人間がこの言葉を使うのは単なる”逃げ”であり、ただ現実から目を逸らそうとしているだけ。
自分が乗り越えるべき課題と向き合い続け、それを自分の力で乗り越える自信や確信が持てた時、初めて「自分なら、やれば出来る」というセリフがあなたの口から自然と出てくるはずです。
勇気を奮い起こす
でも「出来ない」「無理」といった言葉を使わないからと言って、もちろん僕も全てが上手くいくというわけではありません。上手くいかないこともたくさんあるし、何度努力し挑戦しても成功する確信が持てない時もあります。でも成功できる自信や確信が持てない時でも、「自分なら、やれば出来る」と宣言する時があります。
結果も出せていないし、結果を出せるという確信も無い。なのになぜ僕は「自分なら、やれば出来る」というセリフを吐くのか?
それは、「自分を追い込むため」です。
本来の僕は、とても心の弱い人間です。結果を出せる自信が無いと、そこから逃げ出してしまうかもしれない。だから自分の中にある勇気を奮い起こすために、自信が無い時にあえてこのセリフを自分に向かって言います。
「おいおい、ちょっと待て。やる前から逃げ出すのか?お前はいつからそんな臆病者になったんだ?お前の力はそんなもんか?出来るかどうかなんて、やってみなければ分からないだろ。今のお前にとって、それを達成するのは100%不可能な事か?違うだろ?少しでも可能性があるのなら、今のお前が本気で全力を出しきれば必ず達成出来るはずだ。このまま逃げて、お前はこの先卑屈な人生を生きていくのか?それがお前の望む生き方か?
勇気を出せ。お前なら出来る。お前が100%全ての力を出し切れば、必ず出来るはずだ。ここで逃げ出してまた昔のヘタレに戻るくらいなら、人生やめてしまえ。
もう前に進むしか道はないぞ。大丈夫、自分を信じて全力で突っ走ろうぜ。」
僕にとっての「自分なら、やれば出来る」は、自分を信じる気持ちであると同時に自分自身を追い込むための言葉でもあります。かつては逃げるために使っていた言葉が、今では自分を追い込み奮い立たせるための言葉となっています。
人間というのはどうしても、どこか逃げ道を確保してなければ安心できない生き物。でもその逃げ道があるがゆえに迷いが生じ、僕らは決断が出来なくなる。もちろん人生はギャンブルではありませんし、無駄なリスクを背負うようなことはすべきでないと思います。でも逃げ道が無くなってしまい、前に進むしか手段がなくなった時、あなたの中にある力・知識・経験・知恵・スキル…そういったものの全てが前に進むための推進力へと変わります。
前に進む以外に道はない、そう心に決めたその瞬間から、あなたの人生の変化の速度がきっと変わるはずです。
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