この社会は、不平等だらけだと思いませんか?
様々な社会制度上の不平等、会社や学校での扱いや待遇の差、生まれた時の国や家庭環境の違いによる不公平さ…
この世は、本当に不平等な世界です。
もし仮にあなたが不当な差別を受けているとしたら、あなたならどうしますか?
その差別、甘んじて受け入れますか?
それとも、「不平等だ」と言って改善を求めますか?
もちろんどんなことで差別を受けているのかによって、その対応も変わってくると思います。
その時の状況にもよるかもしれません。
だから一概に、「不平等を受け入れる・受け入れない」どちらが正しいということは言いません。
でも僕がこれまでの人生で見てきた中で、はっきりしていることがあります。
それは、「不平等を受け入れる人間ほど、より大きな成長を遂げている」ということです。
この不平等の世界で生きていくには…
最初に言っておきますが、僕は”平等であること”を否定しているわけではありません。
社会をより良くし、みんなが幸せに生きていくためには、”平等”が必要なこともあります。
例えば教育を受ける権利は、全ての子供に平等に与えられなければならないと思います。
日本の未来を背負うのは今の子供たちであり、人を育てるのは”教育”です。
この国の未来を考えるのであれば、子供に対する教育は全ての子供に必ず平等に与えられなければなりません。
また、犯罪に対する罰則も平等に与えられないといけませんよね。
どんな人間に対しても、犯罪を犯せば同じように罰則を科さなければならない。
特定の人間・一部の人間だけ罰則を科されない、罪に問われない、それだとあちこちで不正や混乱が生まれてしまいますからね。
だから僕は、平等であることがいけないと言っているわけではないんです。
でも、何でもかんでも平等を求める今の日本人の感覚に、どうしても違和感を覚えてしまうんです。
そもそも平等って、一体何なんでしょう?
どういった状態になれば、平等になるんでしょうか?
僕が思うに、この世界に平等なんてものは存在しないと思うんです。
僕ら人間は、それぞれ違う親・違う家庭・違う国に生まれます。
生まれる年代・時代も人によって違います。
この世に生を受けたその瞬間から、不平等はすでに始まっています。
人間だけでなく、地球上の全ての動物・植物もそうです。
この地球上に生きる全ての生物が、それぞれに与えられた環境からスタートする。
みんな違う不平等な状態を受け入れ、そこからスタートするしかありません。
そして最初のスタートラインがすでに違うわけだから、人生の進み方や進む速度にも、当然違いや差が出てきます。
仮に周りと全く同じ努力をしたからといって、全く同じ結果が得られるかと言えば、答えはもちろんNOです。
それは、それぞれの人間のスタートラインも違えば、その人間の置かれている状況・その人間の能力・意識の高さ・その人間が立っている人生のステージも違う。
全く違う人間がやっているのだから、結果も当然同じにはならない。
それに、ちょっと考えてみて下さい。
全て平等であるのなら、努力する意味すら無くなってしまいます。
全ての人間に、平等に同じスタートラインが与えられる。
全ての人間に、全く同じように権利が与えられる。
すると人間というのは、
「同じ努力・同じ労力を提供したんだから、同じ見返りが得られないとおかしい」
こう考えるようになります。
同じようにやったからには、同じ結果が与えられなければ不平等ではないかと感じ始めるようになるのです。
どんどん平等を求めていくと、最後は結果まで全て同じじゃないと平等ではない、そこに行き着いてしまう。
すると、誰も頑張らなくなります。
頑張っても頑張らなくても得られる結果が同じなら、わざわざ無駄な努力など誰もしません。
全てが平等でみんなが同じ世界…これほど面白くない世界などありません。
それに何でもかんでも平等にすることは、個性を否定することにもつながると思うんです。
違いがあるから、新しいものが生まれる。
違うもの同士だから、新しい発想が生まれる。
そして”差”があるからこそ、その差をどうにかして埋めようと頑張る。
そうやって人間は進歩してきた。
そうやって様々な技術は進歩してきた。
だから、何でもかんでも平等を求めることは、これまでの歴史の進歩をも否定することにもなってくるのです。
違いがあるから差が生まれ、平等ではないから進歩する。
同じもの・同じ人間だらけなら、進歩はない。
僕はそう思います。
そして一番怖いのは、平等の権利ばかり求めていると、それが得られない時に強い被害者意識に変わってしまうことです。
多くの人がよく勘違いをしているのですが、当然得られるべき権利を得られず”得をしなかった”時、”損をした”と感じることです。
例えば役所に申請すれば得られたお金、または何かのキャンペーンでもらえたはずの景品、そういった”得られるはずの権利”に気づかずもらえなかった時、損をしてしまったと感じることがあります。
でも、損などしてませんよね?
得をしなかっただけですよね?
権利を主張すればするほど、それが得られなかった時に強い被害者意識が生まれる。
被害になど遭っていないのに、自分が被害者だと錯覚してしまう。
これまでも何度か話してきましたが、人生が上手くいかない一番の原因は「被害者意識」。
被害者意識を持っている限り、自分の人生の主導権を握ることも出来ない、人生が上手くいくことも決してない。
権利ばかり主張する前に、「今の自分に何が出来る?」というのを全力で考えるべきです。
これまでの人生で僕は、多くの人と出会ってきました。
そして、多くの人を見てきました。
そんな中で、驚くほど速いスピードで成長していく人や、逆にいつまで経っても進歩の無い人も見てきました。
この両者に一体どんな違いがあるのか?
僕の見た結果どんどん成長していく人というのは、例え不平等な扱いを受けていようが不平不満も言わずにそれを受け入れる。
権利を主張するのではなく、
「この不利な状況を、どうやったら抜け出せるか?」
「状況を踏まえた上で、今の自分はどんな努力をしていけばいいのか?」
「今の自分が持っているもので、一体何が出来るのか?」
自分のすべき行動を考え、それに集中する。
その結果、周りを出し抜いてどんどん成長していきます。
逆に進歩の無い人というのは、自分の権利を主張することばかりに全力を尽くします。
不平等な扱い、不平等な制度、不平等な状況に不平不満ばかりを言い、自分からは何もしようとしない。
自分は被害者だと訴え、誰かが何とかしてくれることばかりを待っている。
もしあなたが”今の自分の状況を何とかしたい””人として成長していきたい””幸せな人生を送りたい”、そう思うのなら、「この世界に平等なんてものは存在しない」という前提で生きてください。
平等という名の幻想ばかりを追い求めていたって、何も変わりません。
状況が変わるどころか、周りからどんどん置いていかれて、気づけば取り返しのつかないことになってしまいます。
「この世界に平等なんてものは存在しない」
このことに、早く気づいて下さい。
僕は子供に対しても、このことを伝えるようにしています。
子供も学校やいろいろなとこに行けば、「○○君ばかり贔屓(ひいき)されてる」「自分ばかりが不当な扱いを受けている」といったようなことを感じるようです。
でも僕は子供に対し常に、「周りは関係ない。自分が手に入れたい現実があるなら、どうすれば手に入れられるか自分の頭で考えろ。」と教えています。
この世界が不平等であることを前提に、じゃあ自分がどうすればいいのかを子供と一緒に考えるようにしています。
僕らに必要なのは、平等な世界ではありません。
僕らに必要なのは、”平等”ではなく”ルール”です。
社会の秩序を守るための一定のルールが必要なのであって、ありもしない”平等”という名の幻を追いかけ続けていては、どんどん取り残されていくだけ。
前に進むためには不平等な世界を認め、それを受け入れるのです。
世界は平等ではないという前提で、生きていくのです。
平等ではない世界で、じゃあ自分は一体どうすればいいのか?
この不平等な世界で充実した人生を送るためには、自分は何をすればいいのか?
「この世界は不平等」
この前提を受け入れ、この前提で生きることにより、あなたの成長・進化は加速し、進むべき道が見えてくるはずです。
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