前回の記事【他人のために生きているからこそ自分の人生が上手くいかなくなってることに、あなたは気づいていますか?】の中で、「分かり合えない相手に無理して理解してもらうのではなく、分かり合える相手を見つけて、その相手と共有すればいい」という発言を僕はしたのですが、誤解があってはいけないので、この部分について今回は少し掘り下げて話しようと思います。
人生の中には、どうしても分かり合えない相手だったり、どうしても受け入れられない価値観といったものがあると思います。価値観というのは人それぞれ違うものだから、他人の価値観が理解できなかったり受け入れられないといったことは当然ありますよね。
でも実は、自分が受け入れられない価値観の中にこそ、進化のヒントが隠されているのです。
僕らは自分のフィルターを通して世界を歪めて見ている
僕らはみんな、それぞれ自分なりの価値観や常識を持っていますよね。価値観や常識といったものは、これまで自分が生きてきた中で様々なものから影響を受けながら作られてきたものです。自分の親や身近な人間、学校の教師や友達、会社の上司や部下、自分が憧れる人や尊敬する人、または本、映画、テレビ、ネット…そういった様々な人や情報に触れることによって、自分なりの価値観や常識は作られていきます。
つまり価値観・常識とは、これまで生きてきた自分自身の経験によって作られたものであり、僕らは自分独自の経験によって作られた「価値観・常識という名のフィルター」を通して物事を見ているわけです。
そしてこの「価値観・常識という名のフィルター」というのは、当然ですが人それぞれ違います。全く同じものは、一つとしてありません。
ところで、頑固な人っていますよね。絶対にこれが正しい、こうしなければならない、こうあるべきだ、正解は絶対に一つしかない…みたいな、自分の価値観・常識がこの世界での正解だ、みたいな人がいると思います。特に正義感の強い人なんか、そうですよね。
こういった人は、自分自身が自分独自のフィルターを通して物事を見ていることに気づいてないんですね。というか、フィルターの存在そのものに気づいてなかったりします。
例えばですが、事業に成功してお金持ちになった人を見て、「どうせ人を騙したり、汚いことをして成り上がったんだろ。」と見る人もいれば、「元々センスや才能があったに違いない。」と見る人もいるし、「きっと誰よりも努力して勉強したから、成功できたんだろう。すごい人だな。」と見る人もいます。
同じ人・同じ結果を見ているはずなのに、なぜこんなにも評価が変わってしまうのか?
それはそれを評価する側の人間の持つフィルターが違うからです。同じ結果でも、その結果をそのまま見ているわけではありません。人は必ず自分独自のフィルターを通して物事を見ているのです。だから見え方もまるで変わってくる。つまり事実は一つでも、真実は人それぞれ違うということ。
何が正しいかという以前に「自分は自分独自のフィルターを持っており、その偏ったフィルターを通してこの世界を見ているんだ」ということに、僕らは気づかないといけないのです。
とは言っても、「自分のフィルターは偏っているから、それを正しく直さないといけない」なんて話をしているわけではありません。そもそも何が絶対的に正しい事かなんて誰にも分からないわけですから。だから僕は「あなたの偏ったフィルターを正しく直しましょう。」なんてことを言いたいわけではなく、「私は、自分独自のフィルターを通してこの世界を見ているんだ。」ということに気づきましょうという話をしているのです。
人は自分のフィルターを通し、自分の見たいものだけを見ようとします。例えば嫌いな相手に対しては、その人間のあら探しばかりをしてしまうし、反対に自分が好きな相手に対しては、その人間の良い部分ばかりが目に付くものです。
でも自分が嫌いな相手にも良い部分や優れた部分はあるし、逆に自分が好きな相手にもダメな部分や悪い部分はきっとあるはずです。でも自分が見たいのは、嫌いな相手のダメな部分であったり、好きな相手の良い部分だったりするわけです。だから、そういった自分が見たい部分ばかりを無意識に探し、見たくない部分はスルーする。
年配者が若者を批判したり、逆に若者が年配者を批判する光景をよく目にしますが、これはまさにそうです。自分の中にあるフィルター(=思い込み)が目の前の世界を歪めていることに気づかず、視野を狭めてしまっていることに、本人も気づいてないのです。
とは言っても、僕自身も常に自分の偏ったフィルターを通して世界を見ています。でも僕は、「僕の中にあるフィルターは僕独自のものであり、その偏ったフィルターによって僕はこの世界を自分に都合よく歪めて見ているんだ」ということを知っています。そのことに気づいています。だから、物事をより中立的な立場から捉えることも出来るし、他人の価値観も受け入れることが出来るのです。
大事なのは自分の持つフィルターの歪みを矯正することではなく、「自分の中にある自分独自のフィルターによって、この世界を自分にとって都合よく歪めて見ているんだ」ということに気づくこと。そこに気づくだけで、世界の見え方はまるで変わります。物事の捉え方や自分を取り巻く人間関係も、まるで違うものへと変わるはずです。
また、僕は幼少期から自分の事を「出来損ないのダメ人間だ」と思っていたのですが、これも僕自身が「どうせ僕は何をやってもダメなヤツなんだ」というフィルターを通して自分自身を見ていただけなんですね。でもそのフィルターに気づくことによって、「僕だけでなく周りのみんなもたくさんの不安を抱えながら生きているし、常に自信満々な人間なんていやしない。僕と同じくみんなもいろんな不安や恐怖と戦いながら懸命に生きているんだ。」ということが見えてきました。
まずは自分が「自分独自の偏ったフィルターを通してこの世界を見ているんだ」ということに気づくことです。たったそれだけで、あなたの人生に確実に変化が訪れるはずです。
進化は常に居心地の悪い所にある
ところで、同じような価値観や常識を持っている相手って、一緒に居て居心地がいいですよね。よく、「相性がいい」とか「相性が合う」とか言いますが、相性がいい相手というのは、つまり自分と同じようなフィルターを持つ人間ということです。
そういう相手のことって、受け入れやすいですよね。というかどんな意見や考えを言われても、相手はあなたのフィルターを通過しやすい意見しか言わないわけだから、当然と言えば当然です。
ではその相性のいい相手の意見をあなたのフィルターに通し続けて、あなたの持つフィルターに何かしらの変化はあるでしょうか?変化はほぼ無いですよね。
ところであなたに質問ですが、今のあなたの人生は充実していますか?何一つ不満はなく、順風満々な人生を生きていますか?
もしそうなら、とても羨ましいですね(笑)
僕からは何も言うことはありません。
でももし、今の人生が充実していなかったり、または仕事や人間関係が上手くいってないのなら、今のあなたの現実を作り出しているあなた自身のフィルターを変える必要があるかもしれません。
それで、例えば先ほど話した相性の良い相手=同じようなフィルターを持つ相手の意見だけを受け入れ続けていても、あなたのフィルターは何も変わりません。いわゆるただの現状維持ということです。
あなたのフィルターを変えるためには、今までとは違うフィルターを組み込んでいく必要があります。これまでのあなたの価値観や常識では、自分の人生を望む形に変えられなかったわけですよね?つまり、あなたの望む人生は、あなたが今信じている価値観や常識の外側にあるということ。と言うことはつまり、あなたの望む未来は、今のあなたにとって受け入れがたいような価値観や常識の中に隠されているということです。
今の自分を変えるための進化の鍵やヒントは、常に自分の外側にあります。自分の殻に閉じこもったままでは、自分を変えることなど出来ません。
よく「勉強にしてもスポーツにしても仕事にしても、教えを素直に聞く人間ほど成長が早い」ということを聞いたことがあると思います。これは、自分の持つ価値観・常識・思い込みといったフィルターを外すことによって、相手の教えをスポンジが水を吸うかの如く吸収していくから、成長が早いわけです。
例えば、やり方に問題はあるけど仕事の出来る人や、卑怯なプレーをするけどスキルは超一流のスポーツ選手なんかがいますよね。こういった人たちは確かに人間的に問題があるかもしれません。でも、単に人間的に気に食わないという理由だけで全てを拒絶してしまうのは、もったいない。学べるものがあるなら学べばいいし、盗めるスキルがあるなら盗んで自分のものにするべきです。つまり人間的な部分にはフィルターをかけ、スキルの部分にはフィルターをかけずに吸収すればいいということ。
何でもかんでも受け入れればいいというわけではありませんが、もし現状に不満を持ち、本気で人生を変えたいと思うのであれば、今のあなたが持つフィルターを外してください。今のあなたにとって受け入れがたい価値観や常識の中に、必ずやあなたが進化するためのヒントが隠されているのです。
もちろん「あなたの信念をねじ曲げろ」なんてことを言っているわけではありません。ただ、信念を通すことと意地になることは違います。食わず嫌い程もったいないことはありません。自分の進化のために、何が必要か?一度口に入れてみて、美味しいとこだけ食べて、毒になる部分は吐き出せばいいのです。進化というのは、常に居心地の悪い所にあるのですから。
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