なぜ、人の心にはネガティブな感情が生まれるのか?
ポジティブ思考の人とネガティブ思考の人、この両者を分けるものとは一体何か?
それは「我慢」だ。我慢をして自分の気持ちを抑え込むほど、ネガティブな感情というのは生まれてくる。
つまりネガティブ思考の人は、普段から何かに我慢していることが多く、そのため不満をため込んでいることが多い。
それに比べてポジティブ思考の人は、我慢(=ブレーキ)ではなく、自分のやりたいこと(=アクセル)を優先する。
もちろん我慢をしないわけではないが、我慢の割合が少ない分、不満をため込むことも少ない。我慢(マイナス要素)が少なく、やりたいこと(プラス要素)を中心に自分の行動を組み立てるから、ネガティブな発想は生まれてこない。
では、ネガティブ思考を変えていこうとするなら、我慢をやめろということか?
その通り。
我慢するのをやめればいい。
意味のない我慢など、さっさとやめてしまえ
この日本という国は、我慢強い人間こそが良しとされる傾向がある。我慢強さが美徳であるかのような風潮が、この日本社会を支配している。
あなたは、どうだろう?
もし”我慢こそ美徳だ”と思っているなら、あなたは洗脳にかかっているかもしれない。
僕らは子供の頃から、躾という名の下に親や学校から我慢することを教え込まれる。社会に出ても、「最近の若い者は我慢が足りない」と言って、上から我慢を強要される。
不満があっても、文句を言わない。
例え異論があっても、上の決めた決定には口を挟まず従う。
理不尽な扱いを受けても、黙って我慢する。
我慢が出来るのは、人間が出来ている証拠。
個を出さず、和を乱さないように周囲に合わせられるのが、一人前の大人。
そうやって、目に見えない世間の同調圧力によって自分を抑えることを僕らは強制される。
なぜ、このような”我慢”という名の同調圧力が存在するのか?
我慢の同調圧力は、一体誰が作り出しているのか?
それは、国である。
この日本では、国が国民を従わせるために我慢の同調圧力を作り出している。
統治者にとって、国を支配するためには国民を従わせないといけない。特に多くの不満が噴出する戦時中などは、いかに国民に我慢させ、国に積極的に協力させるかを考えないといけない。
最近の若い世代の人は知らないかもしれないが、太平洋戦争時には国民の不満を抑圧するために、ある標語が作られた。
それは「欲しがりません勝つまでは」というもの。
この標語は一般公募によって作られたものだが、時の政府はこの標語をバンバン宣伝し、大いに活用した。戦争に勝つまでは一切贅沢は言わず、どんなに生活が苦しくとも喜んでお国のために協力する。我慢の出来ない人間は非国民であり、不満を漏らすことは日本国民として間違っている。
当時の日本はこうした我慢の同調圧力を、学校を利用して小学校入学時から徹底して子供たちに叩き込み、国民たちを徹底して洗脳していった。
しかしこれは戦時中に限ったことではなく、この日本は戦前も戦後も時の権力者によってこの手法が取り続けられている。国だけでなく、今も昔も多くの会社経営者・学校なども同じように、従業員や生徒に我慢を強いる。まるでそれが人としてのあるべき姿だとでも言うように。我慢することが、まるで日本人の美徳であるかのように。
日本の支配者階級にある人間はいつも、我慢の同調圧力によって人々を洗脳し、洗脳にかからない人間、つまり”No”の言える人間がいれば「我慢の出来ないヤツは社会不適合者だ」と言って排除しようとする。
僕ら日本人の多くは、自己主張せず、理不尽な事をされてもひたすら我慢する。
何も言わず、自分を守ることさえもせず、声も上げず、ただただひたすら我慢する。
だから日本人は過労死が多い。
だから日本人は自殺者が多い。
その我慢に、一体どんな意味がある?
もしあなたが普段からネガティブな感情に支配されて苦しいというのなら、あなたは何かを我慢しているのではないか?
一体何に我慢している?そして自分がなぜ我慢しているのか、しっかりと考えるんだ。
その我慢の先に、一体何がある?
その我慢の先に、あなたが手に入れたい現実は本当にあるのか?
もしあるのなら、何が何でも耐え凌いで、望む現実を必ず手に入れるんだ。
でもその我慢の先に自分の望む現実が無いのであれば、そんな我慢、さっさとやめてしまえ。一体いつまで、あなたの大切な時間とエネルギーを浪費し続けるつもりだ。
意味のない我慢をすることなく自分のやりたいことに夢中になっている人は、ネガティブな感情が入り込む余地が無い。
自分がやりたいこと・やりたい何かに没頭している時には、ネガティブな思考や感情というのは決して生まれない。自分の大好きな趣味や、やりがいを感じる仕事を夢中でやっている時、暗く落ち込んだ表情でやっている人などまずいないだろう?
目的の無い我慢をし続けると、人の心はいつか壊れる。
実は、犯罪を犯した囚人に対する精神的拷問の1つに、「全く意味のない行動を繰り返させる」というものが遠い昔に存在した。
具体的に何をさせるかというと、まず囚人たちにスコップで地面に穴を掘らせる。
そして地面に大きな穴が開いたら、今度はたった今掘った穴を埋めさせる。
穴を掘っては埋める、これをただひたすら繰り返させるだけ。
すると、人間はどうなるか?
意味の無い行為を繰り返すことにより、自分のやっていることが何の役にも立たないということを嫌でも自覚させられ、精神的に追い詰められて頭がおかしくなる。
目的の無い我慢というのは、これと同じだ。
何ら報われることのない我慢をし続けられるほど、人間は強くない。何ら目的の無い我慢は、ネガティブな感情を生み出し、最後はその人間の心を壊す。
あなたのその我慢の先には、一体何がある?
その我慢によって、一体何が手に入る?
我慢とは、欲しい現実を手に入れるためにやるもの。
その我慢の先にあなたの望む現実が待っていないのなら、それは単にあなたは相手や周りに都合よく操られているだけだ。
はっきり言おう。
その我慢の先にあなたの望む現実が待っていないのなら、その我慢、今すぐさっさとやめてしまえ。
我慢とは、自分のため、自分の愛する人の笑顔のためにするものだ。
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