実は出来損ないのダメ人間ほど大きな可能性を秘めている

自分の殻を破る方法

かつての僕は、コンプレックスだらけの出来損ない人間でした。幼少期から劣等感まみれで、秀でた部分も強みも得意分野も自信も何も無い、いわゆる凡人以下の人間でした。

そして僕はこのまま人として底辺を生きていく予定…でした。実際に僕は30代の半ばに差し掛かるあたりまで、人生のどん底を生きてきました。人生を、半ば諦めながら生きてきました。しかし僕は30代半ばからわずかな期間で己の人生を変え、そして今では僕は自分の望む人生を歩んでいます。

では、どうやって僕は自分の人生をどん底から逆転させることが出来たのか?
その一番の原動力となったものについて、今回話そうと思います。

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人生を逆転させてくれた原動力

元々僕は子供の頃から対人恐怖症であり、大人になるまで人とまともに目を合わせてコミュニケーションを取ることすら出来ないような人間でした。だから人の輪の中に自分から入ることもできず、いつも孤独でした。誰も僕のことを分かってくれない、誰にも理解してもらえない。誰にも心を許せず、誰にも心を開くことが出来ませんでした。

人と関わるのが苦痛でたまらない。嫌で嫌でたまらない。だから子供の頃から大人になるまで人と上手く関係を築くことが出来ず、いつも自分の居場所を作れずにいました。

劣等生だった僕は、幼少期から勉学をはじめ数多くのコンプレックスを抱えて生きてきましたが、僕にとっての一番にして最大のコンプレックスは「人とまともにコミュニケーションを取ることが出来ない」ということ。そして人と上手くコミュニケーションが取れないということは、学校や会社を始めとした日常生活も当然上手くいかない。人間関係に対する極度の苦手意識が、僕の人生そのものを狂わせていました。

このままどん底の人生を歩んでいくはずだった僕の人生。でも僕の人生を変えてくれたのは、実は皮肉にも僕自身の最大のコンプレックスであるはずの「人間関係に対する苦手意識」でした。

人に対して極端なまでの苦手意識を持っていた僕は、周囲の人間を怒らせないようにと、常に周囲の人間の機嫌を観察しながら生きてきました。
相手の機嫌は良いのか?悪いのか?もし機嫌が悪いのなら、その原因は一体何なのか?何に対して腹を立てているのか?どうすれば機嫌が良くなるのか?この機嫌の悪い相手に対し、僕は今どんな振る舞いをするのがベストなのか?

…こういったことを長年ずっと考えながら生活し続けた結果、いつの間にか僕は相手のちょっとした仕草や発言から相手の感情の動きを読み取るという特技が自然と身に付いていました。そして感情の動きをひも解いていくことにより、人と人との間にあるパワーバランスや人の行動原理といったものまでも次第に見えるようになっていきました。

僕のコンプレックスであり弱点だったはずの人間関係。その弱点が、いつしか僕の最大の武器へと姿を変えた。かつては人が苦手で苦手でたまらなかったこの僕が、面白いことに今ではこうして人間関係に関するブログを書いているわけです。

 

と言うことで僕の個人的な話はこの辺にしておきます(苦笑)
いわゆる”コンプレックス”というとネガティブな印象が先行すると思いますが、実はコンプレックスがあるからこそ、並大抵の努力では到達できないレベルにまで伸びる可能性を秘めているのです。コンプレックスがあるからこそ、そこに通常では成し遂げられないレベルにまで伸ばせる能力が生まれるのです。

かつての僕がそうであったように、何かにコンプレックスや苦手意識を持っているということは、その”何か”に対して人一倍注目し考えているということ。それに対して誰よりも真剣に向き合い、誰よりも真剣に考えている。だから自然とそれに対する理解も深いものになるし、誰よりも本質が見えるようになる。

僕にとってコンプレックスとは、僕の人生を変えてくれた原動力であり、神様から与えられたギフト(贈り物)だと思っています。

もしあなたが、
「自分には何も才能が無い」
「自分の才能がどこにあるのか分からない」
と悩んでいるのなら、コンプレックスに目を向けると何か良いヒントが見つかるかもしれません。

人は、変われます。
そしてその一番の原動力となるのはコンプレックス、劣等感です。劣等感は向上心の裏返しであり、強い劣等感があるからこそ人は変わることが出来るのです。

アメリカ人のジョージ・レナードという人が書いた『達人のサイエンス』という本があるのですが、その本の中で、馬には最高の駿馬・普通の駿馬・駄馬・最低の駄馬という四種類があるそうです。

それで
・最高の駿馬→鞭を当てられずとも騎手の意志に従ってスピードや方向を変えて走る
・普通の駿馬→鞭が馬身を叩く直前になって初めて最高の駿馬と同じように走る
・駄馬→馬身に鞭の痛みを感じなければ言うことをきかない
・最低の駄馬→骨の髄まで鞭の痛みがしみなければ言うことをきかない

こう書かれていますが、例えばあなたがこの「四種類の馬のうち、あなたはどの馬になりたいですか?」と聞かれたら、ほぼ全ての人が「最高の駿馬になりたい」と答えるのではないでしょうか。

でもこの本の中で著者は、最高の駿馬は最低の駄馬になり易く、逆に最低の駄馬は最高の駿馬になり易いと言っています。その理由は、「最高の駿馬の様に何の困難もなく簡単に物事を覚えてしまうと、真剣に努力する気がなくなり、物事の本質(核心部分)まで突き進めなくなる傾向があるから」と説明しています。

もしあなたが生まれつきの天才であり、どんなことでも簡単に出来てしまう人間だったなら、おそらくあなたは自分の人生において努力をすることはないでしょう。でも努力をしなければ人は成長することは無いし、自分の中にある能力が伸びることも無い。そして成長しなければ必ず周りの人間に抜かれていく。
実は世の中の天才と呼ばれる人は、見えない所で誰よりも努力をしているものです。

人は失敗するから賢くなるのです。乗り越えられない壁にぶつかるからこそ、人として成長するのです。かつての僕は、コンプレックスだらけの出来損ない人間でした。でも僕の中に強烈な劣等感や苦手意識があったからこそ、普通では成し遂げられないほどの成長をした。普通に生きていては手に入れる事の出来ない「相手の感情の動きを読み取る」という特技も身に付けることが出来た。

僕にとってコンプレックスとは、僕の人生を変えてくれるために必要な、神様が与えてくれたギフト(贈り物)。劣等感があるからこそ、物事の本質が見えてくる。劣等感があるからこそ、今以上に進化できる。コンプレックスとは、まさにあなたの未来の可能性そのものなのです。

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