「人間的に優れた人ほど、欲が無いものだ」
「欲の強い人は自己中心的で心が汚く、反対に欲の少ない人ほど心が清らかだ」
あなたの中に、こんなイメージありませんか?
実際、多くの人が「欲とは汚いものだ。欲張るのは良くないことだ。」と、心のどこかでそう思っているのではないでしょうか。
僕も以前は、そう思っていました。「お金を欲しがるのは、卑しい行為だ。」「無いものを求めるのではなく、今あるものに感謝し、現状に満足するべきだ。」そう考え、自分を戒めていました。
でも、それによって僕の人生が良くなったか?人生が上向きになったか?と言われれば、残念ながらちっとも良い方向へは変わりませんでした。むしろ、収入面だけでなく様々な面で現状維持すら出来なくなるという状況へと追い込まれていきました。
欲を持つというのは良いことなのか?それとも悪いことなのか?
より良い人生を生きるために、自分の中にある欲を肯定すべきなのか?それとも欲を捨てるべきなのか?
そもそも欲望とは、一体何なのか?なぜ僕らの中には欲望というものが存在するのか?
今回は欲望について、僕なりの考えを話そうと思います。
欲の無かった、かつての僕
自分で言うのも変ですが、僕はとても欲の少ない子供でした。もちろん欲が全く無かったわけではないのですが、自分の欲しいものを親にねだることもほとんど無かったし、友人や周りの人間に対しても自分から何かを要求したり自分の意見を主張するといったこともしない。僕の持っているものでも他人が欲しがっていれば譲るし、常に他人を優先してあげるような子供でした。
そしてそれは成人してからも、やはり同じでした。人とご飯を食べに行けば、驕ってあげる。職場でも、オイシイ仕事が舞い込んでくれば他人に譲ってあげる。
実は僕、社会人になってから仕事でトータル100万円近く自腹を切っています。なぜ僕はそんなにも自腹を切っているのか?
僕は長年葬儀の仕事をしてきているのですが、自分が担当したお客さんの中には様々な事情で借金まみれになっている人もいます。当時まだ結婚もしていなくて金銭的にも余裕のある生活をしていたかつての僕は、借金まみれのお客さんの葬儀費用を何度か肩代わりし、気づけばトータルで100万円近くまで支払っていたわけです。
今の僕ならそんなことにはなりませんが、当時の僕は「自分が肩代わりして相手が助かるのなら、それでいい」と思い、自腹を切り続けていたのです。自分で言うのもなんですが、笑ってしまうぐらい欲のない人間でした。
では今の僕は、どうなのか?
昔と同じように欲の無い人生を送っているのか?
今の僕は、ある意味欲の塊のような人間です。本気で欲しいと思ったものがあれば、どんな努力や苦労をしてでも手に入れる。昔の僕とは正反対のような生き方を、今の僕はしています。
まるで欲の無かったかつての僕が、なぜこれほどまでに変わってしまったのか?それは「僕の中に欲が無かったのではなく、単に自分の中にある欲から目を逸らしていただけだった」ことに気づいたからです。
欲と向き合う
一口に「欲」と言っても、様々な欲があります。欲求と言えば食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求が有名ですが、他にも「お金が欲しい、家が欲しい」といった物欲や、「地位や名誉・名声が欲しい」といった承認欲求、「もっと知りたい、もっと成長したい」といった成長欲求など、様々な欲が僕らの中にはあります。それで、「欲」と言うとネガティブなイメージを持ってしまいがちですが、実は決して悪いことばかりではありません。
例えば夢や希望というとポジティブなイメージを思い浮かべますよね。ですが夢や希望といったものも結局は欲と一緒であり、自分の中にある欲求や願望が表に表れたものです。表現方法が違うだけで、根っこは同じです。元々は全て自分の欲求から生まれたものであり、本来それ自体に綺麗も汚いも無いわけです。
欲とは本来、今より良い状態を目指そうとする心や本能の働きによるもの。現状に満足できないからこそ欲が生まれるのであり、自分にとって今以上に良い現実を望む心の働きが欲となって自分を突き動かす。つまり、欲とは向上心そのものと言えるわけです。
でも例えばいくら欲を持っていても、その欲(願望)があまりにも今の自分から現実離れしていてどう考えても実現不可能だったとしたら、どうでしょう?どんなに望んだって叶うことが無いと分かっているなら、おそらく大抵の人は心のどこかで諦めてしまうのではないでしょうか。
でももし、諦めようとしても諦めきれない願望があなたの中にあるなら、それは心のどこかで「それを実現できる可能性がある」「自分にはそれを実現させるだけの力があるのではないか」と思っているから、諦めたくても諦めきれないのですよね。つまりそれは、自分自身に可能性を感じているということ。
かつての僕は子供の頃からずっと「自分なんて所詮この程度の人間なんだから、高望みなんてしちゃいけない。」そうやって自分の中にある欲や願望から目を逸らしながら生きてきました。僕の中に生まれた夢や希望を黙殺し、幾つもの可能性を自らの手で握りつぶし続けてきました。
その結果、僕の人生はどうなったか?
気づけば僕は人生に希望を見いだせない無気力な人間になっていました。自分の人生であるにもかかわらず、まるで他人事のように自分の人生を眺め、何をするにも他人任せ。向上心もまるで無く、自分の人生を良くしようとも思わない。
僕は、周囲からどんどん落ちこぼれていきました。
人生のどん底まで落ちぶれ、もう後が無い所まで追い込まれてしまった僕は、生まれて初めて「これから先、お前は一体どうしたいんだ?どうなりたいんだ?どんな生き方・どんな人生をお前は送りたいんだ?」そう自分に向かって本気で問いかけました。本気で考えました。生まれて初めて真剣に自分の欲と向き合い、自分の本音に耳を傾けました。
欲=未来の可能性
今の僕は、常に何かしらの願望を抱えながら毎日を生きています。常に理想や目標を心に思い描き、それに向かって行動し続けています。時には身の程をわきまえない願望を抱いて、自ら自分の首を絞めてしまうこともよくあります(苦笑) でも、苦しいけれど毎日がとても充実しています。自分を追い込むのが面白くてしょうがない。もうマゾですね(笑)
さんざん自分の欲から目を逸らしながら生きてきた僕がたどり着いた答え、それは「自分の中にある欲を正直に認め、その欲ときちんと向き合うことをせずに良い人生を送れるわけがない」ということ。欲から目を逸らすとは、自分に嘘をつくのと同じこと。もちろん叶わない願望も当然ありますが、その願望を初めから無いものとして見て見ぬふりをするのは、自分で自分を騙しているのと同じです。
そもそも自分の欲=本音をちゃんと認識できていないのに、自分がどんな人生を生きたいのかなんて分かるわけがない。理想が見えていないのに、理想の人生を歩むことなんて出来るわけないですよね。
よく、「人間が出来た人ほど欲が少ない」と言いますが、そんなことはありません。いや、むしろ真の人生の成功者ほど、誰にも負けない強烈な欲を持っていたりするものです。
僕が歴史上の人物で尊敬している、マハトマ・ガンディーという人がいます。この人はかつてイギリスの植民地であった祖国インドを独立へと導く原動力となった人ですが、この人は武力でインドを制圧しようとするイギリスに対し、暴力的な手段に訴えずに愛によって相手を説得するというやり方を貫き通し、見事インドを独立へと導いていきました。
まさに愛を持って多くの人に与え続けた人生を彼は生きたわけですが、おそらく多くの人が「ガンディーは無欲な人だ」というイメージを持っていると思います。ですが僕は、この人物はすさまじいまでの欲のエネルギーを持っていた人だと思っています。
ガンディーの残した言葉の一つに「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。」という言葉があるのですが、まさにガンディーは「イギリスからのインド独立」というガンディー自身が見たいと願った願望を叶えるために、どんな迫害を受けようとも一歩も退きませんでした。自分の望む現実を何が何でも手に入れるんだという、まさにすさまじいまでの欲のエネルギーを持った人だったと、僕は思っています。
そしてガンディーだけでなく歴史上の偉業を成し遂げた人たち、または僕らの身近にいる成功者と呼ばれる人たち、そういった人たちは例外なく自分の欲望や願望に対してとても正直であり、まさに自分の中にある欲望や願望を前進するためのエネルギーに変えることによって大きな結果を出しているのです。
でも多くの人が自分の中にある欲望や願望に気づいたとしても、残念ながら無意識にブレーキをかけていたりします。かつての僕の様に「どうせ自分には無理だ」「分不相応なことを望んではいけない」そうやって多くの人が自分の可能性を自分の手で抑え込んでしまっている。
またはお金が欲しいがために汗水流して働きながらも、一方では「お金持ちはずる賢くて汚い人間だ」と言ってお金を稼ぐことを否定している。明らかに矛盾していますよね。これではいつまで経っても自分が望むような豊かな生活を手に入ることは出来ません。
僕がこれまでの自分の人生を通して知り得た真実、それは「自分の欲や願望に対して正直な人間ほど、成功しやすい」ということ。自分の欲や願望に対して正直であればあるほど、その欲や願望が強力なエネルギーとなって目標に向かって一直線に突き進んで行く。
そして「欲や願望というのは、その人間の持つ可能性そのもの」ということ。欲や願望というのは、向上心へと姿を変えます。欲や願望が強ければ強いほど、それだけ自分の中に強い向上心を生み出します。
これまでの日本の教育は、自分の欲を押し殺し、他人を優先してあげる事が人としての理想の姿であり、それを目指すべきだと人々を洗脳し続けてきました。そしてその結果、多くの人が他人の目ばかり気にして自己主張や本音を言えなくなった。自分の本音や本心がどこにあるのか、みんな分からなくなってしまった。
今の僕は、自分の欲に正直に生きています。とは言っても、「自分さえ良ければいい、他人の事など知ったこっちゃない」なんて話では、もちろんありませんよ。言うまでもないかもしれませんが、それだとやっと自我の芽生えたばかりの幼児と同じですから。
自分の中に欲や願望があるように、他のみんなにも同じようにそれぞれ欲や願望というものが当然あります。だから自分の欲を自分で認めるのと同じように、相手の中にある欲も認めてあげる。
「自分の欲を抑えて、相手の欲を優先してあげる」ではダメ。
「自分の欲ばかりを優先して、相手の欲は無視する」でもダメ。
「自分の欲を主張しつつ、相手の欲もきちんと認め、そして拾い上げてあげる」つまり、互いにwin-winの関係を築くことを常に目指すということ。
それを理解した上で、変な遠慮はしない。自分の中にある欲や願望に対して正直になるのです。あなたの中に存在する欲や願望は、あなた自身の未来の可能性そのものなのですから。
メッセージ