「私は一体どうすればいい?」自分の選択に自信が持てない時…【アンチヒーロー編】

アンチヒーロー

人生とは、まさに選択の連続。日々の些細な選択から人生を変えるような大きな決断に至るまで、自分の行った様々な選択によってその先に続く自分の人生そのものが決定されていく。そして選択に従って起こした自分の行動は、取り消すことは出来ない。行動を起こしたその瞬間から、その影響は未来の自分の人生へと波及し、己の人生を形作っていく。

場合によっては、取り返しのつかない選択をしてしまうこともあると思う。たった一度の選択や決断によって、自分や周りの人間の人生を追い詰めてしまうことだってあるかもしれない。

何かを選択するというのは、そこに必ず責任が伴うもの。その決断が正しかろうが間違っていようが、その選択や決断に対し自分の人生を通して必ず責任を背負っていかなければならない。それが人生を生きるということ。

そのことを、一体どれだけの人が理解して日々生活しているだろうか。

 

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“正しい選択”という幻

人生において、自分がどの道に進むのかという選択や決断は、とても大切だ。でも正しい決断というのは、実は存在しない。

例えばあなたの前に二つの道があるとする。どちらの道に進むべきか、あなたは迷っている。果たしてどちらの道が正しいのか?

どちらの道が正しいのか確かめるためには、あなたが分身の術を使って二人になり、全く同じ状況・全く同じタイミングでそれぞれの道を進んで確かめてみるしか方法はない。二つの道を同時に歩き、そしてその道をあなたの人生が尽きるまで歩き続け、その命が尽きる時に答えは出るだろう。

いや、もしかすると命が尽きるまで歩き続けても、答えは出ないかもしれない。
かのノーベル賞の創始者として有名な「アルフレッド・ノーベル」は、ダイナマイトを開発した。このダイナマイトは当初トンネル建設などの土木工事で素早く安全に掘削できるとして、多くの工事従事者たちを助けることとなった。しかしそのダイナマイトは開発者であるノーベルの意に反し、工事ではなく戦争などで大量虐殺に使われるようになっていってしまった。

そしてノーベルは54歳の時に兄に宛てた手紙の中で、このように自身の事を語っている。「アルフレッド・ノーベルはこの世に産声をあげたときに、人道的な医師によって窒息させられていればよかった」と。

しかし僕ら人類の文明や今の生活は、ダイナマイトの開発をはじめ様々な科学技術の発展の上に成り立ち、そして僕らはその恩恵を受けながら生きている。このノーベルの偉業がこの地球や僕ら人類にとって正しかったのかどうか、結局のところは誰にも分からない。”人間万事塞翁が馬”という諺があるが、結局誰にも絶対の正解を導き出すことなんて出来ないということ。僕らは神でも何でもないのだから。

では僕らに出来ることは一体何なのか?どのように生きていけばいいのか?

自分が一体どんな選択をするのかというのはとても大事なこと。しかし本当に大切なのは、実は「自らが選んだその道において、どれだけ最善を尽くして生きることができるのか」ということ。

人生は迷いの連続であり、迷わない人なんて一人もいない。
でも、これだけは覚えておいて欲しい。「右に進めば右の人生の中に、また左に進めば左の人生の中に、それぞれ”最善の道”が必ず用意されている」ということを。

どちらの道に進んでも、必ず「この道を選んで良かった」と思える道が必ず待っている。大切なのは、その場その時その瞬間において、自分の心を尽くし力を尽くして生きること。自分の決断を信じ、最善を尽くして生きたなら、きっとあなたの歩いた後には「最善の道」という名の足跡が刻まれているだろう。

もし仮に自分の選択が明らかに間違っていると思うのなら、すぐにでも軌道修正し、正しいと思える道に向かって今すぐにでも走りだせばいい。最も避けるべきは、迷い続けていつまでもその場で足踏みし続けること。全て中途半端に終わり、何も成し遂げられなくなる。そこには後悔の人生しか残らない。

自分の心に問いかけるんだ。真に自分のしたいことは何か?自分の進みたい道はどちらか?自分の心の声に耳を傾け、そしてそれに従うんだ。そして決断したなら、とにかく全力で突っ走れ。力の限り突っ走るんだ。全力で走り切ったその先には、「この道を選んで良かった」と思える人生が、きっと待っている。

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