あなたは、自分の望む人生を生きているだろうか?
自分のやりたいことを、人の目を気にせずやれているだろうか?
えっ、お前はどうなのか?だって?
僕は日々、やりたくないこともやりながら生きている。
僕の仕事はサービス業なので、時には頭を下げたくないお客さんに頭を下げることもある。
気の乗らない仕事も、やはりある。
でも僕は自分がやりたいと思ったことは、遠慮せずにやる。例え周りから白い目で見られようと、批判されようと、例えバカにされようとも、構わずやる。
もちろん僕がそれをやることによって周りに実害が出てしまうのなら、話は別だが。
和して同ぜず
この日本という国は、和を重んじる傾向がとても強い。和を乱す行動は人として恥ずべき行為とされ、タブー視されている。
確かに僕も、人の和を乱す行為というのはよろしくないと思う。例えば何かを買うためにお店に行った時、自分の他にもたくさんのお客さんが買いに来てて列になっているなら、当然その列の最後尾に並び、必ず順番を守る。まぁ、人として当然のことだ。
また、みんなが力を合わせて何かを成し遂げようとしているなら、僕も共に力を合わせるだろう。人は独りで生きてるわけではない。お互いに助け合い協力し合いながら、生きている。みんなで力を合わせるのは、当然のことだ。
ただ、残念ながら多くの日本人が勘違いをしている。
決められたルールをどんな時でも守ることが、和を重んじることだと思っている。みんなと同じように行動すれば、和を重んじることになると思っている。
大きな勘違いだ。
和を重んじるとは、そんな薄っぺらいことではない。
その他大勢に合わせ、みんなと同じコピー人間になって安心している…それは単に思考停止を起こしているだけに過ぎない。自分の人生を生きているとは、とても言えない。
それは和を重んじているのではなく、単に人から批判されないように逃げているだけだ。
中国の論語に、「和して同ぜず」という言葉がある。
その意味は、「人と協調をするが、決してむやみに同調しない。人間関係における人の和を大切にしつつも、その場しのぎの無責任な賛成などは決してしない」ということ。
“和”とは、人と人が互いに認め合い尊重し合ったうえで、お互いが一人の自立した人間として共に手を携えること。違いを認め合ったうえで、共存の道を積極的に探ること。それが出来なければ、和を重んじる以前の問題であり、まずは人としての精神的な自立を目指すべきだろう。
そもそも人との違いを認められないのは、自分の生き方に自信が無いからだ。
自分の考えや行動が正しいかどうか自信が無いから、自分と違うことをしている人を見つけると不安になる。自分を信じることが出来ないから、その他大勢に合わせて安心しようとしてしまう。
かといって僕は、その他大勢に合わせる生き方を否定するつもりはない。それがその人の生き方であるなら、他人である僕が口出しする権利はない。
でも、あなたはそれでいいのだろうか?
他人の目ばかりを気にして、自分のやりたいことからも目を背ける。
人から批判されないことばかりに神経を遣い、言いたいことも言えない。
ひたすら周りの視線に踊らされ続ける。
そんな生き方で、本当にいいのか?
あなたの人生が終わる時、後悔しないと言い切れるか?
人の目や人の批判に左右されるということは、他人の価値観・他人のルールで生きているということ。つまりそれは、他人の人生を生きているのと同じこと。
人と違うことを、恐れるな。
あなたの人生はあなたのものであって、決して他人のものではない。他人は関係ない、これはあなた自身の心の問題だ。
そもそも人と違うことをしたって、実際には大したことは起こらない。みんなが恐れているようなことなんて、ほぼ起こらない。恐れる必要など、無い。
やり直しのきかない、一度きりの人生。
自分が納得の出来ると思える生き方をするんだ。
死ぬ時になって後悔するような生き方なんて、絶対にするな。
己を縛る鎖から解放された時、きっと違う世界があなたを待っているから。
メッセージ