かつての僕は、対人恐怖症でした。
大人になるまで、人と目を合わせることが出来なかった。
人の目を見て話をすることが、出来なかった。
自信が無く、ここぞという時にはいつも後ろに下がる。
そんな僕を見かねて誰かが助けの手を差し伸べてくれるまで、じっとうずくまったまま。
人から期待されるのが怖い。
期待に応えられる自信が無いから、怖くて怖くてたまらなくなる。
僕には、何も出来ない。
何かが出来るような気が、まるでしない。
自分の殻に閉じこもり、他人が頑張るのを憧れと嫉妬の目で眺め続けているだけ。
チャレンジして失敗するのが、怖い。
人に嫌われるのが、怖い。
怒られるのが、怖い。
バカにされるのが、怖い。
人から見放されるのが、怖い。
自分が傷つくのが、怖くてたまらない。
僕には、勇気が無かった…
勇気の源となる、たった1つのもの
勇気とは、一体どこから湧いてくるのか?
どうやったら、勇気を出せるのか?
子供の頃から、
「リスクを恐れずチャレンジする人」
「困難に対し、勇気を持って一歩踏み出せる人」
そんな人が、僕は羨ましくて仕方なかった。
でもだからと言って、子供のような「怖いもの知らずの勇気」が欲しいわけではない。
そんなものは、本物の勇気とは呼べない。
後先考えず突き進むのが、真の勇気ではない。
真の勇気とは、恐れや不安を真正面から受け止め、それを乗り越えていく心の強さ。
恐れや不安に負けない心の強さのこと。
窮地に立たされた時、そこから逃げず、投げ出さず、諦めず、勇気を持って一歩踏み出せるかどうかで、人生が変わる。
1つ1つの勇気ある行動の積み重ねが、いずれ大きな波となり、人生を確実に変えていく。
では、どうすれば勇気を持って一歩踏み出すことが出来るのか?
どうすれば、不安や恐怖に打ち勝つことが出来るのか?
勇気が生まれるその源、それは「自分を信じる気持ち」。
自分を信じることが出来なければ、勇気が生まれることは決してない。
困難にぶつかった時、
「とても無理だ、自分には乗り越える力なんて無い。」
と決めつけてしまえば、とたんに勇気はしぼみ、そこから逃げ出すことで頭はいっぱいになる。
自分の力・自分の可能性を信じることが出来なければ、取れる行動は1つしかない。
そこから逃げ出すことだけ。
勇気とは、自分を信じる気持ちの強さであり、自分を肯定することでもある。
失敗して反省はしても、自分を否定してはいけない。
自分の間違っていた点を改めるのは当然すべきことだが、たとえどんなことが起ころうと、自分の存在そのものはどんな時も決して否定してはならない。
もしあなたが普段から「自分の居場所が無い」と感じながら生きているのなら、もしかするとあなたは心の中で自分の存在を否定しているのかもしれない。
そして自分を信じるとは、自分で自分自身を認めてあげること。
仮にいくら他人から認めてもらったとしても、自分で自分を否定してしまっているのなら、意味が無い。
周りの評価は、関係ない。
他人ではなく自分で自分のことを受け入れ信じてあげなければ、勇気を出して前に踏み出すことは絶対に出来ない。
不安や怖れに打ち勝つ唯一の方法、それは自分を信じること。
どれだけ上手くいかないことが続いたとしても、
「たとえ今はダメでも、自分ならいつか必ず乗り越えることが出来る。」
そうやって、自分の可能性を信じ抜けるかどうか。
自分の可能性を少しも信じられないのなら、勇気を手にすることは決して出来ない。
自分の可能性を諦め、自分を見限り、自分を見放している人間は、この先もずっと勇気を手にすることは無い。
自分に可能性が無いということはつまり、この先の人生も良くなることは無いということ。
つまり、希望が無い。
そして、人は希望が無ければ生きていけない。
全ての希望を失えば、人は自ら命を絶つことさえある。
つまり勇気とは、希望そのもの。
自分の可能性を信じることが出来るからこそ、勇気が湧いてくる。
勇気を手にしたいなら、自分を信じる気持ちを高めるしかない。
どんなに上手くいかないことが続いても、どんな悲惨な状況に追い込まれようと、
「自分なら、必ず乗り越えられる。」
そう自分の可能性を信じ切れるかどうかにかかっている。
僕らの人生は、良くも悪くも僕らの行動の1つ1つが積み重なった結果。
自分を信じ、勇気を持って1つ1つの行動を起こし続ければ、それは積み重なり、やがて大きな力となって人生を大きく動かし始める。
1つ1つの勇気ある行動が、自分の心、そして自分の現実に確実に影響を与える。
自分の勇気ある行動が自分に対する自信となり、その自信がさらに勇気を引き出していく。
全ては自分の可能性を信じられるかどうか。
それが、僕らのこれからの人生の全てを決める。
メッセージ