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メッセージ
診断ありがとうございます。
以前の自分は自己肯定感が低く、記事にもあった
「怒られキャラ」
でした。
今もその傾向はありますが、かなり減ってきました。
「今までの経験は無駄じゃなかった!」
と心から思えます。
これからは、自分の経験を生かして、
「人は変われるんだ!」
を伝えていくべく勉強しています。
ありがとうございました!
ナナぽんさん、メッセージありがとうございます。
僕もこれまでロクな人生を歩んできませんでしたが(笑)、それらの経験の全てが今の僕に繋がっている、それらの経験の全てが今の僕を作ってくれている、そう実感しています。
どれひとつ欠けても今の僕は無い、どれひとつ欠けてもらっても困る、僕にとってはこれまでの経験の全てが大切でかけがえのないものです。
そしてナナぽんさんが「人は変われる」ということを、伝える側に回ってくれることほど僕にとって嬉しいことはありません。
僕もまだまだ未熟です。
まだまだ成長したい、進化したい。
そして僕が学んだことを、もっと多くの人たちに伝えていきたい、そう思います。
これからも共に手を携え、共に歩んでいきましょう。
仁より
私は障害者で、たくさんの病気を持って生まれて来ました。そのために、母親から虐待を受けて育ち、自分を、存在を否定するように、しつけられて育ち、今でも自分が嫌いで仕方ありません。なんだか生きているのに疲れてしまっています。自信も、ましてや希望もあリません。この先の人生も、悪い事しかないような気がします。
雪ん子さん、メッセージありがとうございます。
生まれた時からの障害、そして母親からの虐待…
僕なんかが想像出来ないような、大変な人生を歩んでこられたんですね。
僕は障害は持たずに生まれたんですが、成長過程で精神的にバランスを崩してしまい、極度の人間恐怖症、また幼い頃から未だに無くなることのないチック症、あがり症、ストレスからくる偏頭痛など、周りのみんなのように上手に生きることが出来ずにこれまで生きてきました。
僕はずっと、自分のことを「出来損ない」「失敗作」だと思いながら生きてきました。
でもそんな僕だから、人生を上手く生きることの出来ない人間の気持ちが分かります。
僕と同じように上手に生きることが出来ない人間を支え、手を差し伸べることが出来ます。
自分の体験談を語ることにより、僕と同じように苦しんでいる人に「問題を乗り越えるためのヒント」を示してあげることが出来ます。
共に苦しみ、共に考え、そして共に手を携えて戦うことが出来ます。
これまでたくさんの苦労をされてきた雪ん子さんなら、誰よりも人の心の痛みが分かるんじゃないでしょうか。
いっぱい苦しんできた分、人の気持ちが分かる。
苦しみが深ければ深いほど、そこには同じだけの愛情が溢れている。
雪ん子さんはきっと、誰よりも情の深い人だと思います。
これからも、いろいろつらいことがあるかもしれません。
この先も、平坦な人生ではないかもしれません。
そして、雪ん子さんと同じように、人生に悩んだり苦しんだりしている人も必ずいます。
そんな人たちの力になってあげられる、助けになってあげられる、そんな存在に雪ん子さんがなってあげてください。
雪ん子さんなら、きっとなれる、そう信じています。
何かあればまた、遠慮なくメッセージ下さいね。
仁より
私は、軽度の知的障害があります。
何をやっても、上手くいきません。
本当に、つらいです。
ひばさん、メッセージありがとうございます。
「何をやっても上手くいかない」
ひばさんは軽度の知的障害を持っている分、人と同じような結果を得るためには人の何倍も努力しないといけないのかもしれません。
ひばさんが今、具体的にどんな悩みを抱えてらっしゃるのか僕には分かりませんので、なかなか上手い言葉が見つからないのですが、「上手くいかない」ということは、周りのみんなと比べて「同じように出来ない」と感じているんですよね?
周りのみんなと同じように出来ないから、悩んでいるんですよね?
周りと同じように出来る必要があるんでしょうか?
周りと同じような生き方をする必要があるんでしょうか?
僕には知的障害などはありませんが、幼い頃からいわゆる”落ちこぼれ”でした。
何をやっても人と同じように出来ない、いつも周りの足ばかり引っ張る…周りの人間のお荷物以外の何ものでもありませんでした。
だから、常に周りの人間の機嫌ばかりを窺いながら生きてきた。
とにかく周りの人間を怒らせないよう、周りの人間の機嫌を損ねないよう、細心の注意を払いながら生きてきました。
でもそのお蔭で、他人の感情や心理状態が読めるようになった。
他人の機嫌ばかりを窺い、自分の意思では何も出来なかった弱い僕の心。
でもその弱い心が、僕の中に唯一の武器を作り出してくれた。
まさに僕の劣等感が、強い武器へと変わった。
ひばさんには、何か”強み”はありますか?
自信を持てるような強みが、ひばさんの中には何かありますか?
いきなりそんなこと聞かれても、すぐには思い浮かばないかもしれません。
だから、ゆっくり時間をかけて「私の強みは一体なんだ?」と自分に問いかけてみて下さい。
強みといっても、他の誰よりも優れていないといけないというわけではありません。
例えば、
「私は誰よりも○○が好きだ」とか、
「他の人よりも〇〇に熱中できる」とか、
そういうことでもいいんです。
人と同じことではなく、人と違う部分を見つけるんです。
他人と違う=強みとなります。
まさに僕は、「他人と同じように出来ない」という劣等感の中から、自分の強みを見つけ出しました。
そして劣等感というのは、自分の強みを作り出すための最大の要素となりうる。
劣等感があるからこそ、人は成長するのです。
全て人と同じように出来る必要なんて無い。
むしろ、人と違う部分を見つけることが大事。
人と違う=自分の強みです。
人との違いの中から、自分の誇れる強みを見つけ出してみてください。
自分の中に1つ強みが出来ると、人生が変わります。
その強みが自信となり、自分の人生に波及し、人生全般に影響を与え始めます。
しだいに、他人の目が気にならなくなり始めるはずです。
ということで、僕なりの話をさせてもらいました。
ひばさんの情報がちょっと少なかったので、見当外れなことを言っていたらすみません。
何かあれば、また遠慮なくメッセージを下さいね。
仁より
こんにちは
自分に自信がもてません。
認められたいと、いつも思ってますがなかなか、自分を認められないところがあります、
自分に自信がもてません。
少しずつ頑張ってみようと思います
きょうさん、メッセージありがとうございます。
そして返事が遅くなり、すみません。
僕は当ブログで自信に満ちあふれたようなことを言っていますが、実は僕、自信がありません。
かつての僕は自分のことを「出来損ないの失敗作」だと思っていましたが、その思いは今もあります。
自分の能力の低さに嘆く場面は、日常茶飯事です。
周りの人間を見渡すと、僕より能力の高い人間はたくさんいる。
いくつも才能を持ち、いろんなことが出来る。
それに比べて僕は、同じ人間であるにも関わらず、何をやっても中途半端。
何一つ満足のいく結果を手に入れることが出来ない。
どうして僕は、人間としての基本性能がこんなにも低いのかと、ずっと悩み続けていました。
でも、ある時僕は気づきました。
自分が欲張り過ぎていることに。
自分のことを「出来損ないの失敗作」だと思ってるくせに、僕はあれもこれも手に入れようとしてた。
あれもこれも出来るようになろうとしていた。
どうしようもないほど要領が悪いくせに、欲張っていろんなことが出来るようになろうと僕はしていたんです。
僕は本当に要領の悪い人間です。
人と同じ結果を得るためには、人の何倍も努力しないと手に入れることが出来ない。
僕はそんな人間です。
だから僕は、どんな時も一点集中です。
一つのことを手に入れようと思えば、そのことに集中し、それ以外のことは基本的には諦める。
一つのものを手に入れることだけに、全力を注ぐ。
それ以外のことには、力を割かない。
そうやって僕は、これまで自分の望む現実を手に入れてきました。
僕は天才ではありません。
要領の悪い、ある意味凡人以下の人間です。
同時に多くのものを手に入れることなんて出来ない。
だから、自分の欲しいものだけに力を集中させる。
いくら能力の低い僕でも、一点集中で力を注ぎ込めば結果を出すことは出来る。
水鉄砲でも、穴が小さければ小さいほど水の勢いは強くなる。
それと同じです。
一度にいろんなものを手に入れようと思えば、力が分散され、結局上手くいかない。
逆に、不必要な選択肢を切り捨てて一つのことに集中すれば、穴の小さな水鉄砲のように突き抜けることが出来る。
僕はそうやって、一つひとつ自信をつけてきました。
だから今の僕は自分のことを「出来損ないの失敗作」だと思っているにもかかわらず、自信があります。
自分の能力が低いことが分かっているにもかかわらず、不安がありません。
きょうさんが具体的に、どういったことで自信が持てないのかが分からないので、とりあえず僕自身のことを話させてもらいました。
ご参考にしていただける部分があれば、とても嬉しく思います。
もし具体的にどういったことで悩んでいるのかメッセージを下されば、僕の経験で良ければまた話をさせてもらいます。
では。
仁より
こんばんわ
コメントした事を忘れててふと、思い出して、きました。お返事ありがとうございます
ただ我武者羅に仕事と家事としてきました。
同じです、私も。
やりたい事やらなきゃいけない事が山積みで
日々いっぱいっぱいです。
荷が重いとは日々思ってますし、でも、やらなきゃ、そしてこなせずバタバタ
駄目ですね、もっと頑張らなきゃ、
きょうさん、当ブログへまた来てくださってありがとうございます。
仁です。
>「やりたい事やらなきゃいけない事が山積みで日々いっぱいっぱいです。」
やっぱり僕も同じです。
やるべきこと、やりたいこと、前からやろうと思っていたこと…たくさんあります。
出来れば体がもう一つか二つ欲しいぐらいです。
結局全てをこなそうと思えば、いろんなことが中途半端になっちゃうんですよね。
しかも僕は記憶力があまり良くないので、やらないといけないことを、たまに忘れる。
だから僕は、自分のやるべきことをノートやメモ紙やケータイなどに書く(打ち込む)ようにし、やるべきことを視覚化し、全体像を見ながらその中で優先順位を付けるようにしています。
そして「重要なことで、なおかつ急を要すること」は最優先で取り掛かる。
逆に「重要度が低く、なおかつ急いでやらなくていいこと」は、後回しにする。
もしかして、きょうさん、ものすごく真面目な性格ではないですか?
どんなことでも完璧にこなさないといけない、そう思っていませんか?
手を抜くことが出来ない性格なのではないですか?
どんなに頑張っても、物理的に不可能なことはやっぱりあります。
全てのことに100%全力を尽くすことなど、出来ません。
優先順位を付け、力の配分をしていかないと、大切なことさえ疎か(おろそか)になってしまう危険がある。
例えばきょうさんは、家事もされますよね。
家事の一つに、みんなの夕食を作るという仕事があります。
本来なら、栄養バランスを考え、毎日ちゃんと手作りをするのが良いのでしょう。
でも夕食作り以外にも、会社の仕事だってあるし、やることは他にもいっぱいあるわけです。
すると、夕食作りにも余裕がなくなる。
そうなると、イライラしながら食事の準備をするようになる。
そしてそのイライラは、家族にも伝わる。
その結果、重苦しい雰囲気の中での夕食となってしまう。
じゃあ週に何回かは、出来合いの弁当を買ったり、出前を頼んだりするのはどうか?
これって手抜きですか?
いいえ、手抜きではありません。
重苦しい雰囲気の中で食事をするよりは、出来合いの弁当でもみんな笑顔で楽しく食べられる方が、ずっといい。
毎日手作りすることにこだわりすぎて、一番大事な「笑顔で楽しく食事する」ということが出来なくなってしまえば、せっかくの食事も台無しです。
もちろん毎日コンビニ弁当だと問題がありますが、状況を踏まえた上で力の配分をすることが大事なのではないかと僕は思います。
もちろんこれはたとえ話であって、きょうさんに当てはまらないかもしれません。
ただ僕らは、神でも超人でもなく、人間です。
全てに全力を注ぎ続ければ、心も体もいつか壊れます。
全て出来る必要などない。
全てで満点を取らなくてもいい。
自分にできることを、きちんとこなしていけばいい。
それでいいんです。
とは言っても、僕もけっこう自分を追い込むタイプです(笑)
お互い落ち着いて、自分のやるべきことをやっていきましょうね。
では。
仁より
自己肯定感凄い低かったです…笑
なんでそんなに自分を否定するんですか?みたいな事を結果で問いかけられても理由が分からなくて、そうなったんだから仕方ないじゃんとしか思えなくて。
どうやったら自分を好きになれるのか、教えて欲しい。
鏡に映る自分は何よりも汚くて、何をやっても姉より上にはいけなくて。貴方は普通じゃないと何度も母に言われて納得してきたけど、今更なんでこんなに辛くなるんでしょうか。自分を好きになれるならとっくになれてるのに…
皆に誇れる能力も無くて全部人並みで。顔も体型も凄く汚い。何をやっても駄目。
自分を追い詰めたら他人まで嫌ってしまって。
これ以上酷くなって自分を嫌いにも他人を嫌いにもなりたくないのに止まらない。
どうすれば自分と他人を好きになれるのか教えて欲しいです。
母にも父にも、誰にも言えない。
自分がこんな人間だなんて知られたくないしそういう人間だと思われたくない。
たすけてください。
りあさん、メッセージありがとうございます。
診断結果、すごく低かったですか?
この診断はあくまで僕自信の経験を元に作成したものですので、点数や結果は気にしないようにしてください(汗)
メッセージを拝見させていただいたのですが、りあさんはとても強い劣等感を抱えながら生きてこられたのですね。
その気持ち、分かります。
もちろん僕とりあさんとでは状況は違うかもしれませんが、僕もこれまで何をやっても人並み以下、そして親や兄・姉と比べて驚くほどメンタルが弱い、要領も悪く何かやらかすのはいつも僕、そんな出来損ないの落ちこぼれ人生を歩んできました。
自己肯定感の低さは、それこそ尋常じゃありませんでした。
ずっと「俺なんか、いなくなった方がいいんじゃないだろうか…」そう思いながら生きてきた。
だから、りあさんが自分を否定する気持ちも分かるつもりです。
でもね、りあさんがそれだけ強い劣等感を持っているということは、それと同じだけの強い向上心がりあさんの中にあるということ。
向上心が無ければ、そもそも劣等感なんて感情は生まれてこない。
少しでも良くなりたいという思いがあるからこそ、それが叶わない時に劣等感が生まれる。
劣等感とは、その人間の能力が高いか低いかによって決まるものではなく、その人間がどれだけ向上心を持っているかによって決まるもの。
りあさん、あなたの中には強い向上心が隠れています。
それと、もしかするとりあさんは完璧主義者の傾向があるのかもしれませんね。
「○○じゃないといけない」
「○○出来ないといけない」
そうやって自分を追い込んできたのではないですか?
これまで散々自分を責め続け、ずっと苦しんできたんじゃないですか?
もう自分のことを、許してあげてください。
これまでのダメだった自分、自分の理想通りに振る舞ってこれなかった自分、そんなりあさん自身のことをもう許してあげてください。
あなたはもうじゅうぶん、苦しんできたはず。
自分を責めたところで、何らプラスが生まれることはない。
いや、それどころか自分を責める行為は、自分にとって確実にマイナスを生み出す。
りあさん自身、どうですか?
これまで自分を責めることによって、何かプラスになることはありましたか?
むしろ自分を責めることによってりあさん自身の心が傷つき、感情は乱れ、その後の行動などにも何かしらの悪影響が出たりしませんでしたか?
無理に自分を肯定する必要はありません。
自分を肯定するのでもなく、否定するのでもなく、ただ、今の自分を受け入れる。
現状の自分を認め、受け入れる。
そして今の自分の心と体で、これからの人生をどう戦っていくか?
自分の現状を受け入れ、そして自分と共に戦っていく覚悟を決めるのです。
自分を好きになるためには、この「覚悟」が必ず必要なんです。
どんな時も自分を見捨てることなく、見限ることなく、今の自分と共に人生を生き抜く覚悟を決める。
この覚悟が決まれば、「自分に生まれて良かった」と言える日が来ます。
ちなみに僕は、40歳近くまでかかってしまいましたが(汗)
また何かありましたら、遠慮なくメッセージを下さい。
返事が遅くなることもありますが、必ず拝見させていただきますので。
では。
仁より
仁さん、返信有難う御座います。
まさか貰えるとは思ってもいなくて…仁さんのお話通りです。
ずっとずっと、自分が嫌でした。強くなろうとしても強くなれなくて頼り甲斐がなくて。理想の人間になれなくて、ずっとこんな私じゃいけないって。「理想の人間になれなければ意味が無い、それまでは私は私なんかじゃない」って思ってたのかも知れません。ダイエットしたりするのに必死で、自分の中を隠す為に外見を良くしようって頑張ったり。
向上心…私にもあるのでしょうか?
少し信じ難いです、あればいいのですが…。中学生時代にプライド等無いと言い放った事もありますし、自分では分かりません。でもそれを信じてみようと思います。
完璧主義というのは合っているかもしれません。母に、「貴方は変な子。普通じゃない。」と言われた時から普通の子になれるようにいい子ぶってきました。だからか近所ではいい子で評判で…。「いい人じゃなきゃいけない」、「もっといい人にならなければ」そう思って面倒事を引き受けたり気を使ってきたつもりです。
飽く迄、つもりですけど。
責める事によって得たものはないです。
劣等感、嫉妬心……責任感は責める事によって唯一得たプラスの部分でしょうか。自分はこうでなければいけないという気持ちから、任された事は全てきっちりやってきたと思います。私の理想の中に「しっかりしていて頼り甲斐がある」というのがあるので多分それで笑
傷付いて死にたいと思って、一度自分の首を絞めた事があります。小六の頃マフラーで息が出来なくなり意識が朦朧とした時力を緩めてしまって意識が無くなる様なことにはなりませんでしたが…中学からはそれは無くなりましたが自分でも怖いくらい、気が付いたら涙が出てしまう時がありました。家に一人でいる時、ごめんなさいと繰り返し繰り返し呟いて泣いていた事があります。その時の記憶はあまりなくて。眼鏡をかけて居た時だったんですが、眼鏡も涙でぐしゃぐしゃだったので「嗚呼、泣いていたんだな。」と思いました。
なんで自分なんか生まれてきてしまったんだろう。なんで私になってしまったんだろう。もっと違う私がいたかもしれないのに、もっとこんな私より輝いた私がいるかもしれないのに。
ずっとそう思ってます。私である事は私の恥です。私で良かったと自分では思いたいんだと思うんですがどうしても、もっともっとってつい欲張りになってしまいます。
だからきっとずっと自分を好きになれないんだと思います。
私を受け入れることは、難しいと思います。でもそうしなければきっと強くはなれないことも仁さんのお話の内容で分かります。
私は弱いから、きっと覚悟なんて決められない。でも決めなければきっといつか私は死んでしまうとも思います。強くなって少しでも前に進みたいです。私を捨ててしまわないように私を離さないようにしていたい。
ご返信、本当に有難うございます。
自分の気持ちがわかる人など居ないんだとずっと思ってました。訳がわからないと何度も人に言われてきました。仁さんのお話は心の支えです。ほんとうに、ありがとうございます。
りあさん、お辛い中、本心を話してくださりありがとうございます。
「訳がわからないと何度も人に言われてきました」
そうおっしゃっていますが、大丈夫。
そんなことはありません。
おそらく僕とあなたは、驚くほど似ている。
僕もあなたと同じです。
子供の時から劣等感まみれで、
「俺なんか、生まれてこなかった方が良かったんじゃないか」
「俺がいるだけで、いつもみんなに迷惑がかかる」
「きっとみんな、俺なんて居ない方がいいと思ってるはず」
「俺なんて、死んだ方がいいんじゃないか」
そう思いながら生きてきました。
その反動か、僕は大人になった時は、潔癖症の完璧主義者になっていました。
常に良い子供、常に良い大人でいなければならない。
どんなに嫌でも、他人からの要望やお願い事は必ず引き受ける。
決して他人に不快な思いをさせてはいけない。
どんな時も自分のことは後回しで、他人のことが最優先。
だから、ちょっとでも上手くいかないことがあると、常に自分を責める。
少しでも周りに迷惑をかけてしまうと、「もう俺は生きる価値も無い、存在する価値も無い」と絶望感でいっぱいになる。
「生まれてきて、ごめんなさい」
「生きていて、ごめんなさい」
「死ねなくて、ごめんなさい」
ずっと自分を責め続け、否定し続け、そして何度も何度も自分を見捨ててきました。
この世界に僕の居場所など、どこにもありませんでした。
僕とりあさんとでは状況が違うかもしれないけど、あなたの気持ちは痛いほど分かるつもりです。
あなたは決しておかしくなどない。
むしろ、真剣に生きてきたからこそ、ここまで自分を追い込んでしまった。
根が真面目すぎるからこそ、よけいに自分を許すことが出来ないのかもしれない。
きっとあなたは、とても誠実な人だと思います。
りあさんは、
「私を受け入れることは、難しい」
「私は弱いから、きっと覚悟なんて決められない」
そうおっしゃっていますが、大丈夫。
人は変われます。
必ず変わることが出来ます。
こんな出来損ないで失敗作の僕が、変われたんですから(笑)
僕が書いているこのブログは基本的に、「自分を変え、望む人生を実現するため」のもの。
僕自身の過去を踏まえ、僕なりの経験を元に自分自身を変えるための方法や考え方を綴ったものです。
この短いコメント欄だけではなかなか話しきることは出来ませんが、もし良かったらこちら
【えっ!?性格って変えられるものだったんだ!!自分の性格を理想のものへと変えた僕の性格改善法。】
【性格を変えるための2つの必要不可欠な要素。僕の人生を変えた秘密を公開します。】
の2つの記事や、他の記事もご参考にしていただければと思います。
また何かご質問とかあれば、遠慮なくメッセージを下さい。
僕はいつでもここにいますから。
大丈夫。
人は変われます。
人生も、変えることが出来ます。
では。
仁より
なんだか、自分の惨めさに涙が出てきます。突然、ごめんなさい。いつも、人になんだか嫌われてる気がするし、うまくいかないから、結果論で、自分に対して否定的になってしまいます。こんな人、なんのために生きてるのかなあ。いみがあるのかなあ?ごめんなさい。ただ辛くて、こんな事、本当に私思ってるのにみんなに同感されるのも辛くて、言えなくて書き込んでしまいました。私ってなんか見苦しいですね。
なみださん、メッセージありがとうございます。
返事がとても遅くなり、大変申し訳ありません。
僕にはあなたがどんな人で、何歳で、どんな人生を歩んでこられて、そして今どんな問題に直面されているのか、分かりません。
でもあなたが自分自身のことをダメだと思うのは、あなたの中に目指すべき理想があるから。
自分を否定するのは、今以上に成長していきたいという向上心があなたの中にあるから。
あなたの口から愚痴や泣き言が出るのは、あなたの心が「生きたい」と訴えているから。
僕は、そう思います。
>人になんだか嫌われてる気がする
その感覚は、過去の僕にも同じくありました。
僕は人の目が気になって気になって、仕方ありませんでした。
でも人間というのは、他人のことを見ているようで、意外と他人のことを気にしていないもの。
人が一番興味を持つもの、それは自分自身のこと。
他人のことをあれこれ言う人もいますが、そういう人に限って他人のことを気にかけてなかったりします。
なみださんが人の目を気にしてしまうのも、「自分が他人からどう見られているか?」「他人からどう思われているか?」というのが気になるからですよね。
つまり他人の目に映る自分自身のことが気になってしようがないということ。
他人を意識しているようで、実は自分自身のことに意識が向いているのではないでしょうか。
そしてこれは他のみんなも同じです。
もちろん程度の差はありますが、みんな自分のことに最も興味を持っており、自分のことに一生懸命。
なみださんが「嫌われてるような気がする」というのも、もしかするとなみださん自身の強い思い込みがあるのかもしれません。
人生を諦めている人・自分のことを諦め、自分を見捨ててしまっている人というのは、自己嫌悪に陥ることはありません。
そんな人は、自分のことを惨めだなんて思わないし、「自分が嫌われてるんじゃないか?」なんてことも気にしない。
つまり、人としての成長が無いということ。
なみださん、良かったら僕と共に前に向かって進んでいきませんか?
もし具体的に何か悩まれているのなら、一緒に考えることは出来ます。
何かあれば、メッセージを下さい。
返事は遅くなるかもしれませんが、必ず拝見させていただきます。
僕はいつでもここにいますからね。
では。
仁より
こんにちは
偶然たどり着いたので診断を行ってみました。
23点という何とも中途半端な数字でした。
その中でも
「あなたは自分自身のことを信じることが出来ないのではないですか?」
「なぜあなたはそんなにも、自分自身を低く見積もってしまっているのですか?なぜ自信を持てずにいるのですか」の部分が引っ掛かりました。
いつからかはわかりませんが、自分自身を信じるということがよくわからなくなりました。自分の何を信じていいのか・・・。その結果、自分自身も信じれないのに友人や両親も信じられなくなりました。
両親は「私たちの言うことを聞いていれば間違いないでしょ?」が口癖でした。幼い頃から、20後半の今でも言われます。幼い頃はそうなのかと純粋に思っていましたが、両親の生きてきた時代と私の生きていく時代は変化していて、当然両親の言っている事じゃうまくいかなくっていきました。今まで言われて通り生きてきたのでどうすべきか見失ってしまい、信じなければよかった?と思う日々です。自分の判断で行ったことがなかったので、自分の判断も信じられません。友人に至っては、よく女の友情は・・・と言いますが、その通りなのかと思ってしまい、深くかかわることを避けています。友人と遊ぶ時は、遊んでもらってる。かまってもらってる。っと思うようになりました。以前、いつも構ってくれてありがとうといった際に怒られてしまい、今でも解決できません。
「なぜあなたはそんなにも、自分自身を低く見積もってしまっているのですか?なぜ自信を持てずにいるのですか」に関しては、私が一番わかりません。なぜなんでしょう・・・
自分に自信を持っている人はキラキラして見えます。もちろんその裏では根拠付ける努力などがあるとわかっています。
私も努力しているつもりです。親や上司からは全然だと言われますが・・・。もともと気分屋でモチベーションに異常なくらいムラがあり、さらに頭もよくないので学習しても抜けていく始末。じゃぁ、人一倍頑張れよ。甘えんなって話なんでしょうけど。
自分の悪い部分なんていくらでも出てきます。良い部分なんてまったく出てこなくて。悪い部分を好きにもなれなくて。
これは自己肯定感には関係ないと思うのですが、他の方へのコメントを拝見し、意見を聞いてみたいなと思ったことです
社会に出て数年経ちますが、大人ってこんなにも汚いんだなって。自分が良ければ人を嵌めて、蹴落とし、蔑み、嘲笑う。
競争心・向上心はすごくいいものだとは思います。しかし、私は一切そういうものを持っていないので、格好の狙い目なのかもしれませんが。両親はそれなりにいい企業で働いている私を望んでいて、それは、親戚や周りの人より優位に立ちたいからなんだなって思って。親すらもこんなに汚いんですね。人からは、そう思うのはあなたが純粋だからと言われました。そうなんでしょうか?私は私を歪んだ汚い性格だと思うのですが。意見を聞いてみたいなと・・・
肯定を求めているわけではありません。意見は人ぞれぞれ。いいところに影響をうけれていきたいなと。
支離滅裂な文章で申し訳ありません。
どうやったら自分を信じ、他人も信じ、自信をもてますか。
そらさん、メッセージありがとうございます。
>「どうやったら自分を信じ、他人も信じ、自信をもてますか。」
とのことですが、とりあえず僕の思うとこを書きます。
ただ、そらさんに関する僕の知り得る情報がこのメッセージ内容だけなので、もしかするとズレたことを言うかもしれない。
それと、これはあくまで僕個人の考えであって、もちろん正解ということではない。
このことを踏まえて読んでいただければと思います。
まずそらさんは20代後半ということですが、親と同居の実家暮らしですか?
もしそうであるなら、実家を出るのは可能ですか?
独り暮らしでも、もし実家のすぐ近くに住んでいるのなら、もっと離れた場所に引っ越すことは出来ますか?
何が言いたいのかというと、今のあなたは親との距離を取らないといけない。
メッセージを拝見する限り、あなたは精神的に親の支配下に置かれているように感じます。
おそらくあなたはこれまでの人生を、親の望む人生・親の決めた人生を歩んでこられたと思います。
つまり、自分の人生を歩んできたのではなく、親のシミュレーションする人生を歩んでこられた。
僕自身の経験、そしていろんな人を観察してきた経験上で言えることがあります。
それは「自分の足で自分の人生を歩まなければ、自分を信じることは出来ない」ということ。
これからの人生、そらさん自身はどんな生き方をしていきたいですか?
どんな人生を、歩んでいきたいですか?
これから先の人生、自分に関することは、どんなことも全て自分で決めてください。
親や他人の意思ではなく、全て自分の頭で考え、自分の意思で決めるんです。
そして自分の取る行動は、100%全て自分で責任を取る覚悟を決めてください。
自分の人生を、自分の責任において自分で背負う覚悟をするんです。
自分の頭で考え、自分の意思で決断し、そしてその責任を全て自分で負う。
そうすると、何も考えず無条件に他人の意見を受け入れるなんてことは出来なくなる。
人からアドバイスされても、それが正しいかどうか自分の頭できちんと考えることをするようになる。
そうやって初めて、自分の人生を自分の足で歩むことが出来るようになる。
そのためには、まずあなたの思考や行動を封じ込めている親の影響下から離れないといけない。
そのために、まずは物理的な距離を置く。
そしてしばらくは、必要以上に親と連絡を取ったりしない。
親との接触を、出来る限り必要最小限に抑える。
縁を切るようなことはする必要は無いですが、今は親との物理的距離・心理的距離を取った方がいい。
もしかすると、あなたの親自身が”子離れ”出来てない可能性もあるように感じる。
人が変わるためには、2つの要素が必要です。
1つ目は「何が何でも変わりたい」という自分自身の強い意志。
そして2つ目は「どうしても変わらざるを得ない環境」です。
そらさんの中に1つ目の「何が何でも変わりたい」という強い気持ちがあるのなら、あとは「どうしても変わらざるを得ない環境」を整えないといけない。
そのために、親との距離を取る。
全て自分で決め、その決定の全ての責任を自分で背負わないといけない、つまり変わらざるを得ない環境に自分の身を置くのです。
そうすると、これまで自分でも知らなかった自分の顔が現れ始めます。
僕らは自分を知っているようで、意外と知らない。
そして自分自身のことをよく知らなければ、自分を信じることは出来ない。
ざっと僕の今の考えを書きましたが、人というのは変われます。
誰でも変わることが出来ます。
でも、突然変わるなんてことはやっぱり難しい。
だから、少しずつチャレンジしていくしかない。
一歩でもいい、いや、半歩でもいい、昨日の自分を越えていく。
無理なことをするのではなく、達成可能なチャレンジ、今の自分に越えられるハードルを、1つ1つ確実に越えていく。
周りの人間は関係ない。
比べる相手は常に過去の自分。
ほんの少しずつでいい、昨日の自分より成長していく。
大きな成功というのは、突然起こるわけではない。
小さな成功がいくつも重なった結果、起こるもの。
メッセージの中で
>「私も努力しているつもりです。親や上司からは全然だと言われますが…」
そうおっしゃられてますが、親や上司の言ってることは全く気にする必要はありません。
努力をしているかしてないのかを決めるのは、他人ではない。
自分です。
人それぞれ置かれている環境や状況は、違います。
だから一律で「努力している・していない」と他人が決めつけるのは、完全に間違いです。
極端なことを言えば、僕は日々懸命に生きてるつもりですが、内戦状態の国や飢饉で毎日多くの子供たちが亡くなっているような国の人たちから見れば、「お前は全然頑張って生きてないよ」と言われるでしょう。
そらさんの親や上司が、そらさんの心の苦しみをどれだけ分かっているのでしょうか?
残念ながら、そらさん本人でないと分からないはず。
無責任な他人の言葉など、全く気にする必要は無い。
自分が努力しているかどうかの基準は、過去の自分です。
どんな部分でもいい、過去の自分よりほんの少しでも成長出来たと思えたなら、それは努力している証拠。
逆に過去の自分と全く変わってない・全く成長出来ていないのであれば、もしかすると努力が足りないのかもしれない。
比べるべき対象は他人ではなく、常に過去の自分です。
ちなみに僕も、記憶力が悪いです。
しょっちゅう物忘れします。
だから常に胸ポケットにメモ用紙を入れていて、忘れちゃいけないことがあるとその場ですぐに書くようにしてます。
完璧な人などいません。
だから「完璧になるまで努力しろ!」なんて根性論を持ち出すのではなく、自分の弱い部分を上手くカバーすればいいのではないかと思います。
少しずつ、達成可能な小さなチャレンジを日々繰り返していく。
過去の自分より、一歩でも前へ進み続ける。
そうすることによって、揺らぐことのない自信が少しずつ着実についていきます。
他人と比べて優越感に浸るような自信は、残念ながら簡単に崩れます。
だって、上には上がいくらでもいますから。
実力のある人間が現れるたびにグラつくような自信は、本当の自信とは言えない。
地道ではありますが、本物の自信を身に付けるには、結局これが一番の近道になるのではないかと思います。
そして最後に、大人が汚い理由。
僕なりに考えてみました。
これが正解というわけではもちろんありませんが、記事にしてみたので、数ある意見の一つとして読んでいただければと思います。
ちなみに記事はこちら【大人がズルくて汚い理由を考えてみた】です。
クリックしてみてください。
また何かあれば、メッセージくださいね。
返事は大変遅くなるかもしれませんが、必ず拝見させていただきます。
では。
仁より