この世界は不平等で出来ていることを、いい加減に認めたらどうだ。【アンチヒーロー編】

アンチヒーロー

この世界には、”平等”を訴える様々な人がいる。
人との違いや差を見つけては、「自分が損をしている」「自分は不利な立場に立たされている」といったことに気づき、「自分が周りと全く同じ権利を持ってないのはおかしい」と、平等を主張する。政治や法律、または会社や学校・近所でも、不平等に対する不満が噴出する場面を目にすることがある。


不平等?
そんなもの、当たり前だ。
そもそも僕らを取り巻くこの世界は全て、不平等で出来ている。

 

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 この世に平等なんてものは無い

僕らは生まれた時の環境も違えば、育つ環境も違う。生まれる場所や時代を選ぶことも出来ないし、自分の育つ環境も現実には自分の意思で選べないことがほとんどだ。
人それぞれ、体つきも違う。恵まれた体で生まれてくる人もいれば、何らかの障害を持って生まれてくる人もいる。

スタートラインからして、すでに不平等。母親のお腹に命を宿したその瞬間から、もう不平等は始まっている。
「この世界は全て、不平等で出来ている。」
そのことを、僕らは認めなければならない。
しかしそれを認めることの出来ない人間が、この世界には山ほどいる。

とは言っても、この世界には平等でなければならないこともある。
例えば法律だ。法の裁きの基準が、裁判官によってコロコロ変わってしまうというのは、おかしいだろう。
ただこれは、”平等”ではなく”公平”ということだ。

平等とは、全ての人間に同じ結果を与えること。例えば、会社でどんなに頑張ろうと、逆にどれほど怠けようと、もらえる給料は同じ。
これが平等だ。

それに対し公平とは、同じ条件で仕事をさせた結果、頑張って結果を出した人間にはその結果に応じた給料を支給し、怠けて結果を出さなかった人間にはそれ分の給料しか出さない。
努力や結果に対して正当に評価する、それが公平だ。

法の裁きは常に、公平でなければならない。
犯罪者には犯罪を犯してしまった同情すべき背景というものがあるかもしれないが、一定の基準の公平さを保てなければ法律は役に立たないものとなる。
スポーツなどでも、そのルールがみんなに公平だから成り立つ。だからこの世界には、ある一定の公平さが必要だ。

でも残念ながらこの世界は、実は公平ですらない。
人間には感情というものがあり、嫉妬や恨み、依怙贔屓(えこひいき)、コネ、根回し、気に入らない人間を排除する圧力…様々な感情や利害関係が、この世界を公平ではなくさせる。

この世界は平等ではないし、公平ですらもない。
不平等・不公平、それがこの世界の前提条件。
そのことに、早く気付いた方がいい。

でも多くの人は、ごく当然の権利として平等を求める。
ごく当然のことのように、平等の権利を主張する。
でもこの世界は、不平等で出来ている。
それに、全ての人をあらゆる場面で平等の条件に扱うなんて、普通に考えて無理だ。

みんな年齢も違えば、性格も違う、体格も違う、性別も違う、得意分野も苦手分野も違う、能力も考え方も価値観も感覚も違う。生きてきた人生も全く違えば、これまでに積み上げてきた努力も苦労も違う。
そんな人間を一律で平等に扱うことこそ、不平等というもの。自分はこれまで頑張ってきたのに、怠けていたヤツと同じ扱い・同じ評価をされてしまう…こんなこと、あなたは納得出来るか?

自分の望む現実・手に入れたい結果は、自分の力で手に入れるもの。
自分で努力し頑張って、手に入れるもの。
何ら努力もせずに望むものを手に入れようとするのは、虫のいい話だ。

そして自分では何もせずにただ「不平等だ!何とかしろ!」と騒ぎ立てるのは、自分では何ら努力せず望むものを手に入れようとするのと同じこと。
権利を主張することばかりに一生懸命になっていると、実は人間は自分で動こうとしなくなる。「自分は平等に扱われるべき」という本来存在しない権利によって、自分は被害者だという錯覚に陥り、その結果自分では動かず周りに何とかしてもらおうという発想に変わっていく。
実際、権利ばかりを主張する人間に限って、現状を変える努力をしないことが多い。


もう一度言う。
この世界は不平等で出来ている。
だからあなたがどんなに不平等な扱いを受けようと、この世界ではそれがごく当たり前のことであるから、基本的には誰も助けてくれない。
同情ぐらいなら、してくれるかもしれないが。

不平等・不公平、それを前提として人生を生きるんだ。
いくら待っていても、誰も助けてくれない。自分では何もせずとも、みんなが持つ権利を当然のようにみんなと同じく与えられる、なんてことは残念ながら無い。

自分の欲しいものは、自分の力で手に入れろ。
欲しい現実があるなら、自らの足で歩き出せ。

みんな同じだったら、面白くもなんともない。
みんな一律で全く同じものしか与えられない世界なんて、僕はまっぴらだ。

与えられるのを待つ人生など、つまらない。
自分の人生は、自分の手で掴みに行くんだ。

メッセージ

  1. あいうえい より:

    平等ではないと知っているからこそ、
    訴えるのではないでしょうか。

    平等でないことに甘んじて、
    問題を見てみないふりする連中が多いから
    世の中は平等でも公平でもない!
    それを認めないのが間違いだとか
    傍観者に逃げる道を選ぶんでしょうね

    勿論、不公平された側は、頑張って努力ナリするかもしれませんが
    それを「世の中は不公平で当たり前」と言うのは、また別の話ですよね

    • 仁(jin) jin より:

      あいうえいさん、メッセージありがとうございます。

      >平等でないことに甘んじて、問題を見てみないふりする連中が多いから世の中は平等でも公平でもない!
      それを認めないのが間違いだとか傍観者に逃げる道を選ぶんでしょうね

      なるほど。
      そういう捉え方もありますね。
      つまり、不平等であるのは仕方のないことと言って、諦めて(逃げて)現状を変えようとしないということですよね?
      そういう発想が僕の中にはありませんでした。
      勉強になりました、ありがとうございます。

      僕は自分の人生に対し、常に「いかに己が成長・進化できるか?」というのをベースにしています。
      そして自分が成長・進化するために、これまで多くの人間を観察し、そこから学んできました。

      その中で、どんどん成長していく人間もいれば、中にはいつまでたっても成長しない人間もいた。
      成長する人間と、全く成長しない人間、この両者は一体何が違うのか?

      実はいつまでたっても成長しない人間というのは、大体決まっている。
      成長しない人というのは、
      ・他者依存型(他力本願)
      ・被害妄想型(被害者意識)
      この2つのパターンを持つ人です。

      自分の人生なんだから、自分の足で歩かないといけない。
      自分の人生の中で問題やトラブルが起こっても、自分の責任において立ち向かい解決していかないといけない。
      これはごく当たり前のこと。
      でも他者依存型(他力本願)の人間は、自分で問題に立ち向かうことをしない。
      いつも周りの誰かを当てにし、逃げてばかり。

      そして周りの誰かが何とかしてくれなければ、今度は助けてくれない周りの人間を非難し始める。
      つまり、被害妄想型(被害者意識)に移行していく。
      あくまで自分で動こうとしない。
      自分の人生であるにもかかわらず、常に誰かに何とかしてもらおうとする。

      この「他者依存型」と「被害妄想型」、このタイプの人間は共通して、あるのかどうかも分からないような権利を一生懸命主張する。
      自分で己の人生を変える努力をせず、「不公平だ、不平等だ」とばかり叫んで、誰かに何とかしてもらおうとしてばかり。

      誰しも同じスタートラインに立てるとは限らない。
      生まれながらに不利なハンディキャップや、不利な環境・状況に立たされていることも、当たり前のようにある。
      だから僕らは、今の自分が持っているもの・今の自分に与えられているものを使って戦うしかない。
      今の自分に出来ることを、全力でやるしかない。

      はっきり言って、無いものねだりをする時間がもったいない。
      無いものねだりをして大切な時間を浪費しているから、ますます人生が進まなくなる。

      無ければ有るもので代用するしかない。
      手に入らないもの(権利・平等)にいつまでもこだわっているから、いつまでたっても成長できない。

      僕はこの記事だけでなく、ブログ全体を通して自己成長するための方法を話している。
      あなたが指摘されたような
      >平等でないことに甘んじて、問題を見てみないふりする連中
      このような人間に向けて書いているわけではないし、このような人間を想定して書くつもりも一切ない。
      このような人間を相手にするつもりはないし、そもそもそんな人間は僕のブログの記事を読まない。
      だって、ベクトルの向いている方向が真反対なんだから。

      このメッセージではあなたの質問に対する答えにはなってないかもしれませんが、「いかに自分が成長・進化するか?」ということを中心に据えて生きれば、不平等とか不公平とかいったことが、どうでもいいことのように思えてくるはずです。

      仁より