かつて僕は、典型的な完璧主義者でした。
仕事にしろ何にしろ、完璧に出来なければ気が済まない。
みんなが出来てることは、僕も絶対出来なければならない。
常に「~しなければならない」「~出来なければならない」。
そしてそれが出来なければ、落ちこぼれの敗北者のような感覚に陥り、ダメな自分をとことん責め続けてしまう。
僕は幼少期より強い劣等感を抱えていて、ダメな自分を責め続け、そしてみんなと同じように出来なければという不安と焦りのため、いつしか自他ともに認める完璧主義者へとなっていた。
でもある時、僕自身の完璧主義の根っこにあるのが劣等感であることに気づいた。
自分を認めることが出来ない。
失敗した自分を許すことが出来ない。
僕の中の劣等感が、現状の未熟な自分を認めることを許さない。
つまり、僕の中の劣等感が僕に完璧を強制し、自ら自分を苦しめ続けていた。
だから僕は、完璧主義をやめることにした。
現状の自分を認めてあげる。
上手く出来ない自分を許してあげる。
良い部分・悪い部分・全てをひっくるめたものが、今の僕自身。
今の自分を否定するのではなく、今の自分を全て受け入れた上で、今の自分の心と体で前に向かって進んでいく。
今の自分がダメであろうと関係無い。
出来ない自分を嘆くのではなく、
「出来ない、じゃあどうすれば出来るのか?」
「では、今の自分に出来ることは一体何か?」
それを考え実行していく。
どんな悲惨な状況になろうと、どんな無様な姿をさらそうと、自分を見捨てず、自分を信じて前に進む。
いつしか僕の中から劣等感は薄れていき、自分を許し、自分を受け入れ、気づけば僕は完璧主義をも手放していた。
…と、僕は思っていたんです。
今の僕の中には以前のような劣等感も無く、自己否定の思いも無い。
みんなが出来てることが僕には出来なくても、別に何とも思わない。
例え僕だけ出来なくても、前のような焦りや不安は無く、自己嫌悪に陥ることも無い。
でも、なぜか以前にも増して完璧主義の傾向が強まっているんです。
なぜだろう?
前にも増して完璧主義になっているのに、でも失敗しても以前のように自己嫌悪に陥ったり、落ち込んだりも無い。
でも確実に、完璧主義の度合いは強まっている。
完璧主義というと、一見”何でもきちんとこなす真面目な性格”というイメージですよね。
このイメージは、間違っているとは思いません。
でも、何でも完璧にこなすというのは、なかなか出来るものではないですよね。
もちろん”完璧”の基準をどこに置くかによっても、違ってくると思います。
でも社会に出れば、完璧を目指し始めるとキリがない。
だからある程度のとこで、妥協することが必要になってくる。
でも完璧主義者だと、なかなか妥協することが出来ない。
妥協しなければ、いつかは越えられない壁にぶつかり、粉々に砕ける時が来る。
そしてそんな”出来ない自分”を直視することによって、場合によっては自信を失ってしまうこともある。
難しいことにチャレンジすることはとても良いことだし、僕も常にチャレンジ精神を忘れないように心がけながら生きている。
でももしあなたが完璧主義者なら、あなた自身を追い詰めることになるかもしれない。
その時の自分の実力・その時の状況によっては、思うような結果を手に入れることが出来ない時も当然あるから。
でも、あえて僕は言います。
完璧主義は、別に悪いことではない。
むしろ場合によっては、僕は完璧主義を勧めます。
どういうことか、これから説明していきますね。
僕が完璧主義を勧める理由
他の記事でも話していますが、以前の僕は
「~しなければいけない」
「~出来なければいけない」
「~じゃないといけない」
そんな思いに、ずっととらわれながら生きてきました。
「こんなことも出来ない自分はダメ」
「みんなが出来てることが同じように出来ないなんて、なんて俺はダメ人間なんだ」
そうやって自分の出来ない部分を見つけ出しては自分を責め、いつも自分で自分を追い詰めていました。
なぜここまで自分を責めるのか?追い詰めるのか?
なぜ自分に対し、ストイックなまでに完璧を強いるのか?
その理由は、自分に自信が無いから。
周りから落ちこぼれるのが怖い。
周りのみんなに馬鹿にされるのが怖い。
上からの評価が下がるのが怖い。
出来ない自分を認めるのが怖い。
周りから必要とされなくなるのが怖い。
自分の居場所を失うのが怖い。
自信の無さが、僕の中に完璧主義者を生み出していた。
自信が無い、自分を信じることが出来ないからこそ、完璧でならないといけないと思い込んでいた。
にもかかわらず今の僕は、以前にも増して自らに完璧を強いている。
でも以前の僕とは、全く違う。
何が違うのかというと、以前の僕は自分に向かっていつも
「何でお前には出来ないんだ!?」
という言葉を投げつけていた。
でも今の僕は自分に向かって、
「おい、ちょっと待て。お前の実力はこんなもんじゃないだろ!もっと本気出せよ。お前ならもっともっと上に行けるはずだろ!」
こんな言葉を投げつけている。
昔の僕は自分を信じることが出来ず、自分を非難する言葉ばかりを自分に投げつけていた。
でも今の僕は、自分を心から信じている。
だから非難の言葉ではなく、自分を鼓舞(こぶ)する言葉を自分に投げつける。
(鼓舞する:励まし奮い立たせること)
同じように完璧を目指す言葉でも、意味は全く違う。
昔の僕の言葉は、自分を否定する言葉ばかり。
今の僕の言葉は、自分を肯定する言葉のみ。
完璧主義者・完璧を求めるのは、決して悪いことではない。
ただ、自分を信じることが出来ているかどうかによって、人生は180度変わる。
同じ完璧主義でも、その出発点が”自分を疑う心”なら、単に自分を追い詰めるだけでしかない。
逆にその出発点が”自分を信じる心”なら、自分を追い込むことによって心のエンジンがかかり始める。
自ら自分を追い込むことによって、どんどん成長していくことも出来る。
もしあなたが完璧主義者であるなら、自分が失敗した時や、ものごとが上手くいかなかった時、自分に向けてどんな言葉を投げかけていますか?
「情けない…何で俺はこんなことも出来ないんだ!?」
こんな言葉を投げかけていますか?
それとも
「お前には、もっと出来るはずだろ!もっと本気出そうぜ!」
こんな言葉ですか?
完璧主義というのは、それ自体決して悪いことではない。
問題なのは、自分を信じることが出来ているかどうか。
自分のことを疑っているのなら、完璧主義というのは単に自己評価を下げるだけのものになる。
でも逆に自分を信じることが出来れば出来るほど、完璧主義は自分の能力を引き出し、伸ばしていく起爆剤となるのです。
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