「9つのピース」第6話

9-pieces

■6つ目のピース

自分の可能性に賭けろ

いきなりですが、あなたは賭け事をしますか?

賭け事というと、いろいろありますよね。たとえば競馬や競輪、カジノやパチンコ、または宝くじなんかもある意味ギャンブルの1つです。将棋やマージャンなんかでも、お金を賭ければその時点で賭け事になります。

僕自身はというと、実はこれまでの人生で賭け事をした経験は、ほぼ無いのです。やっぱり賭け事で勝とうと思ったら、それなりに勉強する必要もあるし、場数を踏んで経験も積まなければ安定して勝ち続けることなど出来ないのではないでしょうか。ましてやその道のプロであっても、賭けに負けしてしまうことは当然あるわけです。

「やるからには絶対負けたくない。でも安定して勝ち続けられるレベルにまでなるには、想像以上に道は険しそうだ。しかもそこまでやってスキルを磨き上げても、結局それで食っていけるというわけでもない。おまけに負ければ、どんどんお金は減っていく。勝ち目が薄いのなら、手を出すのはやめておこう。」

僕はこのように考えてしまい、賭け事をやろうという気が失せてしまうんですよね。結局僕は、ギャンブルなどせず地道に頑張っていこう…こう思いながら生きてきたわけです。

でもよく考えてみると、人生そのものがある意味ギャンブルみたいなものなんですよね。自分の人生がどうなるかなんて誰にも分かりません。何事も、上手くいくかどうかは実際にやってみなくちゃ分からない。自分にとってどんな仕事が良いのか、どんな相手と結婚するのが良いのか、どんな生き方が正しいのか、実際にやって経験してみなければ分かりません。

もちろんある程度事前に下調べをすることは、当然出来ます。下調べをすることによってリスクを極力減らすことも出来ます。

でもどんなにリスクを排除したところで、最終的にはやってみてからでないと良いか悪いか、上手くいくかどうか、その選択が正解かどうかというのは分かりません。どんなに下調べをしたとしても、それはあくまで予測であって、やはり想像の範囲を超えることは出来ないのです。

僕もやっぱり基本的には、何をするにしてもある程度下調べをするようにしています。そして大きな失敗をしてしまわないよう少しずつ試しながら、ものごとを進めていきます。

でも、どんなに下調べをして万全の態勢を整えたとしても、この世に“100%絶対の成功”なんて存在しません。リスクがゼロなんて世界はあり得ないのです。だから最後は自分を信じ、自分の可能性に賭けて飛び込むしかないのです。

 

あなたはどうですか?
自分のことを信じることが出来ますか?
自分を信じ、そして自分の可能性に賭けることが出来ますか?
自分の人生を、自分の可能性に委ねることが出来ますか?

実はこれが出来るか出来ないかで、あなたの人生はまるで違うものになります。あなたがその人生で成功を掴むことが出来るか、幸せな人生を送ることが出来るかは、どれだけ自分の可能性に賭けられるかにかかっているのです。

本日の話のキーワードは【自分の可能性に賭けろ】です。

 

僕らの人生には、上手くいかないことはたくさんあります。自分の思うようにいかない、思い通りにならない。職場でも家庭でも、自分の思い通りにならないことってたくさんあると思います。

するとつい、こんな言葉が僕らの口から出てしまいます。

「あの人が、こうしてくれれば上手くいくのに…」
「あの人がもっとちゃんとやってくれれば、計画通りに進むのに…」
「あの人がもっと空気を読んでくれたら、もっと気を利かせてくれたら、もっと私をフォローしてくれたら…」

そうやって上手くいかない原因を他人に求めてしまいます。

「あの人が悪いから、私の人生が上手くいかないんだ」
そうやっていつの間にか、
「悪いあの人=加害者」
「可哀そうな私=被害者」
という構図を、無意識に自分の中に作り出していきます。

そうすると、
「悪いのは私ではなく相手なんだし、上手くいかない原因も相手にある。だから上手くいくためには、私ではなく相手が変わるべき。私は何も悪くないんだから、私自身は今のまま変わる必要は無い。」
そう考えるようになります。

ということはつまり、自分の人生が上手くいくようになるためには相手に何とかしてもらわないといけない、ということになりますよね。これは言い方を変えると「私の人生は相手次第だ」と言っているのと同じこと。

つまり、自分の人生を自らの手で創り上げていくことを放棄した状態。自分の人生であるにもかかわらず、自らの人生の主導権を他人に握らせてしまっているのです。

あなたの周りには、いませんか?自分では何もしようとしない、そして人にやってもらっているにもかかわらず文句ばかり言っているような、そんな他者依存型の人間が。実は被害者意識が強くなればなるほど、それに比例するように他者依存の傾向は強まっていくのです。

勘違いしてほしくないのですが、他人の力を頼るなと僕は言っているわけではありませんよ。生まれてから、誰にも頼らずに生きている人間など一人もいません。

現にあなたも、今こうして僕のメッセージを読んでいるそのパソコン・スマホ・タブレットだって、誰かが研究して開発し、誰かの手によって作られ、そして誰かの手によってあなたの元へと届けられたから、こうして僕のメッセージが読めるわけですよね。あらゆることを自分一人の力だけで済ませられる人なんて、この世にただの一人だっていません。

「他人に頼る」というのは、あくまでお互いが人として対等の関係であり、お互いが協力し合える関係のことを言うのです。もしどちらかが一方的に頼ってばかりで互いに協力し合える関係ではないのなら、それは単なる「依存」でしかありません。「他人に頼る」と「他人に依存する」は、似ているようで全く違うものなのです。

そして他人に依存するということは、完全に他人の力を当てにして生きている状態。自分の能力や力といったものを自分で信じることが出来ず、まさに他人に頼ることでしか生きられない状態。つまり自分の人生を、自分にではなく他人の可能性に委ねてしまっているということ。言わば他人の可能性に、自分の未来を賭けてしまっているのです。

自分の人生は自分で何とかしようとしない限り、変わることはありません。あなたが生まれた時から死ぬその瞬間まで、あなたの人生の全てに対し責任を持って背負ってくれる人なんて誰もいないし、そもそもそんなこと誰にも出来ませんよね。

自分の人生を自分の足で歩こうとしない限り、基本的には自分を取り巻く状況は悪くなっていくものだと思ってください。自分の人生を他人任せにして放置しておいて、「いつの間にか状況が変わって、勝手に自分に都合の良い状況になってくれている♪」なんて虫の良い話にはならない。それどころか、放置していた問題がどんどん膨らんでいき、気づけば越えることの出来ない大きな壁となって自分の前に立ちはだかることになります。

人生は一度きりです。

もしかすると、死んでもまた生まれ変われるのかもしれません。でももし生まれ変わることが出来るとしても、僕らには前世の記憶があるわけでもありませんし、死後のことも分かりません。考えても分からないことを考えたって、何も意味はありません。

僕らが生きることが出来るのは、今だけ。今この瞬間だけです。

ならば、この瞬間に力を込めて生きていきませんか?どうせ依存するなら他人にではなく、自分に依存する生き方を選びませんか?一度しかない人生、自分の可能性に賭けてみませんか?

自分の可能性に賭けてみる。
自分のことを心から信じることが出来なければ、自分の人生を自分に賭けることは出来ません。そして、他人に信じてもらうのではなく、自分で自分のことを信じてあげなければならない。たとえいくら周りから認めてもらって信じてもらったとしても、自分が自分を信じてあげなければ力を発揮することは出来ないのだから。

昔の僕が、まさにそうでした。
会社員としてある程度経験を積み、上司からも実力を認めてもらえるようになっても、僕はずっと自分の力を信じることが出来ずにいました。だから、ここぞという時にはいつも足がすくんでしまい、いつまでたっても結果を出せずにいました。僕はずっと、自分の可能性を自らの手で放棄し続けてきました。

自分のことを信じ、自分の可能性を信じてあげなければ、自ら自分の力を抑え込むことになる。自分のことを認めてあげなければ、自分の中にあるはずの力を発揮することも出来ない。自分を信じてあげなければ、力の原動力となる勇気は湧いてこない。

 

これから僕が書く文章を、声に出して読んでみてください。

 

の人生において、どんな困難が降りかかろうと、どんな問題にぶつかろうとも、にはそれを必ず解決できる力が備わっている。
たとえ今、困難を乗り越えることが出来なくても、乗り越えるべき時が来れば、は必ず乗り越えられる。』

 

どんな時も、諦めないでください。
投げ出さないでください。
絶対に自分を見捨てないでください。
心を整え、自分の可能性を信じ切ってあげるのです。

もしあなたが自分を信じることが出来ないというのであれば、それはなぜですか?これまでの人生で、上手くいったと思えるようなことが無いからですか?それとも、自分は信じるに値するほどの価値が無い人間だと思っているからですか?

人生が上手くいかない理由や原因というのは、いろいろあります。でも人生が上手くいかないその最大の原因は、「自分を信じてあげることが出来ないから」です。

自分のことを信じてあげることをせず、自分のことを疑いの目で見始めると、自分の考えや思い・行動・価値観・信念・常識…自分に関するあらゆるものが信じられなくなります。そうなってくると、最後は自分の目や自分の価値観を通して見る全てのものが信じられなくなるのです。疑心暗鬼に陥り、あらゆるものに心を揺さぶられ続ける、そんな人生を送ることになるのです。

ここまで数日に分けていろいろ話をしてきましたが、これらは全て最終的に、自分を信じ、そして自分を好きになるためのものです。もし自分の可能性を全く信じられないのであれば、あなたのこれからの人生のあらゆる可能性は限りなくゼロへと近づいていきます。

「自分なんて、どうせダメだ」
「頑張ったって、どうせ上手くいかないに決まってる」

もしあなたが本気でそう思えば、実際にそうなるようにあなたの身体が反応し始める。ダメになるように、失敗するようにと、あなたの脳があなたの身体に命令を出し始めるのです。

 

実は人間というのは、「心の中で思い込んでいる現実」と「目の前の現実」が常に同じでなければならないように出来ています。もし「心の中で思い込んでいる現実」と「目の前の現実」が違っていれば、心がその違いを認めることが出来ず、同じになろうとする働きを持っているのです。

だからもし自分が正しいと思い込んでいる現実と、目の前の現実が違っていれば、心が「これはおかしい、修正しなければならない!」と、慌てて修正を開始します。

そしてその修正方法ですが、具体的には大きく分けて2つの方法があり、自分の心がその2つの方法を状況に応じて使い分けていきます。

 

まず1つ目は、「目の前の現実」を自分の「心の中で思い込んでいる現実」と同じものに変えていくために、自分の身体を使って目の前の世界そのものを変えていく方法。

例:自分は優秀なはず(だと信じている)なのに、学校でのテストの点がとても悪かった。

「俺ほどの優秀な人間が、こんな低い点を取るなんてあり得ない。絶対におかしい。きっと何かの間違いだ。」

自分の優秀さを証明するために猛勉強し、それ以降のテストでは満点を取り続ける。

例:自分はサッカーが下手くそ(だと信じている)なのに、所属するサッカークラブでエースストライカーとして試合に出されることになった。

「俺を選んだコーチは一体何を考えているんだ。俺みたいな下手くそに任せたら、試合になんて絶対勝てるわけないよ。」

プレッシャーのあまりガチガチに緊張してしまい、そのためミスも連発し、自分の思った通り結果を出せずに試合に負ける。

 

次に2つ目の方法は、1つ目とは反対に、「目の前の現実」に合わせるように「自分の心の中で思い込んでいる現実」を変えていく方法。

例:「自社の営業部門では常にトップセールスを誇り、自分はこの業界では間違いなくナンバーワン営業マンだ(と思い込んでいる)。」

「しかし、こんな小さな会社では俺の力を十分発揮することは出来ない。活躍の場を広げるために、もっと大きな会社に転職しよう。」

しかし転職先の大きな会社では、自分より優秀な営業マンがいっぱいいて、その自信は見事に打ち砕かれた…

「俺の実力って、実は全然大したことなかったんだ…」
すっかり自信を無くし、現実の評価に合わせるかのようにこれまでの自分の中にあった自己評価も下げていく。

 

ということで、どちらの方法をとるにしても、人間の心は「自分の心の中で思い込んでいる現実」と「目の前の現実」を同じものにしようとする働きを持っているのです。だから何かにチャレンジするような時でも、あなたが本気で「失敗する」と思い込んでしまえば、あなたの脳は失敗することを証明するために、身体に失敗するための指令を出し始めます。

例えばチャレンジしようとするあなたの体を緊張させて動きにくくさせたり、または不安の心を膨らませて手足を震えさせたり、またはあなたがチャレンジを止めたくなるような失敗のイメージをあなたの頭の中にいくつも浮かび上がらせたり…そうやって、あなたが心の中で信じていることを、現実のものにしようと働き始めるのです。

だから、たとえあなたが仮に今上手くいかないことがあったとしても、簡単に自分の可能性を諦めるようなことはしないでください。表面上の失敗になど、とらわれないようにしてください。はっきり言って僕なんて、それこそ失敗だらけの人生です。まさに間違いだらけの人生です。

でもね、失敗するから人間は賢くなるのです。失敗するから、生きた知恵が身に付くのです。
それはこれまでの文明の歴史を見れば、分かります。この世にあふれる発明品や便利品、または何気なく使う日常生活での道具の一つひとつが、数えきれない失敗・数えきれないほどの試行錯誤を繰り返した結果、生まれたわけです。

「失敗」とは、言い換えれば「実験」です。実は失敗と実験は、同じ意味なんです。たくさんの失敗をするということは、それだけたくさんの実験をしているということ。実験を繰り返すことによって成功へとたどり着くように、失敗を繰り返すことによって成功へと近づく。つまり「失敗」は、「成功」するために必要な、大切なピース(欠片)のひとつ。失敗という名のピースを集めれば集めるほど、成功へと近づいていくのです。

だから失敗したからといって諦める必要など、どこにもありません。投げ出す必要もありません。「失敗」=「実験」です。

1つのやり方で上手くいかなかったのなら、別のやり方で実験してみればいいだけ。たったそれだけの話です。失敗=実験すればするほど、自分は成功へと近づいている、そう考えてください。

それともうひとつ、言っておきたいことがあります。今回の話の途中でも少し触れましたが、「被害者意識」についてです。

被害者意識を持った状態とは、
「自分は悪くない。悪いのは相手であって、相手に何とかしてもらわないと困る!」
そう考えている状態であり、いわば自分の人生が相手の動向次第になっているわけです。つまり自分の足で自分の人生を歩こうとしていない状態、完全に他者に依存した状態であり、自分の人生の主導権を相手に握られてしまっている状態です。

自分の意思で自分の人生を決めることが出来ない状態。あなたの人生を決めるのは、あなたではなく他人。つまりこれでは自分の望む人生、自分の望む生き方など、まず無理ですよね。

そう。もうお分かりだと思いますが、被害者意識こそがあなたの人生における最大の妨害者なのです。被害者意識を持つ限り、自分の望む人生は実現不可能だと思ってください。

ちなみに僕の知る限り、僕の周りで被害者意識の強い人で成功している人・幸せと言える人生を送っている人・周りと良い人間関係を築けている人は一人もいません。被害者意識にとらわれる限り、人生が上手くいくことは無いと肝に銘じてください。

そして被害者意識とは、「上手くいかない原因を他人のせいにすること」。つまり被害者意識とは、言い訳そのもの。被害者意識を持つと、それが出来ない言い訳や、それをやらなくてもいい理由ばかりが生まれてくるのです。

その結果、人生がちっとも前に進まなくなる。そして人としての成長が完全に止まってしまうのです。人のせいにばかりして自分が変わろうとしなければ、当然進歩は無いですからね。

そして今回の話のタイトルにもなっている「自分の可能性に賭ける」とは、「自己責任で生きる」ということ。自分のことを信じて、自分の意思で決断し、そしてそれによって起こした行動の責任は全て自分で負う。自分で決めた行動に対し、どんな結果になろうと他人のせいにせず、どんな失敗であっても言い訳をせず結果をきちんと受け止める。

特に人というのはものごとが上手くいかなかった時、他人のせいにすると同時に、あれこれと言い訳をしてしまうものです。

ではなぜ人は失敗をした時、言い訳をしてしまうのか?もしあなたが普段から言い訳をすることが多いのであれば、あなたは自分のことを信じ切れていないのかもしれません。

例えば会社などで、仕事中に失敗をして周りにも迷惑をかけてしまったとする。すると、なぜ失敗したのか、多くの人が周りのみんなに向かっていろいろ言い訳をしてしまうのではないかと思います。

なぜ周りのみんなに対して、一生懸命言い訳をするのか?
それは、
・ミスによって自分が責められたくないから…
・ミスによって自分が悪者になりたくないから…
・能力が低い奴だと思われたくないから…

だから一生懸命言い訳をしてしまう。自分の考えや行動に自信が無いから、ミスや失敗だと言われると必要以上に慌ててしまう。自分を信じることが出来ないから、些細なことでも不安になり動揺する、他人からどう思われてるかばかりが気になる。

あなたがこれまで自分を信じることが出来てなかったのであれば、急に自分を信じようとしても、なかなか簡単なことではないでしょう。他人の目や評価を気にせず行動するというのも、口で言うほど簡単なことではないかもしれません。

でも先ほども言いましたが、僕らの人生において「失敗」というものは存在しません。あるのは「実験」だけです。失敗したくないと思えば、足がすくんで前に進めなくなります。でもあなたの思っている「失敗」、それは単なる「実験」なんです。

人生における僕らの行動、それは全て「実験」です。何事も行動してみなければ結果は分かりません。行動を積み重ねることにより、ものごとに対する理解が深まり、成功するための法則・パターンが見えてくるのです。

何かを発明したり、何かを作るのも同じですよね。エジソンは白熱電球を発明するために、とてつもない数の「失敗という名の実験データ」を積み重ねました。その結果、白熱電球という歴史上最大の功績とも言える発明を成し遂げました。

人生もこれと同じです。失敗という名の実験データをより多く集めれば集めるほど、より成功へと近づいていく。人生において、失敗というのは単なる実験データの1つに過ぎない。集めれば集めるほど、揺るぎない成功へと間違いなく近づいていくのです。

そして「失敗」に対し、「感情」でとらえるのではなく、単なる「事実」として受け止める。これによって、失敗した時でも必要以上に心が乱れたり、焦ったり慌てたりすることも無くなります。

この、目の前で起こることを「感情」ではなく、単なる「事実」としてとらえるというのは、以前にお話しした【嫌われることを恐れるな】の中で話していますので、忘れた方はもう一度読み返してみて下さい。

自分を信じ、そして自分で自分のことを認めてあげることが出来るようになれば、他人の目や他人からの評価というものが気にならなくなってきます。

他人の目が気になるということは、「他人から認めてもらいたい」という思いがあるから。自分で自分のことを認めてあげられないから、他人に認めてもらうこと(他者承認)によって、その穴埋めをしようとしているだけなのです。

実は他者承認を求める心が強いということは、それだけ自己承認の心が弱いということ。自分で自分を認めてあげることが出来るようになると、それに反比例するように他者承認を求める気持ちは下がっていきます。

 

ということで、ここまで「自分を信じ、自分の可能性に賭ける」というテーマで話をしてきました。僕は、あなたがこれまでどんな人生を送り、そして今どんな生き方をしているのか、正直分かりません。でも今あなたの中に
「自分の人生を何とかしたい、人生を変えていきたい」
そんな思いが燻(くすぶ)っているから、こうして僕の話を聞いてくれているわけですよね?

もちろんこのまま人生を終わらせるつもりなんて、ありませんよね?だったら、自分の可能性を信じて踏み出してください。人生と言う名の一度きりの大ギャンブル、自分を信じ、そして自分に賭けてみて下さい。

どんな生き方をしようと、あなたの人生はたったの一度きり。やり直しは、決してきかないのです。だったら、諦めながら無意味な日々をただ過ごすのではなく、たとえ悪あがきしてでも自分の生きたい人生を生きるためにもがく方が、面白くないですか?諦めながら生きるより、一か八かでもその人生を自分に賭けてみるほうが、何百倍も人生が面白くなると思いませんか?

僕はこれまでの人生、やることなすこと全て上手くいかないことだらけでした。そして今も、人生が思い通りにいっているとは言えません。

でも僕は今、人生が面白くて仕方ありません。自分の可能性を信じてひたすら前へ進み始めた時から、「人生とは、こんなに面白いものなんだ」そう感じるようになりました。

もちろん僕にも、出来ることと出来ないことはあります。どんなに頑張っても他人に先に結果を出されたり、追い越されてしまうこともあります。でも、どんなに結果が出せなくても「俺なら出来る。たとえ今はダメでも、俺ならいつか必ず結果を出せる。」そう信じています。

絶対に、人生を諦めません。泣いても笑っても、人生は一度きりです。どうせ同じ生きるなら、自分を信じて全力で駆け抜けたい。僕はそう思います。
僕と共に、自分の可能性を信じて人生を駆け抜けていきましょう。

ということで、今回の話はこれで終わります。
でも今回の話を聞いたからと言って、いきなり明日から「よし、自分を信じてガンガン前に突き進むぞ!」とはいかないと思います。なので次回は、「一直線に自分の進みたい方向へ、強制的に突き進む方法」をお話ししようと思います。

楽しみにしていてください。

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