人生のカラクリ~あなたの人生を支配する陰の裁判官~web版 | 無料講座

人生のカラクリ~あなたの人生を支配する陰の裁判官~web版

 

【目次】

■プロローグ:あなたの人生を支配し、操るものの存在
■Chapter.1:あなたを支配する”神”とは
■Chapter.2:ジャスティスの誕生
■Chapter.3:ジャスティスの巧妙な手口
■Chapter.4:ジャスティスの植え付けた”種”
■Chapter.5:ジャスティスの真の姿
■Chapter.6:価値観というフィルターにこびり付いた汚れを拭きとり、歪みを矯正する方法
■Chapter.7:”善悪”ではなく”本質”をとらえる
■Chapter.8:自分に依存しろ
■Chapter.9:ジャスティスと一体化しろ
■エピローグ:あなたの人生は、あなたのもの

 

プロローグ:あなたの人生を支配し、操るものの正体

e-book【 人生のカラクリ~あなたの人生を支配する影の裁判官~ 】へ、 ようこそいらっしゃいました。
e-book 執筆者の【仁(じん)】と申します。

突然ですが、あなたは神を信じますか?
この世の全ての創造主。全てを意のままに操る存在。生きとし生けるもの全ての運命を握り、悪しき者には罰を与えて懲らしめる力を持つ。
そんな、神の存在を信じますか?

 

…えっ、自分は無神論者だって?
OK です。それもいいと思います。

では質問を変えましょう。
あなたは自分の人生を、思うように生きていますか?
・どんな時も、自分の考えに従って行動する
・周りの目を一切気にすることなく、自分の思いを自由に発信する
そんな、何ものにも縛られないような自分らしい生き方が出来ていますか?

もしかしてあなたは、自分のものではない「何か目に見えない圧力のような力」を感じながら生きているのではないですか?

例えば、
・やりたいことがあるのに、周りから反対されて断念せざるを得なくなったり。
・自分の取った行動が、結果的に他人に迷惑をかけてしまうこととなり、罪悪感のせいで自信を持って行動出来なくなったり。
・仕事で大きな失敗をしてしまい、それ以来仕事に対し積極的になれなくなってしまったり。
・良かれと思ってやったことが悪く受け取られてしまい、他人と関わることが苦痛になってしまったり。
・周りのみんなが出来ていることが自分には出来ず、強い焦り・不安・劣等感などのプレッシャーを感じてしまったり。

そうやって、何かの圧力によって自分の意思や行動をねじ曲げられ、自分らしく生きることを許してもらえていないのではないですか?

自分の意思や行動をもねじ曲げてしまうほどの抗しがたい圧力…
この圧力は、一体どこからやって来るのか?
一体何者が、自分に圧力をかけているのか?

あなたの意思や行動をねじ曲げ、あなたの運命、そしてあなたの人生までをも狂わせてしまうほどの力と影響力を持つ者…

その正体は、です。
実はあなたの中には神が存在し、そしてその神があなたの心や思考・行動に強い影響を及ぼしているのです。
あなたの中にいる神が、あなたが自由に振る舞うことを許さず、あなたの行動にブレーキをかけているのです。

「何!! 神だって!?
もし本当に神が相手なら、どうにもならないということか??」

いいえ、大丈夫。少しも心配いりません。
これからあなたの中にいる神の正体を、僕が暴いてみせます。
そして神を仲間に引き入れる方法を、あなただけにお教えします。

 

Chapter.1:あなたを支配する”神”とは

では、あなたの中に君臨する神とは、一体どのような神なのか?

かつて僕は、自分の中に君臨する神と対峙した経験があります。
そう、あなたの中に神がいるのと同じように、僕の中にも神がいたのです。

そしてその神は、今も僕の中に存在し続け、今では僕の人生をサポートしてくれる心強いパートナーとして、僕に力を与え続けてくれています。

当時の、まだ僕が自分の中にいる神の存在に気づいたばかりの頃を思い出しながら、あなたの中にいる神について説明していこうと思います。
よりリアルに思い出すため、僕と神との会話も交えながら話していきます。

 

 

*「仁」…著者である僕自身
*「神」…僕の中に君臨する神

仁「俺の中に居座るお前は、一体何者だ?」

神「ふふふ…、よく私の存在に気づいたな。」

仁「お前は一体何の権利があって、俺の人生の邪魔をする?
俺の人生が思うようにいかないのは、全てお前のせいか?」

神「私はお前の人生に君臨する神。私はお前の心を操り、常にお前の行動を監視している。」

仁「俺の行動を監視して、どうするつもりだ?」

神「もしお前が間違った考えや行動をすれば、罰を与える。」

仁「罰を与える?まるで裁判官のようだな。」

神「そう、私はお前の神であり、お前を裁く裁判官でもある。
我が名は “ジャスティス” 。
私はお前の人生における裁判官であり、法律そのものでもある。
お前の人生における善悪・正誤は、全て私が決める。
お前はそれに従う以外に道はない。」

仁「もし逆らえば?」

ジャスティス
「無理だ、逆らうことは出来ない。
お前の思考・行動・感情は全て、私の支配下にある。
私の決めた法律に、お前は一生支配され受け続けなければならない。
もし私の定めた法や規律に反すれば、必ず罰を受けることとなる。」

仁「罰とは、具体的にどんな罰だ?」

ジャスティス
「もしお前が私の定めた法や規律に反した行動をすれば…
後悔、罪悪感、自己否定、引け目、負い目、後ろめたさ…
そんな自責の念をお前の心に植え付ける。
その結果、お前は自分らしい行動をとれなくなる。
お前の人生は、どんどん窮屈でつまらないものになっていくのだ。」

仁「ジャスティス、お前の正体とは…」

ジャスティス
「ようやく気付いたようだな。
私はお前の良心、道徳心、倫理観…つまりお前の価値観そのものだ。
他人の目はごまかせても、私の目をごまかすことは出来ない。
なぜなら私はお前の中に存在し、お前が生まれた時から片時も離れず
お前を見続けているのだからな。
私はお前の価値観であり、規則であり、ルール。
お前が少しでも間違いを犯せば、その瞬間私からの罰が下ることとなる。」

 

僕やあなたの中にいる神、ジャスティスという名の裁判官、その正体は自分自身の価値観。

多くの人が、自分らしく自由に生きたいと願っている。
でも現実は、多くの人が窮屈な生き方を強いられている。
自ら自分に低い評価を付け、周りの目ばかりを気にし、ビクビクしながら行動している。

「自分は本当に正しいのだろうか?」
「周りから批判されたらどうしよう?」

自分に自信が持てず、卑屈な生き方を強いられている。
思うように生きられず、自分の行動が制限されてしまっている。

なぜ多くの人が、こんな窮屈な生き方を強いられてしまうのか?
その原因は「自分の中にある価値観」。
あなたの持つ価値観、つまり道徳心・倫理観・自己評価…そういった目に見えない基準(マイルール)があなたを縛り、あなた自身を窮屈にさせているのです。

ということは、自分らしく自由に生きていくには自分の中にある価値観・基準を変えればいいということ。
とはいっても、自分の価値観というのはそう簡単に変えられるものではありません。

価値観とは、あなたが生まれた時から長い年月をかけて作られたもの。
あなたの意識の深い部分に、強力に刷り込まれています。
そうとう手強い相手です。

でも大丈夫。
価値観というのは、変えられます。
価値観を変え、自分らしく生きることも出来ます。

では、具体的にどうすればいいのか?これから順を追って話していきます。

 

Chapter.2:ジャスティスの誕生

それでは、あなたの中にある価値観・判断基準、つまりあなたを裁く裁判官「ジャスティス」は、どうやって作られたのか?

 

仁「お前はいつから、俺の中に存在しているんだ?」

ジャスティス
「お前の生命が誕生した瞬間、私も共に生まれた。」

仁「じゃあ俺が生まれた瞬間から、お前は明確な基準を持って俺を裁き始めていたということか。」

ジャスティス
「いいや、違う。」

仁「違う?どういうことだ?」

ジャスティス
「お前が生まれた時、私はまだお前を裁くべき明確な基準を持ち合わせてはいなかった。」

仁「じゃあ俺を裁くべき基準は、どこから持ってきたんだ?」

ジャスティス
「お前を取り巻く環境からだ。」

仁「…? 言っている意味がよく分からない。分かるように説明してくれ。」

ジャスティス
「仕方がない、少しだけ説明してやろう。
お前が生まれた時、お前の心はまだ真っ白だった。
そしてお前の心の中にいる私も、同じく白紙の状態であった。
つまりお前を裁くべき基準を、私はまだ持ち合わせていなかった。」

仁「じゃあ、俺を裁くべき基準はどうやって作ったんだ?」

ジャスティス
「最初の基準は、お前の親からもらった。
お前の親の持つ価値基準を、拝借させてもらったのだ。」

仁「つまり幼い頃の俺を裁く善悪の基準は、俺の親の価値基準を使っていたということか?」

ジャスティス
「その通り。」

仁「では、今も俺の親の持つ価値基準に照らし合わせて俺を裁いているのか?」

ジャスティス
「いいや、違う。」

仁「じゃあ、一体誰のものを使っているんだ?」

ジャスティス
「お前を取り巻く環境の全てからだ。」

仁「どういうことだ?」

ジャスティス
「幼い頃のお前の世界は、お前の親がそのほとんどを占めていた。
だから私も、お前の親の価値基準しか知ることが出来なかった。
しかし成長するにつれ、お前は学校に行き始め、やがて社会人になり会社にも就職した。
そうやってお前の世界は、どんどん広がっていった。
それと同時に私も、様々な価値基準に触れる機会を得ることが出来た。
私はお前を取り巻く様々な環境から影響を受け、私なりの価値基準を
作り上げていったのだ。」

仁「つまりお前の裁きの基準は、これまで俺が関わった人間たちが持つ価値観の複合体ということか?」

ジャスティス
「その通り。
そして今も私は様々な価値観に触れ、それを取り入れ、変化し続けている。
普段お前が関わる人間たちだけでなく、本、テレビ、インターネット、看板、広告…あらゆるものの影響を取り入れ、常に変化し続けているのだ。」

 

僕らの持つ価値観や判断基準、それは最初から自分の手で作られたものではありません。
僕らが生まれた時、最も身近で接していた親から始まり、家族・きょうだい、学校の先生や友人、会社の上司・同僚や部下・取引先やお客さん、自分の尊敬する人、恋人…または自分の置かれている立場や仕事上の役職、そういった全ての環境から影響を受け、僕らの価値基準は作られているのです。

そして僕らの中にある価値観は、僕らを取り巻く環境によって今も知らず知らずのうちに形を変え続け、それが僕らの人生における法律・規則となって自らの人生を縛り上げてしまっているのです。
周りの影響を受け、意図せず作られた価値基準が自身の人生を裁く裁判官となり、僕らの人生に君臨しているのです。

自分らしく自由に生きるためには、まずはこの「借り物の価値観」から抜け出さなければなりません。
ジャスティスによる「心の束縛」から、抜け出すのです。

 

Chapter.3:ジャスティスの巧妙な手口

どうすれば「借り物の価値観」から抜け出すことが出来るのか?
そのためには、ジャスティスの仕組む巧妙な手口に気づかなければなりません。

 

仁「ということは…、ちょっと待てよ。
俺の中にある俺自身の今の価値観というのは、純粋に俺独自のものではないということか?」

ジャスティス
「そういうことになる。」

仁「俺独自の価値観だと思っていたものが、実は周りからの影響によって作られたものだったということか?」

ジャスティス
「そうだ。」

仁「つまり俺の価値基準=ジャスティスは、周りの影響によって作られたものだということか?」

ジャスティス
「全てそうとも言い切れないが、少なくとも私は周りの人間から大きな影響を受けていることには間違いない。
周りの人間の価値基準に照らし合わせながら、お前を裁いている。」

仁「ちょっと待て!
じゃあ今まで俺が人生の中で自己嫌悪に陥ったり、自責の念にかられたりしたのは、全て他人の価値観が基準になっていたということか?
つまり他人の価値感に従って、これまで俺はウジウジ悩んでいたってことか?」

ジャスティス
「全てそうとは言い切れないが、大分部はそうだろう。
お前は自責の念にかられていたのではない。

他人からの批判や評価に怯えていただけなのだ。」

 

人生の中では、他人から良い評価をもらったり、または逆に批判されたりすることがあると思います。
あなたも学生時代に先生から良い・悪いといった評価を受けたり、友人から「お前はすごいヤツだ・ダメなヤツだ」といった評価を受けたことがあ ると思います。

また社会人になってからも、上司から褒められたり・怒られたり、または同僚から認められたり・けなされたりなど、周りの人間からいろんな評価を受けながら生きてきたと思います。

では、周りから「良い評価・悪い評価」を受けた時、あなたはどのように感じましたか?
他人から良い評価を受けた時は嬉しい気持ちになり、逆に悪い評価を受けた時は嫌な気持ちになったのではないでしょうか。
つまり他人の評価によって、一喜一憂しているわけです。

でもここで、騙されてはいけません。
あなたに評価を下しているのは、実は他人ではないのです。
あなたの中にいるジャスティスが、評価を下しているだけなのです。

どういうことかというと、例えばあなたが会社の上司から怒られたとする。
するとあなたは「俺はなんてダメなヤツなんだ」と思うわけです。
でもあなたは、上司から怒られたから「自分がダメなヤツだ」と思っているわけではない。
あなたの中のジャスティス(価値基準)に「怒られるようなヤツはダメ人間だ」という基準があるから、怒られることによって「自分はダメなヤツだ」と思うのです。

つまり、

・怒られる
  ↓
・俺はダメな人間だ

ではなく、

・怒られる
  ↓
《怒られるようなヤツはダメ人間だ》
  ↓
・つまり、俺はダメな人間だ

というわけです。

他人があなたにダメ出しをしているのではない。
あなた自身が自分にダメ出しをしているのです。

ということは、例えばあなたが他人から「お前のやっていることは人として間違っている」と言われたとする。
でもあなたの中のジャスティス(価値基準)が「お前は少しも間違ってなどいない、お前は人として正しいことをしている」と判決(判断) を下せば、あなたの心は罪悪感という罰を受けることはありません。

むしろあなたの心の中では
「俺が人として間違ってるだって!?
いやぁ、あいつは全く何も分かってないな。
ホントかわいそうなヤツだ…」
といった、相手に対する憐みの感情すら生まれてくるのです。

他人の言動によって心が揺さぶられる場面というのは、人生の中でたくさんあります。
でもあなたの心を揺さぶっているのは、他人の言動ではありません。
揺らいでいるのはあなたの中の価値基準です。
あなたの価値基準が揺らぎ、他人の言動に流されてしまうから、本来感じる必要のない自己嫌悪に陥ったり自責の念にかられたりしてしまうのです。

心が揺さぶられる時、
自己嫌悪に陥ってしまう時、
自責の念にかられる時、
自分のことが信じられなくなった時、
そんな時は、自分の価値基準を見つめ直してみて下さい。

自分の中にある基準は本当に正しいのか?
単に周りの人間の言葉の影響を受けているだけではないのか?
果たしてそれは、本当に自分自身の価値観なのか?
自分の心を見つめてみて下さい。

どんな価値感であれ、あなたがそれを信じて受け入れた瞬間、それはあなたのジャスティス(価値基準)の一部となり、あなたの人生を支配し始めます。
あなたが信じたものが、そのままあなたのジャスティス(価値基準) となるのです。

だから、どんな時も自分の価値観を見直す習慣を付けてください。
本当に正しいのか?
誰かの借り物ではないか?
その価値観、本当に自分のものか?
そうやって考える癖を付けてください。

そしてその価値観が本当に自分のものであるなら、とことん信じてください。
周りから何と言われようと、関係ありません。
何があっても決してブレないでください。
どんな時も、その価値基準に沿って生きてください。

あなたの価値基準がブレなくなれば、途端にあなたを取り巻く世界はシンプルなものへと姿を変えていきます。

 

Chapter.4:ジャスティスの植え付けた”種”

 

仁「俺はこれまで、散々いろんな人間から怒られたり否定されたりしてきたが、他人が俺を否定していたわけではない。
俺自身の中にある”自分を否定する心”が、自分にダメ出しをしていただけ。
つまり他人から向けられた言葉を、俺の価値基準が”自分を否定する材料”に変換して自分にぶつけていただけの話だったということか。」

ジャスティス
「そういうことだ。」

仁「では俺の中にある価値基準は、間違っているということか?」

ジャスティス
「全く間違っているとは言わないが、いびつに歪んでいる。」

仁「いびつに歪んでいるとは、どういう事だ?」

ジャスティス
「ふふふ、やはり気づいていないようだな。」

仁「…? 一体何のことだ?」

ジャスティス
「私はお前の中に、ある”種”をいくつも植えつけた。
そしてどうやらその種は、順調に成長してくれているようだ。」

仁「種? 一体何の種を植えたんだ?」

ジャスティス
「思い込みという名の種だ。
ほら、よく見てみろ。お前の中に植えた”思い込みの種”がすくすくと成長し、お前の思考や行動を縛り始めている。
お前の人生はすでに、思い込みに支配されている。」

仁「俺が思い込みに支配されているだと?」

ジャスティス
「そうだ。」

仁「俺のどこが支配されている?
俺は自分の意思で、自由に生きているぞ。」

ジャスティス
「どうやら気づいていないようだな。
例えばお前の中に、
・○○しないといけない、
・○○出来ないといけない、
・○○じゃないとダメだ、
そういった思い込みがあるだろう?
実はそれらは全て、お前の周囲の人間、または本・ネットなどから拝借してきた基準だ。
“周りがそうだから自分もそうしなければいけない” 周囲の言葉に惑わされ、思い込まされているだけ。 残念ながら、お前の意思などではない。」

 

僕らの価値観というのは常に、自分を取り巻く様々な環境から強い影響を受け続けています。
幼い頃からの、親による価値観の刷り込み。
友人や学校・職場の人間、夫や妻、恋人などからの影響。
テレビ、雑誌、インターネットからの影響。
そういった様々なものから影響を受け、僕らの価値観は揺さぶられ続けています。

そして人というのは、自分にとって信頼度が高いものや信頼の強い相手ほど影響を受けやすいもの。
例えば自分の尊敬する人や憧れる人、仲の良い友人。
または多くの人間が共有する価値観や、みんなが信じている共通の認識。
その道の専門家を装ったような人間の言葉。
また現代はテレビに対する信頼度が下がりましたが、反対にネットによる影響力がどんどん強くなってきています。

僕らを取り巻く環境の中には、至る所に思い込みの種が転がっています。
そして知らず知らずのうちに他人の価値観・周りのみんなが共有する価値観を取り込み、無意識に自分の価値観と一体化させてしまっているのです。

その結果、自分の意思ではない思い込みが生まれます。
そして思い込みはあなたの思考を縛り、あなたの行動を規制し始めます。
窮屈な人生の始まりです。

あなたの中に、ありませんか?
・○○しないといけない、
・○○出来ないといけない、
・○○じゃないとダメだ、
そういった思い込みが。

みんながやっているから、自分もやらないといけない。
みんなが普通に出来ているんだから、自分も出来ないとダメ。
「みんなと同じじゃないといけない」
「みんなと同じ価値観じゃないとダメだ」
そうやって自分の気持ちや意見はそっちのけで、誰もが周りに合わせるのに一生懸命になっているのです。

でもね、
・○○しないといけない、
・○○出来ないといけない、
・○○じゃないとダメだ、
じゃあ、もしそれが出来なければどうなるか?
その通りに出来なければ、何か重大なことでも起こるのか?

たいていの場合、大したことは起こりません。
それが出来なくても、あなたの人生に何か重大なことが起こるようなことは、ほぼありません。

ではなぜ人は「○○じゃないといけない」といった思い込みを持つようになるのか?
実は思い込みの根っこにあるのは「他人と比べる心」。
ジャスティス(あなたの価値基準)は何かを判断する時、比べるべき基準を必要とします。
あなたが良いのか?悪いのか?あなたが優れているのか?劣っているのか?それを判断するためには、周りの誰かと比べてみないと分かりません。
つまり他人を基準として、自分のことを判断しようとするのです。

これ自体は別に悪いことではありません。
何かと比べることにより、そのもの自体に対する理解も深まっていきます。

でも注意が必要です。
他人と自分を比べてばかりいると、自分の中に本来あったはずの基準が、いつの間にか他人のものとすり替わってしまうのです。
他人と比べてばかりいると、次第に他人を中心にものごとを考えたり、他人を基準にして様々なものを評価するようになり、最後は他人の持つ価値基準が自分の価値基準だと錯覚し、そう思い込んでしまうのです。

比べるべき相手は他人ではなく、自分自身。
過去の自分と比べるのです。
大事なのは、以前の自分と比べてどれだけ自分が成長出来たかということ。
比べる相手を、他人から過去の自分へと変えるのです。
そうすると、自分の価値基準を見失わないようになります。

 

Chapter.5:ジャスティスの真の姿

片時も離れず僕らを監視し、その価値基準によって僕らを裁き続けてきた裁判官ジャスティス。
ジャスティス、つまりあなたの価値基準は、あなたを取り巻く環境によって作られ、そして今も環境から影響を受け変化し続けている。

 

仁「ジャスティス、お前は俺を取り巻く環境から影響を受け、作られてきたと言ったな?」

ジャスティス
「そうだ。」

仁「そして、他人から怒られるから落ち込むのではない。
“怒られるようなヤツはダメ人間だ”という基準があるから、他人から怒られることによって自己否定や自己嫌悪に陥る。」

ジャスティス
「その通りだ。」

仁「また、環境や他人の影響によって俺自身の中に強い思い込みが作られ、その思い込みを通してものごとを見るために俺の視野や思考は狭められ限定されていき、窮屈な生き方になってしまっている。
この解釈で間違いないな?」

ジャスティス
「お前の言うとおりだ。」

仁「ということはつまり、お前はフィルターのような存在ということか?
お前という歪んだフィルター(価値観)を通してものごとを見たり判
断したりしているから、思うように生きることが出来ないということか。」

ジャスティス
「まぁ、そういうことだな。」

仁「じゃあジャスティス、お前という歪んだフィルターを捨ててしまえば、ものごとを正しく見ることが出来るということだな。」

ジャスティス
「理屈的にはそうなるが、それが出来れば誰も苦労などせん。」

仁「そうだな、お前の言うとおりだ。
ジャスティスという歪んだフィルターを捨てたり取り替えたりすることは出来ない…
ならば、歪みを直せばいい。」

 

ジャスティスというのは、あなた独自の価値基準のフィルター。
あなたは、ものごとをそのまま見ているわけではない。
あなた独自の価値基準という名のフィルターを通して、ものごとを見たり判断したりしているのです。

そしてあなたの価値基準のフィルターは、これまでの人生における様々な経験によって、たくさんの”思い込み”や”偏見”といった汚れが付いてしまっています。
そして残念ながら、価値基準のフィルターが汚れたり歪んだりしたからと言って、新しいものと取り替えることは出来ません。
一生そのフィルターを使い続けるしかないのです。

でも安心してください。
取り替えることは出来ませんが、汚れを拭き取ることは出来ます。
歪みも矯正することが出来ます。

ではどうすれば、汚れを拭きとることが出来るのか?
どうやったら、歪みを矯正することが出来るのか?

 

Chapter.6:価値観というフィルターにこびり付いた汚れを拭き取り、歪みを矯正する方法

 

ジャスティス
「私(価値基準)の歪みを矯正し、視界をふさぐ汚れを拭きとる…
良い所に気づいたな。で、どうやるのだ?」

仁「…どうすればいいんだ?教えてくれ、ジャスティス。」

ジャスティス
「私に聞いてどうする!まぁ良い、少しだけヒントをやろう。」

仁「早く教えてくれ。」

ジャスティス
「まぁ、そう急かすな。
作られた思い込みにとらわれず、ものごとを冷静に見つめるためには、 まずはお前自身の感情をコントロールしなければならない。」

仁「感情のコントロール?」

ジャスティス
「そうだ。お前の思考は常に、お前の感情から影響を受けている。
お前の行動を決めるのは、あくまでお前の思考だ。
しかしお前の感情が思考に強い影響を与え、お前の行動を狂わせている。」

仁「つまり、俺の行動を決定するのは俺の思考。だが俺の行動をコントロールしているのは、俺の感情ということか?」

ジャスティス
「そうだ。ものごとを正しく冷静に見つめるためには、感情をニュートラルな状態にコントロールしなければならない。」

仁「感情をコントロールするためには、一体どうすればいいんだ?」

ジャスティス
「そのためには、お前の中にある”善悪のモノサシ”を一旦手放すことだ。」

仁「善悪の判断をするなということか?」

ジャスティス
「そうだ。人間という生き物は、目の前の出来事に対し反射的に良い・悪いの判断をしたがるものだ。
だがそれが逆にお前たちの目を曇らせ、ものごとをありのままに見ることを邪魔しているのだ。
お前の中にある倫理観や道徳心というものを、一旦置くのだ。」

仁「理屈では何となく分かるが、具体的にはどうすればいい?」

ジャスティス
「つまり、正義にも悪にも偏るなということだ。
正義でも悪でもない、正義と悪のちょうど真ん中あたりに立つイメージだ。
その場所こそが最も視野の広い場所であり、ものごとを冷静に見つめられるポジションになる。」

仁「なぜ正義に偏ってはいけないんだ?
正義の心を持つことが間違っているとでも言うのか?」

ジャスティス
「そうではない。
正義の心そのものを持つことが悪いと言っているわけではない。 ただ、あまりにも正義に偏り過ぎてしまうと、ちょっとした過ちや偶然起きてしまった失敗でさえも許せなくなる。
正義以外の行為の全てが許せなくなり、なぜ過ちを犯してしまったのか?なぜ失敗してしまったのか?その理由や原因さえも深く考えなくなってしまう。
正義に偏り過ぎると、ものごとの本質に気づけなくなってしまうのだ。」

仁「言いたいことは何となく分かるが、いまいちピンとこないなぁ。」

ジャスティス
「仕方のないヤツだ。
ちょうど分かりやすい例がネットに載っていたから、読んでみろ。」

例えばものすごく正義感の強い人がいるとします。
まさに正義の塊のような人で、小さな悪も絶対許せないような人です。この人の目の前で小さな子供が、友達のゲームソフトを盗んだとします。

正義の人はそれを決して見逃しません。
子供に説教をし、ゲームソフトを友達に返させました。
盗んだ子供は途中、言い訳をしていたのですが、どんな理由があろうとやった行為は悪いことなので、言い訳は聞き入れられることはありませんでした。

…これについてどう思います?
確かに人のものを盗むのは悪いことです。
どんな理由があろうと、この子のした行為は悪いことです。
それをこの子供に教えてあげないといけませんよね。
でもね、ここでちょっと考えてみて下さい。

この子は本当に悪意を持って友達のゲームソフトを盗んだんでしょうか。
もしかしたら友達のゲームソフトが自分の持っているソフトと同じで、単に勘違いしてしまっただけなのかもしれません。
またはいつもお互いゲームを貸し借りするような仲で、ついつい断りなくゲームソフトを借りてしまっただけなのかもしれません。
それとも元々このゲームソフトは友達に盗まれたもので、この子はそれを取り返しただけかもしれません。

でも極端に正義に偏りすぎていると、どんな理由があろうと盗む行為は悪だとしか考えられず、その理由やその背景にある事情などが目に入らなくなってしまうのです。子供が一生懸命言い訳(説明)しようとしても「とにかくやったことは悪いことだ」の一点張りで、事情を聞き入れる隙など一切無くなってしまうのです。

つまり極端に正義に偏りすぎてしまうと、極端に視野が狭くなってしまうのです。
反対に、極端に悪に偏りすぎた時も同じです。
そしてこれは正義・悪に限らず、あらゆることに言えるんです。
どんなことでも、 どちらか一方に偏れば偏るほど視野はどんどん狭くなっていくのです。

仁「なるほど。確かに極端に正義感の強い人間というのは、過ちを犯した人間の言い分を聞かず、頭ごなしに相手を責めるタイプが多い気がする。」

ジャスティス
「もちろん正義感の強い人間すべてが、そうだというわけではない。
だが極端に正義に偏りすぎると、ちょっとした間違いも許せなくなる。
そしてこれは、自分自身にも言えること。
自ら間違いを犯してしまった場合も、自身の間違いを見逃すことが出来ず、自分を責めてしまうこととなる。
その結果罪悪感が生まれ、感情が乱れ、冷静な判断力を失う原因になってしまうのだ。」

仁「なるほど、言いたいことは分かった。
しかし、誰の中にも必ず感情はある。感情を完全にコントロールすることなんて、そもそも不可能だと思うが…」

ジャスティス
「確かに自分の感情を完全にコントロールすることは不可能だ。
感情とは本能であり、完全に制御することなど誰にも出来ない。」

仁「じゃあどうやって感情をコントロールするというんだ?」

ジャスティス
「仕方のないヤツだ。ではヒントをやろう。」

仁「どんなヒントだ?」

ジャスティス
「自分の中に生まれた感情を否定するな。」

仁「どういうことだ?」

ジャスティス
「お前の中にもたくさんの感情が生まれ続けているはずだ。
怒り、不安、焦り、後悔、嫉妬、妬み…
こういった負の感情は、誰も持ちたくない。
だからみんな、自分の中に生まれた負の感情を否定したり、気づかないふりをしたり、または”あいつのせいで俺は腹を立てているんだ”といったように他人のせいにしたり。
みんな自分の中に生まれた負の感情を否定し、無かったことにしようとする。
それを続けていると、どうなると思う?」

仁「…? どうなると言うんだ?」

ジャスティス
「負の感情を無視したり、否定して抑え込もうとすれば、それはお前の中でどんどん蓄積されていく。
そしてその蓄積された負の感情をずっと抱え込んで生きていけるほど、人間は強くない。」

仁「蓄積された負の感情が、爆発するということか?」

ジャスティス
「そうだ。しかもそういった感情の爆発はコントロール出来るものではないため、思わぬところで噴き出してくる。
例えば全く関係の無い相手に八つ当たりしてしまったり、または突然不機嫌になったり落ち込んでしまったりなど、関係の無いところで噴出するものなのだ。」

仁「ではそうならないために、一体どうすればいいんだ?」

ジャスティス
「自分の中に生まれた感情を否定したり無視したりせず、認識するのだ。」

仁「怒りや妬みの感情も、否定せず認めろと?」

ジャスティス
「そうだ。
“あぁ、私は今、腹を立てているんだな。”
“私は今、他人の成功を妬んでいるんだな”
そうやって自分の中に生まれた感情を、落ち着いて眺めてみろ。
無理に気持ちを立て直そうとせず、自分の感情をそのまま認め、感情の波が自然に過ぎ去るのを待つのだ。」

仁「それで冷静な心を取り戻せるのか?」

ジャスティス
「お前は”冷静”ということの意味を理解していない。
冷静になるとは、自分の感情を押し殺したり、自分の思いを無視することではない。
冷静になるために必要なのは、自分の感情を理解すること。
感情とは、心の状態を示すアンテナであり羅針盤。
つまり感情の動きを把握し理解することは、自分の心そのものを理解すること。
なぜ多くの人間が、ちょっとしたことですぐ動揺したり慌てたりしてしまうのか?
それは自分のことを知らない、自分のことを理解出来ていないからだ。
自分の心を理解していないから、自分の感情の乱れ方やパターンも知らない。
だから自分の中にある感情の乱れを予測することも出来ず、突然沸き起こった自分の感情の乱れに自分で慌ててしまっているのだ。
冷静になりたければ、自分という人間をしっかり理解しろ。」

 

あなたの価値観のフィルターにこびり付いた”偏見・思い込み”といった汚れを拭き取り、ものごとをありのまま真っすぐに見るためには、あなた自身の感情をコントロールしなければなりません。

といっても、自分の感情を押し殺したり無理矢理抑え込んだりするのではありません。
自分の中に生まれた感情を否定せず受け止め、どんなものか観察し、理解する。
自分の感情を認めず否定すればするほど、感情は乱れていきます。
逆に自分の感情を観察する習慣を付け、自分に対する理解が深まれば深まるほど冷静になれるようになり、感情をコントロール出来るようになっていきます。

感情をコントロールし、自分を取り巻く様々なものを冷静に見られるようになれば、自分の中にある偏見や思い込みといった汚れが次第に少しずつ取れていきます。
他人からの借り物ではない、自分独自の価値基準が姿を現すのです。

 

Chapter.7:”善悪”ではなく”本質”をとらえる

 

仁「なるほど。思い込みを手放し、自分独自の価値基準を見つけ出すためには感情のコントロールが欠かせないな。
それに感情が乱れていては正しい思考も働かないし、感情的になれば視野も狭くなって、ものごとを正しく認識出来なくなるしな。」

ジャスティス
「そうだな。」

仁「でも、いくら感情をコントロールして冷静になれても、それだけで自分にとっての正しい判断が出来るようになるとは限らないんじゃないか?」

ジャスティス
「もちろんだ。」

仁「じゃあ感情のコントロール以外に、何をすればいいんだ?」

ジャスティス
「お前、途中から質問だらけだな。
それにその答えは、もう先ほど答えたぞ。」

仁「…? 一体どの部分だ?」

ジャスティス
「もう忘れたのか?
“善悪のモノサシを一旦手放せ”だ。
そもそも、お前の中にある善悪の基準、それは正しいのか?
お前の中にある倫理観や道徳心、果たしてそれは本当に正しいのか?」

仁「…正しいと思ってはいるけど、なぜそんなことを聞く?」

ジャスティス
「お前の中にある善悪の判断基準。
お前が持っている倫理観や道徳心。
それはお前の手によって作り上げたものか?
周りの人間によって刷り込まれたものではないのか?
もしくは周りの誰かのものを借りてきただけではないのか?」

仁「…確かに周りの影響によって作られたものかもしれない。
誰かの真似をしているだけかもしれない。」

ジャスティス
「お前の善悪のモノサシ。
そのモノサシの正しさは誰が証明する?
どうやって証明する?
…いいか?
お前は正義の使者でも何でもないんだぞ。」

仁「じゃあ俺は一体どうすればいい?」

ジャスティス
「お前は、あるがままを冷静に眺める観察者。
全てを見渡す者。
そして、ものごとの本質を見極める者だ。」

仁「ものごとの本質を見極める者?」

ジャスティス
「そうだ。ものごとの善悪ではなく、本質をとらえるのだ。
表面的なことにとらわれず、その裏にあるものを見ろ。
パっと目には見えない舞台裏の様子を眺めるのだ。」

仁「舞台裏?」

ジャスティス
「そうだ。例えばお前の友人が、人として間違ったことをしたとする。
すると周囲からは、ここぞとばかりに批判する者が現れるだろう。
あたかも裁判官のように、たくさんの奴らがその人間に判決を下そうとするだろう。
でも残念ながら、そういった人間はみな単なる野次馬であり、彼ら・彼女らは本質が全く見えていない。」

仁「そんな時、俺はどうすればいい?」

ジャスティス
「単純な”善悪の二元論”でものごとを考えるな。
善悪ではなく、その友人が”なぜそんなことをしたのか?”を考えろ。
その友人の行動の背景にあるもの、その人間の置かれている状況や周りとの関係、その人間の人生観や価値観、そういったものに目を凝らし、想像し、思いを馳せるのだ。」

仁「周りの人間の批判や野次に流されず、また安易に同調せず、自分の目で見て、自分の頭で判断しろということか?」

ジャスティス
「まぁ、そういうことだ。
最近ではネットやSNSでも毎日のように炎上騒ぎが起こっているだろう?
そんな、炎上させている奴らと同調し一緒になって批判する側に回っていては、ものごとの本質が見えてくることはない。
善悪のモノサシを置き、感情をニュートラルにして、一歩引いた位置から状況を眺めてみろ。
その人間が、なぜ炎上するようなことをしてしまったのか?
その人間の置かれている状況、その人間の立場、性格、抱える思い…そういったものを踏まえて状況を眺めてみろ。」

仁「すると、ものごとの舞台裏や本質が見えてくるということか?」

ジャスティス
「そういうことだ。
周りの声に釣られるな。
お前の目で見て、お前の頭で状況を分析し、判断してみろ。
そうして出た答えが、お前にとっての正解だ。」

 

僕らは何事においても「良い・悪い」「正しい・間違っている」といった善悪でものごとを裁こうとしてしまいます。
そして善悪の二元論でものごとをとらえようとする限り、視野はどんどん狭まり、本質は見えなくなっていきます。

この世界は、善悪でスパッと割り切れるほど単純に出来てなどいません。
大切なのは善悪を決めることではなく、その奥に隠れている本質を見つけ出すこと。
善悪にとらわれている限り、価値観という名のフィルターの歪みを矯正することは出来ないのです。

また僕らは、自分の意見や考えを持っているようでも、気づけば周りの意見に流され、同調し、周囲と一体化してしまっていることが、本当によくあります。

特に感情というものは、人から人へと伝染するものです。
大勢の人たちが感情的になって特定の人物を批判し始めると、それにつられて自分もつい感情的になって同じ口調で同じように批判をし始めてしまうものです。

また人というのは、自分の考えに自信が無かったり、周りから批判されることを恐れていると、つい周りの人間と意見を合わせることによって安心を得ようとしてしまいます。

つまり、そうやって周囲に合わせ、安易に同調し、周囲と一体化してしまう行為は、他人から操られているのと同じなのです。
気づかぬうちに洗脳され、誰かの操り人形となり、自分を見失ってしまっているのです。

周りと同じである必要はありません。
周りと自分を、きっちり切り離すのです。
日頃から、周りのみんなの意見と自分の意見を切り離して考える癖を付けてみて下さい。

 

Chapter.8:自分に依存しろ

 

仁「なるほど。ジャスティス、お前の言うことはよく分かった。」

ジャスティス
「そうか。なら、私からのアドバイスはもう必要無いな。」

仁「いや、待ってくれ。」

ジャスティス
「何だ、まだ何かあるのか?」

仁「お前の言うことは、確かに分かる。でも、お前の言うことを実行するのは難しい。」

ジャスティス
「…? どういうことだ?」

仁「俺自身もそうだが、ほとんどの人間が人生に不安を抱えている。
果たして自分は本当に正しいのだろうか?

自分だけ間違っていて、周りから置いていかれないだろうか?
とりあえず、周りのみんなに合わせていた方が安全なんじゃない
か?
そう考えると、どうしても周りの人間の発言や行動が気になってしまう。」

ジャスティス
「なるほど。つまりお前は周りの意見や考えに合わせ、他の誰かに依存することによって安心を得ようとしているということだな?」

仁「まぁ、そういうことになる。」

ジャスティス
「そういう生き方がしたいのであれば、それもいいだろう。
ずっと誰かの後ろに隠れながら、生きればいい。
しかし誰かの言うとおりにした結果、思わぬ事態になってしまったらどうする?」

仁「それは困る。その人間に責任を取ってもらわないと…」

ジャスティス
「ふふふ…」

仁「何がおかしい!?」

ジャスティス
「お前もこれまで、お前と同じような人間をたくさん見てきただろう?
自分の頭で考えず、他人の言うことに盲目的に従った結果、思わぬ結
果になってしまい、自分が依存していた相手や社会に向かって”自分は被害者だ、何とかしろ!”と被害者意識丸出しで噛みついていく人間たちの姿を。」

仁「…」

ジャスティス
「その結果、どうなった?
その人間たちが望むようなものを得ることが出来たか?
そんなことをして、その人間たちは幸せになることが出来たか?」

仁「いや、被害者意識をむき出しにして噛みついていく人間たちは、とてもじゃないが幸せそうな顔はしていなかった。
むしろ被害者意識に取りつかれた人間は、常に自分の被害ばかりを訴え、自分からは何もしようとしない人間ばかりだった。」

ジャスティス
「そうだ。自分の人生は、自分で何とかするしかない。
自分の努力で自分の置かれた状況を改善しようとせず、自分の受けた被害ばかりを訴えていても、結局は誰も助けてくれなどしない。
どんどん周りから置いていかれるだけだ。
そしてそのツケを払うのは、自分しかいない。
結局自分の人生は、自分で何とかするしかないのだ。」

仁「俺は…どうすればいい?」

ジャスティス
「答えはもう分かっているはずだ。
他人に盲目的に従うのをやめろ。
他人にぶら下がって楽をしようとするのをやめろ。
自分の頭で考え、自分の頭で判断するのだ。
お前の人生だ。お前が全てを背負い、お前が責任を負う覚悟を決めろ。」

仁「しかし、自信が無い…」

ジャスティス
「私は何も、他人を頼るなと言っているわけではない。
人は独りでは生きていくことなど出来ない。
周りと信頼関係を築き、周りと協力し合いながら生きていくことで人生は豊かになっていく。
一人で全てを背負い込む必要など無い。
しかし、自分の人生は自分で決めろ。
安易に他人に合わせ、他人の言うとおりに生きたところで、それで何かあってもその責任は自分で負うしかないのだ。
あくまで周りとは、共に手を携え助け合っていくもの。
私はお前に、他人に都合良く依存するのをやめろと言っているだけだ。」

仁「ジャスティス、つまりお前は俺に”自分自身を信じ切ろ”と言っているのか?」

ジャスティス
「そうだ。
確かに人間は完璧ではないかもしれない。
失敗もするし、間違いも犯す。
だから”自分を信じろ”と言っても、不安はあるだろう。
しかしお前が間違いを犯すように、周りの人間も同じように間違いを犯す。
何が正解なのかは、実際誰にも分からないのだ。
他人に依存して他人に人生を賭けた結果後悔するぐらいなら、最初から自分に依存し自分に人生を賭けてみろ。
同じ信じるなら、他人ではなく自分を信じ自分を頼りにしろと言っているのだ。
人生は一度きりだ。
泣いてもやり直しは出来ない。
だったら、自分の可能性に賭けてみろ。」

 

Chapter.9:ジャスティスと一体化しろ

 

仁「自分を信じ、自分の可能性に賭ける…
他人にではなく自分に依存し、自分を頼りにする…」

ジャスティス
「そうだ。
自分を頼りにするのだ。
お前の人生を生きるのは、お前自身。
お前の人生を背負うのも、お前自身。
お前の人生における責任を取るのも、お前自身。
周りの人間が何と言おうと関係無い。
お前の人生において何が正しくて何が間違っているかなど、お前の主観で好きなように決めればいいのだ。
お前が決めるべき…いや、お前自身が決めなければならないのだ。」

仁「自分を信じ、自分の判断に自らの身を委ねろということか。」

ジャスティス
「お前の人生だ。
何があろうと他人に決めさせるな。
そもそも他人を当てにし他人に依存するから、他人の意見や他人の言動に振り回され、影響を受けてしまうのだ。」

仁「自分を信じるということはつまり…ジャスティス、お前を信じるということか?」

ジャスティス
「まだ気づかないのか?
私はお前であり、お前は私なのだ。
私はお前の価値基準そのものであり、お前の人生に強い影響を与える。
しかしお前も私に対し、強い影響力を持っているのだ。」

仁「俺がお前に、強い影響力を持っているだと?」

ジャスティス
「そうだ。お前自身の考え方や感じ方・ものごとのとらえ方が変われば、お前の価値観である私自身も変わらざるを得ない。
私は様々なものから影響を受け、形を変えていく。
しかし私に対して一番の影響力を持つのはお前なのだ。
お前の考え方が変われば、ものごとの判断基準そのものが全く変わる。
お前の信じたものが、お前自身の価値基準となるのだ。」

 

これまであなたの思考や行動を縛り制限してきた、あなたの価値観。
しかしあなたが変われば、これまであなたの世界を支配してきた価値観・規則・ルール…そういったものも姿を変えざるを得なくなります。

あなたの信じたものが、あなたの世界の真実となる。
あなたの信じたことが、あなたの人生の法律・ルール・基準・価値観となる。
感情をニュートラルにし、その目で本質を見極め、あなたにとっての真実を見つけ出してください。

あなたの人生における法律・ルール・基準・価値観は、あなたが決める。
あなたがジャスティスそのものとなるのです。
あなたの人生におけるルールは、他人任せにしてはいけないし、絶対に他人に決めさせてはならない。
あなたの人生における法律は、あなた自身です。

 

エピローグ:あなたの人生は、あなたのもの

あなたは、自分の人生を生きていますか?
自分の足で、自分の意思で、自分の人生を歩いていますか?
自分の思うような生き方をしていますか?

僕らは人間関係の中で生きています。
多くの他人との関わり合いの中で生きています。

時には他人から批判されることもある。
時には人から理解してもらえないこともある。
周りと意見や考えが合わず、孤独を感じることもある。
周りとの人間関係を上手くやっていきたいがために、自分の思いを曲げ、窮屈な生き方を強いられている人が、本当にたくさんいる。

誰もが批判の目にさらされ、他人に裁かれながら生きています。
でもあなたの心を裁くことの出来るのは、あなたしかいない。
他人から裁かれているように感じるかもしれませんが、あなたを裁いているのは、あなた自身。
あなたの中にある価値観が自分を縛り、自らに窮屈な生き方を強いているのです。

それがあなたの信念・ポリシーであるのなら、それで良いと思います。
その信念・ポリシーを貫いてください。

でももし、その価値観が自分のものなのか、それとも単に人から影響を受けただけのもの・他人からの借り物なのか判断が付かなければ、自分に問いかけてみてください
「もし仮に誰の目もない、誰からも批判をされない、誰も何も言わないし、誰からも何とも思われないのであれば、自分はどんな判断を下すだろうか?」と。

ものごとの判断基準を、
「人に見られているから」
ではなく、
「人として正しいのか?」
で考えてみてください。
あなたの進むべき道が見えてくるはずです。

あなたの人生は、あなたのもの。
あなたの人生なんだから、あなたの頭で考え、あなたの基準で判断を下す。
自分の人生を他人任せになど、決してしないでください。
この e-book を読み終えたあなたが、あなたらしく充実した人生を送れることを、僕は心より願っています。

仁より