「9つのピース」第4話

9-pieces

■4つ目のピース

嫌われることを恐れるな

前回の話では、自分の心に正直にならなければ、自分の望む人生・望む生き方さえも分からないという話をさせていただきました。

そしてそのためには自分の感情にアンテナを張り、感情の動きから自分の心の状態を読み取る。そこからさらに、自分自身が自分のカウンセラーとなって心の奥底に隠れた本心を引き出し、その本心を受け止め尊重してあげる。そして、その自分の本心を無視したり否定したりすることなく、その思いを出来る限り実現してあげる、という所まで話を進めていました。

でも実際、自分の本心や自分のやりたいことが分かったからといって、それをそのまま実行に移していくのは思ったより勇気のいることだと思いませんか?

そう、自分の心に正直になり自分の常識に従って生きるという生き方は、まずその第一歩を踏み出すまでが難しいのです。

ではなぜ、自分の常識に従って生きることが怖いのか?
なぜ自分の人生であるにもかかわらず、自分の思うように生きることが出来ないのか?
それは「周りから白い目で見られるのが怖いから」ですよね?周りから批判されたくない、常識が無いなどと言われて馬鹿にされたくない、自分の価値観を否定されたくない…からですよね?

これはあなたに限ったことではありません。多くの人が、同じくそうです。みんな人の目を気にし過ぎるあまり、自分の思うような行動が取れなくなってしまっているんです。人からどう思われるか?周りから何て言われるか?そればかりを気にし、それが自分の行動基準になってしまい、自分で自分の思考や行動をコントロール出来なくなってしまっているのです。

本日の話のキーワードは【嫌われることを恐れるな】です。

 

それで今回の話をさせていただく前に、あなたにちょっとお願いがあります。今から僕が書いた言葉を、声に出して読んでもらっていいですか?

では、こちらです ↓ ↓

 

自分の取るべき行動は、常に自分が決める。
私の人生は、どんな時でも私が決める。
他の誰にも、勝手に決めさせたりはしない。
私の生き方は、いついかなる時でも絶対に私が決めるんだ。

 

声に出して読んでもらえました?

OKです。
では、本題に入っていきます。

 

誰しも人から嫌われるのは嫌なものです。出来れば周りのみんなと仲良くしたい、上手く関係を築いていきたい、ケンカや衝突は避けたい、そう思っています。

特に、周囲から批判されたり、陰口を叩かれたりすることほど嫌なものはありません。みんなから自分のことを理解してもらえない、周りから自分のことを否定されてしまうといったことが続くと、人は「周りから孤立してしまうんじゃないだろうか?」という不安に襲われます。

その結果、他人の目や評価ばかりを気にし、自分の気持ちや自分の意見は放ったらかしになり、ひたすら周りに合わせることばかりをするようになっていきます。

あなたはどうですか?あなたも、そんな生き方をしていませんか?

なぜ人の目が気になるのか?その理由は、「自信が無いから」です。
自分は価値ある存在なんだ、自分には価値があるんだということを信じることが出来ていない。
だから自分の考えや行動に対して、自ら疑いの目を向けてしまう。自分の考えよりも他人の考えを信頼し、深く考えることもせず、それに反射的かつ盲目的に従ってしまう。

誤解してほしくないのですが、もちろん僕は「自信が無いことがいけないことだ」と言っているわけではありません。逆に、いつどんな時でも常に自信満々の人なんて、基本的にはいません。もしそんな人がいるのなら、むしろ危ないんじゃないかと思います。自信を持つことは大切ですが、自信過剰は自分や自分の周りにも害を及ぼしますからね。

あなたはどうですか?周りの目が気になりますか?周りの目が気になって自分の思うような行動が取れなかったり、周りの目を気にして自分の意見や自分の気持ちが言えなかったり…そういったことが、よくありますか?

人の目が気になるということはつまり、「周りから自分がどう見られているのかが気になる」ということですよね。

人の目に映る自分の姿が気になる…

実はこれ、裏を返すと「自分のことが気になってしょうがない」ということなんです。自分の目が、まさに自分自身に向いている証拠。つまり、自分自身に対して強い興味を持っているということなんですね。

ではなぜ、自分で自分のことが気になるのか?
それは「自分を好きになりたいから」。自分を好きになりたいからこそ、自分に興味を持つのです。

例えば自分が好きな相手に対しては、誰しも自然と興味を持ちますよね?
逆に、何とも思っていない相手・別に仲良くなろうとも思わない相手に対しては、まるで興味がわかないのではないでしょうか。

人の目が気になるということは、それだけ自分の意識が自分に向いているということ。それだけ自分に強い興味を持っているということ。

それはつまり、
「自分のことを好きになりたい」
「自分が好きだと思える自分になりたい」
そう思っている証拠。

だから、人の目が気になるということ自体は、決して悪いことなんかではありません。むしろ、自分を好きになろうとする心の表れなんです。そしてそんな、前に進もうとするあなたの気持ちをどうか信じてあげてください。

自信が無くたって、いいんです。自分の思うように振る舞えなくても、それでも前に進もうとしている自分のことを、まずは信じてあげてください。

そして次に、あなたにしてもらいたいことがあります。それは「自分自身を受け入れること」です。

人の目や他人の批判を気にせず自分の思うような行動を取っていくためには、自分を信じきる気持ち、つまり自分を信頼できなければなりません。そして自分のことを信頼するためには、まずは今の自分を受け入れること。自分のことを受け入れられず拒絶してしまえば、自分の行動の基準が自分ではなく他人になってしまい、死ぬまで周りの人間の言葉や行動に振り回され続ける人生を送ることとなります。

今の自分を受け入れるというのは、言い方を変えると「自己受容」であり、これは以前にも話しした【自分の常識に生きろ】の中でも触れています。でも、この部分は特に強調しておきたいので、補足的な意味も含め、もう一度話しておきます。

誰もが自分の中に、「受け入れたい部分」と「受け入れたくない部分」を持っています。そして自分を受け入れるにあたって、無意識に自ら条件付けをしています。

「○○出来る自分はいい、○○出来ない自分はダメだ。」
「自分のこの部分は受け入れる、でもこの部分は気に入らないから受け入れない。」
そうやって自分に対して条件を突きつけ、その時その時で自分を受け入れるかどうかを決めている。

人間というのは、目の前の物事に対し、無意識に「良い・悪い」「正しい・間違っている」といった判断をする癖を持っています。あなたにも、ありませんか?

例えば人の行動や人の考えに対し、「それは良いことだ・悪いことだ」といった判断をしたり。または、まるで自分が評論家になったかのように、相手に対して心の中で勝手にいろいろな評価を下したりといったことが。

もしそういったことがあるのなら、今日から目の前のことに対し反射的に「良い・悪い」といった判断を下すのを、やめてください。

例えばあなたの目の前で、ある人間が人として間違ったことをしたとする。でもその行為に対し、「それは悪いことだ」と考えるのではなく、「この人は何でこんなことをしたんだろう?」と考えるようにして下さい。

「客観的に見て”悪い”と思えることを、この人はやっている。いったい何を思って、こんなことをしたのか?もしかすると、そうせざるを得ない何か事情でもあるのではないだろうか?」

このように、表面上の行為に対して反射的に反応するのではなく、善悪のモノサシを一旦手放し、状況を広く冷静に見つめる癖を付けてほしいのです。すると、次第に物事の本質というものが見え始めてきます。

そしてそれを、自分自身に対してもやってみてほしいのです。例えば他人に対して悪意や憎しみを持ったとしても、
「そんなことを思ってはいけない」
「そんなことを考えてはいけない」
と善・悪でとらえるのではなく、
「この相手に対し、なぜ悪意や憎しみの念がこみ上げてくるのか?」
「悪意や憎しみの根っこにあるのは、一体何だろうか?」
こう考えてみる。

例えば何かに挑戦して、自分の期待するような結果が得られなくても、それをもって「自分はダメだ」と判断するのではなく、「なぜ上手くいかなかったのか?どうすれば上手くいくようになるのか?」と考えてみる。

自分の嫌いな部分・受け入れられない部分に対しても、その部分から目を背けたり否定したりするのではなく、「自分は何でその部分が嫌いなのか?」「どうなれば受け入れられるようになるのか?」と考えてみる。

自分の嫌いな部分や目を背けてしまいたい部分も、一旦自分の中で受け止め、どうすればその部分を受け入れられるようになれるのか?どのように変えていけば受け入れられるようになるのか?と自分に問いかけてみるのです。

自分の嫌いな部分・ダメだと思える部分を、無理に肯定する必要はありません。でもその部分を一旦認めて受け入れなければ、何も変わりません。いつまでたっても、そこから成長することは出来ません。

とにかく善・悪のモノサシを一旦手放すのです。そしてまずは現状の自分を、一旦全て受け入れる。そして、そこからどうすればいいかを考えていく。

今の自分をあなたが肯定しようが否定しようが、あなた自身は何も変わりません。あなたはあなたのままです。自己肯定も、自己否定も、意味がありません。大切なのは今の自分を受け入れ、そしてそんな自分の心と体で生きていく覚悟を決めること。何があろうと自分を見捨てず、自分を諦めず、死ぬまで自分と共に戦っていく覚悟を決めること。自分を受け入れ、何があろうと自分を見捨てない覚悟を決めることによって、初めて自分の人生の第一歩を踏み出すことが出来るのです。

 

以上が、今回の話で僕があなたに一番伝えたかったことです。
ですが、それでもやっぱり「もう人の目なんて気にならない」ということにはならないかもしれません。そこで、当たり前のことですけど大事なことを、あなたに伝えておきます。

それは、「周りの人間があなたに対してどんなに口出ししてきても、誰もあなたの人生に対して責任を取ってはくれない」ということです。いや、「誰も責任を取れない」という方が正しいでしょうか。

あなたの人生を生きているのは、もちろんあなたです。他人ではありません。よって、あなたの人生を背負えるのは、あなただけしかいません。

人というのは、他人のことに対して口を出したがるものです。中には何も考えずに発言する人もいれば、反対にあなたのことを本気で考えてアドバイスをしてくる人もいます。

でもあなたに対するどんな発言であれ、他人からの発言は基本的に無責任なものだと思ってください。だって、あなたに対してどんなに一生懸命アドバイスしたところで、その人があなたに代わってあなたの人生を背負うことなど出来ない。つまり自分のアドバイスによってあなたの人生がどうなろうと、あなたに代わってあなたの人生を生きることはあなた以外の誰にも出来ないのですから。

とは言っても、もちろん僕は「誰の言うことも聞くな」と言っているわけではないですよ。実際、自分一人の知識・経験なんて、たかが知れてます。だから周りの人間の言葉やアドバイスは、出来る限り参考にすべきです。

僕が言いたいのは、あくまでそれを参考にするのであって、最終的に判断や選択をするのはあなただということです。

自分の人生ですから、自分の責任において決断しなければならない。他人のアドバイスに従った結果失敗してしまっても、そのアドバイスを受け入れると決めたのは自分であって、全て自分の責任において決断したこと。仮にアドバイスをしてくれた人を責めたところで、結局その人はあなたに代わってあなたの人生を背負うことなど出来はしないのです。

例えば親が子供に対して懸命にアドバイスする場合も、やはり同じです。
親だから当然子供のことを心配するし、子供には幸せになってもらいたいと思っています。
その結果、場合によっては子供の人生にレールを敷いて、そのレールの上だけを真っ直ぐ歩かせようとする親もいます。親としては、子供のことを思っての行為です。

でもいくら子供のことが可愛い、いくら子供のことが心配だからといって、自分の子供がその生涯を終えるまでずっと付き添って面倒を見ることなど出来ません。四六時中、付きっきりで子供の面倒を見ることなんて、不可能です。

親というのは自分にとって大切な存在です。でもだからと言って、盲目的に親の言うことを受け入れていてはダメです。人生の先輩としての親のアドバイスを聞きながら、そのアドバイスを参考に自分の頭で考え、自分の責任において自分の人生を自分で決めていかなくてはならないのです。親に限らず様々な情報に対し、自分の頭で考えず盲目的に従うことほど危険なことはありません。思考停止に陥ってしまっては、自分の人生の舵を切ることは出来ないのですから。

 

それともう1つ、意外と多くの人が気づいていない事実を話しておきます。それは「実はあなたが思っているほど、他人はあなたのことなど気にしていない」ということです。

「自分は周りからどう見られているか?どう思われているか?」そうやって自分のことに意識が向き過ぎるあまり、過剰に他人の目が気になってしまいます。

でも、ここでちょっと考えてもらいたいのです。他人の目が気になるということはつまり、それだけ自分に意識が向いているということ。ということは、他人のことを見ているようで見ていない。自分が一生懸命見ているのは、他人ではなく自分自身のこと。

実はあなたに限らず、ほぼみんなが他人ではなく自分のことばかりを一生懸命見ているのです。

基本的に、人が一番興味のあるのは自分自身のことです。誰もが自分に対して一番興味を持っており、他人のことなど二の次。実はみんな、他人に対してそれほど興味を持っていないのです。

仮にあなたがものすごい有名人なら話は別です。例えばあなたが超売れっ子のアイドルだったり、または熱狂的なファンが大勢いるようなアーティストであるなら、周りから注目されるかもしれません。でも、おそらくそうではないですよね?人というのは、他人のことを見ているようで意外と見ていないのです。

例えば他人に対していろいろ口出ししてくる人や、他人のことについてあれこれ批評してくる人も、他人に興味を持っているように見えて実は自分に一番興味を持っている場合がほとんどだったりします。

こういった人は、実は他人に興味を持っているのではなく、ただ単に「他人に対して自分の能力を見せつけることによって自分が優秀な人間だと思われたい」という心理が働いているだけなのです。つまり関心の矛先は他人に向いているようで、実は完全に自分自身に向いているのです。

もう一度言います。
「あなたが思っているほど、他人はあなたのことなど気にしていない。」

だから、他人の目を必要以上に気にする必要は無い。他人の言葉や態度に対し、過敏に反応する必要は無いのです。

ここまでの話を理解してもらえたら、後は日々の行動で実践していくだけです。
とは言っても、一度付いた癖というのはなかなか抜けないもの。人の目を意識せずに行動していくのは、そう簡単ではないかもしれません。

そこで、普段から僕が意識してやっていることを1つ紹介しようと思います。
僕が普段から意識してやっていること、それは「目の前で起こる出来事を、感情ベースではなく事実ベースでとらえる」というものです。実は人間関係に関するトラブルというのは、基本的に人の感情が引き金となっているのです。

妬みや嫉妬…
優越感や劣等感…
または独占欲や支配欲など他人を自分に都合良く動かそうとする心理…

僕らの心の中にある、そういった感情が発端となり、多くのトラブルは引き起こされるのです。そして感情が暴走すればするほど、問題はどんどん複雑化していく。多くの人が自分の感情に振り回されてしまい、その結果自分自身の行動さえもコントロール出来なくなってしまっているのです。

もちろんどんな人間にも、感情は必ずあります。感情が無くなれば、それはすなわち機械と同じ。感情は人間の本能に組み込まれているものであり、感情を無くすことなど誰にも出来ません。

でも一時的であれば、感情をコントロールすることは誰にでも出来ます。ということで、今後あなたの身に何か問題が発生したり何かしらのトラブルが起こった時は、まずは感情を抜きにして単なる事実としてその問題を眺めてみて下さい。

例えば何かに挑戦し、その結果失敗して恥をかいたとする。すると挑戦したこと自体を後悔し、「もう二度とやるもんか」ってなってしまいますよね。でも「成功したから嬉しい・失敗したから悔しい」といった感情ベースでとらえるのではなく、単なる行動と、その結果という事実としてとらえる。成功・失敗などに対し、良かった・悪かったといった判断基準は持ち込まず、単なる出来事としてとらえる。起こった出来事を単なる事実として受け止め、自分の主観で勝手にあれこれと意味づけをするのをやめる。分かりやすく言えば、自分の事であるにもかかわらず、あたかも他人事のように眺めるのです。

すると、ものごとを冷静に見つめることが出来るようになります。そうすると「なぜ失敗したのか?」、そして「成功するためにはどのようにしたらいいのか?」といったことが見え始めてきます。

また、例えば家事の途中でうっかり手を滑らせ、持っていたガラスのコップを落として割ってしまったとする。これを感情ベースでとらえると、
「自分の不注意で落としてしまった。ホントに私は何でこんなにオッチョコチョイなんだ…」
このように、自己嫌悪に陥るだけで終わってしまいます。そしてその失敗を引きずり、再び同じ失敗を繰り返すことになります。

でもこれを事実ベースでとらえると、
「私の手からガラスのコップが滑り落ちて割れた。なぜ落ちたのか?そういえば今、家事の途中で手が濡れていたから滑ったんたな。では今度からは濡れた手でガラスのコップを持たないようにするか、持つときは落ちないようにお盆に載せて持つように気を付けよう。」
感情をこめず、単なる現象として他人事のように物事を見ると、状況を冷静に見られるようになり、自分のすべき行動や気を付けるべき点も見えてくるようになります。その結果、同じ失敗を繰り返しにくくなるのです。

特に人というのは、何か失敗をしたり、人に迷惑をかけてしまった時など、道徳的な観点から罪悪感後悔といった感情が反射的に頭をもたげてくるものです。でもあなたがトラブルや問題に直面し、それを解決するための方法を見つけ出したいのであれば、道徳的な観点は一旦脇に置いて問題と向き合ってみてください。

道徳的な観点を持ち込むと、そこに感情が入り始め、問題はほぼ間違いなく複雑化していき、むしろ問題の解決から遠ざかっていきます。問題解決と道徳的な問題は別の話です。道徳的な視点を外して問題と向き合うのです。

今、簡単に例を挙げてみましたが、これはあらゆる行動に当てはまることです。実は感情をコントロールしようと思えば、感情抜きで他人事のように物事を眺めるようにするのが一番手っ取り早いのです。もちろん感情を無くすことなどできませんが、一時的に感情を手放すことによって瞬間的に感情をコントロールすることも可能になるのです。

そして自分の意思で感情をコントロール出来るようになると、次第にその場の状況に応じて最適な行動・最適な選択が出来るようになっていきます。自分の意思で、自分の行動をコントロール出来るようになります。

そしてこれは、意識して繰り返しやっていれば誰にでも出来るようになれます。訓練すれば誰にでも出来るようになる単なる技術なんです。慣れさえすれば、決して難しいことではないのです。

僕らの「現実」を創り出すのは、僕らの1つ1つの「行動」。そして僕らの「行動」を操っているのは、僕らの中にある「感情」。自分にとっての理想の現実を創り出すためには、感情のコントロールは欠かせないのです。

ということで、そろそろ今回の話を締めくくらせていただこうと思います。ところで、最初に声に出して読んでもらった言葉、覚えていますか?最後にもう一度、声に出して読んでもらってもいいでしょうか。

 

自分の取るべき行動は、常に自分が決める。
の人生は、どんな時でもが決める。
他の誰にも、勝手に決めさせたりはしない。
の生き方は、いついかなる時でも絶対にが決めるんだ。

 

声に出して読んでもらえました?

OKです。では次回は、これまで身に付けたマインドを加速させ、自分の望む人生・望む現実をグイグイ引き寄せていくための方法について話していこうと思います。
楽しみにしていてください。

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