「9つのピース」第2話

9-pieces

■2つ目のピース

自分の常識に生きろ

遠い昔から、この世には数多くの物語が描かれてきました。小説、映画、漫画、アニメ…どんな形式の物語であっても、そこには必ず登場人物が存在し、物語は主人公を中心に展開されていきます。
あなたも僕も、子供の頃からいろいろな物語に触れながら育ってきたと思います。

その中で、あなたの中で強く印象に残った主人公、思わず憧れるようなヒーロー(ヒロイン)はいますか?
あんな人になりたい…
あんな生き方がしたい…
そんな、あなたが憧れ理想とするような主人公はいますか?

みんなの憧れる主人公、誰もが憧れるヒーロー・ヒロイン。そんな魅力的な主人公やヒーロー・ヒロインたちに、誰もが夢中になり、その魅力に引き込まれていきます。

ところでなぜ僕らは、彼ら・彼女らに引き込まれてしまうのでしょうか?彼ら・彼女らの持つ魅力とは、一体何なのか?

僕らが物語のヒーローやヒロインに引き込まれてしまう理由。僕らの心をつかんで離さないもの。それはそのヒーロー(ヒロイン)が創り出している「世界観」です。
ヒーロー(ヒロイン)が持つ雰囲気、個性、キャラクター…そういったものから生み出される世界観に僕らは心を惹かれ魅了されていくのです。

では、ヒーロー(ヒロイン)の醸し出す世界観というのは、具体的にどのように創られるのか?ヒーロー(ヒロイン)の世界観を創り上げる基となっているもの…

それは、そのヒーローの内面にある価値観や常識です。そしてそのヒーローが周りの常識や批判に振り回されず、自分の信念や常識に従って生きる姿こそが、僕らの心をとらえて離さないのです。

本日の話のキーワードは【自分の常識に生きろ】です。

 

最初に言っておきますが、自分の常識に従って生きなければ、あなたは決して自分の人生を生きることは出来ません。

ところで、あなたの人生の中心にいるのは誰ですか?
…もちろんあなたですよね。他人であるわけないですよね。

人生という名の物語の主人公は自分自身。
あなたの人生(物語)の主人公は、紛れもなくあなた自身です。
そしてあなたの人生・あなたの世界観を創り出すのはあなた。
だからあなたの人生は、あなたの常識に従って生きていかなければならないのです。

でも実際に周りを見渡してみると、自分の常識に従って生きている人というのは、本当に驚くほど少ない。みんな自分の価値観や常識を信じることができず、周りの人間やテレビ・ネット・本などの言うことに振り回され、実体のない「世間一般の価値観」という枠から外れないように必死です。

あなたはどうですか?正しいかどうかも分からない正体不明の「世間の常識」に、人生を振り回されてはいませんか?あなたの人生を、いろんな人たちに踏み荒らされてはいませんか?

おかしいですよね。
あなたの人生であるにもかかわらず、あなたの価値観を差し置いて、なぜ世間の常識や他人の価値観があなたの人生の中でまかり通ってしまっているのですか?
あなたの人生・あなたの世界・あなたの物語であるにもかかわらず、なぜ他人の考えや他人の声が、まるで法律であるかのようにあなたの考えや行動を規制してしまっているのですか?

はっきり言いますが、世間の常識ほどあやふやでいい加減なものはありません。ネット上の記事やSNSへのコメントなんか見ても分かるでしょう。他人のことを言いたい放題言いながら、自分の発言に責任を持とうとする人なんて誰一人いない。

ネットに限らず、全てそうです。他人の常識に従ったところで、それによって被った被害に対し誰も責任を取ってくれなどしない。というか、そもそも他人の人生を背負うことなど誰にも出来ない。結局自分の人生は、常に自分で背負うしかないのです。

周りの常識に盲目的に従う人間は、周りの常識に従った結果上手くいかなければ、必ず周りのせいにします。でも周りのせいにしたところで、結局は何も解決してはくれません。せいぜい「自分は悪くないんだ」という、言い訳ぐらいにしかなりません。
そんなもの、正直何の役にも立ちません。

もしあなたの価値観と、世間や周りの価値観が違えば、迷うことなくあなた自身の価値観に従ってください。

もちろん自分の価値観や考えが、必ずしも正しいとは限りません。人間ですから、間違うことは誰しも当然あります。でもだからと言って、自分以外の価値観が絶対に正しいとも言えません。

結局何が正しいのかは、誰にも分からないんです。正しいと思って判断したことが、ずっと後になって裏目に出てしまった、なんてのはよくあること。逆に間違った判断が、結果的に上手くいくこともあります。未来のことは誰にも分かりません。

仮にあなたがサラリーマンで、その判断が会社の将来を左右するようなことであるなら、それはあなただけの問題ではなく会社全体の問題になるので、状況に応じて上司や経営者の判断に従う必要があると思います。でもそれがあなた個人の人生の問題であるのなら、その責任を負うのはあなた。他人のアドバイスなどを参考にしながらも、最後はあなたの基準で判断しなければならない。あなたの人生は、どんな時もあなたの常識に基づいて決めていかなければならないのです。

もしあなたが常に自分以外の人間の常識・価値観に従って生きているのなら、それはもうあなたの人生を生きているとは言えません。他人の常識の中で生きるということは、他人の人生を生きているのと同じこと。

そうやって他人の常識の中で生き続けていると、だんだん自分の中にある価値観や常識、自分の気持ちや本心さえも分からなくなっていきます。そして最後は自分そのものが、自分の人生から消えてなくなる。

とは言っても、他人の常識に流されず自分の常識に従って生きていくというのは、とても勇気がいること。場合によっては周りから反発を受けることもあるかもしれません。だから、周りに合わせて流される生き方の方が楽だという人も当然いるでしょう。

でもここまで読んでくれたあなたなら、もう分かってくれていると思います。
自分の人生は自分の責任で背負うしかない。つまり、全て自己責任で生きていかなければならない。

だからこの先あなたの人生がどんな人生になろうと、あなたが心から納得できる生き方をするためには、常にあなたの常識に従って生きていかなければならない。世間の常識や価値観に対し盲目的に従うのではなく、自分の頭で考え判断し、自分の常識を基準にして自分の人生を歩いていくのです。

そして「自分の常識に生きる」とは、言い換えると「自分を信じきること」。自分を信じることが出来るからこそ、自分の常識を信頼することも出来るのです。

つまり自分の常識に従って生きるためには、自分のことを信じ切れなければならない。

こう言うと、
「それはつまり、自己肯定感を高めればいいんだな」
そう考える人もいると思います。確かに自己肯定感を高めることは、とても大切なことだと僕も思います。

昔の僕は、これでもかというほど自己肯定感の低い人間でした。
「僕の存在は、みんなにとって害でしかない。」
「僕なんか死ねばいいのに…」
まさに自己否定の塊のような人間でした。

自分に自信が持てないために、何をやっても中途半端。何一つとして、やりきることが出来ない。そんなダメで情けない自分を見ては、ますます自己嫌悪に陥っていく。

まさに自己否定という負の連鎖の中で、グルグル回り続けていました。

でも僕の経験上から言わせてもらうと、自己肯定感を上げたからといって、それによって「自分を信じる気持ち」も同じように上がってくれる…とはならないんです。では自分を信じる気持ちを高めるために必要なものとは一体何なのか?

それは「自己肯定」ではなく、「自己受容」です。

自己受容とは、自分を肯定することではなく、自分の存在を受け入れること。自分の良い部分・悪い部分全てを受け止める、全てを受け入れる。自分という人間そのものを、丸ごと受け入れることです。

あなたは、自分のことを無条件に受け入れることは出来ていますか?
「○○出来る自分はいい。○○出来ない自分はダメだ。」
そうやって自分に対し条件を突きつけ、それによって自分を受け入れるかどうかを決めているのではないですか?

もしあなたが自分を受け入れるために条件を付けているのなら、ではその条件というのは一体どこからやって来たのですか?あなたが自分に突き付けているその条件、一体どこから現れたのだと思います?

あなたが自らに課しているその条件、その正体は「他人と自分を比べる心」です。
あなたは他人を基準にして自分の実力を測り、周りと比べて自分は優れているのか?劣っているのか?を判断しているのではないですか?

つまりそれは、自分の人生であるにもかかわらず、自分の基準ではなく他人の基準で生きているということ。自分の価値観よりも他人の価値観を信頼し、自分の人生や生き方さえも、正しいかどうかも分からない他人の判断に委ねてしまっているのです。

それはもう、自分の人生とは言えないですよね?

そもそも他人と自分を比べて優劣をつけようとしていること自体が、自分を丸ごと受け入れることが出来ていない証拠。そんな状態で自分を肯定しようとしても、結局は無理矢理自分を肯定することにつながり、あなたは自分の正しさを証明するために、死ぬまで自分以外の誰かと競争し続けなければならなくなります。

この世に絶対的な正義は存在しません。
いつどんな時でも常に100%正しいものなど、無いのです。

例えば極端な話、人殺しは良くないですよね?どんな理由があっても、人を殺すことは人間として肯定できないと思います。でも戦時中は、敵を多く殺した人間が英雄と呼ばれました。それがたとえ国を守るためとはいえ、時代が変われば人殺しさえ合法化され正義と呼ばれるのです。

何が正しいかなんて、実際には誰にも分からない。だからこそ、みんながそれぞれ自分の価値観を信じて生きていくしかない。
様々な意見や考えはある。しかし相手と自分の意見が違っても、ある意味相手も正しいし自分も正しいのです。それが正しいかどうかは、他人が決めることではない。その本人が決めること。だから相手は相手の価値観に基づいて生きていけばいいし、あなたはあなたの価値観に基づいて生きていけばいいのです。

でもここで誤解してほしくないのですが、だからと言って僕は
「他人のことなんて関係ない、自分の好き勝手に生きたらいい」
なんて言っているわけではありませんよ。決して自己中心的な生き方を勧めているわけではないのです。

僕が言いたいのは、他人のことなど一切顧みない自己中心的な生き方ではなく、自分を中心とした生き方をしていくべきだと言っているのです。

僕らは決して独りで生きているわけではありません。僕らの人生は常に、人間関係に囲まれています。多くの人とつながり、お互いに助け合い協力し合わなければ僕らは生きていけません。

僕らは、たった独りでは幸せを感じることは出来ません。独りでは、喜びや悲しみを分かち合うことも出来ません。もしこの地球上で人間が自分一人しかいなければ、人生そのものに価値や意味を見いだすことすら出来なくなるでしょう。

人との関わり合いがあるからこそ、生きる価値を感じることが出来る。他人がいて初めて、僕らは自分という存在を認識することが出来るのです。だから僕らにとって他人というのは、自分と同じくらい大切な存在なんです。

ですが、あなたの人生における主人公はあなた。あなたの世界の中心にいるのは、他の誰でもないあなた自身。だからあなたの人生は、あなたを中心に動いていなければならないのです。

もしあなたの世界の中心にあなたがいないのであれば、それはもうあなたの人生ではありません。

あなたの人生は常にあなたを中心にして動き、あなたから全ては始まる。他人あっての自分ではありません。自分あっての他人です。

まずは自分があり、それから後に他人がある。順序を間違えてはいけません。自分の人生を本気で考え真剣に生きているからこそ、他人の人生に対しても上っ面ではなく本気で考えてあげられるし、本気で相手の身になってその人のことを助けてあげられるようになるのです。自分を大切に出来ない人は、本質的に他人を大切にすることなど出来ないのです。

たまに「自分の事はどうなってもいい。自分が犠牲になっても周りが幸せになれるのなら、それでいい。」なんていう人がいますが、例えばあなたは自分が幸せになるために他の誰かが犠牲になってしまったとしたなら、どう思います?心のどこかに罪悪感を感じてしまい、本心から幸せになることなんて出来ないはずです。

また例えば「騙す方より騙される方がいい」なんて言葉がありますが、そういう考えを持っている人が増えれば増えるほど詐欺を働く犯罪者は増えていきます。僕らが目指すべきは、騙されない人間になること。騙されなければ騙す人もいなくなる、つまり相手に罪を犯させなくて済むということ。

「自分が犠牲になっても周りが幸せになれるのなら、それでいい」も「騙す方より騙される方がいい」も、どちらも出発点が「まず先に他人があって、その後に自分がある」という発想から始まっており、どちらも自分の人生を生きているとは言えません。最終的には自分も周りも全て不幸にしてしまう考え方です。

時には他人を優先してあげる事も必要だし、他人の意見や考えを尊重してあげる事も人生には当然必要です。でもどんな状況であったとしても、基本は「まず自分があり、それから後に他人がある」です。これを忘れてしまうと、その時点であなたの人生はあなたのものではなく他人のものとなってしまうことを絶対に忘れないでください。

ということで、今回の話はこれで終わらせてもらいます。次回からは、あなたが人生の主人公となるために必要なことを、さらに掘り下げて話していくつもりです。どうぞ楽しみにしていてください。

ではまた明日、お会いしましょう。

コメント