「9つのピース」第1話

9-pieces

■1つ目のピース

自己評価が、あなたの世界を変える

「あなたは大器晩成型だから、大丈夫。」
これは、僕が子供の頃に母親からよく言われていた言葉です。

大器晩成とは、「大きな器は完成するまでに時間がかかるため、偉大な人物というのは遅れて頭角を現す」ということであり、この言葉自体は本来は誉め言葉です。ですが僕に関して言えば違います。何をやるにしてもあまりにも出来の悪かった僕にとっては、単なる慰めの言葉でしかありませんでした。

いや、僕の母親はもしかすると本気でこの言葉を言ってくれていたのかもしれません。ですが子供の頃からずっと劣等生だった僕にとっては、母親が気を遣って言ってくれているとしか受け取ることが出来ませんでした。

出来損ないの失敗作、それが僕。この先僕の人生が上向きになるなんてイメージは、かつての僕には欠片もありませんでした。僕の中には常に
「頑張ったって、どうせ上手くいかない」
「どうせこのまま底辺の落ちこぼれ人生を生きていくことになるに決まってる」
そんなイメージしかありませんでした。

僕の人生が上向きにならなかった理由

かつての僕は、著しく自己評価の低い人間でした。口癖は「どうせダメに決まってる」です。僕は何をやっても上手くいかない。頭の中は常に、自分が失敗するイメージしかありませんでした。

でもある時、
「なぜ僕は何をやっても上手くいかないんだ? 逆に何をやっても、それなりに結果を出す人間もいる。一体何が違うんだ?単なる能力やセンスの違いなのか?それとも僕の努力が足りてないのか?」
他の人間が持っていて僕に足りないもの、それが一体何なのかを真剣に考えてみました。

他の人間を観察し、自分に足りないものを考え続けた結果、僕はある重要なことに気づきました。これは僕が社会人になってしばらく経ってからやっと気づいたことなんですが、それは「僕は物事が上手くいきそうになると、無意識に自ら失敗する方向に自分を仕向けている」ということ。

僕は社会人になって数年たち、経験も積み、会社からも信頼されるようになってから、いろいろな仕事も任されるようになりました。
「お前なら出来る」
「お前になら任せられる」
そう言われ、重要な仕事や難しい仕事もさせてもらえるようになりました。でもいつも、最後の詰めの所で失敗する。ここぞという所で失敗して、上司や周りの人間に迷惑をかけてしまう。

「僕はこれまで誰にも負けないぐらい真面目に努力し勉強もしてきた。周りも僕を認めてくれている。でも、まるで自信が持てない。仕事を任されても、”失敗したらどうしよう?いや、どうせ僕は失敗するに決まってる”ということばかりが頭を駆け巡り、仕事を上手くこなせるイメージがまるで湧かない。」

自分でも全く気付いていなかったのですが、僕は幼少期から著しく自己評価の低い人間でした。そして自己評価の低さが、僕自身が成功することを許さなかった。「僕はダメな人間だから成功してはいけない。今まで通り失敗し続けないといけない。」そうやって失敗する方向へと無意識に自らの行動を操作していたのです。

思考は現実化する?

僕が尊敬する歴史上の人物の一人に、かつてはイギリスによって植民地支配されていたインドを独立へと導いたマハトマ・ガンジーという偉大な人物がいます。

彼は、当時のイギリスのインドに対する暴力と搾取に対し、非暴力と不服従の姿勢を貫いた人で、また愛を持って戦い続ける彼の姿は、やがてインド国民だけでなく支配国・イギリスをも動かす大きな原動力となりました。

そして彼は、数々の名言を後世の人たちに残してくれました。
その彼の残してくれた言葉の一つに、
「人間は、その人の思考の産物にすぎない。人は思っている通りになる。」
という言葉があります。

初めてこの言葉を聞いた時の僕は、この言葉の意味が全く分かりませんでした。僕は子供の頃から落ちこぼれの底辺人生を歩んできましたが、そんな人生を望んだことは一度もありません。むしろ漫画やテレビのヒーローや、身近にいる”デキる人間”に憧れ、僕もそうなりたいと思い続けてきた。かっこいい人間になりたい、デキる人間になりたい。そう思い続けてきたにもかかわらず、現実の僕は正反対とも言える人間になってしまっている。何が「人は思っている通りになる」だ、馬鹿らしい……。

しかしこれまでの自分自身の人生を改めて振り返ってみた時、僕はハッとさせられました。
「いや待てよ。よく考えると確かにこれまでの僕の人生は、僕の中にある自己評価通りの人生になっている…」

話は変わりますが、一昔前に「引き寄せの法則」とか「思考の現実化」といった言葉が流行りましたよね。これは簡単に言うと「欲しい結果をより強く・より具体的にイメージすると、それが現実となる」ということ。ですが、残念ながら多くの人が間違って理解しています。

確かに欲しい結果をより強く・より具体的にイメージすればするほど、それがより現実化する可能性は高くなっていきます。しかし現実化するのは、その人間の「望んだこと」ではなく、その人間が「予測したこと」に対してなのです。

例えば「お金持ちになりたい」という強い願望を持っていたとしても、「でも景気も悪いし、出世も出来そうにない。おまけに何か秀でたスキルも能力も才能も持ってないし、やっぱりお金持ちになるなんて自分には無理だろうなぁ。」といった予測をしていると、その予測が現実化することになります。

なぜかと言うと、まずお金持ちになったことの無い人にとっては「お金持ちになった自分」より「お金持ちになれてない自分」の方が、よりリアルかつ具体的にイメージ出来ますよね。だって、今現在お金持ちになれていないわけですから。

そして人の脳というのは、よりリアルに想像したイメージを現実のこととして認識する働きがあります。例えばですが、梅干しを食べていなくても梅干を食べた時のことをリアルに想像しただけで、あの酸っぱさを思い出して口からジワ~っと唾が出てきますよね。つまり「梅干を食べていない」という事実よりも、単なる「梅干を食べる想像」の方を真実の事として脳は認識しているということ。

まとめると、人の脳というのは、よりリアルに頭の中に思い描いたイメージを現実のこととして認識する。そして人の脳は、「単なる想像」と「現実」の区別がはっきりとついていない、ということが言えるわけです。

梅干を食べていないにもかかわらず、梅干を食べた時の具体的なイメージを思い浮かべただけで身体は梅干を食べたと認識し、「口から唾が出る」といった「食べた時と同じ反応や働き」をし始める。そしてイメージというのは、これまで経験したことの無い「願望」より、これまでの経験に基づいた「予測」の方が、当然よりリアルで具体的ですよね。だからいくら叶えたい願望を持っていても、その願望を打ち消すようなリアルな予測がわずかでもあれば、その予測の方が現実となるのです。

ちなみに僕らを取り巻く現実というのは、
「思考(感情)→行動→現実」
という順序で作られていきます。
思考(感情)を基にして僕らの行動は決まり、その自らの起こした行動によって現実は作られていきます。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、以前の僕は「かっこいい人間になりたい、デキる人間になりたい」という強い願望を持っていましたが、それと同時に「僕がそんな人間になんて成れるわけがない、どうせダメに決まってる」という予測をしていたため、結果的に予測の方が現実化し続けることになったということ。
つまり僕がまずやらなければならなかったのは、非現実的な願望に酔いしれることではなく、自己評価を上げていくことだったのです。

自己評価=あなたの現実

自己評価とは、一体何か?

自己評価とは、いわゆる自分自身に対する自分の評価ですよね。周囲に比べ、自分はこんな部分が優れていて、こんな部分が劣っている。またはこの分野は得意だけど、この分野は苦手。そうやって周囲と比較しながら自分で自分を採点したものが、自己評価です。

または自分がどんな性格だと思っているか?といったことや、周囲との力関係(パワーバランス)や所属する集団における立ち位置といったことも、自己評価の基準の一つと言えると思います。

では、自己評価とは一体どのようにして自分の中に作られていくのか?
一般的には、他人と自分を比べてみて「自分の方が優れている・劣っている」といった感じで自分を評価したり、または他人から言われた言葉や他人から下された評価によって「自分はこのぐらいの人間だ」と判断したりしながら自己評価は作られていくのではないかと思います。

ということは、自己評価は他人によって作られているということになります。確かに自分に評価を下すためには何かしらの基準が必要なため、比較する相手がいなければ判断のしようもありませんよね。

ではこれが、いわゆるナルシストだったらどうでしょう?ナルシストというのは、自分の美に対して絶対的な自信を持っています。でもナルシストって、みんなが全員美しいわけではありませんよね。中には客観的に見てどう考えても美しくないのに、「自分の美は完璧だ」と痛い勘違いをしているナルシストも結構いるわけです。

周囲と比べても決して美しいわけではないのに、ナルシストたちは自己評価が異常に高い。どう考えてもただの勘違いでしかないのに、本人は揺るぎない絶対的な自信を持っている。

実は生粋のナルシストというのは、自分の中に”美”に対する絶対的な基準があり、どんな時も常にその自分の基準に照らし合わせて自分の評価を決めているのです。つまり他人の声や他人からの評価をまるで気にしていないということ。だから他人からどんなに貶(けな)されても、微動だにしない。人から馬鹿にされても、「ふふっ、私の美しさに嫉妬してるんだな。可哀そうに。」なんて思っているわけです。

実は自分に評価を下しているのは、他人ではなく自分自身なのです。あなたの価値を決めているのは他人ではなく、実はあなた自身ということ。

自分の評価は全て、自分の内面の問題であり、あなたに向けられた周囲の人からの言葉や態度はほぼ関係無いのです。つまり他人があなたに対してどんな言葉や評価を下したか?ということではなく、周囲からの言葉や態度などの”外からの刺激”に対し、自分がどのような反応や評価を下すのかによって自己評価が決まってくるということ。重要なのは周囲からの言葉ではなく、「周囲からの言葉を自分がどのように受け止め、どのように解釈するか?」です。

実は性格といったものも、単なる自分の勝手な思い込みだったりします。人から「あなたはこんな性格だ、あなたはこんな人だ」と言われたり、周囲の自分に対する反応を見て自分で勝手に「自分はこんな人間だ」と思い込んだり決めつけたりしているのです。

つまり自己評価というのは、正解があって無いようなもの。その多くが単なる思い込みでしかなかったりするのです。自己評価とはそんなあやふやなものなのですが、しかし実は自己評価というのは僕らの人生に最も強い影響を与えるものでもあります。

例えば人生で成功するためには”努力”は必要不可欠なものです。でも地道な努力をするのって、正直言って辛いですよね。僕の座右の銘の一つに「継続は力なり」という言葉があるのですが、叶えたい目標があっても継続して努力し続けるというのはなかなか出来ないものです。

ではなぜ継続して努力し続けることが出来ないのか?根性が足りないから?もしかすると、それもあるかもしれません。でも継続して努力し続けられない一番の理由、それは「自分の叶えたい目標に対し、”達成できる”という確信が持てないから」です。心のどこかで「自分には無理なんじゃないか?自分の力では達成できないんじゃないだろうか?」という自己評価の低さ(自信の無さ)があるから、努力し続けられない。途中で挫折してやめてしまう。

継続して頑張り続けられるのは、「頑張れば、自分にならきっと叶えられる。必ずや達成できる。」という希望があるから、継続して努力し続けられるのです。自分の未来に可能性を感じられるような自己評価の高さがあるから、自然と努力もし続けられるようになるのです。

努力というと、どこか根性論のように感じるかもしれませんが、努力や根性も全て「自分なら出来る」という自己評価の高さがあって初めて成立するものであり、自己評価の高い人間というのは頑張らなくても自然と継続して努力し続けられるようになるものなのです。

セルフイメージ

では自己評価を高めるためには、どうすればいいか?
自己評価とは、いわゆるセルフイメージと同じと考えてもらっても大丈夫です。セルフイメージとは「自分が持つ、自分に対するイメージ」であり、「自分自身の価値を、自分でどのように感じているのか?」ということ。最近ではセルフイメージという言葉が浸透し、「自己評価」より「セルフイメージ」の方がよりイメージを掴みやすくなってきているので、ここからはセルフイメージという言葉で説明していきます。

ではより具体的に、自分のセルフイメージがどのようにして作られているのか?どのような要素によってセルフイメージが形成されているのか?といった事について話していきます。

僕は子供時代からずっと劣等生だったという話を前にしましたが、実は国語に関しては学生時代に成績を落としたことは一度もありません。とは言え国語も他の教科と同じく、最初は赤点ばかりを取っていました。ですが小学校の三年生ぐらいの頃、生まれて初めてテスト前に少し勉強をしました。すると次の日のテストで勉強したところがそのまま出て、これまでの僕ではありえないぐらいの高得点を取ってしまいました。

その時に僕は、「国語って、何て簡単なんだ。てゆーか、実は僕って国語が得意だったんだ!」と勘違いを起こし、それ以来国語に対する苦手意識が全く無くなり、予習や復習をしなくても授業を一度聞いただけで内容がほぼ全て頭の中に入るようになってしまいました。「僕は国語が得意だ」というセルフイメージ(思い込み)をただ持っただけで、それ以降の国語の成績がまるで変わってしまったわけです。

とは言っても、実際には国語の勉強はしたと思います。でも僕の中では「国語の勉強をした」という記憶はほぼありません。国語で高得点を取るための努力をしたという記憶がまるで無いのです。つまり「国語が得意だ」というセルフイメージを持っただけで、国語に対する努力が努力ですらなくなってしまった。頑張らなくても自然と努力をするようになってしまっていたということです。

実はセルフイメージというのは、自分自身の設計図なのです。人というのは誰もが「自分はこういう人間だ」というイメージを持っています。そしてそのイメージに沿って行動しているのです。

例えば「自分は人見知りだ」というセルフイメージを持っている人だと、人前に出ると体は緊張して動きはぎこちなくなり、上手く話せなくなります。でもそもそもの話、「人見知り」なんて病気は存在しませんよね。はっきり言って、単なる自分の思い込みでしかないわけです。

僕も昔は極度のあがり症でしたが、見知らぬ大勢の人の前に出るとあがり症の症状が強く出るのに、ごく親しい友人や家族の前だと症状は出ないわけです。また、話すのに夢中になってて自分があがり症だということを忘れてしまっている時なんかも、症状が全く出ない。つまり僕のあがり症は単なる僕の勝手な思い込みだったということ。そしてあがり症というセルフイメージを手放した今では、大勢の人の前に出た時の緊張感がむしろ心地よく感じるくらいになっています。

つまり僕らはセルフイメージという名の設計図に沿って行動しており、その自分の行動の一つひとつによって僕らの人生は作られていく。ということはつまり、自分の持つセルフイメージが自分の人生を作り出していると言っても過言ではないということです。だから「セルフイメージによって人生が決まる」…ぐらいに思ってください。

ということで、僕の国語の成績の様に偶然に良いセルフイメージを持つきっかけを掴めてしまうこともあるのですが、こういった例はおそらくレアなケースだと思います。では多くの人の中にあるセルフイメージは、一体どのようにして作られていくのか?

ここでちょっと怖い話をしようと思うのですが、あなたの持つそのセルフイメージ、それはあなた独自のものではありません。実はあなたの中にある自分自身のイメージ、それはあなたを取り巻く複数の人間が持つセルフイメージの複合体なのです。純粋にあなただけの中で作られたオリジナルのものではないのです。

よく「自分の身近な人間5人の収入を平均したものが自分の収入だ」なんて話がありますが、セルフイメージもこれと同じなんです。あなたの持つセルフイメージ(自己イメージ)は、普段あなたが接する身近な人間たちのセルフイメージが混ざり合って出来たものです。

この世界に、生まれた時から完全オリジナルな人間などいません。どんな人であっても必ず周りの人間から影響を受け、周りの人間を基準にしたり参考にしたり真似したりしながら自分のアイデンティを作り上げていきます。

つまり自分を取り巻く周囲の影響を受けながら、自分自身の性格や人格、考え方、行動パターン、感情のパターン…そういった自分に関するあらゆるものが作られていくのです。

そしてこれはセルフイメージ、自分に対する自己イメージも同じなのです。例えば「自分の可能性を心から信じ、常に自信を持って前に進む」という強いセルフイメージを持つ人だけに囲まれ続けて生きていれば、あなたのセルフイメージも自然とそうなっていくし、逆に「人生なんて生まれた時の境遇や、持って生まれた才能によって全て決まるものだから、努力したってどうせ無駄だ」というネガティブ全開のセルフイメージを持つ人だけに囲まれ続けて生きたなら、あなたのセルフイメージもやはりそうなっていきます。

もちろん実際にはいろんなタイプのセルフイメージを持ったたくさんの人たちと関わり合いながら生きているわけですが、セルフイメージとは自分を取り巻く複数の人間が持つセルフイメージの複合体であり、互いのセルフイメージが影響し合い、混ざり合いながら作られているということ。

じゃあ自分の理想とするセルフイメージを持つためには、どうすればいいか?ここまで読んでくださったならもう答えは出ているかもしれませんが、それは「自分が”この人のようになりたい”と思える人や、あなたの理想とする生き方や現実を生きている人、またはあなたが理想とする人生を歩み続けている人に近づいたり接点を持ったたりして、その人の持つセルフイメージからの影響を最大限に受けられる環境に身を置くこと」です。そしてそれと同時に「一緒に居て自分のセルフイメージを下げたり足を引っ張ってくるような人とは距離を置き、極力影響を受けないようにすること」です。

まずはこれを徹底してください。身近に尊敬し憧れる人がいるなら、その人に積極的に関わり、出来る限り行動を共にする。また反対に、人の発言や行動に対し否定ばかりして相手の行動にブレーキをかけてくるような人や、ネガティブな言葉をぶつけて相手の勇気をくじくような人、そういったあなたのセルフイメージにマイナスの影響を与える人とは縁を切るか距離を置く。

例えばあなたが普段から接する友人や職場の仲間、またはいつもつるんでいる相手などはどうですか?あなたのセルフイメージに良い影響を与えてくれていますか?それとも悪い影響を与えられてしまっていますか?もし悪い影響ばかりを受けてしまっているのなら、人間関係の断捨離を考えなければならないかもしれません。

また「類は友を呼ぶ」と言いますが、あなたが普段からつるんでいる仲間って、あなたと似たような人たちが自然と集まってきていませんか?性格や考え方、趣味、雰囲気、タイプ…人は自分と似た相手に対し、居心地の良さを感じるものです。例えば極道の世界で生きてきたヤクザが、コツコツと地道な研究をし続ける真面目な学者の集団の中に飛び込んだら、どうでしょう?あまりの居心地の悪さに耐え切れなくなり、一瞬で逃げ出すでしょう。

そして、あなたが普段からつるんでいるその仲間たちを注意深く観察してもらいたいのですが、セルフイメージもきっと同じくらいのはずです。「自分の能力や実力はこれぐらいで、これぐらい出世して、これぐらいのレベルの生活や人生を送れるだろう。」といった、いわゆる「自分はこれぐらいの人間だ」という自己評価が、だいたい同じ。似たり寄ったりのはずです。

よく「お金持ちになりたかったら、お金持ちの集団に飛び込め」なんて言いますよね。これはお金持ちの人たちに囲まれ行動を共にすることにより、お金持ちの人たちが持つ独特な考え方やお金に対する価値観・捉え方・感覚、またはお金を稼ぐことに対する自信や「正しい努力をすれば誰でもお金持ちになれるんだ」という確信、そういった揺るぎないセルフイメージから影響を受け、その人間のセルフイメージもお金持ちと同じセルフイメージに書き替え替えられていき、その結果お金持ちと同じような行動をするようになり、同じようにお金持ちになれるようになるということ。

「セルフイメージは、あなたが日常的に接している人たちのものが混ざり合って出来た複合体である」
このことを肝に銘じ、これからはあなたが憧れ手本にしたくなるような、あなたのセルフイメージに良い影響を与えてくれる人と積極的に関わっていく。そして反対に、あなたのセルフイメージに悪い影響を与えてしまうようなネガティブなエネルギーを発する人とは縁を切るか、出来る限り距離を置くようにする。

これはリアルの人間関係だけでなく、例えばネットやテレビ、本といったものもそうです。自分のセルフイメージにプラスの影響を与を与えてくれるものはどんどん取り込み、逆にマイナスの影響を受けてしまうものは全てシャットアウトし、見ないようにする。今後は、これを徹底してください。

セルフイメージとは自分自身の設計図であり、セルフイメージに沿ってあなたの未来は作られていきます。そしてあなたが心から達成したい願望があるなら、あなたがそれ相応のセルフイメージを持つことによってその願望は実現するようになります。

 

ということで今回は、あなたの人生を変える上で最も重要とも言える「自己評価・セルフイメージ」についての話をさせてもらいました。次回からは、あなたのセルフイメージを変えていくための「あなた自身の内面部分」について切り込んで話していきます。

ではまた明日に、お会いしましょう。

コメント