悩むことが無くなってしまいました…人間関係のしがらみを一瞬でシンプルにしてしまう魔法の思考法

人間関係を変える方法

人生には「人間関係のしがらみ」が付きものです。

人は独りでは生きていくことは出来ません。

必ず自分以外の人間と関わりながら生きていかねばなりません。

 

ところであなたを取り巻く人間関係、上手くいってますか?

常に笑顔があふれ、誰に対しても何一つ不満を感じることがない、そんな人間関係を築けてますか?

もしそうなら、このブログでは残念ながら何一つ力になれない可能性が非常に高いですね。

 

実はこれまで僕は、「周囲の人間に対し、不満を持つことが全く無い」という人に一度も会ったことが無いんですよね。

というか人である限り、周囲に対し1ミリも不満を持たないなんてことは無理ではないかと思います。

でも人間関係に対する悩みというのは、出来る限り無くしたい、少なくしたいのではないでしょうか。

 

というのが僕自身、これまでの人生でずいぶん人間関係に苦しんできました。

親との関係、職場での人間関係、友人や恋人との関係、服を買いに行った時に話しかけてくる店員とのやり取り…

昔の僕は、あらゆる場所で人間関係に対する悩みを抱えていました。

そのため、”どうすれば人間関係の悩みから解放されるのか?”ということを人一倍考えてきたつもりです。

 

そして僕なりに人間関係を変えていく方法や法則も編み出しました。

でも人間関係の悩みって、似ているようでもその人の抱えている状況なんかによって、やっぱり変わってくるじゃないですか。

年齢、性格、性別、立場、仕事、経済状況…いろいろな要素によって違ってくるわけです。

だから今回は、全ての状況に当てはめることの出来る「複雑に絡み合った人間関係の糸を超シンプルに解きほぐしてくれる思考法」を話していきますね。

これを理解し実践すれば、これまで難しくてどーもならなかったあなたの人間関係が、とてもシンプルなものへと姿を変えるはずです。

 

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なぜ悩んでしまうの?

そもそもなぜ人は、人間関係で悩んでしまうのか?

人間関係の悩みは、どうして生まれてしまうのか?

人が悩みを抱える理由、それは自分の力では思い通りにならないことを何とかしようとするからです

 

まず前提条件としてあなたに理解してもらいたいのは、自然現象と他人の心は自分の思い通りにならないということ。

自然現象はもちろんですが他人の心も同じく、自分に都合よく操ることは出来ないんです。

自分の思い通りに出来るのは、基本的に自分の心と自分の行動だけ。

なのにみんな一生懸命他人を自分に都合良く動かそうとし、そして相手が思うように動いてくれず、それでも何とか相手を動かす手は無いかとひたすら頭を悩ませ続けているんです。

 

ちょっと自分に置き換えて考えてみてください。

あなたはこれまでの人生を、常に周りの人間全員の都合に合わせて生きてきましたか?

相手の気持ちや考えを、まるで手に取るように100%把握し、そしていつでも相手が望む行動を100%確実にやってあげてきましたか?

そんな人、まずいないと思います。

というかそんなこと、とても出来ないですよね。

 

つまり他人を自分の思うように動かすことは出来ない、自分の思い通りに出来るのは自分の心と自分の行動だけ。

それを理解した上で読み進めて下さい。

 

 

 

人間関係のしがらみを解きほぐしシンプルにする方法

人間関係というのは、なぜこうも複雑化してしまうのか。

なぜゴチャゴチャ絡んで難しいことになってしまうのか。

その理由は、その場にいる人間やそのことに関係している人間の思惑や感情、場合によっては利害関係なんかも絡んでくるからですよね。

この絡みまくる人間関係の糸を解きほぐす方法なんてあるのか?

 

…実はあるんです。

人間関係のしがらみを解きほぐしシンプルにする方法が、あるんです。

その方法は、「課題の分離」という思考法です。

 

この「課題の分離」、実は「アドラー心理学」にも出てくる考え方であり、僕自身の人間関係を整理する際にもずいぶん参考にさせてもらった思考方法です。

この思考方法をきちんと身に付けると、人間関係を複雑にしてしまってるのは実は自分自身だということに気づくはず。

これから順を追って説明していきますね。

 

 

 

“課題の分離”とは?

人はみな自分の人生において、取り組むべき課題、向き合うべき問題、越えるべき壁というものがあります。

自分の人生を背負えるのは自分だけであり、自分の人生の責任は他人では背負うことは出来ない。

つまり自分に与えられた課題は、自分の責任において解決し乗り越えていかなければならないわけです。

実は多くの問題が複雑化してしまうのは、その向き合うべき課題に対し、関係のない他者が手出し・口出しをしてしまうからなんです。

自分の課題ではない、その人間の人生を背負うことなど出来ないのに、みんな自分の都合や思いを他人にぶつけたり、またはぶつけられたりする。

相手の意見や考え・批判を無条件に受け入れたり、または受け入れさせたりするから問題がややこしくなっていき、解決からむしろ遠ざかっていくのです。

だからまずは、その課題が一体誰の課題なのかをきちんと整理し、線引きを明確にするのです

 

 

例えば僕は社会人として「葬祭業」という仕事を選びました。

プロフィールでも触れてますが、当時葬儀社というのはまだ社会的地位も低く、誰もやりたがらない仕事として認識されていました。

そのため周囲、特に父親からは猛反対を受けました。

 

仕事について説明しても、一切聞いてもらえない。

どれだけ仕事を頑張っても、認めてもらえない。

仕事に誇りを持ち使命感を持ってやってる、でも一向に認めてもらえない。

口を開けば「その仕事、いつ辞めるんだ」と言われる。

 

本当に辛かったです。

でもそれ以上に、

「自分がこんな仕事を選んでしまったせいで親を苦しめてしまっている」

「自分のせいで親に辛い思いをさせてしまってる」

そのことが僕の心に重くのしかかり、最後は家に帰ることさえ出来なくなってしまいました。

 

僕のこの話を聞いていて、あなたはどう思いましたか?

「親が心配するのは当然だし、仕方のないことだ」と思いました?

なぜお互いがここまで辛い思いをしてしまうのか。

それは僕や僕の親が、”課題の分離”が出来てないからなんです。

 

親が子の心配をするのは当然です。

子供の将来に対して何とも思わない親というのは、基本的にいません。

でも心配だからといっていくら手出し・口出しをしたところで、子供に代わって親がその子の人生を生きることは出来ないのです。

その子が人生を終えるまで、付きっきりで面倒を見てあげることなんて出来ないんです。

 

僕がどんな職業に就くか、それを決めるのは僕の課題です。

僕の人生ですから、僕が責任を持って自分の判断で決めないといけない問題です。

周りのアドバイスを聞きながらも、最後は自分が正しいと思う道を自分で選ばないといけないんです。

そして僕が葬儀の仕事を選ぶことによって、親が心配したり辛い思い・嫌な思いなどをするのであれば、親はそれを自分の課題として自分自身の心と向き合わなければならないのです。

 

以前の僕は「親自身が自分の心と向き合わなければならない」という親の課題を、僕の課題だと思い込んで何とかしようとしていた。

逆に親は「子供がどんな職業に就くのか」という僕自身の課題を、自分の課題だと思い込み背負いこもうとしていた。

つまり僕ら親子は、相手の課題と自分の課題をごっちゃ混ぜにし、自分の思うように相手を動かそうとしてたわけです。

その結果、どんどん問題がこじれて複雑化してしまい、最後は僕が家に寄りつかない状態になってしまったのです。

もし当時の僕がお互いの課題をきちんと分離し線引き出来ていたなら、僕も必要以上に悩むこともなかったし、親とももっと冷静に話し合えてたはず。

 

 

また、僕にはまだ小さな子供がいるんですが、やっぱりまだ子供なんで、見ていて「要領悪いなぁ」とか「こうすれば楽に出来るのに」とか思うことがしょっちゅうあります。

すると、つい手が出てしまう。

子供に代わってつい僕がやってしまうことがあるんですよね。

 

この間なんか、子供が学校の時間割を見ながら明日の学校の準備をしていたんですが、すぐそこに必要な教科書があるのになかなか見つけられない。

終いには諦めて寝転がってしまう始末。

イライラして、思わず僕が明日の学校の準備を全部済ませてしまいました。

 

でも明日の学校の準備をするのは子供の課題。

そしてそれを辛抱強く見守り、状況によってはアドバイスしたり必要であれば手助けするなど、子供の自主性を育んでやるのが僕の課題。

なのに僕は子供が向き合うべき課題に手を出し、なおかつその課題を取り上げてしまったわけです。

 

人は自分の課題を一つひとつ自分の力でクリアしていくことによって成長していきます。

自分の課題と向き合うことにより、いろんなことを学んでいくのです。

小さい子供にとって、自分の目で時間割を確認し、自分の手で明日の準備をするというのは大切な勉強のひとつ。

その学びの機会を、僕は取り上げてしまったのです。

 

常に「これは誰の課題なのか?」という目を持っていれば、自分の取るべき最適な行動も見えてきます。

また、例え問題が起こっても、必要以上に複雑化することは無いのです。

 

 

 

自分にとっての最善の道を進めばいいだけ

この「課題の分離」が出来るようになってから、僕は無駄なことに頭を煩わされることが激減しました。

生きるのがすごく楽になりました。

 

昔の僕は、常に周りの目ばかりを気にし、

「あの人は俺のせいで怒ってるんじゃないだろうか」

「俺がいるから場の空気が悪くなってるんじゃないだろうか」

「こんなこと言ったら、相手に迷惑に思われないだろうか」

「昇進したのはいいが、みんなに”力不足だ”なんて思われてないだろうか」

「こんな働きじゃあ”給料泥棒”なんて思われてるんじゃないか」

こんなことばかり考えていました。

 

でも、僕の言葉や行動によってどう思うかは相手の課題であり、僕がどうこう出来ることではないんですよね。

自分が思うように出来るのは、自分自身の心と行動のみ。

僕はただ、その時に考えうる最善の方法を考え実行すればいいだけ。

その時に最善と思える道を進めばいいだけ。

自分に出来ることは、それしかない。

そしてそれによって相手がどう思うか、どう判断するか、どうリアクションをするかは相手の課題。

相手自身の問題なんです。

相手の人生ですから、こちらが心配したり状況によっては手助けしたりすることはあっても、こちらが思い煩うことではないんです。

相手の課題だから、介入してはならないんです。

 

 

こうやってきちんと課題を分離していくと、これまで頭を煩わせていたことが、驚くほどシンプルになっていきます。

「そうはいっても、なかなか割り切ることは出来ない」

…そんな声が聞こえてきそうですね。

でもここはビシッと割り切るんです。

はっきりと線引きをするんです。

 

実は精神的に自立出来てる人や社会的に成功している人、人間関係が上手くいっている人ほど、この課題の分離が出来てる人が多いんです。

僕の見た限りでは。

あなたが人間関係の悩みから解放され、より自分らしく思うように生きたいのであれば、課題の分離をしなければならないのです。

 

で、誤解してほしくないのですが、僕は何も「他人は他人、自分は自分」と切り離せと言ってるわけじゃないですよ。

先ほども言いましたが、その時に自分が最善と思える道を進む努力をするべきであり、当然ですが他人を陥れるようなことをして「どう思うかは相手の課題だ♪」なんて言ってるわけではないんですよ。

周りと信頼関係を作り、仲間のことを気にかけ、そして何かあればお互いに助けを求めあえる関係を築いていく努力をする、というのが前提条件です。

理解されないのは仕方が無いですが、理解してもらうための努力はするべきです。

その努力をした上で、最終的に理解をするかどうかは相手の課題なんです。

 

そして例え相手の課題であっても、助けを求められたのであれば、そこで”共同の課題”として共に取り組んでいくのです。

ここで、相手から頼まれてもない、相手が助けを必要としてないのに、お節介を焼いたり手を出したりするから人間関係の摩擦が起こり難しくなっていくんです。

 

それが誰の課題なのか?

自分の課題か?

相手の課題か?

それとも共同の課題なのか?

それを見極め分離する。

そして共同の課題でない限り、相手の課題には踏み込まないし自分の課題にも踏み込ませない

これを徹底するんです。

 

あと、中にはそれが誰の課題なのか分からない時なんかもあると思います。

そんな時は、僕は「このまま行ったら、最終的に困るのは誰だ?」ということを考えます。

“最終的に困る人”とは、つまり”責任を取らないといけない人”であり、その人こそが”問題の当事者”ということです。

誰の課題か判断が付かない時は、結局誰が困ることになるのかを考えてみると分かることがよくありますよ。

 

 

 

生きるのが楽になる

課題の分離がきちんと出来ると、人間関係がシンプルになり、生きるのがとても楽になります。

最近では僕自身、恥ずかしいという感情すらもあまり感じなくなってきたように思います。

もちろん失敗したり、カッコ悪いことはしたくありません。

でも「失敗した俺を見てどう思うかは相手の課題だし、俺には関係ないや」と思うと、失敗しても恥ずかしいと感じなくなってきたんですよね。

 

でもだからといって、人の目を全く気にしないというのも問題ですよ。

例えばこれから異性とデートだったり大事な場に出ていくのに、髪はボサボサでフケだらけ、服装は寝巻そのもの、爪の間は真っ黒、猫背でずっとニヤニヤ笑ってる…なんてことはやめて下さいね。

 

ただね、あなたがどんな行動を取ろうと、どんな最善の道を進もうと、批判する人は必ず出てきます。

あなたとは全く価値観の違う人、または批判癖のある人というのは、残念ながら必ずいるんです。

でも何度も言いますが、あなたの言動に対しどう思うか、どう感じるか、どうリアクションするかは相手の課題なんですから、そんなことを気にしたり思い煩う必要なんか無いですからね。

 

もちろん場合によっては反省したり改善したりも必要ですよ。

自分の好き勝手に振る舞いましょう…なんて言ってるわけじゃないし、当然相手に対する気遣いも必要ですし、何より自分の言葉や行動にも責任を持たないといけません。

でもあなたの人生ですから、周りに振り回される必要など無いのです。

人間関係で行き詰まったら、自分に問いかけてみてください。

「これは誰の課題だ?」と。

メッセージ

  1. うさっち より:

    どのコーナーに相談していいかわからなくて、良ければここで相談させて下さい。

    友人のことなんですが、向かいに住んでる人に嫌がらせをされてるみたいなんですけど仕返しをしたいからと私に仕返しをしてくれと頼んでくるんです。私には関係のないことだし当然断りましたが、友人は気を悪くしたんじゃないかと考えてしまいます。そんなことを友達に頼む人についてどう思いますか?
    私は言うことを聞いてあげるべきですか?
    会う度に話しを聞かされるんですが、そうゆう問題は私には話しを聞いてあげることしかできないと思ってます。
    普段から理解に苦しむことはあったのですがそれでも相談されればいつも真剣に話しを聞いてきました。
    でもさすがに今回のことは理不尽すぎて呆れてしまいました。
    私は友達少ないから失いたくないし、難しいです…

    • 仁(jin) jin より:

      うさっちさんへ
      コメントありがとうございます。

      ご友人との関係…難しいですね。
      コメントを読ませていただきながら、うさっちさんの誠実さにとても感心してしまいました。

      ご友人の頼みごとを聞いてあげるべきかどうか…
      僕が決めてあげることは出来ませんので、あくまで僕個人の考えとして話させてもらいますね。

      ご友人が隣人から嫌がらせを受けている…
      具体的にどういった嫌がらせかは分かりませんが、現実にご友人は困っておられるわけで、とてもお気の毒だと思います。
      そして友人としてその話を真剣に聞いてあげるうさっちさんの行動も、とても素晴らしいと純粋に思います。
      ご友人が何か解決策を求めているのなら、うさっちさんからいろいろアドバイスなどをしてあげると良いと思います。

      でもこのご友人は、嫌がらせをする隣人に仕返しすることを考えており、しかもその仕返しをうさっちさんにやってほしいと頼んでいるわけですよね。

      この状況を客観的に見ると、ご友人はうさっちさんを使って隣人に仕返しをしようとしている。
      つまりご友人は、自分の手は汚さず安全なとこで見てるだけ。
      そしてうさっちさんに仕返しという危険を冒させようとしている。

      ご友人は自分自身の抱える問題であるにもかかわらず、無関係の友人を危険な場所に放り込んでおいて、自分は安全なとこから見物してるだけ、ってことですよね。
      このご友人、果たして友達と言えるんでしょうか?

      細かい事情は分かりませんが、この状況だけ考えれば、僕であればこの友人とは縁を切ると思います。
      もし仮にその友人が自分にとって唯一の友人であったとしても、僕ならもう彼とは関わろうとしないと思います。

      彼と友人でいることは、うさっちさんにとって果たしてプラスになるんでしょうか?
      マイナスにしかならないような気がします。

      もしかしてうさっちさん、彼と同じようなタイプの友人が他にいもいますか?
      もしいるなら、うさっちさん自身のキャラや性格がそういう人たちを引き寄せてしまってるのかもしれません。
      コメントを見る限り、うさっちさんはとても真面目で誠実な人だと思います。
      そして優しい性格、頼まれれば断らずに相手のためにやってあげるような人ではないかと思います。
      今回のご友人も、そんなうさっちさんの真面目で優しい性格につけ込んで仕返しを頼んできているのではないですか?

      今回仕返しを断ったのは正解だと思います。
      断るべきです。
      もし今回の仕返しを引き受けたのであれば、次はもっとおかしな頼みごとをしてくるはずです。
      さらにエスカレートしていきます。
      ここは断固として強い姿勢を見せなければなりません。
      相手にどう思われようと、関係ありません。
      それで相手が離れていくのであれば、相手は初めからうさっちさんのことを友人だなんて思ってなかったってことです。

      そしてもし強い態度で断れないようなら、これからのうさっちさんの人生には今回の友人と同じような、都合の良い頼みごとをしてくるような人ばかり集まって来ることとなります。
      何でも無理を聞いてくれる…そんなうさっちさんを利用しようとする人間ばかりに囲まれることになりますよ。
      そんな人間、はねのけてしまいましょう!!

      人が離れていくことを必要以上に恐れてはいけません。
      うさっちさんの望む人間関係を築いていきたいのであれば、うさっちさんが変わるしかありません。
      自分が変われば自分を取り巻く人間関係も変わります。
      自分とは合わない友人は離れていき、自分と合う友人が自然と集まり始めます。

      もし良かったら、当ブログのカテゴリー【魅力的になる方法】の中に【第七章:人から好かれようとするほど魅力を失う!?あなたの魅力を跳ね上げる”ある覚悟”とは。】という記事があります。
      うさっちさんとご友人との事には当てはまらないかもしれませんが、もし良かったらご参考にしていただければ嬉しく思います。

      また何かありましたら、お気軽にコメント下さいね。

      仁より

  2. うさっち より:

    忙しい中返事をして下さりありがとうございます!
    やっぱり私の考えは間違ってないですよね?
    誰もがそんなこと頼まれたら断りますよね?
    よくよく考えたらやっぱり友人の言ってることが理解できません。
    今までもその友人には振り回されてきました。私も友人の都合に合わせていたりしました。そんなんだから尚更、頼んだら何でもしてくれるだろうと思ったんですね。
    でもさすがに今回のような頼み事ははっきりと断らないとだめですよね。
    もしも言う通りにしたならばただ人に利用されるだけのバカな人間になりかねないと思います。いくら友達いなくてもそこまで落ちた人間にはなりたくないです!
    私はいつも相手に嫌われたくないとか相手の顔色ばかり気にしてしまう所があります。
    でも仁さんの言う通り、相手が離れていくのを恐れてはだめですよね。
    時には嫌われる勇気を持つことも大事ですね。これからはもっと自分を変えていけるように頑張ります!ありがとうございました。

    • 仁(jin) jin より:

      うさっちさん、コメントを読んでくださってありがとうございます。

      うさっちさんの判断、僕は間違ってないと思いますよ。
      今のうさっちさんが下せる、ベストな判断だと思います。

      大丈夫。
      もっと自分を信じてあげて下さい。
      うさっちさんはとても誠実で優しく、そして自分を取り巻く状況を冷静に見つめ客観的な判断を下すことの出来る人だと思います。
      そんな自分のことを、信じてあげて下さい。

      また何かあれば、遠慮なくコメントを下さいね。
      参考になるか保証は出来ませんが、僕なりの考えを話させていただきますので。

      では。

      仁より

  3. ワダ より:

    興味深くブログを拝見しております、

    人からどう思わわれてるか、どう評価されているか気になる。

    気にするだけ無駄とわかりながらも気にする自分を変えられない。

    それが課題の分離と言う発想を持つだけで可能になるのでしょうか?

    嫌われる勇気に書かれているアドラー思想の内容は分かっていてもやめられない、変えられない、
    理解はできても結局変われない人がほとんどではないでしょうか?

    • 仁(jin) jin より:

      ワダさん、メッセージありがとうございます。
      そして返事が遅くなり、すみません。

      今回の記事、アドラーの思想を参考にさせてもらって記事を書いています。
      実際に課題の分離という考え方も、僕は実生活レベルで活用させてもらってます。

      それで今回は、この課題の分離という考え方だけで果たして人間関係をシンプルにすることが本当に可能なのか?ということですよね。

      最初に結論を言いますが、答えは「No」だと僕は思います。
      課題の分離を知ったからと言って、ではそれだけで人間関係がシンプルなものへと姿を変えてくれるのかと言えば、難しいと思います。
      理屈は分かっているのに、なぜ実践出来ないのか…?
      それは「感情が追いついていないから」だと思います。

      人間の行動に最も影響を与えるもの、それは「感情」です。
      人間の行動は、ある意味感情が支配しているようなものです。
      だからいくら正しい知識や知恵を身に付けたところで、感情が邪魔をしてしまえば思うような行動を取ることは出来ません。
      いくら課題の分離をしようとしても、他人の目や他人の評価に対する恐怖心がある限り、課題の分離を実行することは出来ないのです。
      だから課題の分離をするためには、まずは他人の目に振り回されない心を作る必要があります。

      他人の目や評価を気にせず、自分の思うような行動を取るためにはどうすればいいか?
      他人の目に振り回されるということは、突き詰めると「自分の行動や自分の考えに自信が無い」ということですよね。
      自分のことを信じきることが出来ていないから、他人の目が気になる。
      ということは、まずは自分自身と信頼関係を築くことが必要です。

      では自分を信じるためには何が必要か?
      それは「今の自分を受け入れること」。
      良い部分も悪い部分も全部ひっくるめて、「これが自分なんだ」と一旦受け入れる。
      自分の好きな部分は受け入れ、嫌いな部分からは目をそらす…といった選別をせず、まずは現状の自分を受け入れる。
      そしてそんな、良い部分も悪い部分も全てひっくるめた自分の心と体で生きていく覚悟を決める。
      どんなことがあろうと決して自分を見捨てないと、自分に宣言してあげる。
      そして、例えダメな部分があっても前に進もうとしている自分のことを、信じてあげる。

      課題の分離を実行するには、その前にまず自分自身と信頼関係を築かなければならない。
      自分と信頼関係を築くことが出来ていなければ、課題の分離も役に立たないし、他のどんなテクニックを身に付けようと、意味が無い。
      僕はそう思います。

      自分を変えるためには、まずは自分を信じなければ何も始まらない。
      自分の可能性を全く信じることが出来なければ、それはつまり「自分は変わることなんて出来ないんだ」と思っているのと同じわけだから、本気で自分を変える努力をすることもありません。
      自分を変えることは、決して出来ません。

      だからまずは、自分を信じること、自分を信頼し自分の可能性を信じてあげることから始めてみて下さい。
      本気で変わりたいと思えば、人は必ず変われます。
      今の自分を受け入れ、そして自分の可能性を信じ、自分を見捨てることなく前に進み続ければ、必ず人は変われます。
      僕はそう確信しています。

      仁より

      • ワダ より:

        アドバイスありがとうございます。
        嫌われる勇気を読んだ時よりしっくり来てます。それで現実の問題が改善するわけではないですが、、

        課題の分離が出来ないのはなぜか?
        感情的な問題が絡んでくるから簡単には出来ないという言葉には納得できました。
        書籍ではそこら辺りの事がほとんど書かれてませんよね?ただ単純に人の目が気になるのは、課題の分離が出来てないからだ!

        読んでるこちらとしては、じゃどうしたらそれが可能になるのかと?
        こちらの読み込みが足りないための理解不足かも知れませんが。

        自信がないからと言う点でも納得できます。

        これまで瞑想、自律訓練法、体を鍛えたりいろいろしてますが、結局他の人並の自信もない。
        瞑想には無駄な思考、感情が浮かんでもそれに囚われないように眺めるように受け流していくトレーニングだと思い続けてます。
        それでいて今の職場でも細かなミスが多くバカにされている。
        そこでまたそれを気にして萎縮とは言わないまでも、自分を殺して生きてしまう。

        ここまで変われなかったんならこれから変わる可能性があるのか?
        正直わからなくなることがあります。

        ここでは書き切れない事もありますが、
        時間があるときにでもまたアドバイスもらえたら幸いです。

        • 仁(jin) jin より:

          ワダさん、返信有難うございます。
          そして返事がまたまた遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

          ワダさんはこれまで、瞑想や自律訓練法など、いろいろ努力してこられているんですね。
          実は僕、瞑想や自律訓練法といったことを、これまでやったことが無いんです。
          特に自律訓練法という言葉は今回初めて知ったので、ちょっと調べてみたのですが、今ではこのような精神療法が確立されているんですね。

          僕はこれまで、心理学的な理論などを基礎から学ぶといったことをしてきていません。
          自分の実体験及び人間観察を中心に、独自の方法で人間理解を深めてきました。
          だから僕のやり方は、もしかすると一般的なものとはかけ離れているかもしれません。
          それをご理解いただいた上で、ご参考にしていただければと思います。

          まずワダさんが、瞑想に関するメッセージの中で
          「無駄な思考、感情が浮かんでもそれに囚われないように眺めるように受け流していく」
          とおっしゃられてますが、僕は常にこれと反対のことをしています。
          受け流すのではなく、むしろ意識してガッチリとキャッチするようにしています。
          なぜそのようなことをするのかというと、自分という人間をより深く理解するためです。

          僕はこれまで、人一倍人間観察をしてきました。
          そして他人を観察する以上に、自分自身のことも観察してきました。

          人間の頭の中は、常に多くの思考が飛び交っています。
          試しに5分間、何も考えずに心の中を「無」にしろと言われても、僕は出来ないし、逆にそれが出来る人がいたら本当にすごいと思います。
          寝ている時でさえ、夢という形で頭の中で思考や様々なイメージが飛び交っている状態です。

          そして思考と共に、感情も常に揺れ動いています。
          他人から投げかけられてくる言葉や態度、そういった外からの刺激に対し、感情は常に揺さぶられ続けています。
          そして僕は、外からの刺激に対する自分の感情の乱れを、出来るだけ残さずキャッチし、冷静に観察し、そして分析していき、感情の乱れの根本的原因を突き止めていきます。

          例えば仕事で、「お前ってホント仕事の出来ないヤツだな」と仲間から言われたとする。
          すると反射的に、僕の心の中には「怒りの感情」が生まれます。
          僕の中に生まれたこの「怒りの感情」、この感情の乱れをそのまま受け流すことなく、しっかりと受け止めます。

          なぜ今、俺の中に怒りの感情が芽生えたのか?
          それは相手の言葉が、俺を馬鹿にしているように見えたからか?
          では相手から馬鹿にされて、なぜ腹が立つのか?
          怒りの感情の根っこには、どんな感情があるのか?

          そうやって自分の感情を、どんどん掘り下げていきます。
          するとそこには
          ・俺だって自分なりに仕事を頑張っている。なのにその頑張りを認めてもらえない、頑張りに気づいてもらえない。そんな、自分を理解してもらえない悲しさ。
          ・馬鹿にされて腹が立つということは、俺自身の中に「馬鹿にされても仕方がない」と認めてしまっている部分があり、そこを指摘されてしまったから感情が乱れてしまった。自分の中にある劣等感。

          そういった、怒りの感情の裏に隠された自分の本当の気持ちが見えてきます。
          特に怒りの感情というのは、必ず怒りを発動するための「別の感情」が存在します。
          そうやって自分をしっかりと観察し、感情の乱れの根っこにあるものを見つけ出してみて下さい。
          だんだんと、自分の本心が見えてくるはず。

          感情が乱れた時こそ、自分のことを知る絶好のチャンス。
          自分を理解することの出来る絶好のチャンス。
          そして、成長するための絶好のチャンスでもあります。

          全てではありませんが、感情がネガティブな方向に乱れる時は、自分の中に何かしらの問題が存在することが、よくあります。
          感情は、自分を理解するために重要な役割を果たしてくれるだけでなく、自分の心の状態を表し、問題があればそれに気づかせてくれるアンテナでもあります。

          そして先ほどの「怒りの感情」でも話した通り、感情を掘り下げていくと、問題の根っこの部分を見つけ出すことが出来る。
          自分の抱える問題の本質の部分が見えれば、より具体的な解決法や対処法も見つけやすくなる。
          そして表面上の部分ではなく、根本部分が解決すれば、現状が変わり始める、変わらざるを得なくなるのです。

          だから僕は、自分の中に流れる様々な思考や感情を受け流すのではなく、出来る限り受け止め認識するようにしています。
          それこそが、自分という人間を理解するための一番の方法だと思うからです。

          自分という人間を理解していなければ、自分の人生における問題を解決することは出来ません。
          自分の身に起こる問題というのは、自分自身が大きく関わっている。
          降りかかってきた問題が、実は自分の考え方や自分の行動が引き起こしていたということは、本当によくあります。

          また、今の自分では解決出来ない問題にぶつかってしまうこともあります。
          そんな時は、自分が変わるしかありません。
          自分が変わるためには、具体的に自分のどういった部分を変えていかなければならないのかが分からないといけない。
          そのためには、自分自身のことをよく分かってないと出来ない。

          僕は自分を理解し、他人を理解し、そして人間そのものの理解を深めることによって、本当に多くの問題が解決するようになりました。
          人間理解を深めるためには、自分の心の動きに敏感になること。
          思考や感情の動きをキャッチし、丁寧に分析していくこと。
          それが大事なのではないかと思います。

          …と、ここまで僕なりの考えを話させてもらいました。
          抽象的な表現も多く、また一般的な心理学の考えからもずれているので、内容がちょっと分かりにくいかもしれません。
          もしご質問などがあれば、また遠慮なくメッセージを下さいね。
          返事が遅くなるかもしれませんが、必ず拝見させていただき、返事をさせていただきますからね。

          では。

          仁より

  4. ワダ より:

    こんばんは。返信が遅れてしまいました。
    いろいろ考えてどう返答すべきなのかと考えてしまってました。

    まず瞑想について、少し説明不足な書き方をしてしまったかも知れません。
    瞑想は思考や感情が浮かんでもそれにとらわれずに受け流していくとありますが、それはあくまで瞑想中や、何か目の前に集中すべき事があるときの説明で生活すべてにおいてそうしてるのではありません。

    自身、何か事が起こった時は何故だ?
    自分のどこがいけなかったのか?どうしたら解決出来るのか?考える事もありますが、結局答えが出ることは殆んどありません。

    問題の内容にもよると思いますが、特に精神的な問題に関しては、考えても堂々巡りが続くだけで答えや改善策が明確にわかる事は今までの経験でも殆んどありませんでした。

    例えばジンさんの返答にあった、バカにされて感情が乱れてしまったのは、『自分の中に自分でも認めている劣等感があるからかもしれない、感情の裏に自分の本当の気持ちが見えてくる』とありますが、

    それは自分でもわかっているのです。
    結局、それがわかっていてもなかなか解決てきないから長く悩んでいるのです。

    長く自分が劣っていると感じ、いろいろと努力を続けて来ましたが、結局何も変わらない。
    自分の感情の根っこの部分が分かったところでその根本を変えるのは長く時間をかけても難しい事もあるのではないでしょうか?

    課題の分離の考え方もそうです。
    結局、相手にどう思われるかは相手の課題と心で分かっていても、どうしても相手にどう思われるか気になる。

    ちょっとこちらも抽象的な書き方しかできなくて上手く説明できているか不安ですが、もう少自分でも問題が起きているときの感情をメモして観察するなりしてみたいと思います。

    私が思うに、ジンさんは観察と言う言葉を使っているように、客観的に自分を見つめる事ができているから上手くいっているのではないでしょうか?

    • 仁(jin) jin より:

      ワダさん、メッセージありがとうございます。

      ワダさんのお考え、よく分かりました。
      ただワダさんの置かれている具体的な状況など、僕自身が分かっていない部分もあるので、もし僕が見当はずれな事を言っていれば、大目に見てください。

      「自分でもわかっているのです。結局、それがわかっていてもなかなか解決できないから長く悩んでいるのです。」
      原因が分かっていても解決できない…
      ではその”解決を妨げているもの”は何なのか?
      考えてみました。

      今ワダさんを最も悩ませているもの、それは「他人の目や、他人の評価が気になる」ということですよね。
      他人の目が気になって感情が乱れてしまう、他人の目が気になって自分の思うような行動が取れない、他人の目が気になるがゆえに思うような生き方をすることが出来ない。

      他人の目や評価が気になる、その根底にあるのは「自信の無さ」だと思います。
      自分の価値観や考えに自信や確信を持っていれば、他人の目や他人の言葉に心を揺さぶられることはありません。
      場合によっては、他人の批判などがあっても、全く耳にすら入らなくなります。

      そして「他人の目や評価が気になる」、この問題は「課題の分離」では解決しない。
      そもそも課題の分離とは全くの別問題だと、僕は思います。

      では自信をつけるためには、どうすればいいか?
      どうすれば自分を信じる気持ちを高めることが出来るのか?

      自分の中にある自信を高めていくためには、やはり成功体験が必要ではないかと思います。
      僕は自信をつけるために、これまでずっと成功体験を積み重ねてきました。
      成功体験が、僕の自信を強固なものへと変えてくれました。

      でもこういう話をすると、
      「成功体験なんて、そうそうあるものではない」
      そういう声が出てきます。
      でも実はみんな、成功体験が少ないのではないのです。
      気づいてないだけなんです。

      例えばワダさんは今、会社で仕事をしていますよね?
      ワダさんが社会人になって何年経つのか分かりませんが、日々当たり前のようにこなしている業務がありますよね。
      それらの業務、入社したばかりの時から、今と同じスピード・同じクオリティ・同じ正確さで出来ていましたか?
      入社したばかりの時は全く仕事が分からず、何をするにも一つひとつの行動をいちいち考えながらしていませんでしたか?

      日々同じ仕事を当たり前のようにしていても、確実に成長しているんです。
      新人時代に頭を悩ませながらやっていた仕事が、今は何も考えずとも当たり前のように自然と出来るようになっている。
      実は僕らの日常は、成功体験であふれているんです。
      みんな、それに気づいてないだけ。

      僕は他人と比べ、成功体験を拾い上げる網の目がかなり細かいです。
      周りが「出来て当たり前」と思っていることでも、僕の網の目はそれを成功体験として確実に拾っていきます。

      会社でいつもの通常業務をしてる時も、
      「涼しい顔で当たり前のようにサラっとこなしてしまうなんて、さすが俺」です。
      失敗した時でさえも、
      「失敗してもヘコたれないなんて、なんてタフな俺(笑)」です。
      失敗して後悔の念にさいなまれている時でも、
      「ここまで落ち込むなんて、俺の責任感の強さは尋常じゃないな(喜)」です。

      僕の日常は成功体験だらけ。
      極端な話、何か行動を起こせばその都度成功体験が生まれてしまうわけです。
      成功かどうかを決めるのは、自分自身。
      比べる対象は常に、過去の自分。
      他人は一切関係ない。
      自信というのは他人に付けてもらうものではなく、自分で付けるもの。

      かつての僕はいつも自己否定を繰り返し、自信の欠片もありませんでした。
      だから僕は自信を付ける努力を、誰よりもやってきました。
      諦めることなく、ずっと続けてきました。
      自分の中にある可能性を、信じ続けてきました。

      ワダさんも、自分の可能性を信じてください。
      自分の中にある力を信じてあげてください。
      そして何かをやるたびに、心の中で「さすが俺」と呟いてみてください。
      その成功体験が、きっとワダさんの自信を高めてくれるはずです。

      ここまで思いつくままに話してきましたが、僕のやり方がそのままワダさんに当てはまるとは限らないと思います。
      もし参考に出来る部分があれば、嬉しく思います。

      また何かあれば、遠慮なくメッセージをくださいね。
      では。

      仁より

  5. うのきろりトラ より:

    近所トラブルでモヤモヤしていて検索でたどり着きました。
    自分がどういう行動をとるべきか、こちらのページを熟読してから行動に移してみました。
    もしこちらのHPの存在を発見できなかったら、そのトラブルの相手に、とても不愉快な思いをさせる結果になってしまっただろうし、また同じことをされるところでした。
    でも、熟読してから、今自分ができることは何か?とすこし冷静に考え、相手にどんな気持ちを持っていても、まず失礼のないようにしっかり挨拶から始められ、ドキドキしながらもおちついて現状を説明し、改善してほしい点を冷静に伝えられ、今回の問題は解決しました。
    具体的にお話すると、隣人トラブルです。
    お子さんが3人いらっしゃるお宅で、一軒家ですが、深夜近くまでドスンドスンと騒音がひどく、冬場に締め切っていてもその音は響いてくるほどでした。
    我が家の子供は2歳、聴覚過敏で、その音を聞くたびに泣きそうな感じで「うるさいよぉ」と訴えてくるので、その騒音が一番酷かったとき、一度だけ注意をさせていただいたことがありました。
    それが原因なのでしょうか、お隣さんかな?と思われる嫌なことが起こるようになりました。
    たとえば、庭の境界をお隣側にはみ出ていた我が家の樹の枝が派手に折られ、折った枝が庭に投げ入れられていたり、
    回覧板を回すのに、我が家が見終わってそのお宅に投函したら、また返されたり。
    今回も事件は戻ってきた回覧板だったのですが、お隣の確認印が押されていなかったので、そのまままた無言で投函するか、お手紙を添えて投函するかでモヤモヤしていました。
    でも、行動に移す前に、こちらのHPにたどり着いて、仁さんのいろんなメッセージを拝見して、自分に置き換えて考えてみました。
    そして今回出した私の答えは、
    直接顔を合わせて渡す、ということでした。
    ドキドキしながらインターホンを押して、「お忙しい中申し訳ありません」から始まり、
    相手が出てこられたら「おはようございます」とあいさつし、
    それから本題に入りました。
    結果、お隣さんは、回覧板はご覧になったようで、どこに確認印の欄があるのかよくわかってらっしゃらなかったようでした。
    私は確認印の位置を見てもらって説明し、次に投函するお宅が我が家でなく反対側のお宅であることも回覧順をみてもらって確認してもらい、無事終了しました。
    そして今帰宅してきたところです。
    帰宅直後はドキドキがピークで心臓が張り裂けそうでしたが、こちらに結果報告を書いているうちに、心のモヤモヤとか自分の中に沸き起こったイジワルな気持ちやふさぎ込みそうな暗い考え方が、引き潮のようにひいていきました。

    今まで割とそういうトラブルは、思い付きで行動することが少なくなかったので、失敗ばかりでしたが、今回の結果には、自分でも不思議なくらいにスッキリした気持ちで満たされています。

    これからも、いろんなモヤモヤに遭遇するでしょうけど、そのたびに、こちらのページを訪れ、生きるヒントを得たいと思います。

    • 仁(jin) jin より:

      うのきろりトラさん、初めまして。
      メッセージありがとうございます、仁です。

      メッセージの内容を拝見させていただきましたが、本当に素晴らしい対応です。
      相手からの嫌がらせとも取れるような行為があったにも関わらず、落ち着いて対応されており、今回のメッセージを通して僕自身とても勉強させてもらいました。

      相手に対し、どういった対応をすれば一番良いのか?
      本当に難しいところですよね。
      回覧板の件でも、無言で投函するか、手紙を添えて投函するか、それとも直接話をするのが良いのか、状況や相手によって判断の難しいとこだと思います。
      でも、今回はうのきろりトラさんが勇気を持って「直接顔を合わせて渡す」という選択をしたからこそ、上手くいったんじゃないかと思います。

      おそらく無言で投函していたら、お隣との関係は今後ますますこじれていく可能性が大きい。
      また、手紙を添えて投函するというのも、文字だとニュアンス的な部分などがなかなか伝わらない。
      それに手紙だと、相手がこちらに対し悪い感情を持っていたら、相手のことを思って書いた文章でも悪い意味で受け取られてしまうこともよくある。

      だから今回のように直接顔を合わせ、しかも「相手が悪い」と決めつけたような態度で接することもなく、ごく自然かつ冷静に相手に説明してあげたうのきろりトラさんの対応は、本当にベストな対応だったのではないかと思います。

      どうしても僕ら人間というのは、自分の勝手な思い込みでものごとや相手のことを決めつけたりしてしまいます。
      「あの人は私のことを嫌っている」
      そう思い込むと、それは表情や態度に現れ、それを感じ取った相手はますますこちらのことを嫌いになる…知らず知らずのうちに負のスパイラルにはまり、人生そのものが上手くいかなくなっていく。

      でもうのきろりトラさんは見事ご自分の感情をコントロールし、冷静に状況を分析し、勇気を持って最善の行動を選択された。
      もう、僕なんかが口出しできるような事は、ホント何も無いですね…(汗)

      僕自身、まだまだ未熟な部分がたくさんあります。
      今以上に成長したい、もっともっと進化したい。
      常に思っています。
      うのきろりトラさんさえ良かったら、共に歩んでいきましょう。
      共に、前に進んでいきましょう。

      何かあれば、遠慮なくまたメッセージくださいね。
      では。

      仁より

  6. ぐるぐる より:

    以前コメントさせていただいた者です。悩むと。よくいろいろな記事を読ませていたただいています。

    課題の分離をしたくてもできずに悩んでいます。
    周りの行動や言動に対する自分がした幼稚な態度が気になっていつも後悔しています。
    一方で不満な気持ちもあります。
    自分はなるべく周りが仕事しやすいように空気づくりをしてきたつもり(できているかわかりませんが)が、それをいい事に相手のつけあがるような言動に不満をもってしまい、態度にも出てしまい後で後悔します。

    若い頃は我慢できた事が、最近は、昔と比べて我慢ができず日や人に寄って態度が変わってしまい大変わがままな自己中になっている気がします。歳を重ねて大人にならなければならないのに。。
    課題の分離はやりとりの流れの中では感情が優先的になってしまい、冷静に相手の言葉を受け止める事が難しく、感情を優先したよくない態度をしてしまった後で後悔するという事の繰り返しです。

    あまり干渉しても、影で言われるし、しなさすぎても聞こえないふりするのが得意だと嫌味を言われたり。
    こちらもそのような言動に対してムッとした感情が残り、相手にもイライラさせるような態度をとってしまう。。
    負のスパイラル状態です。

    すべては自分の受け止め方次第と頭で理解していても心がわだかまってしまい、人と関わるのが辛いと思ってしまいます。

    課題の分離をする事が課題のようになってしまいます(笑)
    本当に稚拙な自分が嫌で仕方ありません。。情け無い限りです。
    他の方とのコメントのやりとりも見させていただきましたが、どうやってこんな醜い感情ばかりが沸き起こる自分を信じてあげればいいのか。。

    以前いただいたコメント。とても参考になっていますがやはり迷い続けています。自分にとって相手にとって良いと思える言葉や感情を瞬時に判断して態度に出すのはなかなか難しいですね。。

    常に心がぐるぐるし続けています。

    • 仁(jin) jin より:

      ぐるぐるさん、こんにちは。
      メッセージありがとうございます、仁です。

      お気持ち、すごく分かるような気がします。
      以前のメッセージへの返信でも書かせていただきましたが、今回も何だか他人事とは思えないですね…

      課題の分離、理屈としては分かっても、実際に現実に当てはめようとすると難しいですよね。
      頭では分かってても、感情が追い付かない。
      頭で理性的に判断しようとしても、感情が先走って思うような行動がとれない。

      つまり課題の分離をしようと思えば、まずは感情のコントロールをしなければならないということ。
      感情をコントロールすることによって状況を冷静に見つめることが出来なければ、そもそも課題の分離は出来ない。
      僕らの行動に対し最も強い影響力を持っているのは、感情です。
      課題の分離に限らず、人生において自分の望む生き方を実現するためには、感情のコントロールが欠かせない。

      ではどうすれば感情はコントロール出来るようになるのか?
      感情のコントロールについては当ブログのカテゴリー「感情コントロール法」や他の記事でも触れていますので、お時間のある時にでもご参考にお読みいただければ嬉しく思います。
      正直感情のコントロールについて話していると、このコメント欄では収まりきらなくなるので、基本的なことだけ話させてもらいます。

      まず前提として、自己評価が低いほど感情のコントロールは難しくなります。
      自己評価が低いとは、つまり自信が無いということ。
      自分の考えや価値観、自分の取る行動が正しいのか不安に思っている。
      だから周りの目が気になる。
      自分が正しいという確信が持てない、自分は間違ってるんじゃないかという不安があるから、周りからの評価が気になってしまう。

      分かりやすく説明すれば、例えばナルシストっていますよね?
      自分の美しさに、揺るぎない絶対の自信を持っている。
      つまりナルシストという人種は、実は自己評価が飛びぬけて高い。
      だから他人から何と言われようと、気にしない。
      周囲からの批判も、耳に入らない、というか信じない。
      ナルシストは自己評価の高さゆえ、どんな時も他人の評価より自分の価値観を信じる。
      自己評価が高ければ高いほど感情は安定し、周囲の言葉や態度に対してブレなくなる。

      対人関係というと、多くの人が「他人 対 自分」と考えます。
      でも対人関係で大切なのは「自分 対 自分」なんです。
      自分との向き合い方、自分に対する自己評価が変われば、他人との関係も変わります。

      それで今回のメッセージを拝見していて思ったのですが、ぐるぐるさんの文章の中にご自分を否定するワードが結構出てきていますよね。
      最後の方でも
      >「どうやってこんな醜い感情ばかりが沸き起こる自分を信じてあげればいいのか」
      とおっしゃられてます。
      ぐるぐるさんのなかにある醜い感情がどんなものなのかは、細かい部分までは分かりませんが、ぐるぐるさんの中にあるその醜い感情、僕の中にも同じようにあると思います。
      ブログでは偉そうなこと言ってますが、僕の中にもネガティブな感情は当然あります。

      例えば仕事で仲間が結果を出した時、共に喜び合いながらも心の中では嫉妬や妬みといった感情が渦巻いていたりします。
      人の成功を素直に喜んであげることが出来ない、そんな負の感情が僕の中にあります。
      そしてこういった感情は、僕やぐるぐるさんだけではありません。
      みんなが持っている感情なんです。
      でもみんな、それを表に出さないだけ。
      上手く隠したり、または心の中で打ち消して見て見ぬふりをしているだけ。
      醜い感情・負の感情は、誰の心にもあるもの。
      僕やぐるぐるさんだけじゃないんです。

      そして嫉妬や妬みの感情というのは、実は見る角度を変えると”向上心”でもあるのです。
      向上心があるからこそ、負けたくないと思う。
      向上心があるからこそ、自分より結果を出す人間を見て悔しいと思う。
      だから僕は、自分の中にある嫉妬や妬みの感情を否定しません。
      むしろ歓迎しています。

      負の感情は、決して悪いものとは限らない。
      劣等感だって、そう。
      劣等感があるからこそ、人は成長する。
      向上心の根っこにあるのは、劣等感なんです。

      またメッセージを拝見させていただいたところ、ぐるぐるさんの心の中には
      「周りが自分の思うように動いてくれない」
      「みんなのために考えていろいろやっているのに、それに対して感謝もしてくれない」
      「自分なりに考えて動いているのに、周りは誰も評価してくれない」
      そういった思いがあるのではないでしょうか。
      そして理解されない不満が、つい態度や言葉に出てしまって後悔する。

      実はこれに関しても、ぐるぐるさんだけでなく誰もが持っている感情です。
      「感謝されない」「評価されない」それによって不満に感じるのは、誰もが持っている感情。
      なぜなら、こういった心の動きは人間や動物が持つ自己防衛本能だからです。

      生き物は自分の生命を守るために、他の生き物よりも優位に立とうとします。
      人間が体を鍛えて強そうに見せたり、動物が毛を逆立てて体を大きく見せようとするのも、他の生物よりも優位に立って自分の生命を守るため。
      出世や昇進を目指すのも、経済的により安定した生活を手に入れて自分を守るため。
      感謝されたいと思うのも、評価されたいと思うのも、みんなから「あなたが必要なんだ」と思われることにより、自分の居場所を確保するため。
      全ては自分の生命を守るために本能に組み込まれた「自己防衛本能」なんです。

      だから、感謝されないこと・評価されないことを不満に思うこと自体は、何らおかしいことではない。
      その部分は本能であり、否定する必要はありません。

      だから、そういったネガティブな感情は人として持っていて当然、という前提で考えていきましょう。
      醜い感情は誰の中にもあるもの、僕やぐるぐるさんだけでなく、みんなが持っているもの。
      その前提で、どのように感情と向き合い、課題の分離をしていくか。
      そのためにもまず、ぐるぐるさんの自己評価から見直していくべきではないかと思います。

      それと最後に、ぐるぐるさんはメッセージの中で
      >「若い頃は我慢できた事が、最近は、昔と比べて我慢ができず」
      とおっしゃってますが、もしかするとこれまで積んできた経験が仇(あだ)になっているかもしれません。

      (*ここから先は、僕の勝手な想像です。)
      若い頃というのは、知識も経験もありません。
      だから上司や先輩の指示をこなすだけで精一杯。
      一方的に教えてもらう立場なので、上の言うことは正しいのだと無条件に信じ込んでしまう。
      つまり若い頃は、自分の頭で考えることをしていなかったということ。

      でも今はもうそれなりに経験も積み、場数も数多く踏んできた。
      昔に比べて、知識も知恵もある。
      いろいろな面で余裕が出来たことにより視野も広くなり、様々なことが冷静に見えるようになった。
      つまり、周りの人間と比べて、ぐるぐるさんのレベルが相対的にグンと上がってしまった。
      そのため他の人間のダメな部分なんかが自然と見えてしまう。
      相手の実力や人間性なんかも見えてしまう。

      若い頃であれば、自分は何も出来ないし、仕事を覚えるので精一杯だから、相手の言うことは比較的すんなり聞くことが出来る。
      でも今は若い時とは状況が違う。
      若い時とは違って仕事も余裕を持って出来るし、自分の頭で考え、自分の頭で判断や指示も出すことが出来る。
      実際に周りのことを考え、仕事をしやすい空気を作る努力もしている。
      でも周りはまだレベルが、ちっともぐるぐるさんに追い付いていないくせに、文句だけは一丁前に言ってくる。
      何もわかってないやつの意見など、聞く気持ちになれない。
      (*僕の想像、ここまで)

      もし昔に比べて我慢が出来なくなっているのなら、もしかするとぐるぐるさんのレベルが若い頃よりグンと上がってしまったから、というのは考えられませんか?
      レベルが高くなってしまった分、いろいろなことが見えすぎている。
      そしてベテランになったことにより仕事上の責任が増え、考えなければいけないことが一気に増えた。
      メッセージだけでは、なかなか具体的な要因は特定できないですが。

      僕が思うに、ぐるぐるさんは人生のステージをもう一段上げるべきタイミングに来ているのではないかと思います。
      殻を破り、人としてさらにレベルアップするべき時が今訪れているのではないでしょうか?

      悩むというのは、向上心がある証拠。
      悩みがあるというのは、人としてまだまだ伸び代・成長すべき余地があるということ。
      人というのは、悩みを抱え、そしてその悩みを乗り越えた時にこそ成長するもの。
      これまで多くの人を観察し、そして自分自身の経験からも、僕はそう確信しています。

      今回のメッセージには、ぐるぐるさんの求めているような答えは無いかもしれません。
      僕もまだまだ未熟であり、まだまだ成長途中です。
      良かったら一緒に、前に進んでいきましょう。

      何かあれば、また遠慮なくメッセージ下さいね。
      では。

      仁より

  7. ぐるぐる より:

    自分の中にある感情に支配されっぱなしの、分かりづらい文面にもかかわらず丁寧なお返事をくださり、ありがとうございました。

    感情のコントロールに関する記事もいくつか読ませていただいており、勉強させていただいています。

    仁さんが例としてあげてくださった「嫉妬、妬み」。
    それから、何故分かってもらえないのか、評価してもらえないのかと感じる「不満」。

    でもそれを上手に隠せる人もいる一方で、冷静に職場でのやりとりや周りの反応を思い出すと、いい大人たちが子供みたく感情を出してる時もあるな、、と思います。
    周りの方はみんな大人だなと思ってきましたが、そうでもない気もしてきました、、(笑)
    仁さんの言う通り、誰しもが持つ感情なんですね。

    仁さんはさらに、それぞれを「向上心」「自己防衛本能」という風に視点を変えられていますね。

    自己防衛本能は確かに仕方ないかもしれませんが、せめて顔になるべく出さないようにできたらなと思います。でもこの考え方を書いてくださった事でマイナスの感情とプラスの感情は表裏一体なのかなと。。
    とっさには無理かもしれませんが、視点をかえる。その変え方が少しわかったような気がします。

    また、仁さんが想像として考えてくださった、自分自身の「年とともにイライラしてしまう事が増えた。」という悩みにたいして、丁寧な説明とともに相対的に自分のレベルがあがってしまったから。。とおっしゃってくださいましたね。
    自分はこの事に対して、単に情けないとか幼稚だとかそんな考え方しか思い浮かびませんでした。
    レベルという視点から言えば、逆に下がっているのではと。。
    自分自身のレベルが上がっているのかは、正直わかりませんが同じ職場にはもう8年ほど勤めてはいます。

    想像とはいえ、そういう捉え方もできるんだな、と。これは自分一人では気付けない考え方でした。

    わかりづらい文面から汲み取っていただいた事や自分自身の悩みにたいしての具体的にこんな視点、見方があるよと教えてもらえた事で、自分自身の評価を変えていけそうな気がします。

    自分自身で、違った視点を探せるようになるには今の狭い視野の中だけでは難しそうです。
    経験や知識も増やす必要があるように思えました。
    人生のステージも上げて動いていけるようにもう少しふんばってみようと思います。

    お恥ずかしい話ですが、だいぶ凹んでいた為、返信が大変ありがたかったです。

    引き続きブログも参考にさせていただきます。
    本当にありがとうございました。

    • 仁(jin) jin より:

      ぐるぐるさん、返事を下さってありがとうございます。
      仁です。

      感情のコントロールというのは、本当に難しいものですね。
      僕自身も「いつも出来ているか?」と言われれば、出来ていない時も当然あります。
      感情が顔に出る時も、やっぱりあります。

      もし良かったら、こちらの【失敗や大恥をかいてもへこたれない”強い心”の作り方、僕が伝授します。】という記事を、時間がある時にでも読んでみていただいてもいいですか?
      ぐるぐるさんの状況には当てはまらないかもしれませんが、僕自身が自分の感情をコントロールし視野を広げるために行っている方法について話したものです。

      少しでもご参考になれば、嬉しく思います。
      では。

      仁より

  8. きらきら より:

    こんばんは。
    人間関係に悩んでて落ち込んでる時にこのブログを発見しました。
    職場の先輩が感情的に怒る人で、3回目怒られたあと、無視される状態におちいり、上司に相談し、まわりの人にも無視されててと相談してたら陰口言ってるとさらにキレられました。
    どうしたらいいのか…
    昔から怒られ役で、お前はしかりやすいと…
    すぐにペコペコしていた自分を反省…
    自分が気になるタイトルを朝からずっと読ませて頂いきました。
    頑張って努力している自分を自分でまずは認めます。
    仕事の為にたくさん勉強もしていたノートをみなおして、私すごい!!とほめました。
    そういえば昔から頑張っている姿を、私を評価してくれる人が一人、二人といてくれました。
    昔からそうだった気がします。
    心が少し楽になりました。
    ありがとうございます。

    • 仁(jin) jin より:

      きらきらさん、メッセージありがとうございます。
      そして返事が大変遅くなり、すみません。

      仕事に限らず様々な場で活躍出来ている人、逆に頑張っているにもかかわらず活躍できない人。
      この両者の違い、もちろん性格や能力・得手不得手などの差はあります。
      それまでの努力や頑張りの差も、当然ですがあります。

      でも、実際に努力をしているのにその力を出し切れない、十分実力があるのに活躍できない、そんな人もいる。
      逆に、それほど実力が無いのに不思議と活躍できる人もいる。
      なぜ、そんなことが起こるのか?

      それは「自己評価の差」だと、僕は思います。
      実力があるにもかかわらず活躍できない人というのは、僕の見る限りほぼ全ての人が自己評価が極端に低い。
      実力があるはずなのに、これまで懸命に努力してきたはずなのに、自分自身に向かって
      「俺なんて全然ダメだ」
      「みんなに比べて俺は劣っている」
      そうやって自ら自分の評価を下げることにより、本来の自分の力を抑え込んでしまっている。

      逆に活躍できる人というのは、これまで懸命に努力をしてきたというのもあるでしょうが、それ以上にみんな自己評価が高い。
      どんなに失敗しても、どんなに上手くいかなくても、心の中で
      「今回はタイミング悪く失敗してしまったが、俺の実力なら必ず失敗を巻き返せる」
      「今は上手くいかなくても、俺なら必ず成功できるはず」
      口には出さなくても、心の中でそうやって自分を高く評価している。

      自分の中にある実力をどれだけ出せるかは、自己評価によって決まる。
      自分のことをどれだけ信じられるかによって、目の前の現実は大きく変わってくる。

      というか、日本人は全般的に自己評価が低すぎる。
      自分を低く見積もってしまっている人が、あまりにも多すぎる。

      きらきらさんも、きっとそうだと思います。
      これまでの人生で、辛かったこと、苦しかったこと、嫌だったこと、悲しかったこと…いろいろあったと思います。
      または頑張っても周りに評価してもらえなかったり、結果を出せずに苦しい思いをしたり。
      これまでの人生、平たんで歩きやすい道ばかりでは決してなかったはず。

      でもこうしてここまで頑張って生きてきた。
      自分を見捨てず、人生を諦めず、ここまで生き抜いてきた。
      仕事が出来るようになるために、勉強だってしてきた。
      それは決して当たり前のことではない。
      きらきらさんがこれまでしてきたことは、当たり前のことなんかじゃないんです。
      実はすごいことなんです。

      きらきらさん、もっともっと自分を評価してあげてもいいのではないですか?
      もっともっと、自分のことを認めてあげてください。
      きらきらさんはきっと、これまで自分を過小評価しすぎてきたのではないですか?
      自分のことを、信じてあげてください。

      見ず知らずの僕が、あーだこーだ言ってすみません。
      また何かあれば、遠慮なくメッセージくださいね。

      では。
      仁より