なぜ俺ばかりがいつも怒られる・怒鳴られる・責められるのか?実は怖がれば怖がるほど怖い目にあうんです

人間関係を変える方法

なぜかいつも周りから怒られる人、責められる人、いい扱いをされない人っていますよね。

しかもよく見ると、そういう怒られ役っていつもだいたい同じ人じゃないですか?

いつも決まって同じ人が、周りからないがしろにされたり、邪険に扱われたり…

こういう人ってホント不運というか、ツイてないと言うか。

 

…って話じゃないですよ。

なぜ同じ人間なのに、こうも扱いに差を付けられてしまうのか。

なぜいつも同じ人がこういう目にあうのか。

何でだと思います?

 

実は、これにはちゃんと原因があるのです。

いつも同じ人が怒られる原因があるんです。

その原因とは一体何なのか?

そしてそこから抜け出すには、どうすればいいのか?

 

かつて典型的な怒られキャラの子供時代を過ごした僕が、自分の体験をもとに説明していきますね。

もしあなたが現在そういった怒られキャラのポジションであっても、そこから抜け出すことは可能です。

急に抜け出すことは難しいかもしれませんが、僕の過去の経験を何かしらの参考にしていただければと思います。

 

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 僕らは”感情”によって動かされている

僕らがたった今生きているこの現実というものは、これまで過去の自分が行ってきた1つ1つの行動の積み重ねによって作られたものですよね。

その時その瞬間の判断・選択や、日頃の習慣、行動パターンのクセをもとに自分が取ってきた行動が、今ある自分の現実を作り出しているわけです。

 

では、この自分の現実を作り出している”行動”は、どのようにして決められていくのか。

その一番の決定要因は理性や思考… ではなく”感情”だという話を以前させていただきました。

(参照記事はこちら→【自分の望む人生を送ってる人にはこんな秘密があった!?】

人間は感情が動かないと、なかなか行動には移りません。

いくら頭であーしたほうがいい・こーしたほうがいいと考えても感情が動かなければ、例えば気分が乗らなかったりその気にならなければ、結局しっかり行動に移せずに終わってしまうのです。

 

友達から遊びに誘われても気分が乗らなければ、無意識のうちに行けない理由を探しはじめたり、やらなくてもいいような用事を作り出してしまいます。

試験やクラブの試合があっても、本気で行きたくないと思うと、本当に熱が出たりお腹が痛くなったりもします。

感情が動かないと、体すら思うように動いてくれない。

感情が動くことによって、初めてちゃんと行動が伴うのです。

 

じゃあなぜ、理屈ではあーしたほうがいい・こーしたほうがいいと分かってるのに、感情は動いてくれないのでしょうか?

頭では分かってるのに、なぜやる気にならないのでしょうか?

 

その理由は、「自分にとって今の状態が一番楽だから」です。

しないといけないと分かってても今の状態が楽だから、心の深い部分では今の状態の維持を望んでいるのです。

明日試験があるから勉強しないといけないと分かってるのに、つい「息抜き」といってゲームをしたりネットサーフィンをしてしまう。

学校や会社で朝早いと分かっているのに、つい二度寝してしまう。

頭では分かってても今の状態が楽だから、感情が楽な方に反応してしまってるんです。

だから行動が伴わないのです。

 

 

では逆に、感情が動く一番の原動力は何でしょう?

それは「恐怖や不安」です。

本能から発せられる恐怖や不安です。

 

例えば僕らはなぜ働くのでしょうか?

もちろん生きがいや自己実現を求めて…ということもあるでしょう。

ですが根底にあるのは、「働かなければお金も無くなり生きていけなくなるから」という不安があるのです。

働かなければ自分や家族が生活出来なくなり困る。

極端な言い方をすれば自分や家族が死の危険にさらされる、その不安や恐怖が僕らを労働へと駆り立てているのです。

 

じゃあ働かなくても十分お金がある、もしくは親や周りが必要な時に必要なだけお金をくれるとしたらどうでしょう?

そういう状況だと、ほぼ全てに近い人が働かない、もしくは働いててもやる気が見られなかったりしますよね。

生活出来なくなるという不安や恐怖が無いので感情が動かず、働こうと思っても実際にはなかなか職に就かなかったり、仕事にも身が入らなかったりするんです。

これはほんの一例ですが、普段の自分の行動をよく振り返ってみて下さい。

その行動の根底に不安や恐怖心が絡んでいることが多いことに気づくはずです。

もちろん反対に、喜びや嬉しさが行動の原動力になってる場合も当然あります。

でも行動を起こす原動力として考えると、”喜びや嬉しさ”より”不安や恐怖”の方が圧倒的に強いのです。

 

 

 

 “怒られキャラ”から脱するためには

僕らの行動には感情が大きく関係しており、感情には不安や恐怖が大きく関係しているということは分かってもらえたと思います。

ではいつも周りから責められる人というのは、なぜそこから脱するために行動しないのでしょうか。

あれだけ強い不安や恐怖などのストレスを与えられれば、イヤでも感情が動いて行動にも表れるはずですよね。

でもそうはならない。

これにも実は、不安や恐怖の感情が関係しているんです。

 

 

この説明について、僕の子供時代の話を少しさせてもらいたいのですが、僕は小学生の頃とても内気な子供でした。

特に周りの大人を恐れ、自己主張を全くしない、いや、出来ない子供でした。

この頃の僕は自己否定がとても強く、自分の考えがあっても口には出さず、常に心にとどめるようにしていました。

そうなった背景には、周りの一部の大人から強烈に否定され続けたという事が大きく関係しているのですが、僕の心にはいつも

「どうせ意見を言っても否定される」

「どうせ発言したって誰も認めてくれない」

といった思いが占めていました。

大人から何か聞かれても、何も言わずモゴモゴしてるだけ。

意見を求められても、どうしたいか聞かれても、ちゃんと答えず誰かが僕に変わって意見を言ってくれるまで黙ったまま…

こんな僕を見てれば周りの大人も余計にイライラしますよね。

それでさらに「お前はダメだ」みたいな発言や態度をぶつけられてしまう。

そしてそんな感情をぶつけられた僕は

「やっぱり僕ってダメな人間なんだ…」

と、さらにネガティブな思いを強化していく。

この繰り返しでした。

 

他にもいろいろあるんですが、話すと長くなるのでまたの機会があれば話しますね。

とにかく僕の子供時代はこんな感じで、思い返してみてもずいぶん可哀想な扱いを受けてたなぁって思います。

でも結局こういう事態を招いていたのは、他の誰でもない僕自身なんですよね。

「何か言っても誰も聞いてくれない」

「何か発言したら、また怒られてしまう」

と、周りの大人たちを極端に恐れて殻に閉じこもろうとするから、余計に周りをイライラさせ、さらに怒られる。

でも”殻に閉じこもる”という行為は、当時の僕にとっては自分に出来る精一杯の自衛行為、自分を守るための唯一の方法だったんですよね。

「またいつものように怒られる」という不安や恐怖心が、自分を守る行為として”殻に閉じこもる”という行動をとらせていたのです。

 

しかしその自分を守るための行動が、さらに状況を悪くしていったわけです。

この時僕が取らなければならなかった行動は、

「勇気を出して自分の意見を言うこと」です。

でも当時の僕はそれをしなかった。

なぜしなかったんだと思います?

それは

勇気を振り絞って立ち向かうより、怒られ続けている方が楽だったから

ちゃんと自分の意見を言った方がいいというのは、子供ながらに何となく分かっていました。

でも僕はそれをしなかった。

その方が自分にとって楽だと判断したからです。

怒られ続けるより自分の意見を主張する方が、子供の僕にとっては怖いことだったんです。

 

自分を責めてくる相手に立ち向かうのは、とても勇気がいります。

とてもストレスのかかること、とてもエネルギーのいることです。

人を責める人間というのは、実はそのほとんどが「怒りやすい相手を選んで怒っている」のです。

責めると何倍にもなって返ってくるような相手を、誰も怒りたいとは思いません。

子供時代の僕のように、どんな理不尽なことを言っても黙ってうなだれているような人間というのはまさに格好の餌食。

「怒ってください」と言っているようなものです。

 

かといって、怒鳴ってくる相手に対して”倍返しをしろ”とか”叩きのめしてやれ”とか言ってるわけじゃありませんよ。

最初の方でも言いましたが、僕らの行動というのは感情によって大きく左右されています。

場合によっては不安や恐怖の感情によって、行動の主導権を完全に握られてしまうこともあります。

でも勇気を出して思い切って行動してみると、その恐怖は思ったよりたいしたことなかった、ってことがかなり多いんです。

怖がって行動しないから、自分が恐れているものの正体が余計分からない。

正体が分からないから、自分の中で勝手な想像がどんどん膨らんでくる。

そしてその膨らんだ想像のせいで、余計に恐怖心が強くなる。

恐怖心というのはその大部分が、ちょっとした事実をもとに大きく膨らませた、ただの想像(妄想)であることがとても多いのです。

 

相手が怖いと思うのなら、その相手から目をそらすのではなく、逆に相手のことを知ろうとしてください。

相手のことをしっかり観察する、相手と距離を置こうとするのではなく、むしろ相手との距離を縮めてみてください。

相手のことが分かれば分かるほど、自分の中にあった勝手な妄想は消えていき、それと共に恐怖心も薄れていくことが多いはずです。

 

恐れというのは、目や顔の表情、態度に必ず表れます。

そしてそれは相手にも伝わるものです。

怖がれば怖がるほどほど相手はあなたを「怒りやすい相手」と認識し、さらにあなたを怒ってきます。

 

少しずつでいいんです。

これまで生きてきた自分を信じ、自分が怖いと思うもの(相手)を見定めてみてください。

恐怖に立ち向かうために力を振り絞るより、このままうずくまり続けている方が楽だと思うかもしれません。

でもそれでは何も変わりません。

いや、そのままだと間違いなく今以上にしんどくなっていく、辛くなっていく、苦しくなっていってしまうだけなんです。

自分を信じてください。

自分を信じ、少しずつでいいですので前に進んでいきましょう。

 

 

 

“怒られること”から解放されたいですか?

怒られることは、誰しも嫌なものです。

実は僕自身、かつては典型的な”怒られキャラ”でした。

毎日誰かから怒られ、責められ、生きることが辛くて辛くてたまりませんでした。

希望も何もない、まさに灰色の人生でした。

 

でも今の僕には、怒られることに対する恐怖というものが全くありません。

むしろ怒る人間を観察して楽しんでさえいます。

 

もしあなたが怒られる恐怖から本気で解放されたいのであれば、こちらのカテゴリ【怒る人の対処法】を読んで下さい。

このカテゴリでは、怒る人への対処法や自分自身の心のあり方について、僕自身の経験をもとに話しています。

こちらを読めば、あなたが怒られる理由や原因、怒る人に対する見方、そして怒られることに対する自分自身の捉え方が変わり、あなたの現実にもきっと変化が訪れるはずです。

このカテゴリは、途中話が繋がってる部分もあるので、最初から順を追って読み進めてみてください。

 

ではこちら→【怒る人は怒りやすい相手を選んで怒っている!! 怒られキャラから脱するには…】から順に読んでいって下さい。

メッセージ

  1. アメ より:

    はじめまして
    いきなりすみません。
    偶然この記事を発見し、読んでみて思ったのですが、
    周りの人たちのことを恨んだりはしませんでしたか?
    自分のせいだったと認めるのは苦しくありませんでしたか?
    もし苦しかった場合、どのように受け入れていったのでしょうか?

    私はとても苦しいです。
    自分が原因だとしても、とてもつらかったし、
    一生懸命耐えてきた自分を否定するような気がして、つらいです。

    • 仁(jin) jin より:

      アメさん、コメントありがとうございます。

      「周りの人たちのことを恨んだりはしませんでしたか?」
      そのお気持ち、分かります。

      僕は当然人間ですし、悟りを開いているわけでもありません。
      だから他人に対して、瞬間的に腹が立ってしまうようなこともやっぱりあります。
      生理的に受け付けないなぁと感じてしまうこともあります。

      でも恨むということは、基本的にないと思います。
      もし被害などを受けたとしても、恨むより先に
      「どうすればこの被害をかわすことが出来るか?」
      「自分のどこを変えたら今後被害を受けなくて済むようになるか?」
      などと考えます。

      恨んでも何も解決しないし何も前に進まない。
      それに恨むという行為自体が、ある意味相手に操られているようなもの。
      相手に自分の人生を狂わされているようなものです。
      恨んでも、何一ついいことはありません。

      次に
      「自分のせいだったと認めるのは苦しくありませんでしたか?」ですが、人生が上手くいかない時、つい他人のせいにしてしまいます。
      「あいつのせいで上手くいかないんだ」
      「あいつがもっと協力してくれたら上手くいくのに」
      そうやって上手くいかない原因を他人に求めてしまいます。

      で、もし上手くいかない原因が100%他人のせいであるなら、上手くいくようにするためには他人を変えなくてはなりません。
      他人を、自分の望む形に操らなければなりません。
      でもそれって、ものすごく難しいことですよね?
      そもそも他人を自分に都合よく操ることなんて出来ません。

      でも上手くいかない原因がもし自分にあるのなら、自分が変わればいいだけです。
      他人を変えることは出来なくても、自分を変えることは可能ですよね?

      つまり原因が自分自身にあるということは、今の自分の状況を変えることも出来るということです。
      逆に原因が他人にあるのなら、状況を変えることは限りなく難しい、不可能に近いということです。
      自分の中に原因があるというのは、人生の主導権を自分の手で握るということです。

      アメさんの置かれている状況が詳しく分からないので、なかなか適切な言葉が思いつかないんですが、アメさんはものごとを感情ベースでとらえすぎてるのかなぁと思います。
      様々な問題を解決する時、感情ベースでものごとを考えてしまうと、たいてい上手くいきません。
      「感情ベース」ではなく「事実ベース」で問題と向き合うと、解決策もはるかに見つかりやすくなってきます。
      もし良かったら、こちら⇒【失敗の連鎖を断ち切る方法はこれだ!!何度も同じ失敗を繰り返す、いつまでも引きずってしまう、そんなあなたへ。】で詳しく話してますので、ご参考にしていただけたら嬉しく思います。

      また何かあれば、ご遠慮なさらずメッセージをいただければと思います。
      では。

      仁より。

  2. アメ より:

    仁さん
    丁寧な返答ありがとうございます。

    リンクの記事も読みましたが、自分の失敗に落ち込むのではなく、
    自分を傷つけるような言動をする人が許せず、
    その言葉を引きずってしまうのです。

    それも自分自身のせいなのかもしれませんが、
    嫌なことをする相手に対しても
    自分のせいだと思って我慢するしかないのでしょうか

    相手に言いたいことを言って、自分自身を守るというのは
    いけないでしょうか

    また、人のせいにしてはいけないと書かれていますが、
    その場合、裁判を起こすなどの行動は悪いことなのでしょうか?
    訴えるという行動自体、他人のせいにしているようなものだと思うので…

    また、私は人を責めることがなぜ悪いことなのか、
    心の底から理解することができていません。
    どうしたら、理屈ではなく、心の底から理解することが
    出来るようになるのでしょうか

    長文すみません。

    • 仁(jin) jin より:

      アメさん、再度メッセージをくださってありがとうございます。

      基本的にこのブログは、僕自身の経験・価値観に基づいて話してます。
      よって、このブログに書いてある内容が必ずしも常に正しいということではありません。
      あくまで考え方の一つとして受け止めてください。

      人それぞれ、価値観も違えば考え方も違います。
      生まれ育ってきた環境やこれまでしてきた経験も人それぞれ違うので、その人間にとっての “正解” も当然違います。
      僕とアメさんの正解や真実も違うと思います。
      だから僕の考えをアメさんに押しつけるつもりは全くありませんし、アメさんも「こいつの考えは間違ってる」と思われれば、スルーしてもらっても全く構いませんよ。

      それで、アメさんは「相手に言いたいことを言って、自分自身を守るというのはいけないでしょうか」と言っておられますが、アメさんが “それが正しい” と思われるのであれば、それでいいと僕は思います。
      また「私は人を責めることがなぜ悪いことなのか、心の底から理解することができていません。」と言っておられますが、人を責めること自体が悪いことだとは僕は思っていません。

      ただそのすぐ後に、「どうしたら、理屈ではなく、心の底から理解することが出来るようになるのでしょうか」と言っておられますよね?
      ということはつまり、アメさんは頭のどこかで “人を責めることは良くないことだ” と思っておられ、それを心の底から納得したいと思っているわけですよね?

      アメさんのメッセージを拝見させていただいて思ったのですが、アメさんは少し過去にとらわれ過ぎているのではないかなぁ、と感じます。
      自分を傷つけるような他人の言動が許せない、そしてそれらの言動はこれまでのアメさんの人生の中で受けたもの。
      つまり過去に他人から受けた言動が許せないということですよね。
      過去のあいつの言葉が許せない、あいつの態度が我慢ならない、そして俺はその被害を受けた被害者だ、そうやって過去に起こった出来事にとらわれているように見えます。

      アメさんは一体、どうしたいのですか?
      これからアメさん自身は、どうなっていきたいのですか?

      僕は人から相談を受けることがあります。
      人からいろいろな悩み事を聞くことがあります。
      そして話を聞くと、たいていの人は2つのことをしきりに訴えてこられます。
      まず1つ目は “私はこんなにも大変なんだ、可哀そうなんだ” ということ。
      そして2つ目は “あいつが悪い、あいつのせいで私はこんなにも苦しんでいるんだ” ということ。
      ほとんどの人が、この2つを繰り返し訴えてこられます。

      実は多くの人が重要な視点を忘れてしまっています。
      その視点とは3つ目の “私は一体どうしたいのか?これからどうなりたいのか?” ということです。
      大事なのは、これまでどうだったかという過去ではなく、これから先のことですよね?

      他人を責めるのが良いことなのか、それとも悪いことなのか?
      裁判を起こすことが良いことなのか、悪いことなのか?

      その場の状況などにもよりますので、単純に良い・悪いという判断をこの場で下すことは出来ません。
      でもそれらのことが良いことなのか悪いことなのかということよりも、僕は「これから自分自身がどうなりたいのか?」ということを常に考えるようにしています。
      裁判を起こすのは、単なる “手段” です。
      裁判という手段の向こうに “目的” というものが必ずあります。
      そして大事なのは手段ではなく目的。
      裁判という “手段” は、それほど重要なことではないように思います。

      また、答えなんてその場の状況によって簡単に変わります。
      極端な話、戦時中は敵を多く殺した人間ほど評価されました。
      敵といえど、人殺しには変わりありません。
      つまり人殺しが合法であり正義だったわけです。

      そして正義の概念なんて、国や時代が変わればコロコロ変わってしまうようなあやふやでホントいい加減なものです。
      そんな、当てにならないものを求めたって、答えなんて見つからないと思います。
      それよりも、僕らにとって必要なのは、これから先のこと。
      これからの未来のことですよね。

      コメントだけではなかなか説明が難しいですし、もしかしたらアメさんの求めていた答えとは全く違う返事になっているかもしれません。
      またアメさんの置かれている状況も分かりませんので、的外れな回答になっているかもしれません。
      そして僕の言っていることが、必ずしも正しいわけではありません。
      もし少しでもアメさんにとってご参考になれる部分がありましたら、嬉しく思います。
      また何かありましたら、ご遠慮なくメッセージ下さいね。

      では。
      仁より